第9話 兄は変態だが天才である
瞬く間に俺は五体のゴブリンを殺した。
辺りに懐かしい血の臭いが漂っている。俺は冒険者時代の事を思い出しながら、剣に付着したゴブリンの血を飛ばして鞘に納めた。
まだまだ未熟とはいえ、前世で培った技術と今世で手に入れた体があれば、ゴブリン五体は俺の相手ではない。もちろん慢心はしないが、ただの雑魚同然だった。
「クレイズ様ー。流石ですねー」
「ふんっ、僕のクレイズならこのくらい当たり前さ!」
余韻に浸っていたらフリルと兄がやってきた。もちろんアルマと護衛の魔術師もいる。というか何で兄が自慢げになっているんだ。
「クレイズ様、魔石を取り出しますか?」
男の魔術師が聞いてきた。魔石というのは、魔物の心臓部に存在する半透明な石のことだ。色は魔物によって違い、内在している魔力の質も量も違う。
基本的には強い魔物ほど魔力の質が高く量も多い。俺が殺したゴブリンの魔石は、質が低く量も少ない。魔石の中でも最低のものだった。
「あー……別にいい。
「かしこまりました」
仮に俺が新人の冒険者だったら絶対に取り出す。なぜなら、売れば幾らかの金になるからだ。新人の冒険者は総じて金がない。たかだかゴブリンの魔石といえども、十分な収入だった。
しかし、今の俺は侯爵家次男である。食うのも着るのも住むのも困っていない。限度はあるが、欲しいものは手に入れられる。だから、わざわざゴブリンの魔石を取り出す必要性は全くなかった。
「ご機嫌ですねー」
「はっ、当り前だ」
確かに今の俺は機嫌がいい。口角だって上がっているし、今にでも笑い出したい気分だ。まだ五歳の時点でこの実力。未来のことを思うと背中がゾクゾクと震えた。
「今の表情、凄くいいよっ……!」
「ぐっ……」
視界が真っ暗になった。兄に抱き着かれたのだ。くそっ……殺意や悪意には気づくが、兄からはそのような感情を向けられてないので、避けるのが僅かに遅れた。
視界が開ける。が、まだ俺は抱き着かれたままだ。器用なことに、兄は俺を後ろから抱きしめながら歩いている。絶対に歩きづらいはずなのだが……そこまでして俺に抱き着きたいのだろうか。良く分からない。
それからしばらく歩いたところで、兄は俺から離れた。理由は分かっている。魔物がいる事に気づいたからだ。
「クレイズ。ここは僕がやっていい?」
「どうぞ」
自分でやりたい気持ちはあるが、兄の魔術も見てみたい。今まで兄が庭で魔術を捏ね繰り回しているは知っていた。しかし、その全容は知らないし、実戦でどのような動きをするのか分からない。まあつまり……ただの好奇心だ。
因みに魔物は段々と近づいてきている。いや、段々とではなく、かなりの速度で俺たちに接近してきている。姿はまだ見えないが……闘気からは、魔物が複数で四本脚だということが分かった。
足音が響き、姿が
「ラーウルか」
くすんだ灰色の毛皮に薄緑色の目。呼吸をしている口から見える鋭い牙。決して巨体ではないが、必ず複数で行動する習性を持つ。
危険度はゴブリンの一つ上である八級。仮に十体以上ならば七級となるが……目の前にいるのは六体なので八級だ。仮に一体だけだったら九級である。
俺も前世で八級冒険者だった頃は苦戦したものだ。ラーウルの攻撃手段が咬みつきだけとはいえ、四方八方から襲い掛かってくるのは中々にキツイ。
さて……兄はどんな魔術を使うのだろうか。
「君達には恨みはないけど……僕はお兄ちゃんだからね。弟にいい格好を見せたいんだよ」
おい……警戒しながら寄ってきているラーウルに放つ言葉じゃないだろ。俺は相変わらずな兄に呆れた。近くにいるアルマや魔術師二人も呆れている。
そんな兄の言葉を知らずに六体のラーウルは兄を囲んでいく。俺たちは男の魔術師によって姿を隠しているので、気づかれていない。
ジリジリと包囲の円を狭めるラーウルに対して、兄はいつものままだ。怖気ついてもなく、余計な力が入っているわけでもない。
徐に兄は右掌を上に向けて口を開いた。
「――
兄の右掌の上に気流の刃が何本も渦巻く。本来、気流の刃を視認することは難しいが、一か所で何本も渦巻いているので明確に見えた。
兄の魔術にラーウルは更に警戒する。姿勢を低くして、いつでも動けるような格好だ。襲い掛かるか逃げるか判断に迷っているのだろう。
が、ラーウルの判断は遅かった。
ラーウルの一体が体を少し動かした瞬間、気流の刃の渦が弾けたのだ。
極めて細く、極めて数多くの気流の刃がラーウルに襲い掛かる。身の危険を感じて逃げようと背を向けても遅い。兄の手元から放たれた気流の刃は、全てのラーウルの体に絡みついた。
―「ギャンッ……!」
最後の悲鳴が木霊する。
首や胴体、足や臀部、または頭部を気流の刃が切り刻んだ。
といっても、細切れにするという大層なものじゃない。
何本発生していたかは俺も分からない。あれは前世でも見かけたことのある、さほど難しくないのに厄介な魔術だった。
男の魔術師が姿を隠す魔術を解除する。
「あっ、クレイズ! どうどうどう!? どうだったかな僕の魔術は!」
先ほどまでのキリっとした顔は何処に。いつもの変態に戻った兄は、俺に何か期待した顔を向けてきた。鬱陶しい、ウザい、面倒くさい。三重の感情が呆れと共に溜息として出る。
「よし、次行くか」
「うわぁぁん! クレイズに無視されたぁ……!」
「ほらクレイズ様。駄々こねてないで早く行きますよ」
肩を落として泣きべそをかく兄にアルマが先を促す。あ、もちろん兄の泣きべそは演技じゃない。冗談でもない。マジの奴だ。常日頃から思っているのだが、情緒はどうなっているのだろうか。
風系統魔術の
天才だが変態で、変態だが天才なのだ。俺には分からない世界……いや、よく考えれば俺も剣に関しては変態なのか? そう考えると兄の気持ちもわかる……かどうかは不明だが、少しは理解できるのかもしれない。
再びしばらく歩く。まだまだ体力的には問題なく、闘気もまだ一割しか減っていない。余裕持って、あと三回は戦える。
「……魔物がいます。オーク……三体です」
前の二回と同じように女性の魔術師が報告した。ゴブリン、ラーウルの次はオークか。油断はいけないが、十分に勝てる相手である。
因みにオークは八級だ。ゴブリンより高く、ラーウルと同じだが過剰に臆する必要はない。
ぶっちゃけた話だが、危険度というのは人による。遠距離が得意な魔術師ならば、オーク何てただの大きい的だし、逆に素早いラーウルは苦手だ。
剣士は逆に攻撃力が乏しいラーウルが相手だと楽だし、一撃が重くて破壊力があるオークには気を付けなければいけない。
重要なのは危険度だけを見るのではなく、自分の攻撃手段と相手の攻撃手段の両方をしっかりと把握することだった。
「兄様。俺とフリルでやっていいですか?」
「クレイズはもちろんだよ! だけどフリル……グギギギ」
兄は歯軋りをしながらフリルを睨みつける。当のフリルは涼しい顔で、何なら勝ち誇ったような顔をしていた。二人とも面倒くさいな。
「クレイズ様にご指名頂いたのが私なのでー。申し訳ございませんローウェン様ー」
「くそう……侍女の癖にぃっ!」
兄は分かりやすく悔しそうに顔を歪ませて地団駄を踏む。魔物が先にいるのにこの緊張感のなさ。愚かなのか余裕の表れなのか……。
アルマも魔術師の二人も呆れを通り越して無表情だ。一応、レイノスティア侯爵家の長男で次期当主なのだが……この調子で大丈夫なのか、俺は
「早く行くぞ」
「はいー」
ゴブリンの時は奇襲から入ったが、今回はオークに気づかれた状態で戦う。今回の目的は魔物を殺すことではなく、あくまでも鍛錬の一環だ。だから、姿を晒した状況で戦おうと決めていた。
雑草を踏みつけ、木の根によって隆起した地面を通り、木々の先に行く。
前世で馴染みのあるオークの体臭が漂ってきた。鼻がひん曲がるほどではないが、十分しっかりと不快な臭いだ。
「フリル。やれるか?」
「もちろんですー。あの豚共は駆除しなきゃですよー」
「口が悪いな」
「あらうっかりー。あまりの醜さに下品な言葉が出てしまいましたー」
オークは見た目や臭い、それから習性によって俺ら人間……主に女性から嫌われている。嫌われているのは奴らの習性が理由だろう。
未だに解明されていないのだが、オークは人間の女性を好む。もちろん種族が違うので生殖は出来ない。しかし、なぜか人間の女性に異常な興味と執着を見せるのだ。
嫌いな魔物の順位をつけるとしたら、上位三位以内には必ず入ると断言できる。そのくらい、オークは嫌われているのだ。
「さてー。どのように殺しましょうかー」
「……まあいいか」
フリルも例外ではない。普段はフワフワとしている彼女だが、オークが相手となれば別だった。
心なしか口調に殺気が込められ、闘気も刺々しくなっている。
少し胃が痛いが……それ以上に剣を振ってオークを殺すのが楽しみだった。
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