第36話 その美しさは毒を孕む
「あ゛ー、しんど」
誰もいない控え室にて。
俺は長椅子に横たわりながら、疲労による愚痴を零した。
体力も闘気も限界。
すっからかんでもう何もない。
予選と本戦の一回戦と準決勝ではさほど消費しなかったが、決勝でほとんど使い果たした。
そう考えるとやはり天才令嬢は規格外だ。
使用可能な属性と魔術の数。
反応速度や魔力操作、魔力出量も他の魔術師とは一線を画す。
今回は俺の秘策である『断界』を使ったので何とか勝てたが、少しでも天才令嬢の持ち直しが早かったら負けていただろう。
とはいえ勝ちは勝ちだ。
試合に勝って勝負に負けたと言うつもりはない。
「ふぃー……」
俺は反動をつけて体を起こし、大きく深く息を吐いた。
これから表彰式がある。
まだ時間は大丈夫だと思うが……しっかり歩けるまで体力を回復させないといけなかった。
足を地面から離してブラブラさせる。
しばらく頭を空にして呆けていると、誰かの足音が聞こえた。
その足音はどんどん近づいてきて、俺がいる控え室の扉の前で止まる。
魔闘技の係員かと思ったがそれにしては足音が小さい。
どちらかというと子供の足音だ、と考えていたら扉が開いた。
「おお……」
入ってきたのは、先ほどまで俺が戦っていた天才令嬢だ。
相変わらずの仏頂面でズカズカと入ってきて、俺の正面の長椅子に勢いよく腰を下ろす。
「…………」
天才令嬢は特に何か話すのではなく、ただ椅子に座って黙っている。
てっきり憎まれ口でも叩かれるかと思ったが、どうやら違うらしい。
「俺に何のようだ?」
疲れを孕んだ声で尋ねると、天才令嬢はそっぽを向いていた顔を俺に向けた。
「……あのこと」
「ん?」
「……あの夜こと教えて欲しかったけど……負けたから無理よね……」
天才令嬢は残念そうに呟く。
「あの夜のこと……?」
あの夜のこととは何だろうか。
何かあったっけと首を傾げながら考えていたら、天才令嬢が愕然とした表情で俺を見つめてきた。
「まさか……覚えてないなんて言わないでしょうね……」
ゆっくりと立ち上がって俺の方に歩いてくる。
「何を……い、いや……そんなことは……」
立ったまま俺の顎を鷲掴みして、顔を近づけながら目を覗き込んできた。
その顔は無表情ながらに恐ろしい。
「天さ……いや、アルセリアさん? ちょっと顔が怖いん————」
「黙りなさい」
「はい……」
俺の顎を掴んでいる天才令嬢の手がどんどん強くなる。
別に振り払えるはずなのに何故かできない。
有無を言わせない迫力があった。
「私はね。ずっと考えていたのよ。どうしてあなたは魔術が使えないのに自信があるんだって。それで……あなたに勝ったら教えてくれるって言うからもっと魔術の鍛錬をしたのよ。ずっと考えながら。毎日毎日毎日毎日」
「あ」
天才令嬢は一度言葉を区切り——更に俺の顔に顔を近づけた。
「なのに覚えていないですって……? どう言うことなのかしら……? 答えなさいよ……」
顔に鼻息がかかる。
同時に甘い香りが鼻に入ってくるが……今はそれどころじゃない。
どうにかして弁明しなければ。
「とりあえず……落ち着け」
「落ち着いてるわ。で、答えなさいよ」
「別にな、忘れていたわけではなくて……」
「なくて?」
「……咄嗟に思い出せなかったんだよ」
「それを忘れていたと言うんじゃないかしら?」
「ぐ……」
俺の顎を掴んでいる手がどんどん強くなる。
ついでにもう片方の手で壁を押さえられているので、どこにも逃げ場がない。
俺は過去に類を見ないほどの速度で頭を回転させ、苦しさを感じながら口を開いた。
「————取引だ」
俺の言葉に天才令嬢は動きを止める。
「もし許してくれたら————俺に一回だけ命令する権利をやる」
「へぇ?」
やってしまった。
これ以外に差し出すものがないとはいえ、取り返しつかないことを言ってしまった。
現に眼前の天才令嬢は、意味ありげな笑みを浮かべている。
どうせ碌な事じゃない。
「……いいわ。許してあげる」
「……どうも」
「どうも?」
「ありがとうございます……」
「そうよね」
天才令嬢は笑みを浮かべて頷き、俺の顎を掴んでいた手を離した。
因みにこの笑みは純粋なものではない。
毒々しい笑みだ。
なんなんだこいつはと俺は思った。
俺は前世と今世を合わせたら三十歳を超えているはずなのに……こいつに敵う気がしない。
「ちっ……」
「今舌打ちしたかしら?」
「いんや? んなことするわけないだろ? 冗談はきついぜ天才令嬢さん」
「よかった。そうよね。というかその天才令嬢って呼ぶのやめなさい」
「えぇ……」
「殺すわよ」
「もちろんやめるさ、アルセリア」
危ない危ない。
なんて危険な女なんだ。
姿こそ絶世の美少女だが……中身はまるで毒虫みたいだ。
というか……
「性格変わりすぎじゃねぇか……?」
「そうかしら?」
俺の疑問にアルセリアは首を傾げる。
「だってよ、以前のお前は感情のクソもなかったぜ? 人形みたいっていえばいいか? で、今はこれだ」
今のような毒々しさはまるでなく、少し前までは人形のようだった。
試合中で変わった、というか取り戻したのは理解しているが……いくら何でも変わりすぎではないだろうか。
「別に不思議なことではないわよ」
アルセリアは対面の椅子に座って足を伸ばす。
その姿は年相応の少女だった。
「もともと私はこの性格だっただけ。ただ……あの豚とゴブリン共に押さえつけられていたから……」
「あんな感じだったと?」
「ええ」
豚とゴブリン共というのはアルセリアの父親と兄姉のことだろう。
貶しすぎな気もするが……まあそれだけクソ野郎だったに違いない。
「そんな私をあなたが変えたのよ」
「……」
「あ・な・た・が・変・え・た・の・よ」
「わかったわかった。分かったから顔を近づけてくるのはやめろ」
俺はアルセリアの頬を押し除ける。
「あら、私の美しい顔に照れてるのかしら?」
「ちげーよ。怖いんだよお前。というか自分の顔に自信ありすぎだろ……」
改めて思う。
本当にこいつはあのアルセリアなのかと。
「自信ありすぎって……私は美しいでしょう?」
「……まあ」
「美しいでしょう?」
「だから顔を近づけるのやめろって。わかったよ。はいはい美しい美しい」
「ふふっ」
勝ち誇ったようにアルセリアは笑う。
俺は前世で女性と関わったことがあまりないので……目の前の奴が何を考えているか分からない。
いや……関わったことがあったとしても、こいつは特殊すぎるからどうせわからないのか……?
「何を考えているのかしら」
「別に? ただ毒虫にどう対処すればいいか考えていただけだ」
「ふぅん? 毒虫もよく見れば可愛いものよ」
「はっ、んなわけあるか」
「そう? 私は結構好きよ。確実に相手を殺せるじゃない」
「……」
よし、もう余計な事を言うのはやめよう。
というか……もうそろそろ表彰式か。
遅刻したらいけないので、向かったほうがいいだろう。
決して逃げるわけではない。
あくまで遅刻してはいけないという誠実な心によるものだ。
「よし、表彰式に行くか」
「あら、逃げるのかしら?」
「何を言っているんだアルセリアよ。俺は真面目だからな。ただ遅刻したくないだけだ」
アルセリアの返事を待たずに俺は廊下に出る。
今の俺が抱いている気持ちは……何とも複雑なものであった。
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