第18話 川原さんと落合さん

 翌日、馨は『川原さん』の所に来ていた。


 川原さんとは馨が通っている心療内科のドクターの名前だ。


「五瀬さん、お久しぶりですね。前回いらしてから随分時間が経っていましたから、お忙しいのだと思っていました」

「ええ、忙しいのは相変わらずです。半年近く前にはベガスにも商用で行ってまして」


「ほう、ベガスですか? あっちは暑かったでしょう?」

「ええ。それで向こうで知り合った女性と・・その・・」

 

 話しにくそうにしている馨に川原はゆっくりと優しく声をかけた。


「医者には守秘義務がありますからここでの話は他言しません。どうぞ安心してお話ください」


 川原は職業柄なのか元々なのか、話しやすい雰囲気を作る天才だった。小柄で丸顔のこの男の顔を見ると誰でもペラペラと話そうと思ってもいないことまで色んな話をしてしまうのだ。


 馨も沙耶との契約結婚の話から現在に至るまでを全て話した。


「それは素晴らしいですね。五瀬さんの女性に対する症状は、現在は軽度にまで回復していましたから、こういった発展も見込めると思っていましたが・・かなり大きく前進しましたね。他の女性に対してはどうですか?」


「そうですね・・さほど変わらないと思います。ただあまり緊張しなくなりました、なんというか気にならなくなってきたというか」


「そうですか。ではその・・奥様に対して焦りの様な気持ちはありますか? もっと関係を発展させたいという意味での」

「・・我々の関係はあくまで契約なのです。私が発展させたいと望んでもそれは無理な話なんです」


「なるほど、ですが五瀬さんの症状は大きく改善されています。失礼な言い方になるかもしれませんが、このまま上手くいけば、契約結婚が終わった後また別の方と恋愛をして普通に結婚生活を送れるようになるかもしれませんね」


 何かまた心境の変化があったり、不安な要素が生まれたらすぐお話しにいらしてください、と川原は言って馨を送り出した。



 その2日後に今度は沙耶の勤める芸能事務所を二人で訪問した。まだ午前の早い時間に訪問したため事務所には副社長の沢本と社長の落合、事務員が一人いるだけだった。


 入口近くにいた沢本がすぐ沙耶が来たことに気づいた。「あら、沙耶ちゃん早いわね。今日は何か・・あら後ろの方は・・」


「沢本さんおはようございます。社長はいらっしゃいますか? お話がありまして」

「ええ、奥にいるわ。どうぞ」

「沢本さんにも一緒に聞いて頂けますか?」


 そうして沙耶は馨と共に社長室で結婚と週刊誌の話をした。


「私も何十年と生きて来てこんなに驚いた事はないわね。最近沙耶ちゃんが綺麗になったのはそういう理由があったのねぇ」


 落合は改めて沙耶を見直した。今日は大きな黒縁眼鏡をかけていないし、服装もおしゃれだ。髪も伸びてきていて、ナチュラルメイクが沙耶の整った顔をより引き立てていた。


「すみません、もっと早くご報告すべきでした」

「まぁそれは仕方ないわ。急な事だったみたいだし」


「そういう事ですので落合さんにはご迷惑をお掛けしますが、沙耶の仕事を少しの期間セーブしてもらいたいのです。記事が出ると取材やら何やらで騒がしくなるのが予想されますから」


「ええ、ええ。それは心得てるわ。ご心配なさらずね、沙耶ちゃんは休暇を貰ったと思ってのんびりしてちょうだい」

「どうしても手が足りない時だけお願いするかもしれないわね」沢本も同意している。


 沙耶と馨が帰った後、すぐ景子が事務所にやって来た。


「おはようございま~す。あ、沢本さんこの間の新人。あの子のせいで私の出番が減っちゃったじゃないですか! あの子準レギュラーになるみたいでその分私の出番が削られたんですよ!」


「あらぁ そうなの? ごめんね景子ちゃん。でもユウミちゃんってばあなたの事をとっても頼りにしてたわよ、今回だけ目をつぶってあげて欲しいわ。またいつか埋め合わせをするから、ね?」


(ドラマの制作陣から景子は不評なのよね・・ユウミの方が素直で扱いやすいって言われちゃってるんだから・・)


 そこへ社長の落合が入って来た。「ああ、景子ちゃんちょうど良かった。沙耶ちゃんねしばらくお休みすることになったから、マネージャーの代わりは山本にやってもらうわ」


「えっ、沙耶がどうかしたんですか?」


 落合と沢本はさっきまで沙耶と五瀬が来ていたことを景子に話した。


「えええっ! 沙耶の相手って五瀬グループの社長だったんですか? ほんとですか?」

「だから! さっきまでここに来ていたんだってば」


「結婚したことは聞いてましたけど・・まさか・・そうか! 迎えに来たあのフェラーリ」


「フェラーリでお迎えだったの? うわぁ沙耶ちゃん、一気にセレブねぇ」沢本がうっとりしていた。

「写真で見るよりずっとイケメンだったわね。仕事人間で女性には冷たい冷徹社長なんて言われてるみたいだけど、そんな風には見えなかったわね」


「あたしとしては残念だわ。あの若社長はゲイだって噂されてたからあたしにもチャンスはある! って思ってたのにぃ」

「沢ちゃん、年! 年! 年齢差がありすぎでしょ?」

「ええええ~愛があればなんとか、って言うじゃない~」


 社長二人のやり取りは無視して、景子の頭の中は様々な考えが渦巻いていた。


(あんな・・あんなのろまの沙耶の相手が五瀬グループの社長だなんて・・。うっかりしていたわ。先に相手が誰だか聞くべきだった。でも沙耶より私のほうが美人だし有名女優なんだから私の方が五瀬グループの社長の妻に相応しいに決まってるのに、なぜよりによって沙耶なんかを・・。でももしかしたらいざ結婚してみたものの、沙耶じゃだめだと思っているかもしれないわ。交際期間も短かったし後悔してるかもしれない。そこへ私が現れたら・・)




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