第10話 夜の一幕。トラウマ。
もう関わらないでくれ。
クレイズの言葉が私の中で何度も響く。
理解できずに突っ立っていたら、クレイズが背を向けて去ってしまった。
私は言葉を失ったまま手を伸ばし、虚空を掴む。
「なんで……」
完全にクレイズが見えなくなるまで、私は動けないままだった。
しばらくして言われたことを理解する。
もう関わらないでくれということは、その言葉の通りで、今までのように過ごすことが出来ないということだ。
理解はした。
理解はしたが……納得は全くできなかった。
そもそもの話、なんで私よりあの男……兄を優先するのが分からない。
兄は……いや、家族なんて醜悪を煮詰めたような存在なのに。
自分より下だと思ったら無理やり従わせ、上だと認識したら嫉妬して姑息な手で嫌がらせをする。
攻撃してもいいという大義名分があると、全員でその対象……私を攻撃する。
酷く醜悪で、低俗。
人間ではなく、魔物かと思うほどだ。
私はそんな家族という集団の実態を知っている。
実際に身に受けて理解している。
だから私は間違っていない。
間違っているのはクレイズだ。
本当なら私にこんなことを言うなんてあり得ないが、仕方がないので許そう。
クレイズも自分の間違いに気づいて、いずれ私に謝ってくるはずだ。
それまでは退屈だが、私は待つことにした。
***
クレイズが関わらないと宣言してから五日が経った。
未だにクレイズは私に謝りに来ていない。
なんとも強情なことか。
確かにクレイズは一度決めたら貫き通すような性格だ。
その証拠に、宿を変えたのか何処かへ行ってしまった。
ただ、遠くから訓練場を見るとクレイズが剣を振っているので、私を置いて他の街に行ったわけではない。
いつになったら謝りに来るのか。
もしかしたらクレイズの兄が、謝る必要はないと言い包めているのかもしれない。
だとしたら謝りに来ないのも頷ける。
真偽がわからないとはいえ、兄なんて碌なものではないので、私が手助けしようかとも考えた。
しかし今後のことを考えたら手を出さない方が良いだろう。
クレイズには自力で家族という呪縛から抜け出してもらわないといけない。
でないと冒険者になっても、家族というものが足枷となってしまう。
まあまだ卒業まで時間がある。
あまり急ぐ必要はないと私は思った。
***
十日が経過した。
おかしい。
一向に謝りに来る気配がない。
私の予想では七日ぐらい経過したら謝りに来ると思っていた。
しかし十日も経過している。
その間、何度か私とクレイズはすれ違ったが、会話の一つもしなかった。
それどころか、クレイズは私に目線すら向けなかった。
私に関わらないというのを律儀に守っているのだろう。
生意気で腹立たしいことだ。
だが、私は待つことにした。
本当ならあり得ないことだが、私は心が広いので待ってあげるのだ。
ただ、最近は誰とも喋っていないので、夜になると心に大きな穴が開いたような気分になる。
隣の空室がやけに気になる。
なんだか最近の私は変だ。
もしかしたら本を読み過ぎて疲れているのかもしれない。
休息を取った方が良いのだろうか。
***
十五日が経過した。
最近、なんだか体の調子がおかしい。
集中が続かず、謎の不安が心を埋めており、じっとしていられないような状態だ。
自分の体に何が起こったのか分からない。
別に特別何かしたわけではないのだ。
単純に体調が悪くなったのか……それとも知らない間に精神的に……。
精神的に?
私はこの単語に違和感を覚えて心の中で反芻する。
確か精神的に疲労していると、体にまで不調が出てくると聞いたことがあった。
もしかしたら私は精神的に疲れているのだろうか。
だとしたら何によって……?
……分からない。
何も分からない。
更に、いつもは布団に潜ったらすぐに寝れていたのに……最近は眠れない。
色々なことを考えてしまって、寝るのが遅くなってしまっている。
私は自分のことが分からなくなってしまった。
足場が崩れていくような……霧の中を歩いているような……先が見えないのだ。
「うっ……はっ、はっ、はっ……」
不快感が込み上げてきて寝具から飛び起きる。
体を丸くして口元を抑えた。
息が荒い。
鼓動も早くなっている。
こんなの初めて…………いや、違う。
昔、こんな夜を過ごしたことがあった。
母が亡くなって独りぼっちになった夜。
しばらくこんな夜を過ごした記憶がある。
そこからどうやって乗り越えたかは……何も覚えていない。
ただ予想は出来る。
おそらく私は殻に閉じこもって自分の心を守ったのだ。
これ以上傷つかないように、辛い思いをしないように、隠したのだ。
「う……うう……」
ひとたび思い出すと次々と流れ込んでくる。
あの時の……地獄のような記憶。
私が魔術の才能があると分かるや否や、手の平を返したように接してくる父。
今まで興味の欠片もなかったくせに……なんなら邪険に扱っていたくせに。
私ならまだしも……母に対する扱いは忘れたくても忘れられない。
母が死んだのは父……あいつのせいだ。
……父だけじゃない。
あの女も……兄も姉も……全員が私の敵だ。
階段から突き落とされた時、意味もなく部屋に閉じ込められた時、熱湯をかけられた時……私は悟った。
もう私の味方はいない。
受け身になっていたら……舐められたら……いずれ私はこれ以上のことをされる。
自分の身は自分で守るしかない。
私は今まで以上に魔術の腕を磨き、悪意を跳ね返せるようにした。
「なんで……家族なんか……」
私にとって家族は……碌なものではない。
血が繋がっているだけの敵。
母を傷つけ、殺した憎むべき存在。
それ以上でも以下でもない。
だから私は間違っていない。
クレイズに言ったことは間違っていない。
家族なんて大切にするものじゃないのだ。
「クレイズ……」
もう離れていってしまった名を呟く。
あの時……クレイズは初めて怒りの顔を見せた。
いつも私が何を言っても怒らないのに……呆れて笑うだけなのに……怒っていた。
「うっ……」
また吐き気が込み上げてくる。
汗が体から噴き出して髪が顔にへばりつく。
どんどん沼底へ。
これ以上行ったら戻れないという警鐘が鳴るが……止まれない。
深く深く沈む。
四肢が泥に絡まり、藻掻いても沈むだけ。
周りの音は聞こえず、自分の動悸と荒い呼吸だけが体の中に響いている。
私は何も分からなかった。
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