第46話 夏休みの開始
「明日から夏休みが始まるが、本校の生徒だという自覚を持ってくれぐれも羽目を外し過ぎるんじゃないぞ。課題も忘れず取り組むように。以上」
帰りのホームルームが終わり、教室の中は明日からの夏休みに浮かれ気分の生徒でいっぱいである。遊ぶ約束をする者達、夏休みの予定を聞き合う者達、部活に熱意を込める者達、宿題を早めに終わらせようと意気込む者達と、長期休暇前の若者の熱気に支配されている。
「くっすー、メッセージ見たか? なっきーが夏休みにみんなで海とかお祭りに行こうぜって送ってきてるぞ」
俺の席にやってきた太一が、携帯の画面を見せながら尋ねてきた。
「見たよ。一応、俺はバイトとかの都合もあるから、また連絡するって返事してる」
「いやぁ~これまで男っ気しかない夏休みを送っていた俺達にとうとう華のある夏休みが送れるとはな。海に行くまでにめちゃくちゃ身体を鍛えてやるぜ」
「身体を鍛えるのはいいが課題もきっちりやれよ。ギリギリになって写させてくれって泣きついて来る太一の姿が始まる前から見えてるんだよな」
見えているというか何度も経験していることなのだ。最初の頃は俺もまだ学力が乏しかった為、クラスの勉強ができる人に泣きつく側であったのだが。
「それなら大丈夫だ。俺に良い考えがある。八月に入ったぐらいに男みんなで集まって課題をやろうぜ。聞いた話では、みやっしーは頭が良いんだとよ。なっきーもまぁまぁ勉強できるみたいだし、そしてくっすーがいれば課題なんてあっという間に終わるだろ。なんか男四人の中で俺だけ頭が悪いってのもな……今回の中間と期末はくっすーのおかげでそこそこ点が取れたけどよ」
「どうした太一、何か悪い物でも食べたのか? 太一がそんなことを言い出すなんて、天変地異が起こる前触れか?」
過去全ての夏休みで太一から課題を一緒にやろうなんて台詞が一度でも出たことはない。前回は高校二年生で朝倉さんに出会ったが、今回は一年生の段階で朝倉さんだけでなくその友人達に出会っている。太一の心境に変化があってもおかしくはないのかもしれない。
「言ってろ。なんかくっすーが高校に入ってからまるで別人のようになっちまってるからな。俺も負けてられねぇって思ったんだよ」
まぁ太一からしてみればそう思うだろうな。俺は俺なのだが、太一の知らない俺が年単位でプラスされているのだからある意味別人だと言っても過言ではない。
とはいえ太一の成長ともとれる心境の変化には、古くからの親友である俺としても素直に嬉しく思う。
「そっか。太一、今日は温泉入ってラーメンでも食って帰ろうぜ。俺が奢ってやるよ」
「マジか!? サンキューくっすー」
太一の成長の喜びと夏休み前ということもあって、ついそんな気分になってしまった。温泉もラーメン屋も帰りの道中にあるので問題はない。ラーメン屋はもちろん、最強濃厚とんこつ醤油の看板を掲げているお店だ。
俺と太一は意気揚々と学校を後にした。
温泉とラーメンを満喫した俺は、家に帰り自室へ行くと早速ノートにあることを書き始めた。ノートの横に千切った別の紙一枚を置き、その紙には殴り書きで書かれた文章がいくつもある。もちろん俺の字だ。それを見やすいようにノートに書き直しているのだ。
「よし」
ノートに走らせていたシャーペンを机に置き、俺は今一度自分がノートに書いた内容を確認する。
夏休みのスケジュールと題したその予定表には、現時点で分かっている夏休み中の用事を日にち毎にまとめてある。
ただ、これは俺のスケジュールではない。朝倉さんの夏休みのスケジュールである。朝倉さんに夏休みをどう過ごすのか、どんな予定が控えているのか、それを事前に聞いて紙に殴り書きしていたのを、改めてノートに情報を書き記したのだ。
なぜ俺がこのようなことをしているかというと、もちろん朝倉さんを例の憎きチンピラ野郎共から守る為である。決して、朝倉さんの行く所我在りなどということを企てようとしている訳ではない。
俺の知っている情報ではあまりにも無謀であったので必要な作業だったのだ。前回、朝倉さんから聞いていた情報では、夏休みに友達と遊んでいて友達がトイレに行っている間にナンパをされたと聞いている。だが、四十日くらいある夏休みに対してこの中途半端な五W一Hではさすがに苦笑を浮かべるしかない。これだけで朝倉さんを守れと言われたら最早、夏休み中監禁する以外に方法はない。もちろんそんなことできるわけがないし、しようとも思わない。
そんなわけで、朝倉さんに今分かっているだけの予定を予め聞いておいたというわけだ。
聞いた予定を埋めていくと、そのナンパされた日がいつ頃に起きた出来事なのか絞れそうではある。
夏休みの家族旅行、親戚の家訪問、一日を勉強に使って過ごす日、特に予定がない日等を差し引いていけば四十日の内の半分ぐらいが今のところの安全日として消えた。これにまだ誕生日会メンバーでの海とお祭りに行くというイベントも追加される。ただ、予定がない日は急遽友達と遊ぶ予定が入るかもしれないのでまだ油断はできない。そのナンパされた日が最初から決まっていた予定日の出来事なのか、急遽入った予定日の出来事なのか分からないからだ。それに誰と遊んだ時の事なのかも不明である。俺の中では中村さんではないかと予想しているが、友華さんや浩一くんそれ以外の人である可能性もゼロではない。
朝倉さんは夏休みの課題等は早めに終わらせるタイプらしいので、旅行や親戚の家に行ったりするのは八月の中旬から下旬にしているのだとか。となれば、危ないのは七月下旬から八月の上旬だろう。そして今分かっている危険な可能性のある日が七月の末に中村さんと友華さんの三人で買い物に行く日と、八月の初めに中村さんと映画に行く日の二日ある。
「もうこのどっちかであってくれれば話は早いんだがな」
あとは、この二つの用事に俺も同行できるかどうかだ。可能なら二つ同行したいのだが、しかし高確率で駄目だと言われるのは目に見えている。最悪どっちかのOKが出ればいい。そしてもう一つの方は隠れて着いていくしかない。もし二つ駄目だった場合は両方尾行する。とはいえ、俺にはどっちかの同行の許可が下りる可能性がある武器を一つ持っているのだ。
交渉の為に早速中村さんに電話を掛ける。数コール程して電話が繋がった。
『もしもし、中村さん?』
『なによ、どうしたの?』
『ちょっとお願いがあるんだけど』
『嫌』
『まだ何も言ってないけど』
『どうせロクなことじゃなさそうなのがヒシヒシと伝わってくるのよね……』
受話器越しでも伝わってくる気怠さ感いっぱいの反応をしている中村さん。声音にも如実に表れている。
『大丈夫。大したお願いじゃないから』
『聞くだけ聞いてあげるわ』
『七月の末に女の子三人での買い物と、八月の初めに朝倉さんと二人で映画を観に行くだろ? 俺も一緒に行きたいんだけど』
『莉奈に聞いたの? 絶対嫌! 莉奈と行きたいんなら自分で誘いなさいよ』
『いやそうなんだが、そうじゃないんだよ』
『はぁ? 意味わかんないんだけど』
中村さんの反応はごもっともなのだが、こちらも簡単に引くわけにはいかない。武器を使わせてもらおう。
『確か俺がバイトを引き受けたらお願いを何でも一つ聞いてくれるって話まだ残ってたよな?』
『うわー、あんたそうまでしてついて来たいの? まぁあたしも言ったからには守るけどさ……ならせめてどっちかにしてくれない? 二つともついて来るってのは止めてよね。女子だけで楽しみたいんだから』
『わかったよ。じゃあ映画の方に同行させてくれよ』
『この映画、楠川は興味ないと思うわよ?』
『いや、俺は別に映画を観たいわけじゃないから。とりあえず一緒に行ければそれでいい』
『なによそれ』
何はともあれ、片方の同行は認めてもらえた。一応予想の範囲内ではあるが致し方ない、もう片方は尾行するとしよう。
『それともう一つお願いがあるんだけど』
『まだあるの? 全然一つじゃないじゃない』
『三人で出掛ける日は朝倉さんを一人にしないでほしいんだ。トイレに行く時も全員で行くとかしてくれたらなぁって』
『はぁ? 何なの一体、それに何の意味があるのよ』
俺だけが事情を知っているこの状況、決して中村さんが悪い訳ではないのは分かっている。だが、やはり悔しいのだ。伝わらないと分かってても、そうしてほしいとしか言えないことが。
『朝倉さんがナンパでもされたら大変だからだよ』
『そんなの莉奈に近づく男なんてあたしが蹴散らしてやるわよ』
それで守れてたらあんなことにはなってないっての。これ以上は何を言っても駄目かもしれない。
『やっぱ今のお願いはなし! 映画の方はよろしく頼むよ。また詳しいことは教えてくれ』
『何なのよ全く。映画の日の事はまた連絡するから。それじゃあね』
通話を終了し。ノートに買い物は尾行、映画は同行と追記する。
こうして俺の夏休みがスタートした。
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