第4話 一年間の予定、将来を見据えて

「……取り敢えずこの物騒な手を離してくれ」


 俺の顎を鷲掴みにしているアルセリアの手を、俺は掴んで無理やり離す。


 そこで俺はアルセリアの腕が細いことに気づいた。


 枯れ木のような細さ。


 少しでも強く握ったら折れてしまいそうだ。


「……いつまで私の手を掴んでいるのかしら?」


「おっと、申し訳ない」


 アルセリアの声に俺は我に返って瞬時に離す。


 いくらアルセリアが頭のおかしい奴とはいえ女だ。


 しかも侯爵家の令嬢。


 今更だと思うが、腕を掴むのはあまり良くないだろう。


「さて。お前が俺についてくるのは置いといて……」


 学園に所属している期間はまだ一年もある。


 その期間に色々と様子を見て、無理だと判断したら夜逃げすればいい。


 前世の冒険者時代に大陸中を歩き回っていたので、土地勘や地理に関しては俺の方が有利だ。


 逃げ切れる自信が俺にはあった。


「あなた……いざとなったら逃げればいいって思ってるんじゃないかしら?」


「いやいや……」


「安心しなさい。地の果てに行っても私はあなたを追うから」


 絶対に逃がさないと言わんばかりの笑みをアルセリアは浮かべる。


 前言撤回。


 逃げ切れる自信が俺にはなかった。


 とはいえ……この話を続けると何だか追い込まれそうなので、先に進めよう。


「じゃあ在学中、お前は図書館に籠るような感じか?」


 俺がわざと話を逸らしたのに気付いたのか、アルセリアは軽く笑って寝具に腰を掛ける。


「そうね……基本的には図書館に籠るわ。けど……」


 アルセリアは顎に手を当てて少し考える。


「実戦試験の前に何度か迷宮に潜りたいわ」


「ふむ……実戦経験を積みたいのか?」


「ええ。豚のせいで私は魔物討伐が出来なかったから……経験が無いのよ。それに迷宮にも慣れておきたいわ」


 アルセリアほどの実力者が魔物討伐の経験がないのは驚いた。


 しかしよく考えてみると、アルセリアはオリオンドール侯爵……あの豚にとって失いたくないモノだ。


 いくらアルセリアが魔術に長けているとはいえ、魔物討伐には危険が伴う。


 あの豚にとってアルセリアは自分の利益の為に使う道具だ。


 だから魔物討伐といった危険な行為をさせなかったのだろう。


「なるほどな。まあ好きにすればいいんじゃないか? あ、でもあれだな。魔物討伐したり迷宮に潜ったりするなら……冒険者登録しておいたほうがいい」


「なんでかしら?」


 俺の助言にアルセリアは首を傾げる。


「一応、学園の生徒っていう身分があるから問題はないが……効率が良いんだよ」


 迷宮は冒険者や学園の生徒などといった、確かな身分がないと入れない。


 だから今の俺たちが冒険者登録をする絶対的な理由はなかった。


 が、俺は冒険者登録をしておいた方が良いと思っている。


「まず一つは……金が稼げることだ。冒険者じゃなくても持ち込めば金は貰えるが、冒険者の方が高く買い取ってもらえる」


 魔物の死体を持ち込むのは冒険者ギルドだ。


 ゆえに冒険者を優先する。


 また、同じ魔物を討伐したとしても、依頼を受けているか受けていないかで報酬の差が生じる。


 長い目で見ると、この差は馬鹿に出来ない。


「もう一つは……学園を卒業した後、本腰を入れて冒険者として活動するとなった時に等級が上がった状態で始めることが出来る」


 冒険者等級は一番下の十級から一番上の一級まである。


 十級や九級で受けることが出来る依頼はたかが知れていた。


「今の俺とお前なら……個人で五級。二人合わせると四級。そのくらいだ」


「あら……意外と低いわね。冒険者等級には詳しくないけど……三級ぐらいかと思ったわ」


 アルセリアは少し驚いたように目を丸くする。


 人によっては自信過剰だと思うかもしれないが、こいつはただ知らないだけだ。


「馬鹿を言うな。三級は……三級以上の魔物は……次元が違う……」


 前世で俺の冒険者等級は六級だった。


 それが俺の限界地点。


 凡人の俺にしてはよく頑張ったと思う。


 六級の魔物相手ならば、少し傷を負ってしまうが確実に殺せる。


 五級の魔物相手ならば、殺すか殺させるか五分五分。


 四級の魔物相手ならば、命を投げ捨てれば殺せるかもしれない。


 ただ……三級は無理だ。


 どう足掻いても殺される未来しか見えない。


 実際、俺は三級の魔物に手も足も出ずに殺されたわけだからな。


「四級以下は常識的な強さだ。今の俺とお前が覚悟を決めれば……四級は殺せるかもしれない。だが、三級以上は無理だ」


「そんなに強いの?」


「……ああ。仮に俺とお前が三級の魔物に挑んだら……傷の一つも与えることが出来ずに殺されるぞ」


「……」


 今の俺は前世より確実に強い。


 しかしそれでも前世で俺を殺した魔物に勝てる気がしなかった。


「ふぅん……面白いじゃない」


 アルセリアは好奇的な笑みを浮かべる。


 その顔に俺は安心した。


「よかったよかった。お前が怯えなくて安心したぜ」


「どうして怯える必要があるのかしら。だって……私やあなたでも殺せない相手がいるのよ? 素晴らしいことじゃない」


 アルセリアは心底不思議そうな顔を浮かべる。


 そうだったな。


 アルセリアという人間はこういう奴だったな。


「いや、なに。普通の人間なら怖がったりするからな。お前がそうじゃなくて助かったよ」


「助かったって?」


「俺の夢はバケモノみてぇにクソ強い奴と戦うことだ。そん時に俺一人じゃあ味気ないからな。お前が臆する奴じゃなくてよかったったことだ」


 俺は別に三級以上の魔物に対して怯えている訳ではない。


 挑むことを諦めている訳でもない。


 ただ、現状は太刀打ちすら出来ないと思っているだけだ。


 あくまで現実を見つめ、その上で遥か先を見る。


 剣に魅せられ、剣に狂い、剣に捧げるという俺の根底は変わっていない。


「だから俺もこの一年間でもっと強くなる。お前には負けたくねぇからな」


 俺は基本的に他人と比べることはしないが、アルセリアは別だ。


 妙な対抗心が湧き出てくる。


 今の俺は五級相当。


 学園を卒業するまでには、最低でも四級相当になっていたかった。


「なるほど……つまりあなたは私と一緒に居たいということなのね」


「ん?」


 突然のアルセリアの言葉に俺は首を捻る。


 なんか重大な間違いを犯した様な……。


「だってあなた……さっきから私と冒険者になる前提で話していたわよ」


「あ」


「私、押し付けるのは嫌いなの。だからよかったわ。あなたも同じ気持ちで」


 つくづく俺は思う。


 俺は底なしの馬鹿なのかと。


 とはいえ、将来を思い浮かべた時に、自然とアルセリアが隣にいると感じたのは事実だ。


 しかも俺が今まで見た中で、魔術師としての才能はこいつが一番ある。


 だからもういいだろう。


 まあ絶対に言わないが。


「ということで……今年にすることは……まず、冒険者登録をする。で、お前は図書館に籠って魔術の勉強、そして魔物討伐と迷宮探索。俺は……適当に魔物討伐で強くなるか」


「……定期的に手合わせもしたいわ」


「お、いいなそれ。そうしよう」


 魔闘技では俺が勝ったが、実際のところ実力は拮抗している。


 もしかしたらアルセリアの方が強い可能性もある。


 だからお互いに良い影響になるだろう。


「んじゃ冒険者登録は明日行くか」


「そうね……」


 宿は人通りから離れているので静か。


 部屋の中までもが静寂に変わった。


「よし、自分の部屋に戻る」


 もう話したいことは話した。


 俺は椅子から立ち上がって、扉を開ける。


「そういえば……なんであなたは魔物の強さに詳しいのかしら」


 廊下に出ようとした俺の背中にアルセリアは疑問を投げかける。


 なんで俺が魔物に詳しいか。


 確かに三級以上の魔物は次元が違うなどと、具体的に話し過ぎたかもしれない。


 だが、俺は前世のことを言うつもりはない。


「ただ単に聞いた話だ。それ以上も以下もない」


 俺はアルセリアに背を向けたまま言う。


 そして扉を閉めた。


 前世のことはアルセリアには関係ない話だ。


 ……さて、剣の手入れでもするか。

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