第1話 異世界なんて冗談だろ?

 井狩想いかりそうは、ごく普通の高校生だった。


 勉強も普通。運動も普通。芸術も普通。恋愛経験は一度。現在は彼女なし。容姿も一般的であり、取り柄は優しいところ。ほんの少し体が弱いことを除けば、平均的である。


 一方、蒼井湊あおいみなとは異質な高校生だった。


 学年一位の学力を持ち、スポーツ万能。数々の芸術作品が受賞。とにかくモテる。が、彼女はいない。顔も声も良く、男女問わず好かれている。ただ一つ、可哀想なことは、両親を幼い頃に失っていること。死因は、覚えていない。どうやら両親の死がトラウマとなり、幼少期の記憶を全て閉ざしてしまったようだ。


 そんな二人は、親友だった。


 出会いは高校。無口な湊に、想が話しかけたことがきっかけだった。いつのまにか意気投合した二人は、誰もが認める親友となっていた。

 しかし、二人には大きな差がある。想の心に劣等感が芽生えるのは、さほど遅くなかった。湊のことは尊敬している。ただ、周りの人間に比べられるのは嫌だった。「なんで湊はあんな奴に付き合ってやっているんだろうな」と噂をされるたびに、みじめな気持ちになり、無力で、きたない、情けない自分を恥じた。


 この世界から、いっそ、消えてしまえたら。


 その願いを叶えるように、ある日、平々凡々とした生活をガラリと変える出来事が起きた。



 「なんで僕が……」


想が、腫れた右頬を押さえながら不機嫌そうに呟く。だがそれもそのはず。想は何も悪くない。ただ、図書委員の仕事を終えて、帰ろうとしただけである。全てはタイミングが悪かったせいだった。

 図書室を出ようと、鍵を閉めかけたその時、声が聞こえてきた。声のする方へ向かう。そこには、まさに、告白している男子生徒と、それを断る女子生徒がいた。下校時刻は過ぎていたため、


「……あの。下校時刻です。戸締りをしたいので退出してください」


そう注意しただけである。図書委員としての役目は、まっとうしている。

 しかし相手は傷心中の男子生徒と、その原因である女子生徒。思うようにいかない時に話しかけられた男子生徒の苛立ちは、まぁ、安易に想像できるだろう。


 男子生徒に、ストレートに殴られた。


 痛む右頬を押さえながら、想は「納得がいかない」といった様子で、ぶつぶつ文句を言う。しばらく不貞腐れていると


「あ、想。やっぱり、まだここにいたんだ」


聞き慣れた声が上から降ってきた。


「……湊?」


親友・湊である。相変わらず、顔も声も良い。


「あれ? 怪我? 何、またドジしたの?」

「いや……まぁ……」


殴られました、なんて、剣道経験者かつ優しい親友に打ち明けられるはずもなく。正直に話をした未来を思い浮かべて、不器用にも、笑って誤魔化す。湊は、じっと想を見つめると、


「まぁいいや。返却したい本があってさ、これ返させてよ。その後、保健室借りてあげる」


そう言って、一冊の本を想に渡した。


「このくらい、平気だよ」


本を受け取り、返却口まで持っていく想。だが


「いいや。保健委員として、いかなる怪我も見過ごせない」


小さな傷も怖いんだぞ。湊は、想の背中へ言葉を刺した。身に覚えのある想は、何も言い返すことができなかった。


「それにしても、また植物図鑑かよ」


話をらすため、「何回目の貸出だ?」と苦笑する。さて、湊の借りる本といえば、だいたい小難しい文学作品か、植物図鑑の二択だった。面白い、と本人は言うが、想にはその面白さが理解できない。想も本は好きだが、湊と好みは合わなかった。


 返却の手続きを済ませようと、想が本のバーコードを読み取った、その時。


「……え?」


本が光を放つ。一瞬にして放たれた、強い光。その光を浴びたかと思うと、二人は、瞬く間に本の中に吸い込まれていった。


 図書室には、まるで初めから二人の存在などなかったかのように、一冊の植物図鑑だけが、取り残されていた。



 「いやいやいや! おかしいって!!」


 想の大声に、鳥たちは一斉に羽音を響かせ、逃げていく。あからさまに自分たちの知らない世界が、そこには広がっていた。

 野原だった場所は、森の中へと変わり、周りには、御伽話で見るような妖精たちがずらり。冬だったはずの季節は、まるで、春かのような暖かさを感じさせ、雪はなく、代わりに花々が元気よく咲いている。


「……あぁ、ここがあれか。お前が好きな小説の世界……“異世界”ってやつ?」


湊は、のんびりとした口調で言う。


「はぁ!? 異世界なんて冗談だろ? あんな世界、ラノベの中のものじゃん!」

「じゃあこれは? 二人同時に見る夢?」

「……かなぁ?」

「痛覚もあるのに?」

「うっ……」


湊が、想の頬を指差して言う。湊の言う通り、想の頬は、ここに来る間にぶつけたのか、先程よりも腫れている。痛覚もあった。これが現実であることは確かのようだ。


「まぁ、とりあえず、その顔をなんとかしよう。怪我の放置は怖い」


何故か、こんな状況でも冷静な親友に想は困惑する。


「なんでお前……こんな世界……そんなにすぐ適応できるんだよ……」


唐突な出来事に、不安に押し潰されている想。しかしそんな想とは対照的に、湊は慣れた様子で探索を始めた。


 何をするにも不運な一日に、想は、深い溜息をつく。

 その様子を、妖精たちは何やら噂していた。


 この時はまだ、二人は知らない。

 この先、どんな運命が待ち受けているのかを。

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