第22話 中村和美 ①
入学式までの五日の春休みを使い果たし、何の成果も得られないまま高校生活がスタートしてしまった。五日の間に起こった出来事といえば、美人なお母さんとその可愛い娘の穂花ちゃん、そして背後から俺の頭に殺人踵落としをかましてきた和美とかいう女の子と遭遇したことぐらいだ。
入学式が無事終わり、学校の玄関横に張り出されたクラス分けの紙を確認することなく、俺は自分のクラスへと向かう。自分のクラスの教室はもう把握済みである。教室のドアを開けると、本来であれば初めて見る顔がほとんどの生徒ばかりで緊張するものだが、もう九回目である。俺にとっては初めて会う生徒などこの教室には一人もいない。下手すると自分の家族以上の時間を共に過ごしているかもしれないので、もはや家族と言っても良い。
その家族とも言うべきクラスメイトの中で最も特別な友、古賀太一は自分の席に座って大欠伸をしていた。短髪の頭をボリボリと掻きながら、朝から気怠そうな感じは相変わらずである。この時はまだ身長が俺より少し高いぐらいで、筋トレをしていない身体はほっそりとしていた。
「おはよう太一」
「よぉくっすー、また三年間よろしくな」
「あぁよろしく」
今の太一を見ると、やはり八回目の高校生活三年目の太一のことを思い出す。一度も会っていないとはいえ、あの太一も朝倉さんが亡くなったニュースは知っていたはずだ。どんな気持ちだっただろうか。男達に重傷を負わされてもいた。今思うと太一にはめちゃくちゃ助けられていた。太一には必ず恩を返す。俺は心の中でそう誓った。
「それでよぉくっすー、お前が春休みに言ってた朝倉莉奈だっけ? 結局わかったのか? くっすーから女の子の名前が出るなんて珍しいから、めっちゃ気になってたんだよな」
「あ、あぁ。なんか清風高校っていう学校に通ってる女の子らしいんだ。太一は間違いなく一目惚れすると思うぞ」
「俺が一目惚れって……まるでその子の顔を知ってるみたいな言い方だな」
やべっ。つい話が先走ってしまった。
「いや、なんとなくだよ。なんとなく太一が一目惚れしそうなオーラが名前から出てると思わないか?」
「いやまぁ確かに名前は可愛いとは思うが、だが! 俺が女の子なら誰にでも惚れると思ったら大間違いだぜ」
大間違いじゃない。太一、お前は惚れるんだよ! 写真を見ただけで朝倉さんに惚れてしまうような奴なんだ! そう思い切り突っ込みたいのを我慢して話を続ける。
「それでさ、今日入学式だから学校は昼までじゃん? 放課後に、ちょっと清風高校に行かないか?」
「おいおい、高校初日からさっそくその朝倉莉奈って女の子を狙いに行くってのか? 高校はガツガツ肉食系でいくってか。モテない反動がいよいよ抑えられなくなったんだな。そういうことならいくらでも付き合ってやるぜ。くっすー、お前の高校デビューは俺がしっかりサポートしてやる」
「そんなんじゃない」
親指をグッと立て、俺に任せろと言わんばかりの笑顔を向けてくる。人がせっかく一年早く朝倉さんに会わせてあげようとしているのに、今に見てろ。俺に感謝してもしきれない程のありがたみを直ぐにでも感じさせてやる。
十時三十分には全ての日程が終わり、俺と太一は清風高校を目指し駅へとやってきた。ネットで清風高校の場所を調べたら、どうやら桜野丘高校がある場所よりもう一駅走った所にあるらしい。おかげで電車での到着が桜野丘高校の場所よりも十分遠く四十分掛かってしまった。
駅周辺も街中というよりは閑散とした雰囲気の漂う場所だった。駅から出て陸橋を渡り、歩道を歩いて行く。道中、入学式終わりの学生であろう人達とすれ違う。
「なぁくっすー。今更言っても遅いが、来たはいいけど向こうも入学式なら帰ってるかもしれないぞ」
見落としていなければだが、一応すれ違う生徒の中に朝倉さんの姿はなかったと思う。
「まぁ今日が駄目なら、また日を改めて来るさ」
「えらく必死だな。どんだけ女の子に飢えてるんだよ。つか、その子の顔知らないのにどうやって見つける気だ?」
「聞き込みすればいいだろ。朝倉莉奈って人いますかって」
「もはやストーカーだな」
ストーカー……か。ふっ……言い得て妙だな。前回はストーカーまがいだったのに、今回は完全なストーカーになってしまっていた。良いんだ別に、ストーカーだろうがなんだろうが手段を選んでられるか。
ナビに従いながら歩き続けること十五分、清風高校の校舎が見えてきた。
「もう! せっかく午前中には帰れる日程だったのに部活の勧誘のせいで遅くなっちゃったじゃない!」
「和美、色んな所から勧誘されてたね。陸上部に空手部に柔道部、体操部とテニス部」
「あとなぜか、ホッケー部とゲーム部。あたしは部活なんてやってる暇ないっての! 高校では隠れてバイトするって決めてるんだから」
「でも和美、せっかく運動神経良いんだから勿体なくない?」
「いいのいいの。あたしは部活よりも家族の方が大事だから」
すると、女の子が二人並んで歩いて来るのを発見した。そしてその内の一人の女の子を見て、俺は涙が出そうになった。唇を噛み、溢れそうになる涙をグッと堪え女の子を見つめる。そこには元気に歩いている朝倉さんの姿があった。茶髪のボブヘアに、女子高生とは思えない大人のお姉さんという感じの雰囲気、それでいて可愛さも兼ね備えた俺の最愛の女の子。
会いたかった。この瞬間をどれだけ待ち望んだことか。今にも走り出したくなる衝動を抑えじっと見つめる。
「そういえば家族で思い出したんだけど、春休みに超ムカつくことがあったんだよね」
「何があったの?」
「ウチの穂花にぶつかった奴がいてさ、そいつに全力の踵落としをお見舞いしてやったんだけどケロっとしてんのよ。何かしました? みたいな感じがもー腹立つわ」
「和美、暴力は駄目だよ。でもその人も凄いね、和美の攻撃を受けて平気だなんて」
「いつか会ったら今度こそ――って……あー! あんた!」
「げっ! お前!」
朝倉さんを見つめるあまり隣の女の子に気付かなかった。改めて見れば、春休みに遭遇した和美とかいう女の子ではないか。こいつもこの高校の生徒なのか。
「ん? どうしたくっすー? もしかしてその人が朝倉莉奈なのか?」
「おい太一、言葉に気をつけろ。この女と朝倉さんを一緒にするんじゃない。失礼だろ」
「なんですって! あんたのが失礼でしょうが!」
「あのー朝倉莉奈は私だけど……」
朝倉さんはおずおずと手を挙げた。
「あ……あぁ……あ、あなたが朝倉……莉奈……う、美しい……」
朝倉さんを視界に捉えた太一が気絶するかのように後ろに倒れた。予想通りの反応である。前回は遠くから手を振ってもらっただけで倒れる程だ。今回はこんな至近距離で初お目見えともなればその刺激は太一にとっては計り知れない。きっと太一は何回繰り返しても同じ反応をしそうだ。
「ていうか、何であんたがここにいるのよ! それに何で莉奈の名前を知ってるわけ?」
「莉奈って、お前まさか友達なのか?」
「そうよ。中学からの友達。で、まさかなに? 莉奈を目当てに来たとかじゃないでしょうね? 名前と学校をわざわざ調べて、このストーカー! 変態! やっぱり男なんてろくなもんじゃないわ」
「ち、違う! 俺はただ――」
その先の言葉が出て来ない。朝倉さんを早く見つけたかったが為に、いざ出会ってからの対応を考えていなかった。
「ただ――なによ?」
何か、何でも良い。言葉を早く繋がなければ怪しまれてしまう。いやもう十分怪しいか。
「ただ……と、友達になりたくて……」
「友達? ははーん、友達になってあわよくばお付き合いできればみたいな感じかしら?」
なんとか絞り出した言葉を嫌な方に解釈されてしまった。こいつ……余計なことを言うんじゃない。
「莉奈? そんな感じらしいけどどうする?」
「えっと……友達は間に合ってるかな……あはは。それとお付き合いとかはごめんなさい。私そういうのよく分からなくて……」
んなぁあああああ! こ、この和美とかいう女のせいで朝倉さんにフラれてしまったぁぁあああああ! 俺と朝倉さんは相思相愛だったのに! 最悪だ!
「じゃあそういうことだから。二度と莉奈に近づくんじゃないわよ」
「あ、なんか、ごめんなさい」
そして二人は俺の横を通り過ぎ帰って行った。
俺はその場に膝から崩れ落ち、魂の抜け殻のような状態になってしまった。
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