序Ⅳ:邂逅
警戒を解くために、安心させるための
笑顔を心掛けた。イメージしたのはイヴの笑顔だ。
直前まで話していた一番良い見本をメイヒは頭の中で反復して思い出した。
「少し落ち着いた?」
少女はこくりと頷いた。強い子だ。
先ほどまで大人でも恐怖に震えるほどの
目に遭ったというのに、気丈に振舞っている。
「お名前、聞いてもいい?」
「まりん。」
「かわいい名前。まりんちゃん、何か連絡できるもの、持ってる?」
まりんはまたこくりと頷く。
腰についたストラップを引っ張って、それをそのままメイヒに見せる。
「これ…懐かしい。子供用の小型ホンね。
私も、小さいころに持ってたのよ。旧式だけど。」
お揃いだね、と言ってメイヒはそれを受け取る。
腰から紐がびょんと伸びる。きっと、彼女の親が
なくさないようにとベルトに括り付けたのだろう。
愛らしく思えて、つい顔がほころんだ。
『もしもし!まりんちゃん?まりんちゃんかい?!』
小型ホンについている通話機能をオンにすると、
すぐにスピーカーから男の声がした。
かなり焦っているように聞こえるが、話し方からして父親ではないらしい。
「あ、すみません。まりんちゃん、無事です。
いま私…あの、通りすがりのものなんですけど、代わりに連絡していて――――」
『君は?一体そっちはどうなって―――いや、今は、そんなこと言っている場合じゃないな。そっちの状況を教えてもらえるかな?』
「は、はい。今こっちは…あの、路地裏にいて。
まりんちゃんが一人でいるのを見つけたので、私の方から声をかけたんです。この小型ホン、GPS機能がついてるから…私、旅行者で住所とか詳しくないの。すみません。」
『うん、うん。いや―――そうか。ありがとう。』
メイヒの応対を静かに聞いていた男は、
電話口でようやく安堵したように吐息を漏らした。
『お父さん、娘さんは無事です。今位置も特定できました。どうやら、通行人に保護されているようです。』
会話から察するに、電話口にいるのは警官だろうか。
連絡を取りながら位置も特定して、既にこちらへ
向かっているのだろう。本来ならこちらへの警戒も
深いかもしれないが、あんなことが起きていたのだから
テロリストと共犯だという選択肢は消しているのだろう。
『君、すまないがそっちへ行くまでまりんちゃんと一緒にいてくれないか?事情についても詳しく聞きたいし、改めてお礼も言わせてほしい。
「は、はい。わかりました―――」
断る理由もない。それに、警官と一緒なら
自分もさっきのようなことにはならないだろう、とメイヒは言い聞かせた。
『あと十分もかからない。すぐに向かうよ。』
「はい、それじゃあ、また―――」
『あ、ちょっと待って。』
通話を切ろうとしたとき、警官がそれを止めた。
「なんですか?」
『そっちに、少年はいないかい?齢は…高校生くらい。背丈は五尺半前後、ぼさぼさの髪で
頭に浮かんできたのはさっきの少年。
警官の言っていた特徴はどれも的を射ていた。
さっき風車板に乗って既にどこかへ行ってしまったことを、そのまま警官に告げるべきだろうか。
「…いえ、いません。私が見たときにはまりんちゃん一人だったし。近くにもそんな感じの人はいなかったわ。」
『そうか…いや、いいんだ。ありがとう。』
それだけ言うと、今度こそ通話は切れた。
なぜ嘘をついたのか、自分でもほとんど無意識だった。
“これは出来たらお願いなんだけど、
警察の人に聞かれても、俺のことあんまり何にも言わないでくれると助かる。出来るだけ目立ちなくないんだ”
少女にそう告げていた言葉を、
メイヒはあの時聞き取っていた。正体不明の人物を庇って何になるのか。そうとも思ったが、危険を冒して人質を救出した彼が、悪人にはメイヒには思えなかった。
「今の、パパ…?」
「あ、ううん。お巡りさん。まりんちゃんのことを探してて、もうすぐこっちに来るって。あと少しだけ、お姉ちゃんと待っていられる?」
まりんは
「お姉ちゃん、さっきのお兄ちゃんのことは、お巡りさんに言わなくてもいいの?」
「うーん、そうだね…まりんちゃんが話したいと思ったら、それはやっぱり話してあげて。でも、もしまりんちゃんがいいなら…お姉ちゃんは、黙ってあげてて欲しいかなぁ。」
人となりも何も知らない。いわばこれは
自分のエゴでしかない。それでも、まりんはメイヒの問いに「うん」と答える。その姿に微笑んだ時、路地角から人影が現れた。
「あ、こっちです、私がさっきの―――――」
「発見した。確かに人質の子供だ。三班にも共有しろ。」
一瞬、電話で話した警官たちが来たのかと思った。
しかしその様相は違う。メイヒは気がつく。
「報告にあった風車板の操縦士は?」
「さあな。まだ近くにいるかもしれんが。」
「あの…私、この子をたまたま見つけて。それでさっき…その、連絡があって。」
兵士の視線がメイヒに注がれた。
冷たい眼光に、身体が硬直する。
なにか感じ取ったわけでもない。ただ、ある瞬間に緊張が恐怖へと変わった。先ほどの侮蔑の視線と、兵士の眼光が重なる。
まさか、この人も自分のことを
フォーテ人だと見抜いている?
どうしてわかった?なにか、私はマズいことを言った?
「おい、どうした。」
「いや、いいことを思いついた。」
兵士の一人が腰に手を回した。取り出したのは拳銃だ。
「俺たちはテロリストどもの動向をあらかじめ掴んでいて、わざと泳がせていた。現場を派手に目立たせて人質を回収しようとしていたのは、国賊のフォーテ人だった…俺たちはそれをその場で射殺し、人質の保護に成功する。」
「何言って…っ!じ、冗談ならやめて!私は――――」
「手早くな。騒がれたら、野次馬が来る。」
そういわれるがいなや、
兵士はこちらへ銃口を向けた。
咄嗟に隣にいたまりんを庇う。兵士は嘲るように鼻で笑った。
「狙うのはお前だ。」
次の瞬間に景色は暗転した。
「キャンセルって、それってどういうこと、お客さん!」
「仕方ないだろ。こんなテロが起きちまったなら、地下の職人なんかに任せていられるか。うちの職場の信用問題にも関わる。」
「困るよ、こっちだって生活かかってるのに――――」
「とにかく、今日はもう無理だから!」
一方的に通話を切られたワタルは
思わず舌打ちして石を蹴飛ばした。
巻き込まれたトラブルをうまくかわして約束の時間にこぎつけた矢先、クライアントから突然のキャンセル依頼だった。
「踏んだり蹴ったりだな…もう帰るか。」
得られたのは観光客にもらったコインだけ。もの悲しさを感じて帰路につこうとしたワタルの足を、先ほどの事件の記憶が
「さっきの子、ちゃんと保護されたよな?」
緊急のこととはいえ、小さな子供を
そのまま置き去りにしてしまった。
心配はないだろうが、万が一のことが頭をよぎりワタルの歩をさきほどの現場まで引き戻した。
警官と鉢合わせになっては面倒だ。
そろりと路地に入り少女を探していると、
何やら話し声が聞こえてきた。
『君、すまないがそっちへ行くまでまりんちゃんと一緒にいてくれないか?事情についても詳しく聞きたいし、改めてお礼も言わせてほしい。
「は、はい。わかりました―――」
聞き覚えのある声が聞こえる。
一瞬ぎょっとしたが、それがスピーカーから漏れ出ている声だと分かりワタルは安堵した。声の主は、先ほど街で出くわした警官だ。
「そうか、あの子、ちゃんと誰かに見つけてもらえたんだな。」
胸にあったしこりが取れた。
『そっちに、少年はいないかい?齢は…高校生くらい。背丈は五尺半前後、ぼさぼさの髪で風車板を背負った子なんだけど。』
「(げっ…!)」
しかし、またすぐにトラブルの種が生えてきた。警官が訪ねているのはどう考えても自分のこと。ワタルはすぐに逃げる準備をしながらも、通話をしている少女が何と返答するか祈るように見た。
「…いえ、いません。私が見たときにはまりんちゃん一人だったし。近くにもそんな感じの人はいなかったわ。」
『そうか…いや、いいんだ。ありがとう。』
思わず、「ほっ」と口に出しそうになるのを慌てて止めた。どうやら彼女は自分の姿を見ていなかったようだ。命拾いしたようでワタルは胸をなでおろした。
「お姉ちゃん、さっきのお兄ちゃんのことは、お巡りさんに言わなくてもいいの?」
「うーん、そうだね…まりんちゃんが話したいと思ったら、それはやっぱり話してあげて。でも、もしまりんちゃんがいいなら…お姉ちゃんは、黙ってあげてて欲しいかなぁ。」
「…」
二人の会話を聞いて、どうやらそれが
違ったことのようだと気づく。
ワタルは語り掛けている少女をもう一度見た。
もちろん、面識はなかった。あったら覚えているはずだ。そもそも、ワタルは地上での顔見知りなどクライアントくらいしか知らない。
それがゆえに、ワタルは少女が自分を庇った理由を考えていた。本当に単なる気まぐれだろうか。身を挺して人質を救った自分に、慈悲の心を示してくれたということだろうか?
「(あっ…黄色い瞳。)」
少女を凝視していて、気づく。
そして思い出した。
かつて教わった知識。黄色い瞳を持つのは、
フォーテのとある民族の特徴―――――
「あ、こっちです、私がさっきの―――――」
「発見した。確かに人質の子供だ。三班にも共有しろ。」
男たちの声に我に返ると、ワタルはすぐに風車板に乗って飛行の準備をした。関係のないことをつい考えこんでしまった。警官が来たのなら、さっさとずらからなくてはいけない。
「いや、いいことを思いついた。」
「俺たちはテロリストどもの動向をあらかじめ掴んでいて、わざと泳がせていた。現場を派手に目立たせて人質を回収しようとしていたのは、国賊のフォーテ人だった…俺たちはそれをその場で射殺し、人質の保護に成功する。」
「何言って…っ!じ、冗談ならやめて!私は――――」
帰路につこうとしていた体の向きが、反射的に声の方向へ向けられる。彼女は人質だった少女に覆いかぶさるように抱きしめている。男たちの姿は警官のそれではない。軍服。手には拳銃。あとは脳よりも身体が動いていた。
「うぐっ!!」
急発進し加速した風車板が、一気に直進して軍人の上半身に突進を仕掛けた。派手な衝突音とともに一人が倒れたかと思った矢先、構えていたもう一人が躊躇なくこちらに向けて発砲した。
「ッチ!」
風車板を盾のように向けていたワタルは、それを板で受けて小さく旋回する。舌打ちを漏らすが、相手に焦りや迷いはない。後ろに回り込んだ時、急所を隠しながら左手が耳元に伸ばされるのを見た――――
「(応援を呼ばれる!)」
ワタルは右手から銀色に光るそれを伸ばすと、男の左腕ごと弾き飛ばし、腕に巻き着けた。そのままそれそれを伸縮させて接近すると、風車板で後頭部に大打撃を与える。
「ぐぁ…っ!!」
鈍いうめき声をあげると、男はそのまま地面に倒れ込んだ。残されたのは人質の子供と、困惑した顔でこちらを見上げる少女。迷っている時間はなかった。
「乗って!」
「え――――!?」
「時間ないんだ!早く!!」
混乱したままほんの少し伸ばした手を掴み、
ワタルは少女を風車板後方へと乗せる。
「荷物これだけ?くっそ、重いな、ちゃんと飛んでくれよ―――!」
噴射口を避けながらキャリーケースを引っかけると、風車板はよろよろと浮き上り再起動を始める。残されているのは、人質の子供。ワタルはもう一度笑って、人差し指を自分の唇に押し当てた。
「ひみつ、な?頼むよ!」
「きゃあっ―――!」
風車板はさっきほどの速度は出ぬままに、
二人を乗せて路地裏を浮遊しそのまま飛び去った。
その姿を見上げたまま、残された少女はぽつんと立ち尽くしていた。
「う…あああ――――!」
「ちゃんと掴まって!頼むから落ちたりしないでくれよ!」
「な、なんなのこれ、何が、どうなって――――」
メイヒの頭の中は既にぐちゃぐちゃだ。
立て続けに起きる不可解な事象や事件。
そして、今に至るまで一度もそれに慣れさせてもらったことはない。ジェパーニに降り立って二日目で、自分が空を飛んでいることなど誰が想像できただろう?
「ねえ、あんた!深呼吸して!」
「ええっ!?」
「し・ん・こ・きゅ・う!大きく息吸って!今から一瞬、水の中入るから!器官に水はいらないように、あと目も瞑ってて!」
強風の音にかき消されて、よく聞こえない。
よく聞こえないが、まさか前に乗っている彼は、「水の中に入る」といったのだろうか。
「準備できた?いくよ?」
「ちょ…ちょっと待って!そんな、何言ってるのか――――」
「三、二、一、せーの――――」
混乱のままに、メイヒは精一杯の深呼吸をした。
準備が整うまでもなく風車板は急降下し、そのまま肌を刺していた暑い日差しと空気が姿を消し冷たい水の感覚が身体中を包んだ。
どれほどの間息を止めていただろう。
実際の時間は十数秒だったかもしれないが、
メイヒにとっては一分以上にも感じられた。
水中を脱する前にメイヒの呼吸は続かなくなり、
水が肺の中に入り込んで一気に苦しくなる。
「死んでしまう」と感じた刹那、身体にまとわりついていた水の感覚がなくなり、つんとした異臭が鼻孔に飛び込んできた。
「っ…ほ!げほっ、げほっ!」
「大丈夫?ちょっと長かったよな?ごめん、二人に荷物付きだから、いつもより時間がかかっちゃったから――――」
肌を切る風の感覚が徐々に少なくなり、風車板が停止し空中を浮遊していることに気が付いた。肺から水を吐き出しながら目を擦り、ぼやけた視界を回復させる。
「…ここって?なに?一体、どうなって―――」
「説明あとで。降りるよ。もう一回掴まって。」
ゆっくりと降下していく中で徐々に
彩りを取り戻していくメイヒの瞳に反して、
目の前に広がる景色は暗く、どこか荒廃的にすら思えた。地面に着地したのち、少年は振り返り少し引きつった笑顔をこちらに向けた。
「ここは
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