第15話 何度だって愛に生く

 想の手が、アズールに触れる直前で止まる。彼は、伸ばした手をスッと下ろすと


「……アズール。君に伝えたいことがある」


静かな声で言った。その落ち着きは、想のものではない。まるで、そう、長い間、恋焦がれていた


「湊……なのか……?」

「あぁ。正真正銘、湊優真だ」


湊、その人だった。


「湊……! ようやく……!」

「アズール」


彼は、喜ぶアズールに首を振り、


「僕に囚われるのは、もうやめよう」


そう、微笑んだ。


「な、んで……お前は……俺と……」

「約束、だろ? 忘れないでくれとは言った。けど、僕を覚えていてくれている、それだけでもう十分だ。それに、今はとして、生を授かっている。新しい人生を歩ませてくれ」


湊の言葉に、アズールは顔をしかめる。


「……ははっ、俺は嫌われた、のか」


泣きながら笑うアズールの頬を、湊は、両手で包み込むと


「嫌ってなんかいないさ。その証拠に、ほら」


自分の胸に手を当てて、何か、黒いものを解き放った。



 湊がいなくなって悲しい。

 湊が好き。アズールさんだとわかっても。

 ずっと一緒だって言ったのに。

 羨ましい。妬ましい。

 僕が湊さんならいいのに。

 絶対、湊さんじゃなきゃダメなの?



 黒い何かが表すのは、想の中にある黒い感情だった。それを見て、アズールは、ある会話を思い出す。


『ねぇ、アズール。あなたは想について、どう思っているの?』

『想のこと?』

『えぇ、《湊》じゃなくて、《想》のこと』

『……親友?』

『それは《蒼井湊》から見た《想》でしょ? アズールから見た《想》は? 眼中にない?』

『俺から見た、想……? いや、俺は俺だろ。アズール=アスター、偽名・蒼井湊。どっちも俺だ』

『それなのに《想》のことは、《湊》とは別人だって見なすの?』



 「……そうか。俺は湊とのを果たすために湊に固執した。だが、そうじゃない。本当はそんなの重要じゃなかった。俺が好きになったのは、外面の湊じゃない。湊の、魂に惚れた。だから、何度でも会いに行った」


アズールの独白に、湊が頷く。


「あの時、ルドベキアが憎く見えたのも、偶然なんかじゃない。湊の魂を持つが好きだったからだ」


そこまで聞くと、湊は、ふわりと笑いながら、光に包まれていった。


「覚えておいて、アズール。僕は想、想は僕。どっちも僕だ。いつでも僕は、想の中にいる。何度だって君を好きになる。そして、君たちの恋路を見守っている。だから」

「湊!」


伸ばした手は、湊に届かない。届く前に消えてしまった。

 しかし、アズールは満足げな顔をしていた。伸ばした手を胸に当てると、幸せそうな表情をして、再び意識を失った想の頭を優しく撫でていた。寂しい気持ちは、不思議となかった。


 「で? 落ち着いた?」


ルドベキアが、飄々とアズールに声をかける。ハッとして辺りを見渡せば、アズールが暴れた分、物が散乱している。その有様は、酷いものだった。


「ごめん」


アズールが頭を深々と下げると、ルドベキアは


「馬鹿が。他に言うことあるだろ」


アズールの頭を小突いて言った。数秒後、何を求められているか理解したアズールの口から


「ありがとう」


感謝の言葉が出てきた。


「そうそう。それでいいわけよ。こっちも体を張った甲斐がある」


豪快に笑うルドベキア。ヴァイオレットは


「それにしても、やりすぎよ。お互いに」


と、呆れたように苦笑し、再び、二人まとめて注意した。


 「これからどうする?」


天音が問う。昨日までのアズールなら答えられなかったであろう質問に、彼は


「……もう一度、やってみるよ。あの日の告白の続きを、ね」


はっきりと、そう答えた。

 その言葉に、声に、迷いは一切なかった。清々しい、宣言だった。



 __数日後。


 「想、少し良いか?」


アズールに連れられて、花畑にやってきた想。二人は、アスターの咲くエリアで、一緒に夜の星々を眺めていた。


「綺麗……」


想が呟く。


「あぁ、とっておきの場所だ。特にここは落ち着く。以前もよく来ていたんだ」


アズールは、青いアスターを一輪、摘み取ると


「想」


想にそれを差し出して


「俺が間違っていた。俺が蒼井湊であると同時に、お前も湊優真だ。何一つ変わらない。それに、ルドベキアに取られると思った時、ひどく嫉妬したんだ。それで、気づいた。俺は、お前が好きだ」


お前さえ良ければ、付き合って欲しい。突然の告白に驚く想だったが、想は、花よりも優しく微笑むと


「僕も、好きだよ」


そう言って、花を受け取った。


 月の光は、二人を祝福するスポットライトのように、二人を照らし出している。星はそれを装飾するように輝いている。二人だけの夜は、どうやら心配など必要ない、素晴らしいものになりそうだ。



 「アズール、感情は全て戻ったの?」


あの夜から、幸せそうな顔をしているアズールに、ヴァイオレットが聞く。


「あぁ、おかげさまでね」


アズールの目線の先には、天音と話す想の姿があった。『解放』の能力は、の方向で役に立っているようだ。


「想は、今の俺にないものをたくさんくれる。最愛の恋人だ。やっぱり、俺たちは運命だったんだな」

「……迷いが晴れたようで何よりよ」


ヴァイオレットは、少し浮かれ気味のアズールに、やれやれ、と笑うと、仕事へ戻った。


 __何度だって、愛に生きる。


 何度も繰り返した悲劇の末に、ようやく手に入れた安寧の世界と愛情。

 二人を隔てるものは、もはや、何もない。


 想の机の上に置かれた青いアスターの押花は、陽の光を浴び、宝石の如く輝いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る