第34話 説得と試練



 次の日の夕食で、俺はバイトの件の話を両親に切り出した。


「父さん、母さん、ちょっとお願いがあって……俺バイトをしたいんだけどやってもいいかな?」


「お父さん、ご飯のおかわりいる?」


「あぁ貰おうか」


 あれ? 聞こえてない? いやそんな訳はないだろ。俺と親との距離は一メートルも離れていないのだ。この距離で聞こえてなかったら俺の声が小さ過ぎるか、親の聴力が衰えているかのどっちかだが、俺は普通に聞こえる声で話したつもりなので前者はまずありえない。


「えっと……父さん母さん? 俺の話聞こえてた?」


「あら、ごめんなさい。てっきり独り言かと思ったわ」


「こんな独り言があってたまるか!」


 名詞が入ってるのに独り言なわけがないだろ。俺がポツリと呟くように「バイトしたいなぁ」と言えば完全に独り言だろうが、呼び掛ける感じで話したのにどういう解釈をしているんだ。さっきのが独り言だったら、ある意味寝言より怖いぞ。


「それで? 突然バイトをしたいだなんてどういう事かしら?」


「しかもちゃんと聞こえてるし。いやそのままの意味だよ。俺ちょっとバイトをやらないかって誘われてさ、一応両親に確認するって言って返事は保留にしてるんだよ。もし父さんと母さんがOKしてくれるならバイトをしようと思うんだ」


「お父さん、修はこう言ってるみたいだけど、どうしましょうかね?」


「ふむ。修の言い分はわかった。では楠川家の大黒柱である父さんが代表して修にこの言葉を送ろう。きっと母さんも同じ事を思っているはずだからな。しっかり耳に入れるんだぞ」


「うん」


「寝言は寝て言え。以上だ」


「辛辣!?」


 えっ! それ親が子供に言う台詞? こっちは頑張って働こうと……社会貢献をしようとしているのに。酷過ぎる!


「いやちょっと待ってよ。反対なの? ホワイ?」


「修あなたねぇ、バイトをする以前に勉強をしないといけないでしょ? 中学の通知表、体育の五以外は全てオール二なのは自分が一番知ってるでしょう? そんな成績でバイトをするだなんて、あなたは留年がしたいの?」


「良いか修、お前にはちゃんとお小遣いをあげているだろう? バイトをしてまでそんなにたくさんのエッチな本が欲しいのか? 足りない分は友達から貰いなさい」


「そんな不純な動機じゃねぇわ! 勝手に息子をエロ本マニアにするな!」


 息子を何だと思っているんだ。だいたい俺がそんな本を初めて見たのは二十二歳の時だっての。俺の性欲はスロースターターだったんだ。


「つか勉強なら問題ないよ。今の俺は高校の勉強ぐらい余裕だから」


「何を根拠にそんなことを言っているの? まだ高校の通知表だって出てないじゃない」


「ホントだって、俺は高校生になって生まれ変わったんだよ。なんなら明日仕事の帰りに本屋で高校の問題集を買ってきてくれよ。俺の頭の良さを証明してやる。問題集がバッチリ解けたらバイトしてもいいだろ?」


「えらく自身満々ね。どこからその自信が湧いてくるのか知らないけど、本当にバッチリ問題集を解くことができたらバイトを認めてあげてもいいわよ。その代わり、全然解けなかったら高校三年間の誕生日とクリスマスのプレゼント、お年玉は問題集に変わるからね」


 なんて悪魔のような仕打ち。最初の頃の俺なら足がガクガク震える程の条件だ。だが今の俺は違う。勉強ができる頭脳を手に入れたのだ。そんなことを俺の両親は知る由もない。本来ならもうすぐある中間テストの結果で俺の高成績を知ることになるのだが、今回は一足早く知ってもらおう。




 次の日の夜、前日の約束通り母さんが問題集を買ってきた。


「はい、約束の問題集よ。頑張って解いてみなさい。別紙の答えはお母さんが持っておくから、終わったら持ってきなさい。答え合わせをしてあげるから」


「…………」


 母さんから手渡された問題集の厚みに言葉を失う。


【これを解けば成績超アップ! 五教科完全網羅! パーフェクト問題集】


 総ページ数、二百八十三ページ。


 母さんは俺に問題集を渡すと、夕食の後片付けに戻っていった。


 なるほどなるほど……完全にバイトをさせる気がないな。確かに問題集を買ってきてくれとしか言っていないので、母さんがどんな問題集を買ってこようと自由ではある。だが、母さんがそういう手段でくるなら俺も本気を出すしかないよな。今日は完徹だ。明日の朝、しれっとテーブルに置いて学校へ行ってやる。


「そういえば修、お前バイトをやらないかと誘われたって言ってたな? 誰に誘われたんだ? 太一くんか?」


 父さんが日本酒を飲みながら尋ねてきた。


「いや、中村さんっていう女の子だよ」


 パリーン!


 流し台の方からお皿の割れる音が聞こえてきた。


「修に女の子の友達……だと? いつから女の子の友達なんてできたんだ?」


「先月、知り合ったんだよ。学校は違うけどね。女の子の友達なら中村さん以外にも朝倉さんと河内さんと――」


 パリパリーン!


 再びお皿が割れる音が家に響く。


「お、お、お前に……おん、女の子のと、とも、友達が……さささ、三人も。しかもた、他校だと」


 父さんは父さんで手に持ったコップが震えていた。二人とも動揺し過ぎだろ。


「そりゃあ高校生にもなったら女友達の二人や三人くらいはできるさ」


「小学、中学と女の子からバレンタインチョコを貰えずに泣きながら帰ってきてたあの修にか」


「同級生の女の子から相手にもされなかった修に、他校の女友達だなんて……」


「だから俺は変わったんだって」


「運動会のダンス種目の時に、次が好きな女の子と踊れるってところで音楽が止まって悔しがっていた修についに春が来たんだな。父さんは嬉しいぞ」


「これはもう我が家の大ニュースねお父さん! 卒業アルバムに集合写真以外で女の子と写ってる写真が一枚もない修に奇跡が起きたわね」


「喜ぶのと同時に俺の苦い思い出を暴露するシステムやめてくんない?」


 運動会のエピソードと卒アルのことなんて、すっかり忘れてたわ。むしろ親の方がよく覚えているという……。


「それで修、その三人の中で好きな人はいないのか?」


「いると言えばいるかな。高校の間に彼女にできたらいいなぁとは思ってる」


「修の好きな女の子ってどんな子なのかしらね。その内、家に連れて来なさい」


「まぁ機会があればね。きっと父さんも母さんも気に入ってくれると思う」


「父さんも学生時代の頃はいっぱい遊んだものだよ――」


「じゃあ俺、問題集やるから」


 俺は逃げるように自分の部屋へと戻る。父さんのあの言葉が出た時は、話が長くなるのだ。いちいち聞いていたら問題集をやる時間がなくなってしまう。それにしても二百八十三ページか……めんど。




 完徹覚悟で取り組んだ問題集は無事、一晩で終わらすことに成功した。


 正直、眠気との戦いであった。いよいよ眠気がヤバかった時は近くのコンビニまでエナジードリンクを買いに行き、それを飲みながら問題を解いた。


 それにしても、さすが十代の身体。徹夜しても身体がしんどいということはなかった。二十代後半の時は正直、徐々に徹夜ができなくなっていた気がする。あの時も同じように思った筈だ。十代の時は徹夜でゲーム、徹夜でカラオケとか普通に余裕だったなと。


 そして朝、テーブルに解き終えた問題集を置いた際に、母さんは信じられないといった様子だった。だが、その日の夕食後に行った答え合わせで本当に最後まで終えている事実を知った母さんは、それはそれは驚きを通り越して逆に俺が何か変な物でも食べたのではないか、変な薬でもやっているのではないかと病院に電話しそうになったほどだ。


 なにはともあれ、答え合わせの結果は満点ではないにしても母さんの想像を遥かに越えた優秀な得点を残した為、約束通りバイトの許可が下りる運びとなった。


 親の許可を無事獲得した俺は、中村さんにバイトの件について電話をかける。


『もしもし、俺だけど。とりあえず親からバイトの許可貰ったからバイトやるよ』


『許可貰えたのね、了解よ。ちょうど明日バイトが入ってるから店長に話しておくわね』


 ん? 店長? 


『それと楠川、あんた自転車持ってる? さすがに歩いていくのは大変だから自転車があった方がいいわよ』


『そうなのか。じゃあ明日折りたたみの自転車でも買っておくよ』


『ん、じゃあ面接とかの詳しいことはまた明日連絡するから』


『了解』


 一瞬、なにか引っかかったような気がしたが、まぁいっかと流す。どうせ大したことではないだろう。


 バイトまでの準備が着々と進行していった。




 

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