第11話 差し伸べた手



 これは何か試されているのだろうか。あるいは試されていたのか。朝倉さんへの返答は正しかったのか、それとも間違っていたのか。激しく鼓動する心臓と混乱する思考が邪魔して、この雰囲気をどうすればいいのかもわからなくなってきていた。


 というか今のこの状況はマジで何だ! 何で朝倉さんは俺の肩に顔を寄せた? 何であんな質問をしてきた? 謎が謎を呼ぶ。


 しかし、一瞬でも僅かに思ってしまった。好意を持たれているのだろうかと。


 バカか俺は! 単純過ぎるにも程があるだろ! 肩に顔を寄せられただけで、好意を持たれているなんて思ってたら、電車とかで隣の女が寝ている時に俺の肩にコテンと顔が倒れてきたら俺は好意を向けられていると思ってしまうのか。あ、いやそれは前提条件が違うか……。でも出会えて良かったって言ってたし! けど、そんなのアイドルがファンに会えて嬉しいなんて言ったら好意を向けているのかと言えば違うような……いやそれも前提条件がおかしい……って、俺はさっきから何を言っているんだ。


 こんな風に悩んだり考えたりするのがもう嫌だったのに……期待して裏切られるくらいなら最初から期待をしなければいい。女が嫌いだと言えば気持ちは楽だった。その一言で片付くから。苦い思い出を経験した後の俺はそのスタンスを貫いていた。クラスで恋愛の話になって女が居る前でも普通に、女は嫌い、興味ないと言ったところで何も感じなかった。


 だが朝倉さんに対しては、なぜか罪悪感の方が強かった。女なのに嫌いを貫くことができなかった。そうして関わるうちに、気持ちが少し変わってしまった。


 なら俺も聞いてみようか……逆に朝倉さんは俺をどう思っているのか。そんな思いが脳裏をよぎった。


「じゃ、じゃあ……」


 よぎると同時に既に言葉が出始めていた。

 

 もう冷静な判断ができる状況ではなかった。きっと今、目がぐるぐると回っているに違いない。勢いと流れに任せることにしよう。


「そろそろ帰ろうか……寝る時間がなくなっちゃうし……」


 ギリギリのところでチキンな俺が出てきた。


「そうだね。下りよっか」


 俺と朝倉さんは腰を上げると、来た道を戻り下山を始める。


 俺は心の中で大きなため息を吐いた。



 俺と朝倉さんは暗い山道をひたすら歩く。途中、とある分かれ道の所でどっちから登ってきたのか分からなくなってしまった。


「これどっちの道だったっけ?」


「右? うーん、左……かな? でも右だったような気もする……」


「とりあえず左に行ってみるか。違ってそうだったら途中で引き返そう」


「うん」


 俺と朝倉さんは左を選択して再び進み出す。携帯のライト機能を使っているとはいえ、圧倒的に暗闇の方が広い。周囲も見渡す限り樹木や竹ばかりで景色に変化がないので現在地も分かりずらい。登る時はひたすら上を目指していたのでサクサク進めたが、下りるとなると状況は少し変わってくる。


 しばらく進んだ所で、前方に少し開けた場所を発見した。


「あそこから下が見降ろせるかな? コテージが見えるか確認してくるね」


「暗いから走ると危ないぞ」


 朝倉さんは一足先に開けた場所まで走って行き下を確認する。


「何も見えないね。もしかしたらさっきの道を右だったのかも」


「なら引き返して、右の方に行こう」


「うん、そうだね」


 朝倉さんがこちらを振り向き、歩き出そうとした瞬間、


「……えっ……」


 朝倉さんの右足側の地面が崩れ、朝倉さんの身体が後方に傾いた。


「朝倉さんっ!」


 俺は全速力で駆け寄ると、落ちる朝倉さんの右手を何とか掴むことに成功するが、落下の勢いと朝倉さんの重さで俺も一緒に身体が前方に引っ張られてしまう。そのまま俺の身体も一緒に落ちてしまったが、咄嗟に出した左手が何とか地面を掴み下までの落下は免れた。だが、非常にヤバイ状況であるには変わりはなかった。


「朝倉さん! 今引き上げるから!」


 朝倉さんをなんとか引き上げようとするも、少しは上がるものの地面まで引き上げるのはとてもじゃないが無理だ。それよりも左手に力を入れ過ぎると、地面を掴んでいる左手の握力があっという間になくなってしまう。


「くっ……朝倉さん、足をどこかに引っ掛けられそうな所はない?」


「引っ掛けられそうな所? えっと……ダメ! 足が滑っちゃう」


 くそっ! 一体どうすれば……。


 左手の握力がじわじわと奪われつつあり、右手の方も汗で滑りそうになっていた。このままでは朝倉さんもろとも一緒に落ちてしまう。


「楠川君……手……離していいよ……」


 朝倉さんが小声で呟いた。


「は? こんな時に何冗談言ってんだよ」


「冗談じゃないよ。このままじゃ二人とも落ちちゃうし、楠川君一人なら上にあがれるでしょ? それに私が山に登ろうなんて言わなかったらこんなことにはならなかったし」


「だからって、俺が手を離すと思ってんのか?」


「私ね……楠川君と河川敷で会ったあの日、楠川君に会ってなかったらどこかで死ぬつもりだったの。本来ならここにはいない命なの。だから――」


「言うな」


 俺は朝倉さんの言葉を遮った。何を言おうとしたのか何となく分かったからだ。


「それから先の言葉は絶対に言うな。朝倉さんの今の話が本当だったとして、でも朝倉さんは今ここにいるだろ。それは気持ちが変わったからじゃないのか。朝倉さんが俺の気持ちを変えてくれたみたいに。もしかしたら俺には朝倉さんみたいな女の子が必要なのかもしれない。だから、もし俺が朝倉さんの気持ちを変えてあげれた人間なんだとしたら、俺は朝倉さんの為に生きるから朝倉さんは俺の為に生きてくれ」


「……楠川君……」


 とは言ったものの、この窮地を切り抜ける術が思いつかない。でも。このままだと二人一緒に落ちてご臨終になってしまうかもしれない。


「ん? あれそう言えば……」


 ふと、俺はある重要な事を思い出した。


 確か女神様が俺はこのループにいる間は不死だと言っていた気がする。つまり俺はここから落ちても死なないということだ。ただ、死ななくても痛みはどうなのだろうか? 川で遊んだ時、背中からダイブした時は痛かったし。痛覚はあるけど死なないというのは一番嫌な気がする。とはいえ、今のこの状況を打破するにはこの不死を利用しない手はない。


「朝倉さん、ちょっと目を瞑って、声を出さないようにしてもらえる?」


「えっ! 何するの?」


「いいから。多分怖いかもしれないけど俺を信じて。絶対に大丈夫だから」


「わかった」


 俺は全身に残っている力を全て使い、朝倉さんを俺の高さまで引っ張り上げるとそのまま片腕で強く抱きしめた。


「えっ……えっ! 楠川君!」


「喋らないで。舌を噛むといけないから閉じてて」


 次の瞬間、俺は左手を離し朝倉さんを抱きしめたまま背中から落下した。


「んんんんんっっっ!!!」


 朝倉さんは今、二人で落下しているという事に気付いたのだろう。声にならない叫び声を上げていた。口を閉じるように言ったのだから当たり前だが。


 俺は朝倉さんに大丈夫だからと念を押すように、抱きしめている腕に更に力を込めた。


 落下しながら俺は何回か背中に木の枝をぶつけて木の枝を折っていたが、全く痛くなかった。そして地面にぶつかる数メートルのところで、何かの力が働いたのか俺の身体は地面から少し離れた茂みの方へと誘導され、ガサガサっという音と共に茂みの上に落ちた。というか降ろされたが正しい表現かもしれない。なるほど、不死というのはこういうことか。


「朝倉さん、もう目を開けていいよ」


 朝倉さんに声をかけるも反応がない。あれ? もしかして気絶してる?


「あ、朝倉さん?」


 すると朝倉さんは小刻みに肩を震わせたかと思うと、次の瞬間俺の胸をポカポカと殴り始めた。


「バカ! バカバカバカ! 何て無茶するの!」


「ごめん、怖かったよね」


「違う! 楠川君が死んじゃうって思ったの! 私の為に生きるって言ってくれたばかりでしょ!」


「もしかして……いや、もしかしなくても怒ってる?」


「当たり前でしょ! 当たり……前でしょ……うっ……ぐすっ……無事でよかった……ぐすっ……」


 しばらく朝倉さんは俺の胸の中で泣いていた。


 数分後、落ち着いた朝倉さんを地面に降ろし、俺も茂みから脱出する。


「いたっ!」


朝倉さんは地面に降りた際に、足首を怪我していたのかその場に座り込んでしまった。


「大丈夫?」


「右の足首を切ってたみたい」


「傷見せて」


 朝倉さんの右足首に五センチくらいの切り傷があり出血していた。応急処置として衣類を包帯にしたいところだが、菌が入ってもいけないので空気に当てておく方最善と考えそのままにしておく。


「急いで戻って傷の手当てをしないと」


「楠川君はどこも怪我してないの? あの高さから落ちたのに」


「この通り怪我はしてないよ。落ちた所も茂みだったし、まぁ奇跡が起きたんだろうな」


 不死だからとはとても説明できないので、奇跡のおかげにしておく。


「奇跡過ぎるよ。私もこの程度の傷で済んだし、神様っているんだね」


「まぁ神の奇跡ってやつだな」


 女神様の力のおかげとはとても説明できないので、以下略。


「ほら、俺がおぶってやるから」


「えっ! いいよ。自分で歩けるよ」


「コテージまでどのくらいあるのかわからないんだ。無理をさせるわけにはいかない」


「……ありがとう。じゃあお願い……します」


 俺は朝倉さんをおんぶするとコテージに向けて歩き出した。落ちた場所からコテージまで数百メートル離れていたようで、コテージまで十五分くらい歩きっぱなしだった。だが、全然苦痛ではなかった。背中から聞こえる朝倉さんの寝息、背中に感じる朝倉さんの体温、そして朝倉さんが無事で良かったという安堵感が俺の疲れを吹き飛ばしてくれていたから。

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