第14話 花火大会



 アイスを食べ終わり、残す買い物は折りたたみチェアの購入だけとなった。メモに書かれたホームセンターを目指し再び歩き始める。


「あちー……これ気温が三十五度くらいあるんじゃないのか?」


「そうだね。アイスを食べて少しは涼しくなったのに、歩き始めたらやっぱり暑いね」


「これホームセンターに着く前にバテそうだな。このうちわ使っちゃおう。どうせ家で使う用だろうし。はい、朝倉さん」


「ありがとう楠川くん。はぁ~涼しい。うちわを仰ぐだけでも全然違うね」


 朝倉さんがパタパタとうちわで顔を仰ぐ。うちわの風で髪がなびき、少し汗ばんだ顔が逆に色っぽく感じる。


 何で夏はこんなに暑いのだろう。水温の三十五度は温いもしくは冷いぐらいなのに、気温の三十五度はめちゃくちゃ暑い。しかも、最近のこの暑さは九月になっても続く。今の春夏秋冬はこの気温のせいで、昔に比べ夏と冬の期間が異様に長く感じる。暦と気温の季節が合っていないのだ。このままでは暖かい気温の時期がかなり短くなってしまうのではなかろうか。全く困ったものである。


 そうそう、困ったといえば最近俺も大変困っていることがある。今、季節の話を出したのだが、俺の悩みは季節の話とは全く無関係だ。では俺が今一体何に困っているのか。それは――――俺の中で朝倉さんが可愛いという感情が生まれてしまったということだ。


 困った、非常に困った。これは由々しき事態である。少し前の俺は女嫌いだった。それが女の子に冷たくできない俺になり、朝倉さんは嫌いの対象ではない俺になり、そして朝倉さんが可愛いと思い始めた俺になってしまった。挙句の果てには女女言っていた俺が女の子と言葉が変わってしまった。もうね自分でもドン引きだよ。手の平返しの速度が半端ないよ。


 そんなことを考えていると、あっという間にホームセンターについてしまった。


 再び天国の空間に入っていく。


「折りたたみチェアもいっぱいあるね。どれにする?」


「まぁそんな頻繁に使うわけではないだろうし、安いので良いだろ。とりあえずこの千五百円ぐらいのを二脚にしよう」


 さくっと選びお会計を済ませる。そしてお買い物は無事に完了した。結局お金は半分くらい残ってしまった。


 時間も良い時間になったので帰路につくことにした。


 ホームセンターを出て少し歩いていると、人の数もそこそこに増えてきており、その中でもある服装をした人達が一際目立つようになっていた。


「なんだか浴衣を着て歩いている人がいっぱい居るね。どこかでお祭りでもあるのかな?」


「さぁ~? 何かあったっけか」


 俺は携帯で今日の日付でお祭りの検索をしてみた。すると、どうやら俺の住んでいるこの地域の花火大会が今日であることが分かった。


「あーここの花火大会が今日だったのか。すっかり忘れてたわ。でもまぁ別に行かなくてもいいだろ。朝倉さん人混み苦手でしょ?」


「え? あ……うん……」


 うちわを仰ぎながら歩き出そうとしたその時、俺はあることに気が付いた。


 その場で俺たちが買った物が入った袋の中を改めて覗いてみる。フェイスタオル二枚、防虫スプレーが一本に汗拭きシートが一袋、折りたたみチェアが二脚、俺と朝倉さんが持っているうちわが二枚に、そしてあの意味不明な朝倉さんとの愛プライスレスという言葉。


「どうしたの楠川君?」


「ごめん、朝倉さん俺ちょっと電話してくる」


「うん、わかった」


 俺は朝倉さんから少し離れた場所まで移動し電話をかける。


『あら修、どうしたの?』


『母さんがくれたメモに書かれたこの商品、全部母さんが必要な商品じゃないな。まさかとは思うが、これで俺と朝倉さんに花火大会に行けってことか?』


『そのまさかよ。さすが修ね、突然勉強ができるようになっただけのことはあるわ』


『つか、俺がそれに気づかずに家に帰ってたらどうするつもりだったんだよ?』


『家に入れるわけないでしょ』


 俺の電話越しに悪魔がいる。


『修、朝倉さんとこの花火大会でしっかり心の距離を縮めなさい』


『いや何言ってんだよ』


『お母さんはね、修に仲の良い女友達ができて嬉しいの。その一方で、朝倉さんを逃さないか心配なの。あなた、ただでさえ女っ気がないんだからこんなチャンス二度と来ないわよ』


『さすがに二度と来ないは大袈裟だろ』


『大袈裟なもんですか! 小学校、中学校と、修はお母さん以外からバレンタインのチョコ貰ったことある?』


『やめろー! 俺の過去の深い傷口になんてことするんだ!』


 思い出すだけで身震いが。バレンタインなんていうモテない人間にとって、あれほど地獄なイベントはない。クリスマスとバレンタインなんて滅びてしまえばいい。


『それにお母さんにはあなたが独身のまま一生を終えてしまう未来が見えるの』


『そ、そんなわけないだろ~。ハハハ、何言ってんだよ母さん。未来の俺はモテモテだよ』


 嘘です。三十歳の正月にお餅を詰まらせて死ぬところでした。独身のまま孤独死するところでした。さすがは母親。息子の事をしっかり理解していらっしゃる。


『とにかく、修も男なら朝倉さんにしっかり積極的にアプローチしなさい。手を握ることもできないような意気地のないことじゃ駄目よ! そんなことじゃキスもできないわよ』


『キスぐらいとっくにしたさ』


『え! あら、嘘ホントに? なんだぁ修も意外とやるじゃない。はっ! もしかしてあのキャンプの夜に?』


『いや、さっき朝倉さんが齧ったアイスを食べて間接キ――』


『ピッ――』


 俺が言い終わる前に母さんに通話を切られてしまった。


 どうやら母さんの中では間接キスはキスではないらしい。まぁ確かにアイスのあれは間接キスというよりは間接歯形だしな。


 通話を終え、朝倉さんと合流する。


「お待たせ、ちょっと母さんに電話してた。それで急なんだけど花火見ていかない? 家に帰れない事情ができてしまって」


「事情? なにかあったの?」


「まぁ色々」


 母さんから朝倉さんとの心の距離を縮めろという指令が出て、家に帰れなくなっただなんて口が裂けても言えない。


「とりあえず花火を見るならせっかくだから屋台で食べ物でも買おうか。母さんは使っていいって言ってたし」


 実際は言ってはないが、花火大会に行け=使っていいということだ。だから多めに入れていたのだろう。


「人混みが苦手だったら俺がささっと買って来るけど」


「ううん、一緒に行く。少しの間なら平気だから」


「じゃあ行こっか」


 まだ花火が上がる時間までかなりあるが、屋台の方はちらほらと開店していた。そこでフランクフルト、焼きそば、リンゴ飴、ドリンクを二人分調達した。花火は俺が訪れた河川敷で上がるみたいなので、その近辺は人で溢れるだろうと予想し、河川敷からそこそこ離れた場所にある公園で見ることにした。


 案の定、人はあまり居なかった。公園からでも花火は見えるが、河川敷で見る花火より迫力に欠けてしまうだろう。それでも人が多い中で見るよりもこうして、遠くからゆったりと見る花火もそれはそれで良い。


「今日はかなり歩いたから疲れたな」


「うん、もう足がヘトヘトだよ。こんなに歩くとは思わなかったね」


「しかもこんなに荷物があったから余計にな」


 日中に買った商品と、屋台で買った食べ物を持ち歩いていたので体力がゴリゴリ削られてしまった。朝倉さんは食べ物を持てる範囲で両手に持っていたし、俺は朝倉さんが使っていた日傘を含めた残りの荷物を腕と手を駆使して持っていた。おかげで袋の痕が腕にくっきりと付いていた。


「一応ベンチがあるけど、せっかく買ったからこの折りたたみチェアを使おうか」


「あはは、傍から見たら変な光景だね」


「まさか母さんも公園で花火を見てるだなんて思ってないだろうな」


 俺と朝倉さんはベンチの横に折りたたみチェアを並べる。ベンチがあるのにあえて違う物に座るという何ともシュールな光景がそこにはあった。


 花火が始まるまでの間、汗でベトついた身体を汗拭きシートで拭き、買ってきた屋台の食べ物を食べながら会話をして過ごす。


 そして、花火が上がる時間となり次々と夜空に向かって巨大な花火が炸裂した。


「何回見ても花火って綺麗だよね」


「キャンプでやった花火もあれはあれで良いけど、やっぱり大きい花火には敵わないな」


 この距離でも伝わってくる迫力に俺と朝倉さんは空から目が離せなかった。


 俺はここで母さんとの電話のやり取りを思い出す。


 母さんは俺に手を握ることもできないような意気地のないことでは駄目だと言った。確かに俺は彼女ができた時、手を握る勇気がなく結局手を繋いだことはない。だが、今の俺は違う。手を繋ぐ以前に俺は朝倉さんを抱いまま崖から落ちたり、間接歯形をしたりと日々進化しているのだ。そんな俺からしてみれば手を繋ぐ程度のこと造作もない。母さんは俺を見くびっているようだが、それは見当違いであると証明してやる。


 俺は花火に夢中になっている朝倉さんの手を握ろうと手を伸ばした。じわじわと伸ばすその手はまるで、今まさにセクハラをしようと試みている気持ちの悪い手そのものだった。仕方ないのだ、握ろうと意識するとどうしても緊張してしまう。だが、もう少しで届く。


 朝倉さんの手まで残り数センチ。

 

 俺はスッと自分の手を自分の膝の上に戻した。


 やっぱ無理だぁ! 母さんの言う通り俺は意気地なしだ! くそー何で俺はいつもこうなんだ! あー何だか腹立ってきたぞ。この程度のこともできない自分に、母さんに見透かされたこの状況に。いいさいいさ、ここでどういう結果になろうが俺はやり直しができるんだ。見てろよ、やってやらぁ。


 俺は勢いに任せて朝倉さんの手を握った。


「え、なに? どうしたの?」


「あー今ちょっとした実験をしているんだ」


「何の実験?」


「それは言えない」


 握ってから五秒程経過した。


「あーなるほど、はいはい。わかった、ありがとう」


 言いながら俺が朝倉さんから手を離した瞬間、ガシッと朝倉さんに手を握られた。


「あれ? 朝倉さん?」


「私もちょっと実験」


「えっ? 何の?」


「秘密」


 そして朝倉さんに手を握られたまま十数秒経過するも、一向に離してくれない。


「朝倉さん? まだ結果出ないの?」


「まだ」


 それから更に数十秒経過した。


「えっと、もういいんじゃ……」


「まだ全然わからない」


 俺は耐えかねて朝倉さんの手から俺の手を抜こうとすると、朝倉さんが思い切り手を握ってきた。


 いたたたたたっ! 指が! 指がぁ!


 それでも何とか抜こうと力を入れようとしたその時、朝倉さんが俺の手が抜けないように俺の指に朝倉さんの指を絡めてきた。いわゆる恋人繋ぎである。


 その瞬間、俺の全身に電気が走りそして一気に力が抜けた。朝倉さんの手を握り返すことができない程に脳が破壊されていた。


 結局、花火が終わる時間まで俺と朝倉さんは手を握っていたのだった。

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