第13話

 シグがたまに考える事。それは歳をとらない今の身体の事だ。

 すでに死んでいるこの身体を何らかの方法で動かしているのだとしたら、その魔法はいつか解けてしまいただの死体に戻ってしまうのだろうか。

 もしそんなときがきたらヴァネッサや子供達はどんな気持ちで自分を見るのだろうか……。


 そんなことを考えると決まって思い出すのはクレイの仮設だ。

 もし本当に瘴気に不老長生の力があるのなら、自分は瘴気人のような者となって生きているのか?

 おかしな話ではない。

 この世界の長い歴史の中で自分だけが瘴気の存在に気づいたなどと傲慢なことを言うつもりは無い。

 自分よりも前に瘴気に気づく者がいてそれを利用しようとする国があったとしてもおかしくはない。

 彼ら黒衣の医師はそれらに関係するものなのではないのだろうか。


「あら、シグ。起きてたの?早いわねぇ」

 ドアが開きリザが入ってくるとそう言いながらシグの顔をまじまじと見る。

「大丈夫?眠れてる?」

 とリザに心配される。

「あぁ、大丈夫だ。少し考え事をしていただけだから」

 そう言ってその場をごまかす。

 しかしリザは頭も感もいい子だ。

 たぶん今この村で起こっていることになんとなく気づいているのだろう。


 数日前、あの鱗の大型魔獣討伐の翌日、シグとヴァネッサは教会の代表として集会に出るよう言われた。

 そこでは近隣の村が複数の大型魔獣の襲撃を受けて壊滅したこと。

 他の村でも魔物による被害が増えているという事が伝えられた。

 そして今後、魔物の攻勢が強まる可能性が高いため、村長はこの村を捨て強固な防壁とより規模の大きい自警団のある町に移り住むことを提案したのだ。

 村人達は村長の提案に驚くが、あの日実際鱗の大型魔獣と対峙した者達は静かだ。

 前回はなんとか撃退できたが次もそうとは限らない。加えて魔獣が複数現れる可能性もある。

 村人の安全を考えれば移住に反対する理由が無かった。

 移住先の町とはこれから話し合うためすぐにと言うわけではないが各々どうするか考えておいてくれ、という事だ。

 このことはまだ教会の子供達には話していなかった。


「シグ!」

 ヴァネッサの声で我にかえる。

 その日の夕方、シグとヴァネッサは村に近い街道で鬼と呼ばれる人型の魔物3匹と対峙していた。

 魔物を見るや否やシグが固まってしまい、ヴァネッサがあわてて声をかけたのである。

 駆けつけたバルド達の加勢もあって討伐自体はあっけなく終わったが、シグの様子にそこいた全員が疑問をいだく。

「なんだぁ、魔物退治のスペシャリスト様だろ」

 ロイドの煽りにそんな風に名乗った事は無いと心の中で反論する。

「やめなさいよっ、アンタ!」

 と睨みつけるヴァネッサ。

「まぁ、たしかに妙な鬼だよな。服を着ているなんて」

 レヴィンの指摘にバルドが頷く。


 魔物が服を着るという事は無く、人型の鬼種でもせいぜい布を巻きつける程度だ。

 袖や襟を通しズボンを履くという事は考えられない。

 しかし、たった今討伐した鬼は比較的新しい旅人が着るような服を着て、荷物の入ったリュックまで背負っていた。

その『奇妙』にシグ以外の者達が気づくと全員押し黙る。


「まっ、まぁ、賢い鬼なんだよ。人間の真似してさぁ」

「そうよねっ、荷物まで持って。食べ物の匂いでもしたのかしら」

 ロイドとヴァネッサの言葉に対し

「戦った感じ、特別賢いとは思えなかったがなぁ」

 とレヴィンが返す。

「まるで……」

 おぞましい言葉を飲み込むバルド。

 おそらくそれは他の者の脳裏にもよぎったのであろう。


 その夜の教会。夕食の後、移住の話を子供達に話す事にした。

 慣れ親しんだ教会を離れる事に子供達は泣き悲しみ駄々をこねた。

 レイとリザがそれをなだめようやく子供達を寝かしつけた。


「ありがとう、あんた達がいてくれて助かったわ。ごめんね、言うのが遅れて。あんた達もつらいでしょう」

 静かに首を横にふるリザに対し

「みんながいればどこに行ったって大丈夫だって」

 レイはどこかに強がりとも取れる言葉が返ってくる。

 ヴァネッサ達のやり取りにどこか心癒やされていたシグ。

 だがすぐにある違和感に気づく。

 ここにいる3人以外の子供達は全員眠っているはずなのに何か騒がしい。

 シグが息子の形見の剣を握ると聖堂の方から何かをブチ破るような大きな音がする。

「チビ達を!」

 と、ヴァネッサ達に指示を出すとシグは聖堂に向かう。


 聖堂に入ったシグがまず目にしたものは横たわる物言わぬ旅人らしき男の姿。

 パラパラと木片が降りそそいでいる事に気づき天井を見上げると大穴が空いている。

 この男はあの高さから、いや聖堂の屋根より高い所から落とされた。

 なら落とした奴はまだ上空か。

 シグは剣を抜き戦闘態勢に入る。

 不運な旅人が空けた大穴からそれはゆっくりと舞い降りてくる。

 神聖な教会の聖堂に舞い降りる翼の生えた少女。

 悪い冗談としか言えない。

 地上に降り立った天使もどきを見てシグは声を絞り出す。

「レイ……ラ」

 それはあの日、研究施設で見た時と変わらぬ姿の親友の娘だった。


 ヴァネッサ達は寝かしつけたばかりの子供達を起こし聖堂から離れた部屋に集めていた。

 この部屋には外に出れる扉もあり、いざという時は自警団の詰め所も兼ねている村長の家に逃げ込むように教えてある。

「あたしは聖堂の方を見てくるから何かあったらリザ、レイたのんだわよ」

 ヴァネッサの言葉に力強くうなずく少女と少年。

 2人の頭をクシャクシャっと撫でると扉を開け部屋の外に出た。

 瞬間、ヴァネッサの背後で何かを突き破る大きな音が!

 振り向いたヴァネッサが見たものは、翼が生えた女のような魔物とそれに掴み上げられたリザ、そして魔物の足もとに転がりぐったりとしたシグだった。

「みんな!外へにげてぇ‼」

 叫びながら腰に付けた左右の短剣を抜き魔物に斬りかかる。魔物の後に子供達がいるため投げナイフは使えない。掴まれたリザが魔物の楯になる位置にいるため右手に持った短剣でわき腹を狙う。

 しかしその一撃は空をきる。

 魔物は短剣を高速で飛翔してかわし、リザを掴んだまま壁を蹴ってヴァネッサの背後に着地する。

 あわてて振り向くヴァネッサ。

 今まで攻撃がつうじない魔物と戦った事はあったが、攻撃が当たらない魔物というのはいなかった。

 今まで戦ってきた魔物とは別種の強さ。

 そのときリザが

「ヒィ!?」

 と小さく悲鳴をあげる。

 魔物がリザの首筋に噛みついたのだ。

「このぉぉぉ!!」

 ヴァネッサは探検を捨て魔物に掴みかかり、その勢いで押し倒し、リザが開放される。

 レイが駆け寄るがリザの様子がおかしい。

「うあああああああああっ!!!!」

 先ほど噛みつかれたときよりも激しい悲鳴をあげる。

「リザ!!」 

 身を起こしリザの方を向くヴァネッサの首筋に魔物が牙を立てる。

「うっ!」

今度はヴァネッサが小さな悲鳴をあげる。

「ヴァネッサ!」

 意識を取り戻したシグはヴァネッサの短剣を拾い魔物に投げると、短剣は魔物の翼に刺さり

「ギィ!」

 と悲鳴をあげ、ヴァネッサを解放する。


「リザ!リザ!!」 

 必死に名を呼ぶレイを突き飛ばすリザ。

「ハナレ……ロ」

 言葉を絞り出したリザの背中が盛り上がる。

 耳がコウモリの羽のように変化し牙と爪が伸びる。

 恐れていた事が的中した。それも想像を超えるかたちで。

 何者かが人間を魔物に変えている可能性は考えていた。

 しかしまさか、その犯人が半世紀も前に死んだと思っていた親友の娘だった。

 確かに死体を確認したわけではなかった。ここに来てまた、後悔が増える。

 だが絶望はしなかった。

 ここで自分が折れればヴァネッサやリザ以外の子供達までレイラの餌食になる。

 レイラの命を奪う覚悟で息子の形見の剣を構える。

 そのとき、リザが絶叫にも似た悲鳴をあげる。

 リザの服の背中の部分が破れ、コウモリの羽が広がり羽ばたきだす。

 一瞬、リザに気をとられたシグにレイラが襲いかかる。


 シドが少年だった頃に受けた魔物の討伐訓練。

 そこでは動きの早い魔物の対策も学んだ。

 網のような物で動きを封じる。砂地や沼地など足場の悪い場所に誘い込む。狭い場所に誘い込み、入ってくるところを仕留めるというもの。

 網などここには無いし空を飛べるレイラに足場の悪い場所というのもどうだろう。そもそもそんなところに誘導している余裕は無い。閉所に誘い込むというのも実際に戦って無駄だとわかった。木製の壁ぐらいなら余裕で破壊しながら飛びまわり、時には壁や天井を蹴って自由に動きまわる。

 そんな中、シグが最後に頼った対策法。それは……。


 とりあえず剣で急所を守り即死は避けた。

 右肩に深々とレイラの爪が刺さっているが、隠し持っていたヴァネッサのもう1本の短剣を左手に持ち、レイラのわき腹に刺していた。短剣を逆手に持ちかえ、そのまま斜め上に斬り裂く。

 

 最後の対策法、それは相討ち覚悟のカウンター狙い。自身をおとりに誘い込むというものだ。


 まだだ、短剣を首に刺しとどめを刺す。

 そう考えた短剣を持つシグの左腕にレイラが噛みつく。

 しまった!

 そう思いながらも痛みで短剣を落としてしまう。

 腕を食い千切らんばかりの噛む力だったが、レイラの顔色が変わりシグの左腕から牙を抜き吐血する。

 両膝をつきうなだれるレイラ。

 今度こそとどめを刺す。そう決意して剣を構えるシグをレイラが見上げる。

「シ……グ?」

 レイラが発した言葉にショックを受け、スルリと右手から剣が落ちるシグ。

 かつて自分が瘴気人のようなものになっているのではないかという仮説。もしそうならば、自分の身体はかつて祖国で造られた瘴気人よりも完成度が高いのでは?この身体の瘴気を抑え込んでいる存在。それを再現できれば魔物化した人間を救えるのではないか?

「シグ……、シ……グ……」

 瀕死のレイラがシグの名を呼ぶ。

(そうか……、彼女はシグがどうなったのかを知らない……。シグの身体の中にいるのがわたしだと知らないんだ……。)

 シグがレイラの前で両膝をつき顔を近づけると、レイラは両手をのばし刃物のような爪がシグに触れないように手のひらでシグの頰をなでる。

 そんなレイラの右手を優しく掴むとシドはレイラに真実を伝える。

「すまないレイラ……。シグはここにはいない……。もうここにはいないんだ…………。」

 その言葉を聞き一瞬固まるレイラ。そしてこう呟く。

「シド……おじさ……ん?」

 シグが黙ってうなずく。

 それを確認したあと、レイラは力尽き、シグによりかかるように倒れて息を引き取る。

 その最期の表情は、どこか哀しげで、それでいて微笑んでいるようにも見えた。

「さよなら……レイラ」

 そう言ってその亡骸をその場に寝かせる。


 もし自分の考えが正しければ自身の血には瘴気の影響を抑える効果があるはず。

 だが同時に気になるのはレイラの吐血だ。

 強すぎる薬は時には毒にもなる。


 ヴァネッサとリザが絶叫する。


 もとより選択肢など無かった。

 ヴァネッサの短剣を拾い左手首を斬ると流れ出た血を口にふくむ。

 暴れるリザを抑え、唇を重ねると少女の口内に自身の血液を注ぐ。

 シグを払いのけようとする力がどんどん強くなる。とても少女のものではない。

 口に含んだ血液をすべて注ぎ込むと一層その力が強くなりついにシグは、はねのけられてしまう。

自由になったリザはコウモリの羽を広げると子供達が逃げた扉から外へ飛び出し、飛び去ってしまう。

「リザー!」

 少女の名前を呼びながらあとを追いかけて外に飛び出すレイ。

 身を起こしてそれを見ているしかできなかったシグ。

 すでに身体はボロボロで2人を追いかける力は無かった。

 

「あぁぁぁっ!!」

 悲鳴をあげるヴァネッサの背中が盛り上がり、上着の裾を持ち上げそこから猛禽類を思わせる翼が伸びる。

 最後の力を振り絞って、シグは手首の傷から血を吸い上げ口に含むとヴァネッサを抑え込み、その口内に血液を注ぐ。

 そうしているあいだにもヴァネッサの背中の猛禽類の翼が大きくなっていく。

 すべての血液を注ぎこんだシグにはもう、ヴァネッサを押さえつけるだけの力は無かった。

 翼を羽ばたかせ外に飛び出そうとするヴァネッサに必死にしがみつくシグ。

 せめた彼女だけでも。

 全てを失ってきた男の最後の抵抗だった。


 シグが意識を取り戻して最初に目にしたのはバルド達3人組だった。

 教会の一室のベットの上で身を起こすと、隣のベッドには毛布を頭からかぶって恥ずかしそうにしているヴァネッサがいた。

 毛布越しに見える背中の膨らみ。

 元の姿には戻せなかったようだ。

 ヴァネッサの姿を見たバルドは気を使い他の人間を部屋に入れないようにしているらしい。特にここの子供達は……。

 

 ヴァネッサから昨夜何があったのか、一通り聞いているというバルドに自身の事を全て話す。

 瘴気の事、瘴気人の事、自身の素性、滅びた祖国、レイラの事も……。

 いちいちリアクションを返すロイド、おとなしく聞くよう注意するバルド、黙って話を聞くレヴィン。

 そして話し終えたシグにレヴィンが言う。

「それで、これからどうするつもりだ?」


 数日後の早朝、シグとヴァネッサは旅に出る準備をしていた。

 あの日からリザとリザを追いかけてとび出していったレイの行方がつかめない。

 シグが負傷して動けないあいだもバルド達がつてを使って探してくれていたが何も情報は得られなかった。

 リザはともかく、レイの足取りがつかめないというのは絶望的な結末しか想像できなかった。


「大丈夫よ、レイってああ見えて結構野生児だから。ここにきたばかりの頃、野生動物みたいに好き勝手やってとうとう怒ったリザにフライパンで殴られたの。それで躾けられたのか以来、一番リザに懐いていたわ……。」

 ローブで全身をおおったヴァネッサが言う。

 言われてみればいつものリザについて回っていたな、と回想にふける。

「行っちまうのか……。」

 馬に荷物を積んでいる2人にロイドが声をかけてくる。バルドとレヴィンも一緒だ。

「ああ、すまないな。馬、助かるよ。そっちも大変なのに」

 首を横に振り

「気にするな」

 とバルド。

 以前の集会の話。村を捨て移住することが決まり、村ではその準備が進んでいた。

 この村では鱗の魔獣以降、大きな襲撃は無かったが、他の村の良くない知らせがいくつもの入っており、多くの村民は村長の決断に従うしかないと判断していた。

 

「前にも話したとおりまずは北へ……。俺の生まれた国を目指すつもりだ。また黒衣の医師に出会えれば良いがそれが無くても瘴気人の研究資料を探してみるつもりだ」

 シグとヴァネッサの旅の目的。それは瘴気人を人間に戻す方法を見つける事だ。完全に戻せなくとも、ヴァネッサの翼はどうにかしたい。もし可能ならばリザも……。

 半世紀も前に滅んだ国の研究資料など、とも思ったが、あれはいろいろな意味で外に出してはいけないものだ。証拠の隠滅などをしていなければ厳重に保管している可能性もある。


 正直何も望みが無いよりはマシ、という程度のものではあるが……。


「チビ達によろしく言っといて」

 と言うヴァネッサに

「断わる。お前が直接言え」

 と無愛想に応えるレヴィン。

 バルドが、おいおいとなだめながら

「でもいつかお前が直接言いに行ってやれ。たとえ元の姿に戻れなくても。きっと大人になれば分かってもらえる……」

「そうだぜ!なんなら今だってちゃんと説明すればみんな分かったくれるはずだ。旅になんか出なくったって……。」

 名残惜しさを隠そうともしないロイドにヴァネッサは言う。

「ありがと。でも今はダメ。魔物になりかけたとき、あたしとは違う別のあたしがあたしの体を支配していて、あたしにはどうすることもできなかった。シグがボロボロになって、必死に助けようとしてくれてたのに……。ああなったらもう、どうすることもできない。あたしの心はあたしの体の外に追い出されて見ている事しかできないの。もし再びあんなふうになって、チビ達を傷つけたりしたら……」

 少しの静寂の後

「あのとき決めた事だろう。後ろ髪を引いてやるな」

 普段よりも優しい口調でロイドに言うレヴィン。

 別れを惜しんでいるのは彼も、そしてバルドも同じだった。


「じゃあ、行くな」

「元気でね!」

 馬に乗って出発する2人の言葉に手をふる3人

 小さく手をふるリザレヴィン。

 姿が見えなくなるまで手をふるバルド。

 姿が見えなくなっても手をふり続けるロイド。

 三者三様の見送りだった。


「う……ん」

 シグの後に乗っているヴァネッサがローブを脱ぎ、翼を広げる。 

「おいおい、人に見られたら……」

「へいきへいき。誰も見てやしないって」

 あきれるシグの胴に手を回すと翼が彼を包むように畳まれる。

 彼女の人間ではない体の部位が彼女の気持ちを一番表していた。


 そして2人は北辺を目指す



 



 

 




 



 



 

 

 











 


 

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北辺の紅い果実 @suzukichi444

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