第7話 アズール

 「……アズール様、湊様をここに呼び、仮でありながらも軟禁いたしました。今後は、如何いたしましょう」


アイリスがひざまずき、暗い闇の中、花の形をした宝石に向かって報告する。


「どうもこうも、このまま湊をこの世界に縛り付ける。それ以外にすることはない」


さも当然かのように、低い声で宝石越しに声が聞こえてくる。アズールと呼ばれたその声の主は、体こそなかったが、猛者の風格が伝わってきた。そんな彼に、アイリスは、体を強張らせながらも意義を申し立てる。


「しかし、彼が望まなかった場合……」

「あ?」

「い、いえっ! 申し訳ありません!」


たった一文字。たった一文字のその言葉にも、迫力が込められる。流石は一国を防衛した者。オーラが違う。


「三百年もの間、何度も繰り返した。ようやく約束を果たすことができる」


アズールの、闇に満ちた笑い声が王室に響く。アイリスは、宝石の前で頭を下げたまま、次の指令を待っていた。



 一方で。


 「長かった。でも、やっと決着がつきそう」


ヴァイオレットが、天音に言う。手の中にある紅茶には、穏やかな顔のヴァイオレットが映し出されていた。あたたかい。


「えぇ。随分と時間がかかりましたね。まさかまた湊に会えるとは思いませんでしたが」


天音は苦々しく笑いながらも、嬉しそうな声で言う。


「そうね。……十三回。まったく、湊は一体、いつから手のかかる子になったのかしら」

「人間は転生しますから。魂は同じようなものでも、容姿まで同じとは限りませんしね。探すのも一苦労ですよ」

「でも……本当に見つかって良かった。あの子さえいれば、この国は安泰だわ」

「えぇ。これ以上は、手に負えませんから。彼には申し訳ありませんが、やむを得ませんね。強引ではありますが、有無を言わさず、この国に縛らせてもらいましょう」

「そうね。……はぁ。我が弟ながら、そろそろこの手で殺めなければならないかしらと、覚悟したくらいよ」

「あっはっは。まぁ、三百年も見守ったのですから、良いお姉様ですよ、まったく」


話が進むにつれて冷めていく紅茶。天音の瞳の中の紅茶は、少し複雑そうに揺らぐ。


「……これで、良かったのですよね」


言い聞かせるかのようなその呟きを、鳥のさえずりが上書きする。


 まるで、触れてはいけないことかのように。



 それを陰で聞いていた想が、大きく、目を見開く。


(やっぱり、湊は……!)


バレないように湊の元へ走り出す。いくら劣等感があるとはいえ、湊が連れて行かれることは、絶対に許せなかった。これ以上、湊は、不幸になってはならない。十分すぎるほど『別れ』の悲しみを味わった湊が、また悲しむなどあってはならない。


「湊!」


しかし、呼んでも湊は振り向かない。


「湊! 早くここから逃げよう!!」


必死に叫びながら、湊の腕を掴む想。


 だが、湊は


「なんで?」


想に、にっこりと微笑みかけた。まるで、何かに取り憑かれているかのように。狂気を含んだ瞳で。


 ドクリ、と心臓が跳ねる。

 違う、これは知らない。これは、僕の知る、あの湊じゃない。なら、これは? 目の前の、この湊は誰?

 心臓は確かに音を立て、脈打っているのに、指先は冷たくなり、血は巡らない感覚に陥る。


 「想」


湊に声をかけられ、ハッとする。


「あぁ、俺はやっと見つけられたんだ」


思い出した。この、男の正体。


「もう、離さない」


男の口角が上がる。知っている。僕は、この人をよく知っている。何百年も前から、ずっと。


「やっと、約束が果たせるね、


城全体が何やら紫色の霧に覆われていく。それがであることだと、察しはすぐについた。


 __そうか、そうだったのか。


 蒼井湊。お前は湊の名を忘れられなかった。忘れたくなかった。ずっと、追い続けるために我が物にした。みんなが「湊」と呼んでいたのはお前じゃない。お前がアズールだとわかっていて、隣にいるのは湊か、と聞いていたんだ。僕に悟られないための、手口。

 考えれば、僕の本当の親友は言っていた。「蒼」と。アズールを「湊」と認めないため。そして、アズールに「お前はアズールだ」と、気づかせるために。


 今の想なら知らないはずのその名で、本名で、彼を呼ぶ。


 「やめろ、アズール……!」


 薄れていく意識の中、アズールの顔を見る。ぼんやりと見えたその顔には、幸せそうな笑みが満ちていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る