第19話 決断



 ひんやりと冷たいコンクリートの感触が俺の頬に伝わってくる。九月ともなれば真夏の時と比べると朝の気温が割と過ごしやすいものになっているような気がするのだが、今日はいつも以上に時間をかけて通学してきたので学校に到着する頃には汗が滲んでいた。火照った顔を冷やすのに丁度良かった。あー気持ちいい。


 次々と目の前を通り過ぎる学生たちが、俺の様子を奇異の目で見てくるが全く気にしない。見たけりゃ好きなだけ見たらいいさ。


「…………」


「…………」


 正門前で横たわっている俺に気付いた太一が、俺の前で歩みを止めた。


「…………」


「……何してんだくっすー?」


「…………おはよ、太一」


「いや、おはよじゃねーわ! 何があったらそんな状態になるんだ!?」


「もう終わりだよ……この世の終わりだよ……俺はこのままコンクリートと同化してコンクリートとして生きていくんだ……」


「昨日より悪化してるじゃねーか……とりあえず立てよ。教室行くぞ」


「……教室はヤダ……保健室が良い」


「贅沢な奴だな。つか授業サボるつもりだな」


 俺は太一の肩を借りてなんとか起き上がり、ほぼ引きずられるような感じで教室まで運ばれていった。



 保健室に着くとまだ保健の先生は不在であった。俺は介抱される廃人のように太一に椅子へと座らされた。椅子から半分お尻がずり落ちた状態ではあるが、背中と首のおかげで、かろうじて落下を阻止することができている。


「そういえば太一、昨日は助かったよ……ありがとう」


 その姿勢のまま俺は太一に昨日助けてもらったお礼を口にした。感謝を述べているのに姿勢が最低なせいで、せっかくの謝辞が台無しである。


「助けたはずのくっすーが、今の状態を見る限り助かってないんだが。あれから何があったんだよ?」


「……話したらまた泣いてしまうかもしれない」


「くっすーが泣いたら俺の胸で抱きとめてやらぁ」


「……いやいい……固そうだし」


「なんだよ人の優しさを。あれか、莉奈ちゃんの胸の中の方が良いってか?」


「……朝倉さん……くふぅ……」


 太一が朝倉さんの名前を出した瞬間、俺の顔は梅干しのような表情になっていた。思い出したくない記憶が鮮明に蘇る。


「莉奈ちゃん絡みか。まぁそりゃそうか、昨日の今日だしな」


「俺……もう朝倉さんに会えないんだ。いや厳密にはあと一回しか会えないんだよ」


「どういうことだよそれ? 莉奈ちゃんと喧嘩でもしたのか?」


「……喧嘩じゃない。というか太一ももう会えないぞ」


「え? 嘘だろ?」


 俺の言葉に太一が動揺を見せた。動揺するのも無理はない、突然太一も朝倉さんには会えないと聞かされたのだから。気持ちは痛いほど分かる。


「なぁ冗談だろ? 俺たちせっかく知り合って仲良くなったんだぜ? そんな急に」


「……今の俺がそんな冗談を言うとでも」


「マジなのか?」


「……マジ……うぐぅ……」


「あばばばばばばば」


 俺の身体は椅子からずり落ち、太一はその場で倒れてしまった。高校生二人が床に死体のように転がっているという悲惨な光景がそこにはあった。


後々、俺は昨日あったことを太一に説明した。朝倉さんの過去について全て。朝倉さんがどういう高校生活を送っているか、なぜそのようなことになったのか、そして朝倉さんが今後についてどういう選択をしたのか。ついでに、俺は朝倉さんが好きだと気付いたことを。


「なんだよそれ……ふざけんなよ! 理不尽過ぎるにも程があるだろ! なんで莉奈ちゃんがそんな酷い目に遭わないといけねぇんだよ!」


 俺の説明を聞いた太一が怒りを露わにし、ベッドを思い切り殴った。


「あいつら、もっと痛めつけておくんだったぜ……あと百発殴ったって足らねぇよ」


「さすが太一だな。二対一でも勝っちゃうなんてな」


「それで? どうするんだよくっすー、お前はどうしたいんだよ?」


「そんなの朝倉さんを助けたいに決まってるだろ。でも――」


 だが今の俺に何ができる? 学校も違う、住む場所も違う、太一みたいに喧嘩が強いわけでもない。俺と朝倉さんはお互いに相手をこれ以上危険な目に合わせたくないという思いから会うことは避けざるをえない。きっと今あの男達の中では警戒レベルが最大値になっているだろう。しばらくは外を歩くときは視界に入る人全員敵だと考えた方が得策である。花火大会の時のように。どこで、誰に目撃されるかわからないからだ。


「できることがないんだよ」


「確かに話を聞く限りじゃあ、今はどうしようもねぇな。でもよぉ、会えなくても連絡ぐらいはできるんじゃねぇのか?」


「そう思って朝メッセージを送ってみたんだよ。けど既読がつかないんだ」


「連絡のやり取りをして会いたくなるのを避ける為だろうな」


「朝倉さん……大丈夫かなぁ……」


「あぁ、めちゃくちゃ心配だな」


 俺と太一は今日一日、悶々とした気分で学校を過ごした。



 次の日、太一が風邪で学校を休んだ。太一が高校に入ってから初めての病欠である。珍しいこともあるもんだと思い、明日太一が学校に来たら思い切りからかってやろうと心に決めていた。


 だが、その次の日も、また次の日も太一は風邪という理由で学校を休んでいた。携帯で連絡するも「なかなか治らなくてよぉ。まぁ心配すんな」と言うばかりだ。そして四日目も太一は休みだった。


 いよいよおかしい。ちゃんと病院に行って薬を飲んで、しっかり休息を取ればこんなに風邪が治らないわけがないのだ。変な病気に罹ってしまったのだろうか。太一も朝倉さんロスになって精神的に病んでしまったのだろうか。とりあえず心配になった俺は学校終わりに、太一の家へお見舞いに行くことにした。


 太一の家は二階建ての極々どこにでもある一般的な家だ。玄関のドアは鍵が掛かっていたので、俺はチャイムを鳴らした。しかし、家の人が出てくる様子はない。両親はまだ仕事で帰ってないのだろうか。再びチャイムを鳴らすが、やはり誰も出て来ない。俺は太一に電話を入れることにした。


『もしもし太一? 俺だけど、今太一の家の前にいるんださぁ~お見舞いに来た。飲み物とか栄養ゼリーとか色々買ってきたんだ。家に居るんだろ? 開けてくれよ』


『わざわざ悪いな。でもまだ風邪が治ってねぇんだわ。くっすーにうつしても悪いし、俺は大丈夫だから気にしなくてもいいぜ。もし学校の配布物か何かがあるなら玄関の前にでも置いててくれればいい』


『なぁ太一? ホントに風邪なのか? こんなに治らないなんておかしいだろ。何か隠してるんじゃないのか?』


『いやいやホントに風邪なんだって。けっこう強力な風邪っぽくてな、熱が上がったり下がったりの繰り返しでさ、馬鹿は風邪引かないって言うが、俺は馬鹿じゃなかったってことだな』


『いや太一は馬鹿だろ』


『んだとコラ――痛っ!』


 電話越しで太一が呻き声をあげた。


『え? 太一、痛ってなんだよ。お前怪我してるのか?』


『あーいや、今のは頭痛だよ。頭が痛くてな』


『じゃあカーテン開けて顔出してみろよ。それなら俺に風邪もうつらないだろ。俺だって太一がホントに風邪だと分かれば納得して帰るから』


『ホント大丈夫だからよぉ。明日には学校行くから』


『太一!!』


 頑なに平気を装う太一に若干の苛立ちを覚え、俺は声を張り上げていた。


『……わかったよ。今から玄関を開けるから待ってろ』


 しばしの沈黙の後、観念した太一が玄関を開けに下へ降りて来た。鍵を開ける音が聞こえ玄関のドアが開かれた。


「……よぉ」


 俺は太一の姿を見て愕然とした。頭には包帯が巻かれ、顔や左腕には至る所に青い痣ができており、右腕は白い三角巾で固定されていた。


「……どうしたんだよそれ……何でそうなってるのを隠してたんだよ……」


「ただでさえ、傷心中のくっすーに、これ以上心配かけたくなかったからな」


「ホント……大馬鹿だよ太一は」


「まぁ上がれよ」


 俺は太一の家へと上がり、部屋へ案内される。太一はベッドに座り、俺は床に座った。部屋には家具以外にダンベルやウォーキングマシンといった筋トレ道具が置かれていた。


「その怪我、あいつらにやられたのか?」


「まぁな。ひでぇ有様だろ、これでもだいぶマシになった方なんだぜ」


「でも太一は一回二人に勝ってるじゃないか」


「今回は向こうの人数が多かったんだよ。一人対十五人だぜ、そりゃあ無理って話だ。おかげでサンドバック状態だったな。こっちは身を守るのに必死で結果的には亀のように蹲ることしかできなかった。ダセェよな」


 ははっと笑う太一だったが、聞いている俺としては全く笑えない。朝倉さんだけでなく今度は太一まで。しかもこんなにボコボコにされて……俺は頭から飲み物をかけられただけだというのに。


「下校中に襲われたのか?」


「いや、翔真から助けてくれって連絡があってよ。翔真の奴俺に莉奈ちゃんが危ないかもしれないってことを連絡してきたから、そのことで二人に痛めつけられたらしくてさ。それで俺を呼べって命令されて、翔真がいる所に駆けつけたら集団が居たってわけだ」


「じゃあ太一は翔真って人に嵌められたってことか?」


「悪く言えばそうだが、だが俺は別に翔真を恨んではねぇよ。後から泣きながら謝ってきたし、あいつもこっ酷くやられてたからな。あの場合は仕方ねぇよ」


 どこまでも太一はお人好しだ。自分がそんな目に遭っても友達を悪くは言わない。だから俺は太一とずっと親友をやっているのだろう。確かにあの翔真って人が悪いわけではない。俺も朝倉さんも太一も、その翔真って人も学校の人達も全員があの男二人とその仲間たちに苦しめられている。あいつらが全ての元凶、存在が罪の害悪。


 こうやってどんどん被害が広がっていく。大切な人が傷ついていく。腸が煮えくり返りそうだ。


「なぁ太一、この前俺にどうしたいかって聞いてきたよな」


「あぁ」


「俺今ようやく分かったわ。俺は朝倉さんが好きだし太一、お前も大事な親友だ。だから高校卒業したら三人で遠くに行こう。あいつらが追って来れない程遠くに」


「遠くにって、金はどうするんだよ」


「俺がバイトして貯める。三人分な」


「いや待て待て、俺一人暮らしとかできる自信ねぇよ。料理とかできないし」


「心配するな。最初はルームシェアすればいいんだよ。三人で働きながら三LDKのアパートにみんなで暮らすんだ。で、生活が落ち着いてきたら、太一は一人暮らしをする」


「なんか後半さらっと酷いこと言ったぞ。でもくっすーは大学は行かないのか? 俺は行ける頭がないから高卒で働くのは別にいいんだけどよ」


「行きたきゃ社会人になった後でも行けるさ」


 それに俺は社会人を経験して身に染みて分かったことがある。学歴が全てではないと。勉強して良い大学に通って良い会社に入ることが必ずしも幸せとは限らない。良い会社=自分に合った会社とも限らない。社会人になってから自分がやりたいことが見つかることもあるのだ。


「まぁでも何だか楽しそうだなそれ。その話乗ったぜ。そうと決まれば俺ももっと身体を鍛えないとな。このザマじゃ莉奈ちゃんを守れねぇ」


「俺も早速、バイト探しするか。ウチの高校バイト禁止だからな、見つからないように隠れてできるバイトを探そう。確か何個か候補はあるんだよな」


 今後のプランで話が盛り上がる俺と太一。久しぶりにお互いに心の底から笑い合うことができた。

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