第16話 その瞳は透き通っていた
俺はノルドシャーレを開拓するという、トチ狂った計画のために派遣された冒険者の一人だった。
計画の発案者はノルドシャーレ付近の貴族だったと思う。
少し調べれば危険性が分かったはずなのに、開拓する方向に舵を切ってしまった馬鹿野郎だ。
とはいえ、最初は順調だった。
ノルドシャーレの危険性を理解していない冒険者、理解しているのに好奇心に勝てなかった冒険者、未知の土地に眠る宝を狙う冒険者。
種類は様々だが、全体的に実力の高い冒険者が揃っていたので、最初は順調に開拓できていたのだ。
俺がなんで参加したかは……たぶん鬱屈とした気持ちを変えたかったのが答えな気がする。
もしくは死に場所を求めていたか。
今となっては客観的に分析できるが、当時の気持ちはもう薄れてしまった。
まあこの話はどうでもいい。
目下の問題は王子の誘いに関してだ。
いくら緻密な計画を立てているとはいえ、ノルドシャーレの開拓はかなりの至難の業である。
期間も長く、数年では終わらない。
最低限の開拓だけでも数十年単位だろう。
故に俺が王子の誘いを受けたら、この先の人生をノルドシャーレの開拓に捧げるということだ。
俺の目的は剣を極めること。
ノルドシャーレには強い魔物が蔓延っているので、俺の目的にも合致する。
だが、少し迷う。
本当に受けても良いのか。
自由が少なくなっても良いのか。
アルセリアを巻き込んでも良いのか。
迷う。
「……駄目だな。集中ができていない」
剣を振るう手を止めて一息つく。
学園の訓練場には、俺以外誰もいないので、風が流れる音だけが聞こえた。
剣を鞘に収めて棒立ちのまま思考する。
これは重要な分岐点だ。
判断によって、少なくとも俺の人生はガラリと変化する。
仮にだ。
仮に前世の俺だったらどのような判断を下すのだろうか。
欲していた才能を手に入れた状態で、思考と経験だけ前世のままだったらどうするのだろうか。
選択肢は二つ。
どちらにも利点と欠点はある。
そのうえで、俺は何を基準にして判断するのだろう。
「……」
このように思考していると俺は変わったのだと思い知らされる。
良くも悪くも俺は人と関わり過ぎた。
しかも前世で会ったことが無いような人たちとだ。
剣が一番上にあるのは変わりないが、それに追随するものが増えてしまった。
だから俺はこんなにも迷っているのだろう。
あとは……今世こそ失敗したくないという気持ちもあるからかもしれない。
「クレイズ」
自分の名前を呼ばれて俺は振り返る。
「ずっと棒立ちでなにしているのかしら」
アルセリアが美しい金髪を靡かせながら歩いてきた。
図書館帰りなのか、二冊の本を持っている。
「いやなに。王子の誘いをどうしようかと考えていてな」
「……あなたが迷うなんて珍しいわね」
「そうか?」
「ええ――少し座って話しましょ」
アルセリアの手招きに付いて行き、訓練場の階段に腰を下ろす。
肩と肩の間は僅かで、どちらかが少し寄ったら触れるくらいの距離だ。
互いに無言でしばらく時間が過ぎる。
ただ風が吹き、落ち葉が地面を転がる。
「てっきり……あなたはもう決めていると思っていたわ」
「何でだ?」
遠くを見ながら尋ねた。
「……あなたは剣に執着があるのでしょう? 更には、外の世界に意識を向けていたり……縛られるのが好きではない。だから誘いを断ると思っていたのよ」
「よく――良く分かってるんだな……」
思わず俺はアルセリアの顔を見た。
剣に執着があり、外の世界に意識を向けていて、縛られるのが好きではない。
どれもが俺の本質だ。
剣に執着があると理解されているのはまだ納得できるが、まさか他の二つまで理解されているとは思わなかった。
アルセリアは俺の視線に構わず、その整った唇を動かす。
「分かるわ。だって……私はずっとあなたのことを見て、考えていたもの」
「…………」
なるほど、と俺は納得した。
アルセリアに俺以外の友人は居らず、あの二十日間を覗けば、ずっと俺と行動していることになる。
確かにそれならば、俺のことを理解していても何らおかしくない。
「ねえ」
今度はアルセリアが俺の顔に視線を向ける。
「なにをあなたは迷っているの?」
顔に突き刺さる視線が気になって、チラリと目だけを動かした。
アルセリアと目が合う。
風によってアルセリアの顔に髪が引っかかっていたので、俺はそれを指で外した。
「ん……」
そして合わせていた目を外して正面を向く。
「確かに俺は剣が一番だ。ついでに世界中を歩いて回りたい。更には誰かの下について、縛られるのも好きではない。ただ、な。ノルドシャーレは俺にとって特別な場所なんだよ」
俺が死んだ場所であり、後悔に気づいた場所。
それがずっと引っ掛かっている。
自分の欲求と王子の誘いの条件を合理的に考えれば、誘いを受けるべきではない。
憧れや執着、感覚的な引っ掛かり、どれもが合理的に考えれば無駄なものである。
だが、俺はかなりのロマンチストだ。
剣に魅せられて、かつて見た光景に幻想を抱いているくらいのロマンチストだ。
逆に俺は合理ではないモノにこそ、前へ進む原動力があると思っている。
だから迷う。
「私は……」
少し間が空いてアルセリアは再び口を開く。
「私は考えたわ」
徐に俺はアルセリアの横顔を見る。
同時にアルセリアの顔がこっちに向いた。
「いま……決めなくていいのよ。あの王子は、卒業したらと言っていたでしょう? だから今から三年の猶予があるわ。その間、冒険者として世界を歩きながら考えればいいのよ」
「……」
「今は迷っているかもしれない。でも……色々な経験をした三年後は分からない。その時に改めて考えればいいのよ」
人というのは変化する生き物である。
肉体的にも、精神的にも、思考的にも。
明日の自分も分からないのに、三年後の自分なんか分かるはずもない。
思わず俺はアルセリアの瞳を覗き込む。
散々と目にした美しい黄金の瞳。
初めて会った時は空っぽだった。
しかし魔闘技で光を取り戻した。
けどそれは酷く濁ったもので、歪さを醸し出していた。
今はどうだろうか。
目の前の瞳はどうだろうか。
俺は思わず瞳を覗き込んで……美しいと思ってしまった。
陳腐な表現でしかないが、美しくて綺麗で見入ってしまう。
濁りが無くて透き通っている。
宝石の輝きでもない。
黄昏時のような、美しくも優しい、そんな瞳だった。
「……確かに、な」
何とか声を出して俺は目を逸らす。
一つ息を吐いて思考を整えた。
「……まさかアルセリアにこんなことを言われるなんて、思いもしなかった」
今までのアルセリアは俺の後ろに付いてきているだけだった。
我儘だが、全ては俺に執着するようなもの。
だが、今のアルセリアは違う。
俺の後ろをついてきているのではなく、隣を歩いている。
その事実に気づいて、どこか情けない気持ちと、嬉しい気持ちが湧き上がった。
「あなたに施され続けるのは嫌。あなたに寄りかかり続けるのも嫌。それは対等の関係じゃないわ」
「そうだな」
「だから……」
俺とアルセリアは目を合わせる。
「あなたが迷ったら私が助けるわ。代わりに……私が迷ったらあなたが助けてね」
アルセリアは優しく笑みを浮かべた。
少しだけ口角を上げて、少しだけ頬を緩めただけ。
されどそれは初めて見た笑顔だった。
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主人公とヒロインの関係は対等が至高。
互いに影響し合えるのが大好きです。
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