第59話 過去一忙しいバイト
海水浴での一件で気まずかった俺と中村さんと朝倉さんの仲は無事元通りになった。朝倉さんへの謝罪は中村さんの協力もあって、映画の日の俺の行動には事情があったのだとそれっぽい言い訳を添えて謝罪をした。
中村さんからは「莉奈にも楠川の秘密を打ち明けたら?」と言われたが、秘密を打ち明けたところで何だか恩着せがましくなるような気がしたので却下した。朝倉さんを助けることと恋人になることは全くの別物なのだ。
とはいえ当の朝倉さん本人は俺が思っていたよりも気にしてはいなかったようで、むしろ俺と中村さんの仲がギスギスしてしまったことに対して自責の念に駆られていたそうだ。俺に謝らなくてはいけないという気持ちと、でも何て話しかけようかという気持ちが混合してしまい、それが気まずさに繋がっていたらしい。
何はともあれ終わりよければ全て良しだ。まぁまさか今回の海水浴で俺の秘密がバレてしまうとは思わなかったけども。だが今更気にしても仕方ない。それに一生不死の身体というわけではないのだ。この高校三年間の間だけの不死なのだから、無事彼女ができて高校を卒業してしまえばそこからは普通の身体の人生が俺を待っている。大した問題ではない。それよりも今問題なのは――
「店長さん、そのパソコン壊れてませんか?」
「いや至って正常だが? どした? 何か問題でもあったか?」
「空室が見当たらないんですけど……今、午前十時三十分ですよね? 俺たちついさっき掃除終わらせたんですけど」
昨日の海水浴で色々あって身体の疲れがあまり取れていないまま本日、朝からのバイト。朝出勤してから部屋の状況は十六部屋中、四部屋が宿泊の赤、八部屋が掃除部屋の青色、四部屋が休憩中の黄色となっていた。いつも通り剥ぎから作業を始め、少し休んでから掃除に取りかかった。掃除している最中に宿泊客が帰り二部屋分の掃除が追加されたのだが、それも終わらせた。そして事務所に戻ってきてみれば、パソコンの画面は赤色二部屋、黄色十四部屋の二色で構成されていた。
「お前らが終わらせた部屋はすぐに次の客が入ったぞ」
「嘘でしょ!?」
これまで忙しい日というのは何回か経験したことはある。特に土日は午後十二時前後ぐらいから満室になることがよくあった。だが今日はまだ午前十時三十分の時点で満室という状況。今までの土曜日と比較しても今日の土曜日は凄く嫌な予感がする。
「仕方ないわよ、今日は花火大会の日ってのもあるし」
驚愕している俺を余所に、中村さんが携帯を操作しながら落ち着いた様子で言ってきた。
「花火大会と客の多さに何の関係があるんだよ?」
「これ」
中村さんが携帯の画面を俺に向けてきた。
画面を見るとそこにはこのホテルのホームページが表示されており、今日と明日の二日間限定で浴衣着用でホテルを利用したら五百円割引という文言があった。
なるほど……今日と明日はこの近辺で花火大会が行われるので、花火大会に行く前でも行った後でもお得にホテルを利用できるということか。しかもどうやらホテルのメンバーズカードの割引と併用できるそうなのでカードを持っている人なら実質千円引きということになる。割引ってみんな大好きだもんな……。
まぁ夏休みシーズンというのと夏限定の食事メニューとかの効果もあり、確かに夏休みに入ってから普通の日よりは割と客入りが多くなっているとは感じていた。
「多分、お昼頃には昼食の注文がバタバタっと入るかもしれないから今の内に身体を休めておいた方がいいわよ」
「ちょっと佐々木さん、そういうフラグになるようなこと言わないで下さいよ」
「それにしても、夏だっていうのにこんな朝早くからホテルに来るなんて他に行くところないのかしらね。夏休みにバイトしてるあたしが言えた義理じゃないけど」
「色んな人間がいるからなァ~夏だから外に遊びに行こうって考えてる奴もいれば、暑い中外に出るのは嫌だって奴もいる。後者の奴がこういう所に来るんだろ? ここならいくら電気使おうが関係ないからエアコン使い放題、飯も頼めば出てくる。部屋のテレビで映画も見放題だしな。暇になりゃ二人でおっぱじめ――」
「コホンっ」
店長さんが何かを言おうとしたところで、佐々木さんが咳払いをして遮った。俺は店長さんが何を言おうとしたのかすぐに分かった。まぁ今時の高校生であれば知識として知ってる人は大多数いるだろう。中村さんと朝倉さんも知識としては知っているのだろうか?
十二時を回り、佐々木さんの読みはズバリ的中した。食事の注文ラッシュが始まり、電話の対応をする店長さんも、食事を作る俺と中村さんと佐々木さんも大忙しである。一応掃除部屋が三つあるのだが、掃除に行く暇はおろか自分達の昼食を食べる時間もない。
「からあげプレートと豚のしょうが焼きプレート、ジンジャーエールとオレンジジュース追加だ。それと……あーくそ! また電話が鳴りやがる!」
電話が終わったかと思ったら、また次の電話が鳴る。食事の注文以外にも、清算の内容だったりと店長さんもイライラしているご様子だ。
「お鍋洗わないと足りないわね……和美ちゃん、揚げ物見ててもらえる?」
「はい。楠川、この二つを二一〇号と二〇三号に持って行ってくれる?」
「あいよ」
俺はステーキ丼と肉うどん、コーラとカルピスが載ったお盆を手に取る。もう一つのお盆にはチキン南蛮プレートと和風ハンバーグプレート、ウーロン茶二つが載っており流石に二つ同時に運ぶのは無理そうだったので一つずつ持って行くことに。
(チッ! どんだけ飯が出るんだよマジで……こっそり鼻糞入れてやろうかな)
心の中で舌打ちをしながら、つい下衆いことを考えてしまった。
その後もどんどん料理の注文が入り、何部屋分の料理を作って運んだのか思い出せないくらい忙しい時間が続いた。掃除部屋もポツポツと増え始めていたが、なかなか掃除に取り掛かれずにいた。おかげで空室がない為、何台かホテルに入っては直ぐに出て行くという車を見かけた。
電話の方が落ち着くと店長さんが俺たちの代わりに、掃除部屋の剥ぎへと向かう。そして料理の方も落ち着くと、とりあえず三部屋分だけでも空室を作ろうと休憩が取れていない身体に鞭を打って、掃除を終わらせた。しかしそのせっかくできた空室もものの数分で新たな客が入室する。
嵐のような時間が過ぎ、とりあえず一息つく頃には十三時三十分を回っていた。
「しんどーい……今までで一番しんどい」
「一度に三日分の料理をした気分だわ。さすがにピークを過ぎたわよね」
「二人とも大丈夫か? 顔が死んでるぞ」
「とりあえずご飯にしましょう。残りの掃除部屋はしっかり休んでからやろうかしらね」
昼食を摂りお腹が膨れると、満腹感と疲労感から眠気が襲ってきた。
「やべっ、動いてないと絶対寝るやつだこれ」
「あたしも。ちょっと眠気覚ましに剥ぎに行ってきます」
俺と中村さんは階段を下りて外に出た。そして事務所入り口のシートを潜ろうとしたところで、タイミング悪く車が入ってきたので慌てて隠れる。シートの隙間から車の様子を窺うと、車は敷地内をグルッと一周すると空室がないと分かったのかホテルから出て行こうとしている。
「車出ていった?」
中村さんも俺と同じようにシートの隙間から車の様子を覗く。
すると突然、中村さんが凄い勢いでシートを潜り車が出ていった方に走っていった。何事かと思い、俺も後を追いかけると。車が走り去っていった方を見つめたまま中村さんが立ち尽くしていた。
「一体どうしたんだよ?」
「さっきの車……お姉ちゃんの元旦那の車だった……」
そう言った中村さんの両手は強く握られたまま、プルプルと震えていた。まるで必死に怒りを抑え込もうとするかのように。
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