2. 悪魔の囁き
「何がラスボス戦だよ。ガキじゃあるまいし、馬鹿馬鹿しい」
とある中間管理職のアラフィフの男が、会社のデスクで救達の戦いの様子を観戦していた。
救達がラスボスに挑む今日、世界中のほとんどの企業が特別休暇になっている。生死を争うような仕事以外は行われず、公共交通機関は止まり街には車もほとんど走っておらずコンビニもスーパーも開いていない。
時差の問題で深夜の時間帯である国々でも人々は寝ることなく画面をかじりつくように見つめていた。
世界の命運が決まるため自然とこうなったのであるが、その『特別』を無視してあくまでもいつも通りの日常を過ごそうとする人も一定数いた。
その理由はいくつかあるが、この男は未だに探索者を受け入れられずに無駄な意地でそうしているだけだった。それなら配信を見なければ良いのに見てしまっているところ、気にはなっているようだ。
探索者は社会不適合のクズしかいない。
まともな人間は自分と同じようにサラリーマンになって会社に勤めるものだ。
その正常な人生のルートから外れた落伍者共は存在を批難されるべきであり、自分達のような真っ当な社会人こそが正しい在り方なのだ。
そんなことを本気で思っていた。
政府やマスコミや世論によって思い込まされていた。
探索者がトラブルを起こす度にほら見ろと声をあげ、真面目にコツコツと皆のために努力する探索者の存在を無視していた。彼らが居なければダンジョンから溢れて来た魔物に自分が殺されている可能性など考えもしない。
だが少なくとも日本ではこのような人物はかなり減っていた。
救の登場と、ハーピアの攻撃、それに伴う世論の手のひら返し。
しかしそれでも変われない人物というものは、やはりいる。
男は社会の変化に迎合したように見せて内面が全く変わっていないタイプの人間であった。
ハーピアの攻撃がトラウマとなり自らの罪を強制的に自問自答させられてもなお考えを変えられない。いや、自分は何も悪くないのだと自己保身に走りたがる。
そんな男だからこそ、せめてもの反抗のつもりなのかラスボス戦に興味ないふりをして無理矢理出社しているのだ。
「さっさと終わらねーかな」
これが最後だというのなら、世界が救われた後に探索者共はどうやって生活するのだろうか。
乱暴者の危険な人間達はどうせまた排除されるようになるに違いない。
そうなれば探索者を叩いていた自分の考えこそが正しいと世間は再び手のひらを翻すだろう。
そんな未来を想像して汚い期待に胸膨らませるほどに、男は取り返しがつかないほどに変われない。
「は?」
だがそんな男であっても、別に探索者に死んでほしいと思っている訳では無かった。
死んでしまったら世界が終わるかもしれないという事実は理解していたからだ。
それなのに画面の向こうでは探索者達があっさりと全滅していた。
何が起きているのかまったく目で追えなかったが、気付いたらラスボスに挑むパーティーが全員肉片と化していた。
気持ち悪いと思う余裕すら無く、あまりにも突然の終わりに脳がついていけない。
自分の死期がすぐそこまで迫っているという事実を受け入れられない。
息をすることも出来ず、画面を凝視することしか出来ず、心臓の鼓動だけが徐々に早くなってゆく。
『皆様の力が必要です』
「!?」
突然聞こえて来た声に男は正気を取り戻して辺りを確認する。
だがフロアには自分以外誰もいない。
そんなことは分かっていた。
声が聞こえたという事実に体が勝手に反応してしまっただけだ。
この声が何なのか男はすぐに理解していた。
機械的で感情の無い女性の声。
ダンジョンに関する世界的な告知をする時に流れてくる声。
ゲームマスターの配偶者のものらしき声。
救達が全滅した直後にそれが流れて来た。
「画面が止まってる?」
なんとなく画面を確認すると、まるで一時停止したかのように全く動いていない。
かのんもやられてしまったからなのだろうか、と思いながらも辺りを確認したら時計の針も動いていない。
ふと窓の外を見たら鳥が宙で静止していた。
「止まってるのは俺以外?」
実際には人間以外の時が全て止まっていた。
男は一人でここに居たから自分以外のことについては分かっていなかった。
混乱する男をよそに、声は続く。
『彼らは蘇ります。しかし今のままでは再び蹂躙されるでしょう』
蘇るという言葉に世界は沸き、蹂躙されるという言葉に世界は沈んだ。
『皆様が彼らに力を貸すことで、カルヴァを弱体化させることが可能です』
そしてそれがカルヴァを倒すための必須条件。
カルヴァは倒せるように調整されていなかったのだ。
いわゆる負けイベント。
そしてそのイベントを経て今、世界は問われている。
ただの傍観者でいることを許さない。
お前達も
『やり方は彼らに力を貸したいと願うだけ。そうすることでカルヴァは弱体化し、願った者は彼らのいずれかと体調がシンクロします。傷を負えば傷を負い、回復すれば回復し、死亡すれば死亡します』
「なっ!?」
右腕を吹き飛ばされる、毒の状態異常にかかる、レーザーで体が消滅する。
それらが全てシンクロした者にフィードバックされてしまう。
ダンジョンになど入ったことも無く、大きな痛みと戦ったことも無い者達にとっては地獄のような苦しみになるだろう。
だがその地獄の苦しみを味わいながら戦ってきたのが探索者なのだ。
それを少しでも背負え。
他人事ではなく自分事として受け止め共に戦え。
彼らを想え。
他者を想え。
世界を想え。
それが出来るようになってようやく人類は救われる。
滅びを免れる。
ラスボスという強敵を単に倒すだけではなく、皆が想い合って困難を乗り越えてみせろ。それこそがこの世界が滅亡を回避する条件であり、未来がこれからも続くという証明になる。
『カルヴァの弱体化はどれだけの者が願ったかに比例します。世界を存続させたくば願いなさい』
「ふ、ふふ、ふざけるな!」
だがそのようなことを受け要れられるわけが無い。
救達に心酔し、応援する人々ですら恐怖に慄き直ぐに答えを出せないでいる。
それなのに相変わらず探索者を見下しているこの男が、自らの命を彼らに賭けるなど出来るはずがないのだ。
顔面蒼白で震えが止まらない。
何もかも聞かなかったことにして逃げてしまいたい。
だがそれは出来ない。
今の世の中は探索者を全力で支援する風潮にある。
ここで男が何もしなかったのならば、そしてそれがバレたならば炎上対象となるのは自分だ。
会社を辞めさせられ、世界中から後ろ指を指され、まともな人生を送ることが出来なくなるかもしれない。
そんな男に悪魔が囁いた。
『なぁに、バレなきゃ良いのさ』
「え?」
それは先程までの女性のものとは違う声だった。
やや低めの男性の声で少しだけ嗤っているかのような感情が言葉に籠められていた。
『願った人の数だけ弱体化するんだろ。お前がやらない程度で何も変わりはしねーよ。他のやつに任せときゃ良いんだよ』
「だ、だがそれがバレたら!」
『だからバレねぇって。適当に痛かったとか言って話合わせておけば良いんだよ。案外他の奴らも願わないかもしれねーぞ』
「…………」
まさに悪魔の囁き。
男の内面を見透かし、逃げの甘い言葉をかけてくる。
それこそが男がまさにかけて欲しかった言葉だった。
自分の意思で決断したのなら百パーセント自分の責任だが、誰かに唆されたのなら自分も被害者であると弁明できるかもしれない。そんな卑怯なことを心の奥底で考えていた男の望む通りに悪魔は語り続ける。
『だって痛いのなんて誰だって嫌だもんなぁ。ましてや死ぬのなんてまっぴらごめんだ。他の奴が誤魔化しているのにどうしてお前がクソ真面目にやらなきゃならねーんだ?』
いつの間にか他の多くの人がやらないことが決定的であるという風に話が進んでいる。そしてそれが事実であるならば男がやらなくても自然なことであると思えてしまうため、男は話の流れの違和感に気付かない。気付いていても気付かないふりをする。
「…………」
ごくり、と大きく喉を鳴らす。
この謎の声の言う通りに自分は何もやる必要が無いのだと思えてくる。
むしろここで命を懸ける事の方が非常識であると思えてくる。
そこに悪魔は更に追撃を仕掛けて来た。
『そもそもこうなったのは誰のせいだ?』
「え?」
それはもちろんダンジョンなんかを生み出した謎の存在のせいだ。
そいつらはこの世界が滅ぶからなんて言っていたが、そうなる保証は何処にも無いし、なったとしてもダンジョンだなんていう無茶苦茶な存在を生み出すなんてもっての他。
しかしそれはあくまでも今の世の中の根本的な事情の話。
悪魔が囁くのは、今この瞬間に命を懸けなければならない状況に陥った原因の話。
『探索者が余計なことをしなければ、こんなことにはならなかったよな』
「…………」
『クズ共は大人しく魔物に殺されながら、真面目に生きているお前らに迷惑をかけずにダンジョンに籠ってれば良かったんだよ。違うか?』
「…………」
あくまでも悪いのは探索者。
男が忌み嫌っていた探索者こそが男を苦しめている。
悪いのは自分じゃない。探索者だ。
そしてその中心となっている人物。
『
「や……やめろ……」
考えまいとしていた事実を、心の奥底でくすぶっていた疑念を強制的に引っ張り出されてしまう。
探索者は嫌いだ。だがそれはそれとしてその人物にそのような負の感情を抱いてしまったのならば、自分は本当に人として終わってしまうのではないだろうか。
その想いが男を恐怖で震わせる。
『世界が滅ぶ? そんな嘘くさい話をどうして信じられる。少なくとも世の中が変わらなければ、お前は普通に生きて普通に死ねたはずなのにな』
「や……やめろ……」
悪魔の囁きは正しい。
探索者が虐げられた世の中のままならば、いずれ世界が滅ぶとしても今の世の中はまだしばらく続くだろう。誰かさんが居なければ、ダンジョン攻略が進まなければ、男は平々凡々な人生を何事も問題無く歩めたに違いない。
今の状況はその自分の幸せを
『許せるか?』
「あ……ああ……」
自分の人生をぶち壊しにした
『許せるのか?』
「お……俺は……」
毎日のように苦しむトラウマを植え付けた
『許して良いのか?』
「…………」
果てはこうして死を強制しようとして来る
「は……はは……」
男が甘言に耐えられるはずがない。
何故ならばそれはそもそも男が思っていたことなのだから。
それを具現化してやっただけのこと。
耐えようとしていたのも誰かに責められた時に努力したと言い訳をするためであり、本心ではとっくに悪魔の言葉を受け入れていた。
「そうだ……悪いのはあいつらだ……あの
目が血走り醜悪な笑みを浮かべ、激しい興奮で息が荒くなっていた。
「あいつのせいで俺の人生はめちゃくちゃだ! 余計なことをするんじゃねーよ! クソが!」
誰もいないフロアに男の怨嗟の声が響き渡る。
「どうして俺がこんな目に遭わなきゃならねーんだよ! 死にたきゃ勝手に死ね! クズ共が俺を巻き込むんじゃねーよ!」
机の上の物を腕で振り払い、全力で椅子や机を蹴り飛ばし、激情のままに暴れ始める。
いつしか悪魔の声は消えていた。
まるで男が悪魔そのものになったかのような形相だった。
世の中には変われない人物が多い。
自分自身の非を決して認めず、他者を罵倒し貶すことでしか精神を保てない。
そのような人間がこの期に及んで命を懸けて協力することなど出来るはずがない。
例え本性を隠していたとしても、ちょっとした揺さぶりですぐに露わになってしまう。
大事なのは己の命を懸けられる程に相手を真に想える人間がこの世界にどれほどの存在するか。
将来的に世界が滅亡しない程度に存在するのならば英雄達はラスボスを倒せ、存在しないのならば世界もろとも全滅する。
これはそういう試練なのだった。
が、しかし。
果たして本当に変われない人間は変われないのだろうか。
どれほどに救われない人間であったとしても、本当に取り返しがつかないのだろうか。
『ボクが守るから安心して』
人は見て見ぬふりをしてしまうこともあるが、同時に考えたくないことを考えてしまう生き物でもある。
激情する男もまた、思い出してしまった。
シルバーマスクが半身を喰われながら幼い女の子を守ろうとする姿を。
全身傷だらけになって死にながらもガムイやハーピアと戦い世界を守ろうとしていた姿を。
その行いは男にとっては余計なことのはずなのに、どうしても心底そうは思えない。
だって彼の姿は幼い頃に憧れた漫画やアニメの英雄そのものだったから。
どれだけ悪人に攻撃されても諦めない勧善懲悪のドラマの主人公そのものだったから。
その行いが正しいと本能が知っているから。
そして無垢で可愛い子供が必死にその正しい努力をしている姿を否定することなど出来るはずがない。
それを否定するということは、それまでの自分が好んで触れて来たものを否定することになるから。
自分自身の感性を、歴史を、否定することになるから。
裏表のない救の純粋な人の良さが、彼らの心を揺さぶっていた。
優しさの塊のような救の人助けが、彼らの否定を潰そうとしていた。
逃げようとする彼らの心を繋ぎとめようとしていた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
その結果、男がどのような判断をするのか。
男と似た思考を持つ世界中の多くの人々がどのような判断をするのか。
それはきっとそう悲観すべき結果にはならない。
だからこそラストダンジョンが解禁されたのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます