とある猫の記憶

仁城 琳

1話完結

あの子に会いたかった。


暖かい場所にいた気がする。優しく舐めてくれるお母さん。兄弟たちと戯れて身を寄せ合う。幸せなんてどんなものか分からないけどきっと私は幸せだったんだ。気付くとひとりぼっちだった。兄弟たちも。お母さんもいない。お母さん、おかあさん、私はここにいるよ、むかえにきて。必死に叫んでもお母さんは来ない。

突然私のからだに水がかかった。びっくりして慌てて水がかからない場所を探す。これ、知ってる。「あめ」って言うんだよ。お母さんが教えてくれたの。「あめ」が降るとお母さんは狭いところに私達を運んでくれて濡れないようにしてくれたんだ。でも私はどうしたらいいのか分からなくてどんどんからだが濡れていく。からだがガクガクと震える。たすけてお母さん、どうすればいいのか分からないよ。むかえにきて、お母さん。


「あれ...子猫だ!ぐったりしてる...どうしよう...」

なんだろうこの生き物は。お母さんに教えてもらってないよ。よく分からない生き物は私を触ろうとする。やめて、私はお母さんに会いたいの。触らないで。引っ掻いてみようとしたけどからだが上手く動かない。私、ここで死んじゃうのかな。お母さんに会いたかったな。おかあさん


ふと気付くと私はふわふわの中にいた。それに暖かい。お母さんや兄弟といた時みたい。もしかして迎えに来てくれたのかな。

そっと目を開ける。お母さんと兄弟はいない。なんだろうのこのふわふわは。それに何だかからだが動く。私はふわふわを噛んだり引っ掻いたりしてみる。

「あ!猫ちゃんが起きた!」

突然音が降ってくる。なんだお前は。見上げるとあの時のよく分からない生き物がいる。お母さんみたいにシャーって威嚇してやりたいけどやった事がないからミャって小さな声しか出なかった。悔しい。

「鳴き声初めて聞かせてくれたね。元気になってきたのかな?うれしい。」

なにを言ってるのか分からない。私は怒ってるんだぞ。お前は誰だ知らない生き物。ミャー。さっきよりは大きな声がでた気がする。

「うんうん元気だね。ほんとに良かった。」

知らない生き物に捕まってしまった。ミャァー。私は怒ってるんだぞ。今度こそ引っ掻いてやった。どうだ。痛いか。

「いてて...元気になったね。よかった、よかった...」その時だった。私のからだにポトポトと水がかかる。知ってるよこれ。「あめ」って言うんだよ。でもなんだか冷たくない。暖かいみたい。なんだろうこれ。「あめ」じゃないのかな。


よく分からない生き物と暮らすことになった。よく分からない生き物は昼間はいなくなるようだ。

「ミーコ、お仕事行ってくるね。お留守番よろしくね。」

ミャン。昼間は「お仕事」なんだって。ちなみに私のお仕事はこいつがこの「ドア」って所から出入りする時に「お見送り」と「お出迎え」をすること。よし、今日の朝のお仕事も終わりだ。あいつの足音が聞こえなくなったのを確認して部屋に戻る。あいつがいない間はちょっと寂しいけど今はここの主は私なのだ。爪研ぎしてやる。これ、「ソファ」って言うんだって、私が爪研ぎすると怒るけどこれで爪研ぎするのが楽しいんだよね。仕方ないよね。ばりばりばり。

あいつが居ない間外にあった「ねこじゃらし」って言う草に似たものや、動かないネズミで遊ぶ。あと、この「ボール」っていうのも面白いの。ひと通り満足したらあいつが帰ってくるまで寝る。まだかな。早く帰ってこないかな。そんな時ちょっとだけお母さんや兄弟の事、ひとりぼっちですごく寒かったあの日を思い出す。ちょっと寂しくなるんだ。でもあいつの事を考えるとちょっと暖かくなる。なんなんだろう、これは。あいつはよく大好きだよって言ってくれるけど、私もあいつの事が「大好き」なのかもしれない。早く帰ってこないかな。待ってるよ。


あいつの足音が聞こえる。ウトウトしてた私は急いでドアの前に向かう。大好きなネズミを持って。

「ただいまぁ。はぁ疲れた。ミーコお留守番ありがとう。待っててくれたんだね。」

ミャン。お出迎え完了。私は体を思いっきり擦り付ける。待ってたよ。ほら遊んで。1人で遊ぶより君と遊ぶ方が楽しいんだ。

「ミーコはすごいね。どんなに疲れててもミーコが待っててくれると笑っちゃうんだもん。ミーコは天才猫だ!!」

よく分からないけど君だって会った瞬間昼間の寂しさが吹き飛んじゃうんだよ。君も「天才」だね。

「ミーコ、大好きだよ。」

うん、私も君のことが大好き。


最近おかしいんだ。ネズミを見ても遊びたくない。毎日の大事なお仕事も、部屋からドアまで行くのがちょっと疲れる。どうしてかな。毛並みも、なんとなくパサパサしてる気がする。毛繕いが下手になっちゃったのかな。

「行ってくるね、ミーコ。待っててね。」

ミャン。最近君は笑顔じゃない気がする。どうしたんだろう。ミーコは天才じゃなくなっちゃったのかな。君がお仕事に行ってる間もひとりで遊ぶ気になれない。ソファで爪を研ぐのも楽しくない。どうしちゃったのかな、私。


私はお仕事が出来なくなった。でもあの子もお仕事に行かなくなったから私はこのふわふわの上でネズミと寝てるだけでいいみたい。君に撫でられるとすごく心地いい。すごく眠たい。だけど今寝ちゃったらダメな気がするの。君がふわふわから私を抱き上げてそのまま抱きしめてくれる。まだ寝たくない。寝ちゃダメ。体に水がかかる。「あめ」じゃないんだよね。「涙」。泣かないでほしいな。私は君を笑顔にできる天才なの。笑ってほしくて君の涙を舐めてみた。

「ありがとう。ミーコは私を幸せにする天才だね。」

笑ってくれたけどまだまだ涙は止まらないみたい。もっと舐めてあげないと。お母さんみたいに。眠い。笑って。私は君を笑わせる天才なんだよ。そうでしょ。眠たいな。寝ちゃダメだ。笑って。あれはお母さんかな。迎えに来てくれたんだ。でも私はこの子と一緒にいるって決めたんだ。だからお母さんと一緒にはいけないよ。眠い。笑って。笑って。大好きだよ。

「ミーコ、ありがとう。もういいんだよ。ゆっくり休んでね。ありがとう。ずっとずっと大好きだよ。」

君が笑う。私は眠気に身を任せた。

ありがとう。私も君のことが大好きだよ。


「ねぇ知ってる?生まれ変わるんだって!また猫になれるかは分からないけどねぇ。」

ここはあの子のいる世界とは違うみたい。色んな猫に聞いてみたけど誰もあの子のこと見たことないって。その「生まれ変わり」って言うのをしたらまたあの子に会えるのかな。生まれ変わりを教えてくれた子はまた猫になりたいらしいけど私は人間になりたい。人間になってあの子に大好きだよっていっぱい伝えたいんだ。


あれからどのくらい時間が経ったんだろう。お母さんを待ってた時も、あの子がお仕事から戻ってくるのを待ってた時もこんなに時間は経ってなかった気がする。私は人間になった。いや、正しくは人間にもなれるようになった、みたい。羽の生えた不思議な人間みたいな子が教えてくれたけど私は「化け猫」ってやつになったらしい。神様なのかな。なんでも願いを叶えられるからお願いしてみてって言わるるままに、人間になりたい、とその子に言うと次の瞬間私は人間になっていた。正確には化け猫なんだけど。まぁなんでもいいや、人間の姿になればあの子と話せるんだ。

私はあの子の家に行ってからあまり外に出たことがないからあの子の家が分からない。もっと言えばあの子の名前も分からない。探したくても探せない。化け猫の私は猫の姿になって色んな猫たちに「私を見た事がないか」を尋ねて回ることにした。似た柄の子は知ってるけど、みんな私の事は知らないって。どうしよう、どうしたらあの子に会えるのかな。

私はもう一度あの羽の子に会うことにした。事情を話して協力して欲しいと。すると彼女は少し迷った顔をした後

「どんな結末が待っていても、受け止める覚悟はある?」

と聞いてきた。よく分からない。あの子の居場所さえ分かればあの子に会えるんだよね。じゃあお願い、あの子を探すのを手伝って。


羽の子はまず帽子と丈の長い服を私にくれた。これ知ってるよ、ロングスカートって言うんだ。あの子もたまに身に付けていてそれにじゃれるのも好きだったの。まぁとにかくこれで耳としっぽは隠せる。人間になれるけどこれだけは隠せなくて困ってたんだ。猫の耳としっぽが生えた人間なんて見たらあの子を怖がらせてしまうかもしれないから。私は羽の子に着いていく。羽の子はもうあの子の居場所を知ってるみたい。もしかして知り合いなのかな。


「着いたよ。」

羽の子に連れてこられたのは一軒の家。知ってる!ここだ!私とあの子が過ごした家。でもなんだか違う気がする。分からない。確かにここなんだけどな。胸がザワザワする。もうすぐあの子に会えるから緊張してるのかも。ドキドキしながらインターフォンを鳴らす。もうすぐあの子に会える。待っててね。


ドアから出てきた人間を見て私は目を見開いた。あの子...じゃない。似てるけどあの子じゃない。違う。もしかして誰かと一緒に住んでるのかも。

「あの、すみません。この家に猫を飼っていた人は住んでいませんか。」

帰ってきた答えは「いいえ」私は戸惑ってしまった。その時奥から子供の声が聞こえた。

「ひぃおばあちゃんは猫を飼ってたよ!」

その言葉に女性もああそうだと声をあげる。

「私達は飼ってないんですけど私の祖母が、あの子にとってはひぃおばあちゃんですね。三毛猫を飼っていたみたいですよ。」

「お祖母様は今どこに...」

「祖母なら...」


私は四角い石の前にいた。あの家族は親切にも知らない私にあの子の居場所を教えてくれた。これも羽の子の力かな。

あの子は今ここに眠ってるんだって。

「言ったでしょ。どんな結末が待っていても受け入れられるか、って。」

私は化け猫。もう死ぬことは無い。あの子には会えない。遅かったんだ。何もかも。

私の目から水が溢れ出す。「涙」。あの時の君と同じだね。君もこんな気持ちだったのかな。悲しいけど。君と同じ気持ちで君と同じように涙を流すことが出来る事は嬉しいかもしれない。伝えるって決めてたから。今の君の居場所で伝えるよ。

「ありがとう。私は君のことが大好きだよ。ずっとずっと。ずっと大好き。あの日私を見つけてくれたのが君で良かった。最後君の腕の中で眠れたのが嬉しかった。ありがとう。大好きだよ。」

私は嗚咽した。いくら言葉を吐き出しても涙は止まらない。君に伝えられたんだ。ずっと伝えたかったことを。君と同じ言葉で。嬉しいはずなのに酷く辛い。胸が痛い。君に会えたはずなのに。


「あの子に会いたかった。」

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