第5話 兄が気持ち悪い件について

「よし……」


 闘気を習得した次の日、着替えと朝食を済ませた俺は屋敷の外に出た。今日は良く晴れていて、街の生活音がここまで聞こえてくる。


「今日は何をするのですかー?」


「軽く体を動かして……後は闘気の鍛錬だな」


 隣を歩いているフリルが機嫌よさそうに鼻歌を奏でる。普段はボーっとしているフリルが何でこんなに機嫌がいいかというと……俺にも分からない。


 切っ掛けは……昨日の夜のことだろうか。結局、昨日の夜、父にフリルの事について相談しに行った。結果、俺の予想通り、フリルの門が僅かに開いているという結論に至った。


 もちろん、この結論に至ったのは、父が闘気について色々と知っていたからだ。なんなら俺よりも詳しかった。下らないが負けた気分である。


 で、どうするか三人で話し合った。父が言うには、何らかの切っ掛けで門が開きかけることがあるらしい。俺は聞いたことがなかったが、父の方が闘気に精通していたので納得した。


 この場合、三つの選択肢がある。


 一つ目は、完全に門を開くこと。二つ目は、このまま放っておくこと。三つ目は、完全に門を閉じること。


 これも知らなかったのだが、完全に開いてなければ閉じることが出来るらしい。まあ、闘気の使い手でなければ出来ないことらしいが。


 選択肢だけを見れば、門を開いて闘気という新たな力を手に入れた方が良いように思える。しかし、事はそう単純じゃない。


 闘気を習得すると、魔術が使い辛くなることがあるのだ。最悪は魔力が操作できずに、完全に魔術が使えなくなることもある。


 闘気といっても元は生命力だ。人によって生命力は違うし、それに伴って闘気も人によって異なる。つまり、魔力と相性が悪い闘気というのも確かに存在するのだ。


「それにしても……まさかフリルが門を開くとは思わなかったぞ」


「元々、魔術があまり得意じゃないんです。だからあまり悩みませんでしたねー」


「だとしてもな……」


 そう。結局フリルは門を開くことを選んだ。しかも特に悩むこともなく、即断で選んだのだ。


 あり得ないことである。普通の人ならば、魔術が使えなくなることを恐れて門を閉じることを選ぶ。


 だが、フリルは父も驚くほどの速さで決断した。先程の言葉の通り、本人曰く魔術が得意ではなかったかららしいが……それでもだ。


 結果としては、フリルの闘気は魔力と相性がいいもので、魔術が使えなくなったり使い辛くなったりすることは無かった。


 本人としては俺の専属侍女なのに、戦闘能力が低くいのが嫌だったみたいだ。俺は別に侍女に戦闘能力はいらないと思っているのだが……。


 ということでフリルも俺と闘気の鍛錬を積むことになった。因みに俺が闘気の使い方を教えることになった。何で俺がと思ったのだが……父が圧のある笑顔で言ってきたので断れなかったのだ。


「じゃあ軽く走るから待ってろ」


「え? 私も走りますよ?」


「……その格好で?」


 フリルの恰好は侍女の制服で、全くもって運動に適していない。裾を踏んで転ぶだろうし、熱も籠るだろう。


「大丈夫ですよー。私、運動得意なのでー」


「はぁ……それなら別にいいが」


 本人が大丈夫というならばこれ以上は野暮だろう。これで転んだり汗だくになったりしたら盛大に笑ってやろう。


 軽く体をほぐして周りを見渡す。今回、走るのはこの馬鹿広い庭の周りだ。俺の身体能力だと一周するのにかなり時間がかかる。


 おそらくフリルに何周も差を付けられるだろう。しかし、それは何もしない素の身体能力の場合だ。


「走るぞ」


「クレイズ様に勝っちゃいますよー」


「やってみろ」


 俺は走り出した。


「えっ、速い!?」


 後ろからフリルの驚いた声が聞こえる。当然だ。俺は今、闘気で身体能力を上げているので、あり得ないほどの速度で走ることが出来るのだ。


 といっても、五歳にしてはあり得ない速度に過ぎないので、普通の大人が走る方が速い。それに、まだ闘気が馴染んでいないので、本来の力を引き出せていなかった。


「クレイズ様、お先に失礼しますー」


「チッ」


 絶対に動きづらい服なのに悠々と走っている。運動が得意というのも本当だったようだ。別に鍛錬で勝ち負けは無いのだが……なんだか先を走られるのが癪だったので俺は速度を上げた。


 泉のように湧き出てくる闘気でどんどん身体強化していく。もちろん素の身体能力も重要だが、それ以上に闘気との親和性と熟練度が重要だ。だから、体を酷使してはいけないこの時期は闘気を中心に鍛えようと思っていた。


 自分の体が壊れない限界を見極め、走る速度を速める。先程までかなり前にいたフリルとの距離が、手を伸ばせば届くまで縮まった。


「は、速くないですか、クレイズ様ー」


「負けないぞフワフワ侍女」


「なっ……言いましたねー。私、本気出しちゃいますよー」


 滑らかな頬を膨らませてフリルは速度を上げた。


「ぬおっ、まだ早くなるのかよ……」


 フリルもまだ十六歳とはいえ、こちとら五歳児だぞ。手加減というものを知らないのか。まあ別に欲しくもないがな。


 丁度いい。


 俺の限界を知っておこう。





「はぁはぁはぁ……うぇっ」


 やっちまった。無尽蔵の闘気のせいで調子乗った。前世の体力ならいざ知らず、この体は蛞蝓なめくじのように弱い。抑えて走るべきだった。


「う……ううぅ……気持ち悪いですー……」


 フリルもフリルで俺に負けたくないがために全力で走った。そのせいで俺と同じように気持ち悪くなっているのだ。


「クレイズー! 大丈夫かー!?」


「げっ……」


 聞き馴染みのある声に俺は苦い顔をする。俺の元へ走ってくるのは、金髪に碧目で父のような優し気な少年だった。


「大丈夫かクレイズ! 何があったんだい! まさか……フリルが僕のクレイズに何かしたのか!?」


 俺の兄、ローウェンは俺の両頬を両手で挟んでフリルに牙を剥く。さながらその姿は子猫の様だ。


「ち、違いますよぉー」


「ふんっ、僕は騙されないぞ! いつも僕のクレイズにくっついてさ!」


「酷いですよローウェン様ー。クレイズ様も何か言ってくださいよぉー」


 フリルに言われなくても反論したいに決まっている。だが、俺の頬を兄が手で挟んでいるので口が動かせない。


 ……流石に面倒になって来たし誤解を解くか。俺は闘気で握力と腕力を強化して、俺の頬から兄の手を引き剝がした。


「兄様、違いますよ。俺は庭の周りを走って疲れていたんです」


「そうですよローウェン様ー。私は何もしていませんよー」


 意を得たとばかりにフリルも反論する。基本的に侍女は口答えをしてはいけないものなのだが、なぜかレイノスティア侯爵家に仕えている侍女は、全員が意見を言うのを許されていた。


 まあといっても、フリルのような馴れ馴れしい侍女は中々いないが。


「なんだそうだったのか。流石は僕のクレイズだな! まだ五歳なのに鍛錬するなんて凄いぞー!」


 兄が俺の髪をくしゃくしゃに撫でてくる。別に嫌なわけではない。少々、度が過ぎる弟好きなだけなのだが……。


「あぁっ! このフワフワの髪! 滑らかでプニプニの頬! 僕の弟は天使なんじゃないかなっ!」


 このように気持ちが悪い。今は俺の髪に顔を押し付けて、息を吸うという身震いしそうな事を俺はされている。


 仮に不細工な奴にやられていたら吐いていただろう。だが、兄は類を見ないほどの美少年なので何故か嫌悪感が若干少なかった。


「あー、ローウェン様ー。クレイズ様は私のですよー」


「うるさいぞフリル! 君はただの侍女だろう! 兄である僕の方が偉いのさっ!」


 フリルが俺の左腕を引っ張り、兄が俺の体を抱きしめている。面倒な上に暑苦しい。いつもの如き光景に俺は遠くを見ているしかなかった。


「ローウェン様ァ?」


「ひっ……」


 兄の背後で一人の侍女がポキポキと指を鳴らしている。兄は頬を引き攣らせながらゆっくりと後ろへ振り向いた。


「ローウェン様ァ? 今はお勉強のお時間ですよねェ……何でクレイズ様の下にいるんですかァ?」


「ち、違うんだアルマ! これには深い事情が……」


「どうせ気持ち悪い顔を浮かべて、クレイズ様を玩具おもちゃにしていたんでしょう! 帰りますよ!」


「そ、そんな……嫌だぁ! 僕はまだクレイズの髪の毛を吸いたいっ! クレイズ! た、助けてぇ!」


 兄の専属侍女であるアルマが襟元を掴んで兄を引きずっていく。兄は情けないくて気持ち悪い事を叫びながら、俺に助けを求めてきた。


 大きな碧目に涙を浮かべて助けを求めている。女性の庇護欲を搔き立てられるような姿だ。しかし、俺は兄が気持ち悪い事を知っている。


「兄様」


「クレイズ……!」


 兄が期待したような目を向けてくる。止めてくれ。気持ちが悪いんだ。


「勉強頑張ってください」


「う……うわぁぁん! 酷いよクレイズぅ……いや……? 冷たいクレイズもアリなのか……?」


「キモいです」


「あぁっ! そのゴミを見る目もイイっ!」


 兄は一人で勝手に悶えながらアルマに引きずられていった。俺は精神的に疲れて溜息をつく。


 にしても……気持ちが悪いにも程があるだろ……。結構前から気持ち悪かったが、最近は更に気持ち悪さに磨きがかかっている気がする。


「まったくー、ローウェン様は相変わらずですねー」


「……お前もどさくさに紛れて、俺を所有物として扱ったの忘れてないからな?」


「……さてー、鍛錬の続きをしましょうかー」


「おいフワフワ侍女」


 素知らぬ顔をしてフリルは俺の言葉を流した。兄と言いフリルと言い……俺の周りでまともなのは両親しかいない。まあ……気持ち悪いだけで害はないから別にいいのだが。


「はぁ……じゃあ闘気の鍛錬をするぞ」


「はい。よろしくお願いしますー」


 こうして俺とフリルは闘気の鍛錬に入った。

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