第60話 ナイスアシスト



「お姉さんの元旦那?」


「そうよ。お姉ちゃんが妊娠したって分かった途端に逃げたクズ野郎よ。ホント最悪……」


 妊娠させておいて逃げるとか、百歩譲ってオブラートに包んだ言い方をしても天に召されればいいのに。何だか俺の周囲にはこういった人間のクズからの被害を受けた人が多いな。類は友を呼ぶみたいな感じだろうか。


「確かにそれは最悪だな」


「もう少し早く気付けてたら逃がさなかったのに……」


「そっちの最悪かよ」


「あの猿野郎に一発お見舞いしないと気が済まないのよ。お姉ちゃんがどれだけ悲しい思いをしたか……身を以て解らせる必要があるの。その為に武術を学んだし、ホテルのバイトを選んだんだから」


「ここだったら客として来るかもって?」


「あいつ、裏でいろんな女性とホテルに行ってたらしいから、もしかしたらって思ってね。まぁいいわ……次は絶対に逃がさない。ふっ、ふふふ」


 不敵な笑みを浮かべる中村さん。目には見えないがもしかしたらドス黒いオーラが背中から出ているかもしれない。


「うわっ、すげー悪人面してる」


「褒め言葉としてとっておくわ」


 これ以上ここで立ち話をしていては掃除が終わらないので、話を切り上げ剥ぎへと向かった。



 午後からも相変わらず空室ができることはなく、掃除が終わればすぐに客が入室という状況が続いた。満室になりしばらく休めるかなぁ~と思ったが、掃除用のシーツ類やタオルを畳んだり道具の準備、お客からシャンプー等の備品やコスプレ衣装のレンタル注文だったり、新しく入ったお客からの食事の注文だったりと目まぐるしい一日となった。こんな日は時間が経つのも早いもので、気づけば退勤の時間になっていた。ここからは後半チームにバトンタッチだ。


「二人とも今日はお疲れだったなァ~今から友達と花火大会行くんだろ? 仕事頑張った分しっかり楽しんでこい」


「正直、花火大会を楽しむ体力も残ってるか微妙ですけど」


「もう汗だくだわ。早くお風呂に入りたい」


「じゃあお疲れ様でした」


 俺と中村さんが階段を下りようとしたところで、佐々木さんが俺の肩を叩いてきた。中村さんは一人スタスタと降りて行ってしまった。


「楠川君、和美ちゃんと仲直りできて良かったわね」


「えぇまぁ、ありがとうございます」


「今日の花火大会は絶好の機会よ。頑張ってね」


「はぇ? 何の話ですか?」


「もちろん、和美ちゃんとの進展の応援に決まってるじゃない」


「えぇ~!? な、な、何言ってるんですか!? 中村さんとはただの友達ですよ!」


 佐々木さんの言葉に変な汗が出始めた。


「凄く仲良さそうだったから、私てっきり楠川君が中村さんの事を好きなのかと思ってたわ。喧嘩して凄く落ち込んでたし」


「何で俺が好きになってる前提なんですか……俺は他に好きな人いますから」


「あらそうだったの? 残念」


「じゃ、じゃあ俺帰りますんで」


 急いで階段を下り事務所から出る。すると中村さんが外で待ってくれていた。


「遅かったわね、何してたのよ?」


「いや、別に大したことじゃない。ちょっと雑談してただけだ」


「ふーん、それであんた今からどうするのよ?」


「とりあえず駅に集合だろ? 俺は駅で待ってるよ。太一もその内来るだろうしな」


「まさかバイトしたそのままの格好で行くとかじゃないでしょうね?」


「いやちゃんと着替えるよ、着替え持ってきてるし。汗拭きシートと制汗スプレーもあるしな」


 今日のバイトが思いのほか忙しかったのは予想外だったので、正直いっぱい汗を掻いてしまった。でもまぁ汗拭きシートと制汗スプレーでなんとかなるだろう。


「あたし今から莉奈の家に行って、着替えるついでにお風呂借りるんだけど、あんたも来る? 莉奈に頼んであげようか?」


「えっ! マジで! いいの?」


 中村さんからの思わぬ提案に、気分が高揚してしまった。


「あ、でもどうしよう……俺朝倉さんの両親とまだ面識がないんだけど、菓子折り買って行った方がいいかな?」


「心配しなくても莉奈の親は週末は仕事から帰ってくるの遅いから家にはいないわよ。とりあえず莉奈に確認してみるから待ってなさい」


 そう言って中村さんが朝倉さんに電話を掛け始めた。


「もしもし莉奈? うん、今バイト終わった。それでね、今から莉奈の家に行こうと思うんだけど、楠川も一緒に連れて行っていい? うん、ちょっとバイトが忙しくってあたしも楠川も汗だくなのよ。だから楠川にもお風呂貸してあげてくんない? 分かった、伝えとく。はーい、それじゃあまた後でね。OKだってさ」


「もうありがとうございます! なんとお礼を言ったらいいのか……土下座したらよろしいでしょうか? あ! 靴舐めましょうか?」


「できるもんならやってみなさいよ。ほら」


 言いながらスッと右足を前に出してきた。


「いや、ホントにやったらさすがに引くだろ。つか人として何か大事な物を失う気がする」


「大丈夫よ、大事な物を失っても三年の卒業式が終わればリセットされるじゃない」


「そりゃあそうだが……ってちょっと待て! 俺にまだループしろと! 鬼か!」


「あっはははは、冗談に決まってるでしょ。本気にするんじゃないわよ。そんなことより早く行かないと莉奈が待ってるわ」


「だな」


 俺と中村さんは自転車に乗って朝倉さんの家へと向かった。



 俺の人生で二回目となる朝倉さん宅の訪問。しかも、まさかお風呂を借りる展開になろうとは全く予想していなかった。


「二人ともいらっしゃい。バイト大変だったみたいだね、お疲れ様」


「ごめんね莉奈、お風呂借りちゃって」


「全然いいよ、一回家に帰るってなったら大変だし遅くなるもんね。お風呂は沸かしてあるから。私が先に入っちゃったけど」


 どうりで朝倉さんからシャンプーの良い匂いと、お風呂上りの妙な色気が漂っているわけだ。


「俺最後でいいから中村さん先にどうぞ。レディーファーストで」


「まぁ当然ね、あたしは着替えの準備もあるから時間がかかるもの」


「タオルはカゴに置いてあるから」


「ありがと」


 中村さんが浴室に行ってしまったので俺はリビングで待たせてもらうことにする。


「楠川君、麦茶飲む?」


「あ、うん。ありがとう」


 テーブルの前で正座の姿勢で待っていると、麦茶が入ったグラスを持って朝倉さんがやってきた。


「はい、どうぞ」


「どうも」


「なんで正座してるの? 楽にしていいのに」


「あ、いや、なんか緊張しちゃって。でも足が痺れたら大変だもんな、うん、足を崩そう」


 正座から胡坐にチェンジする。そして俺の横に朝倉さんが座ってきた。


「あ、俺今汗臭いかもしれないからあまり近くに来ない方がいいかもよ?」


「私は気にしないよ。ていうか楠川君、全然汗臭くないよ」


「ホント? 自分の体臭って分からないから不安なんだけど」


 自分の両腕のにおいを嗅ぐも、やっぱり分からない。


「そういえば朝倉さん、夏休みの宿題はどう? 進んでる?」


「うん、今日でけっこう進んだよ。あと三日ぐらいあれば終わるかな」


「さすがだな」


「楠川君は?」


「俺は終わってるよ」


「えぇー!? 凄い! もう終わってるの!?」


 口に手を当てて驚愕している朝倉さん。まぁ厳密には昨日終わらせたんだがな。残りの夏休みは全て身体を鍛えることに専念する為だ。


「楠川君、勉強できるんだね。あ! じゃあちょっと教えてほしいところがあるんだけど良い? ちょっと待っててね」


 朝倉さんは自分の部屋に教材を取りに行った。しばらくしてリビングへと戻って来ると教材を広げた。国語か。


「ここなんだけど」


「あーこの問題はね」


 俺が解き方を説明しながら、朝倉さんが答えを記していく。この感じも随分と懐かしい。


「ありがとう楠川君、凄く分かりやすかったよ」


「どういたしまして。お役に立てて何よりだよ」


「莉奈、お風呂ありがとう」


 一通り問題を解き終わったところで、中村さんがお風呂から上がってきた。


「楠川のタオル、カゴに入ってるわよ」


「わかった。じゃあ朝倉さん、お風呂借りるね」


「うん、いってらっしゃい」


 俺は美女の残り湯を堪――汗を流す為、浴室へ向かった。

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