第12話 お礼
キャンプ二日目が終わった次の日、俺は布団の中で悶え苦しんでいた。
「ああああああああー!!! ぬぐぐぐぐぐぐー!!! ううううがぁあああー!!!」
枕に顔を埋め、足をバタバタさせたかと思うと、身体を右に左に転がし、そしてベッドから落下した。
今思い出すだけでも恥ずかしい、恥ずかし過ぎる! なぜあんな事を言ってしまったのか。つい熱くなってしまったというのもあるかもしれない。だが、もう死にたくなるほど恥ずかしい。死ねないんだけど。
『もし俺が朝倉さんの気持ちを変えてあげれた人間なんだとしたら、俺は朝倉さんの為に生きるから朝倉さんは俺の為に生きてくれ』
何だよこれ……まるで告白みたいじゃないか。いや全然そういうつもりで言ったのではないけど。朝倉さんが実は死のうとしてて本来ならもうなかった命だなんて言うから、その死ぬという気持ちを変えたのが俺なんだとしたら、その俺との出会いが無駄にならないように俺の為に命を捨てようとしないでくれという意味で言ったつもりなのだ。それで、その交換条件みたいな感じで、朝倉さんが生きてくれるなら俺は朝倉さんがもうそういう気持ちにならないように、朝倉さんの為に生きるという意味だったのだ。
だが、あの状況ではいちいちそんな事を説明している余裕はなかったし、朝倉さんを助けるというので必死だった。頭に浮かんだ言葉をそのまま伝えることしかできなかった。
コテージに戻ってからもお互いが身体の汗や汚れを落とす為シャワーを浴び、朝倉さんの傷の手当てをし、すぐに寝た。二日目も片付けやらで忙しかったし、寝不足もあったので家に着いてからはお風呂に入り、晩御飯を食べてからすぐに眠りについてしまった。そして現在に至るわけなのだ。
父さんと母さんと太一は俺と朝倉さんがそんな危険な目に遭っていたことは知らないが、二人で夜な夜などこかへ行っていたことは気づいていたようである。まぁコテージに着いてから色々とゴソゴソやっていたら誰かしら目が覚めてもおかしくはない。
「修、夏休みだからっていつまで寝てるの? もうお昼前よ。早く起きなさいよ」
部屋の外から母さんの声が聞こえてきた。だが俺は返事はせずに狸寝入りを決め込む。もう今日は一日抜け殻のように過ごすつもりでいるのだ。
俺は再びベッドに戻り、夢の中に現実逃避をしようとしたその時、部屋のドアがコンコンとノックされる。俺は反応しない。しかし、またドアがコンコンとノックされたので、俺は溜息を吐きドアを開けた。
「母さん、夏休みのたった一日くらいゆっくり寝かせ――」
「えっと……あの……楠川君、おそよー」
ドアを開けた先には母さんではなく、私服姿の朝倉さんが立っていた。白のTシャツにベージュのオーバーオールという女の子らしい服装をしており、肩からバッグを下げていた。
「えっ? 朝倉さん? あれ、何でここに?」
「ちょっと用事で来たら、楠川君のお母さんが息子を起こしてくれないかって言って……それで……」
俺はドアから顔を出し階段の方へ向くと、口に手を当てて明らかにニヤニヤとしている母親の存在を確認した。……やってくれたな。
そして、俺は今更ながら自分がみっともない姿で朝倉さんの前に立っているという事実に気付いた。お昼だというのにまだパジャマ姿、寝癖のついたボサボサの髪。
「と、とりあえず部屋に入って待ってて」
そう言って朝倉さんを部屋に入れた後、身なりを整える為着替えを出してから急いで一階に降りる。顔を洗い、歯を磨き、寝癖のついた髪はお湯で一度濡らした後ドライヤーで乾かす。
身なりを整え終わり二階に上がろうとしたところで、母さんが俺と朝倉さんの飲み物が載ったお盆を渡してきた。飲み物は冷たい紅茶だ。
俺はお盆を受け取りながら母さんに一瞥くれてやったが、母さんは明後日の方を向きながら口笛の吹き真似をしていた。顔が少し腹立だしかった。
お盆を持って部屋に戻ると、朝倉さんはテーブルの前に正座の状態で待っていた。
「ごめん。待たせた。ていうか、そんなにかしこまらずに楽にしていいよ」
「あ、そうだね。うん」
「足の具合はどう? まだ痛むのか?」
「痛みはもうないよ。傷はまだ治ってないけど、数日したら元通りになると思う」
「そっか、なら良かった」
俺はテーブルに紅茶の入ったコップを並べ、一つを朝倉さんの前に置く。
「どうぞ」
「ありがとう」
「それで今日はどうしたの? 用事で来たって言ってたけど」
「えっとね、これを渡しに来たの」
朝倉さんは足を崩し、鞄から可愛いラッピングのされた小さな袋を取り出した。そしてそれを俺に渡してくる。
「これは?」
「キャンプの時、私を助けてくれたでしょ? その後もコテージまでおぶってくれたし、傷の手当てもしてくれたし。だからそのお礼」
「そんな別にお礼だなんて。俺は当たり前のことをしただけだし。まぁでもせっかく持ってきてくれたし、ありがたく貰うよ。ありがとう」
「うん。楠川君は当たり前のことって言うけど、簡単にできることじゃないよ。私は凄く嬉しかった」
「開けていい?」
「どうぞ」
リボンを解き中を見ると、クッキーが入っていた。丸い形で様々な色や柄をしたクッキー。
「これって、もしかして手作り?」
「うん」
俺は袋の中からチェック柄のクッキーを一枚取り出し口に運んだ。サクサクとした食感と、プレーンとココアの味が口の中を支配し、今まで食べてきたクッキーの中で一番美味しかった。もしかしたら朝倉さんの手作りという情報も、美味しさを際立てている一因であるかもしれない。
「……美味い」
その瞬間、俺は自分の目に涙が滲んでいることに気付いた。お礼とはいえ女の子から手作りの物を貰ったのは生まれて初めてだったからだ。彼女が居た時に貰った物は手作りではなくお店で購入された物だったし、そういうイベントがある前に別れていたりしたこともあり、こういう手作りの物を貰ったという事実は俺の心に何かグッとくるものがあった。
「えっ! 楠川君、何で泣いてるの!? もしかして、美味しくなかった?」
「あ、いや、これは違うんだ」
慌てて涙を拭う。
なんてことだ、また涙を見られてしまうなんて……俺の涙腺はゆるゆるなのか! 五十一年分の反動が大き過ぎる!
「味は凄く美味しいよ。ただ、女の子から手作りの物を貰ったの生まれて初めてで……独身の期間も長かったし……」
「独身?」
「あ! げふっ……げふん! 何でもない」
ヤバい、思わず口を滑らせてしまった。いや、まぁ広義に解釈すれば高校生の俺も独身と言えば独身だが、高校二年生で彼女がいないことを独身とは言わないだろう。完全に気が緩んでいた。
「と、とにかくめちゃくちゃ美味かった」
「ホント!? 良かったぁ。じゃあもう一つどうぞ」
そう言いながら朝倉さんは袋からクッキーを一枚つまむと俺の方に向けてきた。
「ありがとう」
俺はそれを指でつまもうとすると、朝倉さんはひょいっとかわした。えっ? くれないの?
「ん」
しかし、また俺の前にクッキーを向けてくる朝倉さん。やっぱりくれるのかと思い、再びつまもうとすると朝倉さんはまた俺の指をかわした。なにこれ、くれるの? くれないの? もしかしてからかわれてるのか?
「もう楠川君、わからないの?」
俺が指を出したまま固まっていると、朝倉さんは頬を膨らませていた。
マジで分からない。クッキーを取ろうとすると避けられ、しかしくれない訳ではない。受け取り方が悪いのか? はっ! そうか! “箸渡し”と同じか! 箸から箸に渡す行為は食事における作法のマナー違反だ。つまり俺は指先で取ろうとしてはいけなかった。手の平を差し出して、上に置いてもらわないといけなかったのか。
確信を持って俺は朝倉さんの前に手の平を差し出した。
「…………」
朝倉さんの頬は膨らんだままだった。それどころか目が若干ジト目になっている。
「もう! これでわかるでしょ」
朝倉さんは俺の口元にクッキーを近づけてきた。まさか……これは。
「朝倉さん? これって……」
「あーん……してあげるの」
朝倉さんの言葉に俺の体温が一気に上昇した。まるで火山が噴火でもするかのような勢いで。もう耳まで赤くなっているに違いない。
朝倉さんの反応を見るに、これは俺がクッキーを口で受け取らない限り終わらない感じである。というか何故急にこんなことになっているんだ。まぁ考えても仕方ない。
俺は視線を横にずらしながら、クッキーが入るくらいに口を開けた。
と、そこで部屋のドアがコンコンとノックされ、ドアが開く。
「修、ちょっとお願いがあるんだけど、後で買い物に行ってきてくれない? ――って二人ともどうしたの?」
「いや何でも、ちょっとストレッチをしててな」
「は、はひ。なんでもないれふ」
俺は床に横向きに寝転がって片足を上げ下げし、朝倉さんはクッキーを口に咥え横を向いていた。
「そう。じゃあ後でメモとお金渡すからお願いね」
「わかった」
母さんはドアを閉めて一階へと降りていった。
とりあえず見られなくて良かった。あの光景を見られていたら母さんの気持ちが舞い上がるのは明白である。
俺は内心安堵するとともに、速くなってしまった心臓を落ち着かせるまで床に寝転がっていた。
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