第4話 マッシュポテト

 マーカスが血壊病から快復かいふくしてから、一週間ほどたった。


 その間、ホダカはジャスティナの家でお世話になっていた。ホダカは、異世界に来たばかりで、泊まるところも、寝るところも、お金もなかった。そんなホダカの事情を知ったジャスティナ一家は、

 「恩人に不憫な思いはさせられない」

と言って、ホダカに部屋と食事と着替えまで用意した。

着替えは、マーカスのおふるだ。それは、まだマーカスが随分と若かった時の服のようだった。ホダカにとっては、着丈が全体的に少し短かった。しかし、ダボダボというものではなかった。

 ジャスティナ一家と過ごすうちにホダカは、血壊病の事を段々と知るようになった。

 この世界では、という呼び名での事を表現しているというのが、ホダカの考えだった。しかし、

「なぜ血壊病けっかいびょうに罹るか? 」

といった理由についてはあまり判明していないようだとホダカは思った。回復魔導のヒーラーは、体力回復や傷口、病気を治す作用があるようであり、しかしながら、ある特定の栄養不足を回復させるまでの効果はないようだとホダカは考えていた。そのため、血壊病けっかいびょうに関する研究が進んでいないというのがホダカの結論だった。幸い、この国では、レモの木が自生していた。それが町の至るところに見られた。レモの実の汁は醤油のように調味料として文化に溶け込んでおり、ビタミンC不足になる者は少ないようだった。しかし、レモの実には、レモ特有のすっぱさがあった。それゆえ、一部、マーカスのように好き嫌いで、積極的には食べない人間がいるようだった。そのような彼らが血壊病に罹ってしまうのだ。

――これらが、ホダカが頭の中でまとめた血壊病に関する事柄だった。

 

 この日は、ホダカはマーカスと二人で、小さな丸テーブルを挟んで座っていた。二人は、ローエという茶葉から抽出された紅茶のようなものを飲んでいた。目の前にはクッキーにも似た固いパンが茶菓子として出されていた。そして、テーブルの傍の窓の外では、ティナとカロリーナが庭の手入れをしていた。

 「いやー、君のおかげで命拾いしたよ」

 マーカスは間の抜けた声で、窓の外を眺めていたホダカに話しかけた。すっかり顔色が良くなっている。

 「マーカスさん、すっかり元気そうですね」

 とホダカは返事をした。

 「ああ、そりゃもう、ピンピンさ。こうやって、

息を吸えているだけでも幸せだ。君と、そうだ、ティナがいなければ、ここにはいないね。君とティナを見ると、感謝の言葉しか出てこないよ」

 マーカスはそう言って、何度も何度も生きていて良かったという「喜び」と「感謝」をホダカに伝えてきた。

 「それはそうと、ティナは、よくもまあ、あの森に、一人で入りましたね。グリナリー・ラクーンが沢山でるっていう森に……」

 ホダカが話題を振ると、マーカスはそれに応じた。

 「血壊病は、獣人族に多いんだ。彼らの古い言い伝えで、イエローマッシュを食べれば血壊病が治るというのがあってね。それを知っていたティナは、僕のことを思って、森に入ってくれたんだろう」

 「ティナは、危険だと分かっていても、マーカスさんを助けたかったんですね」

 「ああ、父親思いの優しい子に育ってくれたと思うよ。そのことは、嬉しいんだが、命を落とす可能性があるとなると別だ。グリナリーの森で、ティナに何も起きなくて本当によかった」

 マーカスは安堵とともに肩をすくめる仕草をした。


 「――ところで、どうして君は、血壊病の治療方法を知っていたのだい? 」

 マーカスがホダカに尋ねた。

 「は、俺の国ではと呼ばれ、ある栄養素が不足していることによって、罹る病気なんです。その栄養素はCと呼ばれています。俺の推測では、レモの木とイエローマッシュに豊富に含まれています。獣人族は匂いや味に敏感だから、その栄養素を取りたがらずに、血壊病になる方が多いのだと思います。ほら、独特のすっぱい味がするでしょ」

 「ほう、そうなのか。それで、すっぱい味が苦手な私が、血壊病になってしまったという訳だ。それはそうと、ホダカ君は詳しいな。君は医者か何かなのかい? それとも君の両親がそういった職業をされているのか? 」

 「いえ、俺は単なる料理人です。その病気は、俺の国では治療方法や原因が一般に広く知れ渡っています」

 「そうか、この国では、血壊病は不治の病みたいな扱いを受けている。

人族だけでなく、獣人族の多くがまだ苦しんでいるんだ。その中の一人だった僕は、とりあえず、ホダカに出会えて、運が良かった訳だ。ありがたいことだ。」

 そう言ってマーカスは頬をあげ、にこりと笑った。すでに頬がふっくらとなりかけていた。

 「マーカスさん、この国には、他に、血壊病に効くだろうと考えられていた食べ物はないのですか? ほら、例えば、なにかの図鑑なんかにそれらしいことが書いてあるような文章をみたことはありますか? 」

 「ああ、うーん。すまないが、一つも思い当たらないな。先ほどの話だと、レモとイエローマッシュがビタミンCという要素が入っているという話であったが、それら以外には皆目検討がつかないな」

 「そうですか……」

 「ビタミンC」が採れる食材は、この世界ではらしいとホダカは思った。

 「これでは、血壊病に苦しむ人が減らず、

また、マーカスのように好き嫌いで命を失いかける人が出てくるだろう」

 ホダカはそう思った。

 ホダカとマーカスはしばらく、話を続けていた。すると、

 「パパとホダカで何を話しているのー? 」

 とジャスティナの元気な声が聞こえた。

 「あー、お茶飲んでるー。いいなー。私の分はないのー? 」

 そう言いながら、ジャスティナはホダカ達に歩み寄った。

ジャスティナの純朴でクリクリした暖かい色の目がホダカ達のテーブルをじっと見つめていた。

 ホダカには、マーカスが復調した後の最近のジャスティナが、出会ったとき以上に、明るくみえた。

 「血壊病の話をしていたのさ」

とマーカスがジャスティナに答えた。


 「もう。そんな、重苦しい話は、いいじゃない。庭をみて。ママと二人で綺麗にしたんだ」

 そう言ってジャスティナはホダカとマーカスを立たせると、ホダカの片手を取って庭へと連れ出した。

 「ここに綺麗な花を植えたのよ」

 ジャスティナはホダカ達に説明した。

 そこには、ペチュニアのような花や、パンジーのような花が並んでいた。

 「ここには、ハートリーフを植えたの。どれも食べられないけど、素敵でしょ」

 そう言って、ジャスティナは自慢げに手を広げてみせた。

 「そうだね。ティナ」

 ホダカは、相槌を打つと、ジャスティナが手入れした花々の一つずつに、視線を移した。

 「赤い花、白い花、みどりの……ん? 」

 ホダカは、見覚えのある形状の葉っぱに目を止めた。

 「ティナ、これはなんていった植物だっけ? 」

 「ハートリーフよ。ほら、葉っぱが、少しだけだけど、ハートみたいな形をしているでしょ? 」

 ホダカは、もう一度、その植物をまじまじと観察した。ホダカが小さい頃におばあちゃんの畑でみたものに似ていた。あの野菜の葉っぱの形に瓜二つだった。

 ――そして、ホダカは確信した。

 「ティナ、これはおそらく、食べられる植物だよ。いや、絶対そうだ。俺の国ではジャガイモっていうんだ。この葉っぱは、ジャガイモだ。この植物はジャガイモなんだ。こいつは食べられるぞ」

 「ジャガイモー? 」

 ジャスティナは不思議そうに小首をかしげた。

 「ああ、これは掘り起こして、土の中に埋まっている部分を食べるんだよ。」

 ホダカはジャスティナに説明してあげた。

 「さっき、植えるときに見たけど、コロコロした石みたいで、とても食べられそうにはなかったわよ」

 ジャスティナは、ジャガイモを見たままの印象で捉え、それをそのまま伝えた。

 「うん。そうだね。でも、そのコロコロしたものの皮を薄く剥いて、切ったり、

すりつぶしたりした後、煮たり焼いたり、揚げたりして食べるんだよ。

ほくほくしてとても美味しいんだ」

 ホダカはジャスティナがイメージ出来るように調理方法を説明した。

 「ー? 」

 「まるで赤子が覚えたての言葉を繰り返すように印象に残った言葉を、繰り返していることにジャスティナ自身は気づいていないんだな」

とホダカは思った。また、

 「この世界には、という概念がないんだろう」

とホダカはそう察した。

 「そうだ」

 ホダカはひらめいた。


 「ティナ。ジャガイモには、ビタミンCが豊富なんだ。これが食べられるものだと分かってもらえれば、この国の血壊病で苦しむ人が減るかもしれない」

 ホダカは、ジャスティナに向けて言った。

 それを聞いたジャスティナは、ホダカが発した言葉の全てに理解が追いついているようにはホダカには見えなかった。しかし、ホダカが、と、なにより、は理解していくれたようにホダカは感じた。


 「ねえ、ホダカ。それはいいことだと思うわ。うーんとね。私、このハートリーフの根っこの部分、食べてみたいわ」

そう言ったジャスティナの左手がホダカの両手で包みこんだ。

 「ああ、調理してやる」

 ホダカはジャスティナに向けて、そうつぶやいた。


 「あんまり片づけられていないから」

と、恥ずかしがるカロリーナを横目に、ホダカはキッチンへと押し入った。

 ジャスティナを助手にして、ホダカは腕を振るった。専門学校の授業で習ってからそれほど作る機会はなかったが、作り方ははっきりと覚えていた。なぜなら、ジャガイモはホダカの大好物だったからだ。ホダカはジャガイモの皮をせっせと剥いた。

ジャスティナも包丁で皮をせっせと剥いた。ジャスティナの包丁の扱いは慣れたものだった。そのあと、適当な大きさにジャガイモハートリーフの根を切断していった。ホダカは、ジャガイモとは、ではなく、が大きくなったものだと、おばあちゃんに説明されたのを思い出したが、そんなことは誰も気にしていないだろうとも思った。その後、鍋に水をたっぷりと入れた。その中に先ほど丸裸にしたジャガイモたちを入れていった。ジャスティナが両手で鍋の柄を掴む姿は、どこか小さな子が必死に母親のまねごとをしているようで、ホダカには可愛らしかった。

 ホダカは、時折、ジャスティナと言葉を交わしながら、料理していた。

 「ジャスティナ、鍋に火をいれてくれ」

 「あい、カエナルン」

  ボウッ。

 王国最強の火魔導士の炎を贅沢に使って、鍋を沸かした。ジャスティナの炎は火力が強く、よく火が通りそうだった。少し時間が経ったら、庭に落ちていた細めの木の棒を突き刺し、やわらかくなったかどうか確かめた。

 「うん、ばっちりだ」

 ホダカはそう言って、塩と、という牛に似た獣から

作られたバターと乳を加えていった。ある程度、ドバドバっといれた後、それらを半分ほど残して後に取っておいた。ヘラを用意して、ホダカは言った。

 「ティナ、この火を少し弱くできるかい? 」

 「ええ、出来るわよ。『カエナ』」

 ポウッと火が少し弱くなった。ジャスティナは簡単に火加減の調整を行ったが、火力の引き算は相当高度な技術のようで、通常は強くすることしか出来ないというのが、多くの火炎魔導士に当て嵌まることらしかった。

 取っておいたモールの乳とバターをヘラで混ぜながら少しずつ加えていった。

固すぎず、緩すぎず、丁度良い頃合いに混ぜた。キメがこまかくなってきたころ、視界に溶け込むような湯気がたっているのに気づいた。湯気の奥では混ぜ合わせたとしたものが出来上がっていた。ホダカは、それをお皿に綺麗に盛り付け、艶っとしていることを確認した。


 「マッシュポテトの完成だ」

 陽光を照り返すキメの細かさの上に、湯気が立ち、ほくほくとした世界へといざなう逸品だった。

 「うわー、おいしそう」

ジャスティナはそう声を上げた。ジャスティナの家族とホダカで食事用の4人掛けテーブルに、座った。ホダカが手を合わせ、

 「いただきます」

 と呟くと、皆もそれと同様に

 「いただきまーす」

 と言って、食事に取り掛かった。スプーンですくって、口に運ぶ。

 それは、ほくほくのままで、舌に着陸し、細かさを粒子レベルで舌にトロリと伝えてきた。粒子の流星群の中には、塩が隠れており、時折、塩分を感じさせてくれた。口の中でマッシュの塊を舌で掻き分け、

コロコロと溶かしながら喉で食べていくようだった。最後に甘みがふんわりとやってきた。

 「おいしー」

 ジャスティナとカロリーナ、そしてマーカスまでもがキラキラした目でホダカを見た。

 ホダカも

 「うんめー」

 と声を上げた。

 4人は、その後、一心不乱に口の中へマッシュポテトを放りこんだ。

 あっという間にそれぞれの皿が空になり、お腹もいっぱいになったところでジャスティナが呟いた。

 「ホダカって、料理が上手くて素敵よね。それに、私、あなたと一緒に料理して楽しかったわ」

ホダカは少し、照れながら

 「俺もだよ。この世界に来るまでは怒鳴られてばかりのところで料理していたから、楽しいなんてことはなかった。だけど、このマッシュポテトを作っている間はとても楽しかった」

そう言って話している二人をジャスティナの両親は嬉しそうに見つめた。

 「ホダカ。あなたの料理の才能は凄いわよ。嫌々料理するなんてもったいないわ。

この世界に来たのだから、いいじゃない。前の世界のことなんか忘れてうーんと楽しも。何かやりたかったことはあるの? 」

 ジャスティナはホダカに尋ねた。

 「俺のやりたかったこと…。」

 ホダカは考えこんだ。

 ホダカの父親は肉屋を経営していた。肉屋といってもお惣菜が良く売れるタイプの肉屋だ。馴染みの客のために、コロッケを毎日揚げる父親の背中は、

ホダカには格好良く見えていた。商店街にあったその肉屋は近くに大型ショッピングモールが出来たため、客をそちらに取られてしまって、閉店した。

その後、ホダカの父は、小さな広告代理店のサラリーマンとしてホダカを育てあげた。しかし、肉屋としてコロッケを調理していた父のほうが輝いて見えた。

「俺は、いつか、オトウみたいにうまいコロッケを揚げる。

地域に愛されるコロッケ屋を持ちたいんだ」

 そう考えて、ホダカは高校進学時に、調理を学ぶ専門学校を選んだのだった。

ホダカにはそんな夢があったのだ。

 しかし、その後、ホダカは、ブラック飲食店に入社して日々、こき使われた。

その間、ホダカは、

 「」という自分の夢に、知らず知らずのうちに、蓋をしてしまっていたのだった。今になって、その蓋がはじけ飛び、眠っていた夢が、心の中で飛び上がって起きてくるのを、ホダカは感じた。

 「お、俺は。」

 「なーに?」

 ジャスティナが首をかしげる。

 「お、

 ホダカは小さな声で吐き出すようにそう言った。そして、息を吸った。

 「俺は、ずっとコロッケ屋をやりたかったんだ。ずっとだ。オトウのような、お客さんを笑顔に出来るコロッケを作りたい。皆に愛されるコロッケがいい。このマッシュポテトのようにキメが細かい具が入って、カリッとした衣に身を包んだコロッケを揚げたい」

ホダカは今度は、独り言のように、一呼吸で言った。そして、ホダカは、先程よりも大きく息を吸った。

「俺は、コロッケを揚げたいんだー。コロッケ屋をやるぞー」

ホダカはそう叫んでいた。

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