第6話 溢れる感情

 「ああ、材料がないなんて」

 せっかく、叶えたい夢を思い出したというのに、それを叶えられない現実にホダカは打ちひしがれた。


 「結局、『自分でコロッケ屋を持つ』なんてのは、無理じゃないか」

 とホダカは、頭の中で渦巻のように回る絶望を噛みしめながらベッドで横になって寝ていた。マッシュポテトを食べた後、コロッケ屋をやりたいという話になり、そこまでは良かったが、コロッケのための材料がないということが分かった。


 「結局、夢なんて叶えられない」

 そういった絶望を抱えてしまったホダカは、食事後の会話を楽しめなくなり、

肩を落としながら、早々と自分の部屋に帰った。

 ホダカは部屋に入るとバタっと倒れ込むように、ベットに寝そべった。

ホダカは、眠りについた。それは、半ば、不貞寝であった。


 それから、幾ばくか時間が過ぎてから、ホダカは目覚めた。

 ふと窓の外を見ると、町の奥の方だけを昼間のように照らす満月が、上空に輝き、気づけば夜になっていた。


 「はあぁー。」

 ホダカは、天井を見つめて、大きなため息をついた。

 ホダカはまだ、を引きずっていた。ホダカにとっては、「自分のコロッケ屋を持つ」という事は、専門学校を出てからずっと閉ざしていた夢だったのだ。社会人になってから、忘れてしまっていた夢だったのだ。

それが、一瞬にして、呆気なく崩れさった。ホダカは隠していたが、異世界に来てから本当は不安だった。ジャスティナ達に出会えたから良かったものの、文字ひとつ読めない世界に急に放り込まれたため、ブラック飲食で働いていた時とは違う種類のストレスをずっと感じていた。

 それは、喜怒哀楽のどこに属すとも言えない未知の世界への恐怖心だった。ブラック飲食で働くことにより、感情に蓋をすることが上手くなっていたホダカは、自分が、ことに気づいてなかった。本心では、ホダカは、まだこの世界に恐れを抱いていたのだった。

 その証拠に、ジャスティナの家に来てから、まだ、家の外に出たことがなかった。ホダカ自身には外に出ようという意思もなかった。

 「はあー」

 ホダカはまたため息をついた。

 

 コンコン。

 ドアをノックする音が聞こえた。

 「ホダカ、どうしたの。元気なさそうだったけど」

ジャスティナがドアの向こうからホダカに声をかける。

 「入っていいかな? 」

 「ああ」

 入るよと言いながら、ゆっくりとドアが開き、ジャスティナがそろりと入ってきた。ホダカも客人を迎えるために、上半身を起こしたが、下半身はベッドに腰かけたままであった。


 ジャスティナがホダカの隣の空いたベッドのスペースに、ちょんっと座った。

 ホダカの鼻に、ジャスティナの香りが漂った。風呂を出たばかりであろうその香りにホダカは、先程までの暗い気分が消え去りはしないまでも、むず痒い感情が湧き立つのを感じた。

 ホダカは、ふと、ロロンの町まで2人で歩いたら時の会話を思い出した。道すがら、ホダカは、ジャスティナに年齢を尋ねた。本当は女性に率直に聞く質問ではなかったかもしれないが、ホダカは、自分の年齢に近いとしか思えない目の前の女性の歳がどうしても気になってしまった。そのようなホダカにジャスティナは、短く

 「十七歳よ」

と答えた。ホダカはその時のことを思い出し、そんな質問をした理由を考えた。

 「今、思うと、自分の年齢に近くて、話しやすい人を見つけることで、異世界にきた不安を埋めたかったのかもしれないな」

 ホダカ自身が二十歳であり、彼女は十七歳であることから、ホダカはそういった結論を導いた。ホダカは、同じ年頃の女子がベッドの横並びに座っているとなると、自分の肩と腰が緊張するのを感じた。

 「ホダカ、綺麗な月ね。あなたの世界にも月はあった? 」

 ジャスティナはポツリと言った。

 「ああ、あったよ。俺がいた世界の月もティナの世界の月のように、

満ち欠けがあり、ちょうど、今のような満月の夜だってあるんだ。俺は、肌寒くなってきた季節に虫の音を聞きながら、透き通った夜の空気にキラキラ光る月を眺めるのが好きでね。そうしていると、その日にあった嫌なことが洗われて、

明日からはまた、綺麗な心で、なにかを頑張れる気がしていたんだ」

ホダカは、饒舌な口調で、緊張を悟られないように言葉を繋いだ。それは沈黙に耐えられなかったからでもあった。

 「へぇー。そうなんだ。私も満月の夜に、ゆっくりとして、

自然の音に耳を傾けるの、大好きよ。そうしていると、私はいい夢が見られる気がするの」

 「それは、いいね」

 ホダカは、言葉少なに返事を返した。先程からのジャスティナからの爽やかな香りが、ホダカの胸を騒がせ、唾も喉を通らないほど、ホダカはジャスティナを意識してしまった。

 思えば、最初にジャスティナを見つけたときから、可愛らしい人だとホダカは思っていた。

 「朱色の髪と目に透き通るような白い肌なんて、アニメでしか見たことがないような二次元から飛び出してきたみたいなもんじゃないか」

 ホダカはそう思っていた。その後、ロロンまでの道のりでジャスティナと話し、彼女の言動一つ一つに惹かれていた。彼女が時折見せる笑顔に、何度、心が揺らぎ、地面に膝をつきそうになったことかとホダカは思った。それを感じさせまいと、心の中ではジャスティナをフルネームで呼ぶようにし、愛称のティナなんて表現は、自分の心の世界では、そうしないようにしていた。そうしないと、ジャスティナを本当に好きになってしまいそうだった。

 ホダカは別の世界から来た人間だ。誰かを好きになると、

元の世界に帰ろうという気持ちがなくなってしまうかもしれなかった。そうすると、元の世界に残してきた親や友達はどうなるのだろうかと思った。だれともあまり、深く関わることをせずに、淡々と過ごし、元の世界に帰る方法を探すべきだろうと考えるようにしていた。ホダカは、人を好きになるという感情に栓をしようとしていた。

この世界に来てからというもの、そういった考えがホダカを支配していた。

「人と深く関わらずに淡々と義務と思うべきことをこなして、目標を成し遂げる」というのが、ホダカがブラック飲食で働いていたころに身に着けた処世術だった。

 それが染みついたホダカは、感情を押し殺し、恋や好きといった気持ちとは遠い存在になっていた。異世界に来てからも、そのような自分を演じようとして、何とかその役になりきっている状態だった。

 「ねえホダカ。わたし、って気づいていた? 」

そんなホダカの考えに、水を差すような言葉が響いた。

その水は優しい雨であり、ホダカの凝り固まった心をドロドロに溶かしていくような言葉であった。

「えっ」

ホダカは横に座るジャスティナの横顔を見つめた。それと同時に、ホダカの心音は高くなっていた。ジャスティナはホダカを見ようとせず、自分の足元をぼんやりと眺めている。

「私、ホダカが好き。命の恩人だからってだけでなく、その雰囲気も声も顔も、好きになっちゃった。理由なんてあんまり分からない。

だけど、今日、一緒にマッシュポテトを作っていて、『いつもこうやってホダカの隣で料理なんて出来たら、幸せだな』って思ったの。それってホダカの事が好きってことだと思うの。だから、好き」

 そういったジャスティナは、恥ずかしそうに目線をさらに下にさげた。

ジャスティナの頬から耳までかけてが赤染まり、髪の色よりも赤さが際立っていた。

 「だから、しばらく、こうしていたいの。」

 呟いたジャスティナはホダカの首に腕を回し、ホダカをベッドに押し倒した。

 「ホダカ、お願い」

 ジャスティナが呟いた。

 ホダカはジャスティナの腰にそっと手を回し、ジャスティナの気持ちを受け止めた。


 静かにふける夜に、明かりを灯す月が、二人を温めるように、ゆっくりと、朝の陽ざしへと姿を変えていった。

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