第8話 魔物に挑む

 鍛錬を始めてから六か月が経過した。


 毎日のように走り、剣を振り、闘気の鍛錬を重ねた。この体が優秀なこともあって、成長を確かに実感できている。


 今の俺は前世の十五歳ぐらいの強さと同じだろう。前世では才能が皆無で、今世では才能に溢れている。前世の俺が知ったら血の涙を流すほどに素晴らしい現実だ。


 そんな俺は今、馬車に乗っている。前世の冒険者時代に乗っていた古びた馬車とは大違いで、外装も内装も豪華で振動も少ない。


 目的地はレイノスティア領の隣に位置する森であり、そこに闊歩している魔物を討伐することが今回の目的だった。


 父と母は同行しておらず、俺と兄、それぞれの専属侍女であるフリルとアルマ、護衛の魔術師が二人いる。森の奥には行かないので、このくらいで大丈夫なのだ。


 また、今回の魔物討伐は俺が父に頼んで実現したものである。何故か兄も付いてきているが……まあ、別にいい。ただ、さっきから俺の髪を触るのは勘弁してほしい。


 兄は外見も良く、魔術の才能もあって凄い人間である。だが、日頃の俺に対する言動によって、俺はいまいち尊敬できずにいた。


「兄様。手つきと目と顔が気持ち悪いです」


「うっ……ふ、ふふっ……その蔑んだ目もいいね……」


 これだよこれ。最近はいくら罵声を浴びせようが冷たく接しようが、落ち込むどころか逆に喜ぶようになってしまった。変態としての壁を超えたのかもしれない。やかましいわ。


 同様にフリルも少しおかしい。兄みたいに露骨ではないが、気づいたら変な目線を向けられていることがある。あと、ふと見せる顔が終わってる。こいつもこいつで野放しにしてはいけない輩だ。


 まともなのは両親とアルマだけだった。何で兄みたいな変態が両親から産まれたのだろうか。謎は深まるばかりである。


 護衛の魔術師は……我関せずと黙っている。いくら侯爵家お抱えの魔術師といえども、面倒ごとには関わりたくないのだろう。現に、目が合ったのに一瞬で逸らされてしまった。


「……フリル。見えてるぞ」


「……何の事でしょうかー?」


 またフリルが人に見せられない顔をしていた。特に最近になるにつれて、頻度が上がっている気がする。この先が心配だ。


 ……眠るのは止めておこう。




***




 馬車に揺られて、俺たちはようやく森の入り口に到着した。馬車から降りて地面に立ち、息を吸い込みながら周囲を見渡す。


 土と草木の匂い、風による騒めき……この感覚は久しぶりだ。転生してから五年と少し、俺はずっと屋敷の中にいた。確かに広い庭はあったが、やはり森などの自然は違う。なんというか……古い記憶が思い出されるのだ。


 汗と泥にまみれた冒険者時代。森に入っては魔物を殺し、数多もの傷を作りながら実戦で鍛え上げていた。その頃だ。今でもあの光景と臭いと音は覚えている。


「おぉー、やっぱり凄いね!」


「兄様は二回目でしたっけ?」


「うん。去年に一回、来たことがあるんだ。クレイズがまだ四歳だったころだね」


 兄の言う通り覚えがある。俺も付いて行きたかったのだが、流石にまだ四歳だし、闘気の習得すらしていなかったので諦めたのだ。


「じゃあ行こっか。クレイズ、不安だったら僕と手を繋ぐかい?」


「大丈夫です」


「……くそうぅ」


 差し出してきた手を俺は素通りする。背後で兄がガックリと項垂れているが、いつもの光景なので無視した。俺は早く魔物を殺したいのだ。茶番に付き合っているほどの暇はない。

 

「フリル。魔物討伐の経験は?」


「何度かありますよー。もちろん剣じゃなくて魔術で、ですがー」


「ならいい」


 魔物討伐の経験があるということは、生物を殺した経験があるということだ。魔物といえども生物には変わりない。普通の人間は自分の手で生物を殺したら気分が悪くなる。吐くことだってある。


 別にそれが情けないという話ではない。正常な人間である証だ。俺がフリルに聞いたのは、気を使う必要があるかどうかを知りたかっただけである。


「何ですかクレイズ様ー。私に気を使ってくれたんですかー?」


 フリルはニマニマとだらしない顔を浮かべる。こいつ……隠すのが面倒になって露骨になってきてないか? アルマに拳骨を入れてもらおうか?


「足手まといは勘弁してほしかっただけだ」


「なるほどなるほどー。そういうことにしておきますよー。クレイズ様は照屋さんですねー」


 聞いちゃいないな。いくら言っても都合のいいようにしか解釈しないから、これ以上否定するのは止めよう。時間と心労の無駄だ。


 背負った剣の鞘を触って意識を切り替える。いくら浅い場所で、俺が経験豊富とはいえ、油断していい理由にはならない。人間は簡単に死ぬのだ。


 先ほどまで緩かった空気も心なしか引き締まった。普段は変態の兄も、普段はフワフワしているフリルも、しかるべき場面では切り替えるのだろう。


 いつでも戦闘に入れるように俺は体を脱力しておく。変に警戒する必要もない。意識を外に向けながらも、自然体でいればいいのだ。


 この森の浅い場所にいるのは、ゴブリンやオークといった魔物である。


 ゴブリンは人間の子供ぐらいの体躯で肌が緑色。単体は村人であっても殺せるが、奴らの強みは数だ。たとえ実力で負けてなくても、多数で襲われると呆気なく殺されてしまう。


 しかも残忍で狡猾。よく新人の冒険者は、ゴブリンを舐めてかかって返り討ちにされることが多々あった。雑魚の魔物ではあるが、油断してはいけないのは確かだ。


 オークは人間よりも図体が大きい。全体的に太っていて、動物の豚みたいな顔をずんぐりとした胴体に乗せている。


 ゴブリンのように群れたり集落をつくることはある。ただ、ゴブリンほど狡猾ではない。注意するべきなのは、巨体から繰り出される一撃だ。


 攻撃速度は決して早くないが、一撃一撃はかなり破壊力がある。普通の人間が攻撃を貰ったら、一撃で吹き飛ばされて死ぬだろう。


 個人的にはオークよりゴブリンの方が嫌いだ。オーク相手ならば速さで翻弄して殺せばいい。しかし、ゴブリン相手だと小賢しい攻撃をしてくる。


 毒が塗られたナイフを投げつけられたり、隠れて奇襲してきたり、警戒していれば防げる攻撃だが、意識を割かないといけないので面倒なのだ。


 特に俺は剣だけで戦う。魔術師ならば遠距離から蜂の巣にすることもできるのだが、俺は基本的に近距離でしか攻撃が出来ない。


 単体相手は得意な代わりに、複数相手はいささか苦手であった。


「――――この先に魔物の反応があります。小型で複数……おそらくゴブリンかと」


 男女の魔術師の内、女性の魔術師が目を瞑りながら報告する。


 直後、俺が広げていた闘気にも何かが引っかかった。まだ未熟なので曖昧だが、小型で複数……まあゴブリンだろう。


「数は五体……罠は無し、はぐれのゴブリンでしょう」


 基本的にゴブリンは集落や群れをつくる。数はまちまちだが、最低でも二十体はいるのが一般的だ。しかし、先にいるゴブリンは五体。


 女性の魔術師の予想は、群れや集落から外れたはぐれである、というものだった。


「ここは私達が数を減らして、最後の一体をやりますか?」


「いや、いい。俺が全て殺す」


「……冗談ですよね?」


「本気だ」


 二人の魔術師とアルマは俺を信じられないような目で見る。まあ無理もない。俺の鍛錬の様子を知っているとはいえ、五歳児が全てのゴブリンを殺すことは異常だ。


 だが、俺はただの五歳児じゃない。今世はただの五歳児だが、前世は死線を潜り抜けてきた凡人の冒険者だ。


 臆することはあり得なかった。


「フリル。お前は後だ」


「はい。行ってらっしゃいませー」


 フリルは俺のことを誰よりも理解している……いや、隣に笑顔を浮かべて心配している様子が全くない兄も同じくらいかもしれない。


 理解してくれるのは嬉しいが……この二人となると気持ち悪さが勝つな……。


 まあいい。転生してから初めての殺生といくか。


「フゥ――ッ」


 全身を水のように脱力させる。前のめりに倒れて、地面に鼻がつきそうになった瞬間に地面を強く蹴った。


 闘気で限界まで強化された身体能力は、俺を矢のように駆けさせる。木々の間を通り、草叢を突き抜けた先に見えたのは五体のゴブリンだった。


 俺は背負っていた剣を鞘から抜く。


 ゴブリンはまだ俺に気づいていない……いや、手前の一体と目が合った。よし、決めた。俺の一振り目はこいつにしよう。


 ゴブリンが木の棒を振りかぶる。が、俺には意味がない。闘気を纏わせた鋼鉄の剣はたかがそれ如きで防げない。


 狙うは首。妨げるものは斬り飛ばす。


「ははっ」


 脱力していた手を固く握り、横を駆けながら剣を振った。


―「ギャッ……」


 手応えあり。邪魔だった腕と本命の首を確かに刎ね飛ばした。目を向けて確認しなくても分かる。


 さて、次に行こうか。

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