第27話 第一条件クリア



 中村さんの言葉に全身を雷で撃たれたかのような衝撃が走った。その瞬間、俺の意識は別の方へと向いた。


 彼氏……彼氏? えっ、彼氏? 彼氏って恋人の男を指すあの彼氏? 朝倉さんって彼氏いたの? あれ……前の時そんな話聞いてたっけ? もしかして俺が忘れてるだけなのか……もう一年以上前のことだしあんまり記憶ないけど。そもそも朝倉さんが話題に出してないだけで、実はこの時期に彼氏が居たとか? 現に中村さんが今、彼氏の誕生日って言ってたし……。


 脳の中を彼氏という二文字に埋め尽くされる。支配される。グルグルと頭の中を駆け回る。さらに脳のポンコツ具合に拍車がかかった。いつしか彼氏という文字に手足が生え踊り出す。サンバにタンゴにジャズにフラメンコ。脳内彼氏舞踏会の開催だ。祭りだ、祭りだ! 彼氏祭りじゃーい! こんなの飲まずにいられるか! 


 俺は無意識に手に取った無糖のコーヒーを口に運ぶ。


 苦ぁぁぁぁあああああ――――――い! さっきまでの美味しいアイスコーヒーが嘘のような苦さ。何だこのアイスコーヒーは! 苦みが倍増どころの話じゃない。誰か俺のアイスコーヒーにストリキニーネでも入れやがったな!


「もう、違うから」


 朝倉さんの言葉に俺は目の前で風船をパンッと割られたかのように、ハッと意識が正常に戻った。


「彼氏でも何でもないから。ただの幼馴染でしょ」


「幼……馴染?」


 イントネーションが変になってしまった。


「幼馴染ね。楠川君、今発音がおかしかったよ」


 そう言ってクスクスと笑う朝倉さん。中村さんに限っては何やらずっと笑いを堪えているような雰囲気だった。


「和美も変な事言わないでよね」


「いやぁごめんごめん。そうだった、幼馴染だったわ。つい言い間違えちゃった」


 どうやったら彼氏と幼馴染を言い間違えるのか。絶対わざとだな。


「じゃあ朝倉さんは今彼氏はいないの? 好きな人とかも?」


「好きな人も、彼氏もいないよ。そういうのまだよく分からないし」


「勿体ないねぇ~莉奈モテるのに。まぁあたしとしても莉奈にはちゃんとした男と付き合って欲しいけどね。変な男はあたしが片っ端から潰す」


「やべー守護神がいるな……」


「当たり前でしょ。莉奈はあたしの大事な友達なんだから」


「もういいでしょ、その話は。私ちょっとお手洗いに行ってくるね」


 朝倉さんは席を離れるとトイレの方へと歩いて行った。


「はぁ…………」


 心の底からの安堵から深い溜息が出た。良かったぁ~ホントに良かったぁ~。心臓に悪過ぎる。彼氏と聞いた瞬間、頭がどうにかなりそうだったわ。というか、どうにかなってたわ。何だよ彼氏祭りって。気持ち悪いわ!


 溜息の後、俺の脳内を狂気のカーニバルにした元凶である中村さんに向け怒気を含めた視線を送る。しかし、そんな視線を物ともせず中村さんは頬杖をついて俺と視線を合わせてきた。


「楠川さぁ、莉奈の事好き過ぎでしょ」


 たったその一言で、俺の怒気を含んだ獲物を狙うライオンのような視線が一変して小動物のような弱々しい視線へと変わった。図星を突かれ目が明後日の方を向く。


「な、なんのことだか」


「今更、誤魔化さなくていいから。楠川の態度と表情見てたら分かりやす過ぎ。誰がどう見ても気づくっての」


「ぐっ……」


 これ以上誤魔化すのは無駄な抵抗だと悟った俺は開き直ることにした。


「あーあーそうだよ。好きだよ、好きです、好きなんです。悪いか」


「別にぃ。でもあんたが莉奈をねぇ~生意気な」


「つか中村さんも俺が朝倉さんのことを好きだと気付いたうえで、あんな彼氏の誕生日とか言ってくれちゃって、随分といい性格してるじゃないか。こうやって俺にチャンスを与えてくれたにも関わらず」


「仲良くなりたい、それ以上は望んでないって言ったからセッティングしてあげただけよ。まぁお姉ちゃんの件のお礼って意味も含まれてるけど。でも恋愛感情があるなら話は別」


 中村さんはハニーミルクラテを一口飲み話を続ける。気づけば中村さんの表情はさっきまでのニヤけた表情ではなく真剣な表情に変わっていた。


「だって冷静に考えておかしいじゃない。あんた、莉奈とは面識ないはずでしょ? どこで名前と学校の情報を聞いたかは知らないけど、急に現れて莉奈と友達になりたいだなんて怪しいと思わない?。仮にその時点で既に莉奈に対して恋愛感情を持っていたとしたら、面識がないはずの莉奈の何を、どこを好きになったのよ」


 痛い所を突かれてしまった。俺自身は様々な出来事を経験して朝倉さんの内面を全てじゃないにしても理解して、総合的に判断して好きになった。でも、中村さんからしてみれば見ず知らずの男が急に朝倉さんと友達になりたいだの、恋愛感情マックスの状態で接していたら不審に思っても仕方がない。


「この際だから言っておくわ。あたしは男が嫌いなの。特に軽い男は一番嫌い」


 なんだろうこの感じ……今の中村さんは今までの俺とどこか似ている部分があるよな気がする。女は嫌いだと言っていたあの頃の俺と。もしかしたら、中村さんも男関係で何か辛い出来事を経験しているのだろうか。でも完全に男が嫌いというわけではなく、俺と同じように口では嫌いと言いつつも非情になりきれていない自分がいる。それとも中村さんの中でここまでなら関われるみたいな線引きが成されているのか。


 とはいえどれも推測の域を出ない。中村さんを理解するにはあまりにも関わった時間が少な過ぎる。


「もしあんたが莉奈を、ただ見た目が良いからってだけで好いてるだけならあたしは許さない」


 否定したい所だが、否定して中村さんを納得させられる材料がない。


「じゃあなにか? 俺が決して朝倉さんを見た目で好きになったわけではないと。俺の恋心が中村さんを納得させられる程のモノであれば良いと。そういうことか?」


「まぁとりあえずはそうね。でも言っとくけど、さっきの彼氏っていうのは冗談だけど、彼氏になれる可能性が今のところ一番高いのは莉奈の幼馴染よ。莉奈はあー言ってたけど、付き合いの長さで言えば楠川はだいぶ不利だと思うわね。いつ何をきっかけに意識するか分かんないんだから」


「ふん、そんなもん今から挽回してやるさ」


 強がってはみたものの、正直不安である。幼馴染かぁ……強敵には違いない。というか、今回なんか障害が多くない? 夏休みまでに例の男共との接触を阻止し、中村さんを納得させ、どんな人かも分からない幼馴染に勝たなくてはいけない。もしかしてこの高校三年間はバグってハードモードみたいになった?


「なら来月にある莉奈の幼馴染の誕生日会、一緒に参加してみる? 好敵手になるかもしれない人がどんな人か一度見ておく必要があるんじゃない?」


「えー……どうしようかな。でも俺部外者じゃん」


「一人が嫌なら、この前一緒に高校に来た友達を誘ってみたら?」


「太一か。まぁ太一がいれば多少は気が楽かな」


 太一なら誘えば喜んで参加するだろう。


「でもその幼馴染の人は嫌がるんじゃないのか? 部外者が二人も参加したら」


「あいつなら大丈夫よ。そういうの気にしないから」


「二人とも何の話してるの?」


 朝倉さんがお手洗いから戻ってきた。


「楠川も来月の誕生日会参加したいんだってさ」


「ちょ、まだ参加するって断定してないだろ」


「そうなの? 私は全然良いよ。人数が多い方が楽しいと思うし」


 朝倉さんに言われると即決で参加します! と元気よく挙手したいところだが、流石に急な話ではあるし、太一にも話をしてから返事をしたい。


「ちょっと太一に聞いてから参加の有無を決めるでもいい?」


「わかった。もし参加するなら、私か和美に連絡してくれる?」


「えっ……それって」


 すると朝倉さんが携帯を取り出し、連絡先の表示された画面を見せてくれる。ここにきて自然な流れの連絡先交換イベント。第一条件がクリアされた瞬間だった。まだスタートラインに立ったぐらいの成果だが、めちゃくちゃ嬉しい。一人だけの空間なら飛び跳ねて喜んでいるところだ。


「ほら、和美も携帯」


「あたしも? 仕方ないわね」


 そしてついでに中村さんの連絡先もゲットした。


「じゃあ分かったら連絡してね」


「莉奈、あたしらはそろそろ行こうか。じゃあね楠川」


 おやおや、てっきりこのまま一緒にプレゼントを買いに行ける流れかと思ったが、そんなに甘くはなかった。

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