突然の嵐
「むふふ……親に隠れてイタズラしてるみたいで楽しい」
乾いた布を取り込みながら、コーデリアさんがほくそ笑む。
うんうん、気持はよくわかる。
「この農場で、私が手伝っていて、誰もシトリン案件だとは思わないでしょ?」
「お手数かけますね」
「しょうがないわよ。あなたのサイズじゃ布を取り込めもしないでしょ?」
「それに一番儲けに繋がるのがシフォちゃんなんだから、気にすることもないわよ」
「それを言われちゃうと、身も蓋もないんだけど……」
秋の陽射しの中、心地良い秋風に吹かれて乾燥した布をみんなで取り込む。
さて、どれか使えると良いな。
布たたみ係のリコちゃんも、興味津々で眺めてる。
「高値で買い取ります」とギルドの方に通達したら、これでもか! というくらい『炎の結晶』が集まったので、いっぱい魔力を溶かして溶液を作ってみた。
あるものは布にしてから、染色するように溶液に浸して。
またあるものは糸の段階から、溶液に浸して。
別のものはコーティング加工の要領で。
他にも、布にメッキ加工をしてみたりと、いろいろ試してます。
ざっと水洗いして、薬品を落として乾かしてみたのが、今。
さあ、どの子が一番高性能になるのかなぁ?
ベストなやり方を、今後、魔法布作りのスタンダードにする予定なんだ。
「あぁ……染色の要領で出来ると楽だったんだけど、これは触っただけで解かるわね」
「残念、糸から染めても同じ」
「メッキは温かいけど、ゴワゴワしてます」
「一番良さげなのが、コーティングした布? ちょっとイメージが違うなぁ」
私としては魔化された布を狙っているのに、コーティングでは、布に魔法を貼り付けただけだよ……。目指してるものと違う。
う~ん……何が足りないのだろう?
「まるで浸透してないのよ。ほら、色も簡単に落ちるわ」
そこらにあった板の角で布を擦りながら、シフォンが唇を歪める。
淡く乗った赤が、簡単に削がれてしまって、地色の白が見えてきちゃう。
あちゃあ……まるで駄目だねぇ。
みんなで頭を捻っている時、突然リコちゃんが奇声を上げた。
「ひゃっ! ……あ、すみません。リアルの方からメッセージが来て、すぐに帰って来てと……」
「あら、珍しい。でも、明日ここにポップしても何だから、急いでお店に帰ってログアウトするといいよ」
「はい……じゃあ、すみません。お先です」
わぁ。いくら自作とはいえ、【帰還】のスクロールで帰ったよ。
勿体ないというか、真面目というか。
実にリコちゃんらしくて、みんなで笑う。
そんな風に和んだ後は、良い意見が出てくるものです。
「この際だから、布の方も先に魔力溶液に漬けてみたら?」
「でもコーデリアさん、特に布に魔力は無いよ?」
「魔力は無くても、魔力の浸透を防ぐ殻みたいのが有るかもしれないじゃない。色も染まらないのだから。……殻が有るなら、先にそれを溶かしてやれば、染み込むかもしれないよ?」
「それは一理、有るわね。とりあえずは布の状態で漬けてみて、明日までに糸の状態で漬けて、布に織ったものを用意するわ」
一つの方向はそれで良し。
他に考えられることは有るかな? 念の為もう一つくらい試したいよね。
……あ、そうだ。
「布を漬け込みながら、煮込んでみたらどうかな? 加熱したら、変わるかもしれないし」
「お料理なら、煮た後に冷ますと味が染み込むよね!」
「ちょっと安易な気もするけど、それも試すか……」
「溶液に漬けたものと、漬けてないものと両方ね」
「わかってる。準備しておくわ……この続きは明日ね」
今日はここまでと、お片付け。
ちなみにメッキとコーティングのものは、シフォンがしっかり持ち帰るそうです。
これはこれで何かに使えるかも……だそうで。
私は大きめの容器に作ってあるので、溶液はここに置きっぱで良い。
じゃあね~とお店に帰ります。
今日明日明後日くらいまでは布の実験をするからと言ってあるので、ダベリ部屋にも集まりはないはず。
もうちょっと時間が有るから、金属の魔化の実験でもしてましょうかね……。
なんて思いながら店に戻ると、部屋の前に小さな人影。
啜り泣いてる……え? リコちゃん?
どうしたの?
「あの……私……どうしよう……」
「ん。私で良ければ、話を聞くよ?」
リコちゃんに椅子を持ってこさせて、適当な空き部屋に。
私は窓の桟にでも座れば、ちょうど良いしね。
「さっき呼ばれて戻った時に、何かあった?」
「はい……戻ったら、両親と小田切先生がいて……」
「小田切先生って、私は知らないなぁ。もし良ければ、だけど……何科の先生?」
「心臓外科です。私の病気……心臓の動脈と弁の問題だから……」
心臓かぁ……意外と重篤なんだ。
リコちゃんが明るいから、長期療養系の病気かと思ってた。
「それで手術をしてくれる日本でも心臓手術の権威のお医者様の順番待ちだったのだけど、思わぬタイミングが空いて、来週手術できることになって」
「おめでとう。じゃあ、元気になれるんだね」
「……わからないです。その先生曰く、成功確率は四割だって……」
半々までもいかないのか……相当難しい手術なんだね。
明日の午前中に、その先生のいる病院に転院するらしい。
「でも……恐いの! 私、死んじゃうかもしれないと思うと……。麻酔で眠ったら、手術が失敗して、そのまま死んじゃうんじゃないかと思ったら……」
「じゃあ、このまま入院を続ける?」
「え?」
自分でもびっくりするくらいに、冷たい声が零れ落ちたと思う。
知らないとはいえ、残酷だよ。
よりによって、私にそんな贅沢な悩みをぶつけるなんて。
「このまま、毎日毎日……退院できる宛もなく、一人ベッドに横たわったまま、五年も十年も……ううん、死ぬまで病院で暮らしたい?」
「そ……それは……」
「元気になれる確率が四割も有るなら、良いじゃない。……私の病気は手術でどうなるものじゃなくて、元気になれる確率なんて1パーセントも無いの。死ぬまでずっと、一人ベッドの上。死にたくはないけど、生きていてもそれでは……」
「ご、ごめんなさい。私……そんなつもりじゃ……」
「リコちゃんは、悪くないわ。悪いのは私の身体。……4割も確率が有るなら、そこに賭けなさい。お医者様も看護師さんも、その4割の為に全力で戦ってくれる。ゲームの時と同じ、ともに戦うみんなを信じて!」
「はい。頑張ってきます。……じゃあ、私、こっちに逃げてきちゃったから」
ふわっと、ログオフしたリコちゃんが消える。
いいなぁ……。
ポロリと涙がこぼれた。
胸の奥が灼けつくように疼いてる。
心臓が早鐘を打ち、身体が熱くなる。脂汗がドロリと肌を濡らした。
息が……苦しい。
私の身体の異常を察して、VRユニットが強制的にログオフさせた。
いつもの……もう十年近く見慣れた天井が帰って来る。
「もう嫌ァ! 私も家に帰りたいっ!」
「どうしたの? 陽菜ちゃん!」
泣きじゃくり、暴れながらベッドから降りようとする私に驚いて、看護師の篠原さんが慌てて、滅菌服を纏って駆け寄る。
無理やりベッドから降りた私の脚は、自分を支えることさえ出来ずに大きくよろけて、ぎりぎり篠原さんに抱きとめられた。
「どうしちゃったのよ、陽菜ちゃん。落ち着いて……」
「リコちゃんは手術をしたら家に帰れるのに、私はいつまでここにいなきゃいけないの? もう嫌よ! 私も、お父さんやお母さん……夏姫ちゃんのいる家に帰る!」
「聞き分けてよ、陽菜ちゃん。それは無理だって、陽菜ちゃんもわかってるはずでしょ!」
「だけど……だけどぉ!」
やはり、いつもの滅菌服に身を包んだ池上先生が駆け込んでくる。
篠原さんの指示で、グループの人が呼んだのだろう。
「佐伯さん……」
「池上先生……私も……手術して……私も家に帰りたいよぉ……」
「ごめん……君の病気は手術で治るものじゃない……わかってるよね?」
「わかってるけど……私はいつまでこうしていればいいの……いっそ死なせてよぉ……」
「それを一番悲しむのは誰なのか、思い出してごらん」
「……夏姫ちゃん」
「それがわかっているなら、君は大丈夫だ。……今日は少し眠りなさい」
腕にチクンと痛み。精神安定剤の類?
不意になにかに引っ張られるように、私の意識が遠のいてゆく。
……このまま死んじゃえば楽になるのに。
そう思った私の意識が奪われる寸前に、夏姫ちゃんの顔が見えた。
夏姫ちゃんは、泣いていた。
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