第51話 終わらぬ問題



 それはあまりにも一瞬だった。


 朝倉さんの手首を掴み、歩き出そうとした時には中村さんが俺の正面に立っていた。それに気付いた瞬間、俺の顔は左を向いていたのだ。音と衝撃と痛みを一緒に感じながら。


 あまりの強い衝撃を頬に受けた俺は、背中にゾクリと悪寒が走った。そのまま固まること数秒、右頬の痛みを和らげようとするように右手をそっと添えた。


「あんた、おかしいわよ」


 中村さんの言葉にゆっくり顔を正面に戻す。そして中村さんと目が合った。


 これまで中村さんが怒ったりする様子は何度も見たことがある。ただそれは、喜怒哀楽の怒と楽を合体させたような感情の怒。だが今回は違う。純度百パーセントの怒り。見ただけで逆鱗に触れてしまったと分かる中村さんの目力に、ごくりと唾を飲んだ。僅かに血の味がした。


「こんな奴放っておいて、行くわよ莉奈」


「え、でも……」


「いいから」


 中村さんは朝倉さんの手を掴むとそのままコンビニの方へと歩いて行った。


 俺はその場から動けなかった。足が地面にくっついてしまったかのように重く感じた。


「はぁ……」


 深い溜息がこぼれる。


 俺はやり方を間違ってしまったのだろうか。情報が少ない中、俺の頭で考えついた方法はこれしかなかった。とにかく奴らとの遭遇を防ぐこと。その為に行動し、過程はどうであれ結果として奴らとの遭遇を阻止することができた。そう、これで良かったんだ。これでもう朝倉さんが酷い目に遭うことも、辛い人生を送ることもなくなる。俺は朝倉さんを救うことができたんだ。喜ぶべきことじゃないか。


「…………」


 喜ぶ場面なのに、全く喜べない。


 それどころか後悔してきている自分がいる。本当にこの方法しかなかったのかと。だがいくら後悔したところで遅いのだ。今回はもうやってしまったことは仕方ない。


――ドンっ!


 考え込んだまま棒立ちしていた俺の背中に何かがぶつかってきた。俺はバランスを崩し片膝をついた。


「邪魔だよテメェ。ボーっと突っ立って道塞いでんじゃねぇよ」


 振り向くと俺の背後に例のチンピラ四人が立っていた。俺が考え込んでいた間にすぐ後ろまで接近していたようだ。というか、人が一人立ってたぐらいで通れない程の狭い道ではない。俺を避けて通り過ぎればいいだけのことだっただろう。


 相変わらずの横暴な仕打ちと、憎き相手を至近距離で視認したこと、そして前回の怨みから俺に再び怒りの感情が込み上げてきた。その怒りが表情にまで現れていたのだろう、つい相手を睨んでしまった。


「あ? お前なにガン飛ばしてきてんの?」


 俺の目が気に食わなかったのか、金髪の男が睨み返してきた。


「なになに? 文句でもあるんですかぁ~? 言いたいことがあるならハッキリ言ってみろよ」


 今度は青銀髪の男が近づいてきてしゃがみ込んだ。そして俺の頭を掴むとぐりぐりと揺らしてきた。


 俺は睨んだままその手をバシっと払いのける。


「お? 何だこいつ、すげぇ好戦的じゃん。今ので俺手痛めたんだけど、どうしてくれんの?」


「こりゃあ治療費貰わねぇとな」


「つーかこいつずっと睨んでんぞ。怖いもの知らずってやつ? おもしれー。こういう奴ほどいたぶり甲斐があるよな」


 青銀髪の言葉に他の二人も俺に詰め寄ってきた。相手を小馬鹿にしたような言葉と態度。まさしく類は友を呼ぶという言葉がピッタリである。


「そういうわけだからよぉ、ちょっと俺達に付き合えや」


 金髪の男は俺の服を掴むと、無理矢理引っ張り立たせてきた。そして俺を逃がさないようにと青銀髪の男が肩を組んできた。


「ほらさっさと歩けよ」


 俺は言われるがままに歩き始める。ちらっと横目で朝倉さんと中村さんが向かって行ったコンビニの方を確認する。まだ戻ってくる様子はない。


(良かった、鉢合わせすることはなさそうだ)


 と、ここで俺は自分の情けなさに気付いてしまった。


(あんなことがあって二人が戻ってくるとか期待してんのかよ。はっ! バカかよ俺は)


 そしてチンピラ四人に連れられ歩くこと十数分、人気のない路地に案内された。


 そこからは童話の浦島太郎に出てくる亀状態だった。一対四、太一ならともかく俺はまぁ無理だ。腕っぷしに自信があるわけでもないし、太一のように筋トレをしているわけでもない。正直、殴り合いの喧嘩とは縁のない人生を送ってきた。


 無抵抗のまま殴られ、蹴られ、人間サンドバッグである。一発一発に殺人級の威力があれば俺には効かないのだが、こいつらの中途半端な威力ではダメージが通ってしまうし、怪我もしてしまう。


「おいおい、ちょっとは抵抗してみろよ」


「睨んでた時の威勢はどこにいったんだ? えーおい!」


「ビビって動けねーか、弱ぇくせに俺らに舐めた態度とるからこうなるんだよ」


 時折、飛んでくる罵詈雑言にも一切反応せず、とにかく耐える。相手の気が済むまで耐えていればいいのだ。この痛みはある意味、朝倉さんと中村さんに不快な思いをさせてしまった俺への、神様が与えた罰なのかもしれない。


 俺をだいぶ痛めつけて満足したのか、それとも飽きたのかは知らないが四人からの攻撃が止んだ。その頃にはさすがに俺も床ペロマン状態になっていた。


「あー身体動かしたら腹減ったわ」


「こいつ財布に三千円しか入ってなかったぜ。しけてんなぁ」


「とりあえず何か食いに行こうぜ」


「じゃあな、次は喧嘩を売る相手に気を付けろや」


 路地から四人の姿が消えると、俺は全身の痛みに堪えながら身体を起こす。身体のすぐ近くに投げ捨てられた自分の財布を掴み、這うようにして壁に背中を預けた。しばらく歩けそうにない。


「ぐっ……いってぇな……唇切ってるわ」


 手の甲で口を拭うと、うっすらと血が付着した。


「ははっ……なんてザマだよ俺は。弱いにも程があるだろ」


 いくら勝ち目がないとはいえ、何の抵抗もせず一方的に殴られるだけというのは男としてどうかと思う。太一なら多分抵抗しただろう。一対十五の時だってきっと抵抗したに違いないのだ。


 こんなことでは、この先もし朝倉さんの身に危険が迫ったら弱いままでどうやって守るというのだ。


「いや、俺は何を考えてるんだよ。もう終わったじゃないか。あいつらとの接触を回避できたんだ。朝倉さんはもう安全なんだから守るもなにも……そんな必要は……」


 本当に大丈夫なのか? ふとそんな事を思ってしまった。


 今日の行動で未来は変わった。それはつまり、ここから先の朝倉さんの人生を俺は知らない。絶対に大丈夫だという保証はどこにもないのだ。


「ちょっと考えたら気付くことじゃないかよ。どんだけ先の事を考えれてなかったんだよ」


 嫌な事実に気付き、疲れがさらにどっと圧し掛かる。


「こんな不確定な安全の為に、俺は朝倉さんと中村さんを……何をやっているんだ俺は」


 己の未熟さにほとほと呆れてしまった。


「いざという時の為に俺も太一を見習って真面目に筋トレでも始めるかな。太一に教えて貰おう」


 休んで動けるぐらいには回復できたので、俺は駅へ向かう事にした。


 本来乗るはずだった電車は時間的にもう出てしまっているので、次の電車に乗るしかない。幸い、お金はお札だけ取られて小銭が残っているので帰りの電車賃ぐらいはありそうだ。


「朝倉さんと中村さんは当然帰ったよな……はぁ……どうしたものか」


 とりあえず今日の目的は達成したのだ。もうこれ以上は何も考えたくなかった。


 だが明日になれば嫌でも向き合わないといけない。というか放置していい問題ではないのだ。


「明日のバイト……行きたくないな……」

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