第13話 それぞれの夜

  結花と馨に屋敷を一通り案内されたあと、沙耶は五瀬家を後にした。


 沙耶をまた駅まで送り届けてから涼は五瀬家に戻ってきた。正確には馨の部屋に戻ってきた。帰りは馨も駅まで一緒に行ったのだ。


「どう、上手く行った?」

「ああ、親父は沙耶を気に入ったみたいだな」


「結花ちゃんは?」

「うーん、結花は考えてることがイマイチ分かりにくいからな‥でも屋敷を案内するのに付いて来るとは思わなかった」


「いしい‥沙耶さんも相当緊張してたみたいだったけど」

「そうだな・・」


 隣に座る沙耶の湯飲みを持つ手が小刻みに震えているのを馨は気づいていた。その手を自分の手でそっと包んであげたくなったが、その自分の衝動に驚いた事を馨は口に出さなかった。




________




 結花は沙耶に会う何日か前に馨から結婚の話を聞かされていた。


(今まで女性なんて一人も家に連れてきた事ないのに、いきなり結婚しただなんて。でも私が想像していたのとは全然違う人だった。女優さんのマネージャーって言ってたから、もっと有能でさばさばした感じの人かと思っていたのに・・)


 もしかしたらいい人かもしれない・・母親のような人間だったらもう自分はどこにも逃げ場がなくってしまうと結花は不安だったのだ。


 沙耶が持って来た和菓子をつまんでいたが、結花は夏休みが終わりまた学校が始まる恐怖で、まったく和菓子の味を感じなかった。



________




「あら、沙耶が帰ったみたいよ」

「大丈夫だろう、こっちの部屋の方には用事なんかないはずだ」


 リカは修二の部屋にいた、修二の部屋のベッドの上に。


 夫は和菓子屋の組合の会合で1泊旅行に出掛けている。それも本当かどうか分かったものではないが、リカとしては都合が良かった。今日は景子も遅くまで帰らない予定だからタイミングがいい。


「兄さんは明日帰って来るのか?」

「そうよ、もう2、3泊して来たらいいのに。どうせ家にいたって役立たずのでくの坊なんだから」


「あんたはキツイ女だなぁ。まあでも確かにあいつは役立たずだな。ここの和菓子屋の経営だって俺とあんたで回してるんだからな。老舗の2代目って言うのは出来が悪いと相場が決まってる」


「いっそぽっくり逝ってくれれば私達でもっと好きなように出来るのに」

「夜も好きなようにな、ははははは」



_________




 沙耶は自分の小さな部屋に帰ってくるとベッドに座って足をもみ始めた。履き慣れないヒールのある靴を履いて足がジンジンと痛んでいた。


 部屋にに帰って来て緊張がほぐれるとそれまで意識していなかった足の痛みが襲ってきたのだ。


「でもとりあえず失敗は無かったわよね。お父様もとてもいい方だったし、結花さんは可愛い人だった。あんないい方達を騙すなんて心苦しいけど、契約しちゃったんだから仕方ないわ・・それ以外で私が出来る限り尽くして頑張ろう」


 ――彼は・・ブラウスが良く似合うと言ってくれた。男性から、しかもあんなに素敵な人から言われたのは初めてだった。その小さな出来事が嬉しくて、私はこんなにも高揚している。


「だめだめ、契約なんだから! これはあくまで契約結婚。時期が来たら私たちの契約は解消されるんだから変な気を起こしちゃだめ!」


 来週にはここを離れて五瀬家に入る。荷物はほんのわずかだったが、沙耶はそれを段ボールに詰め始めた。



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