『オデッセイ』の薬師さん
「佐伯さん、良いものあげようか?」
そう言って池上先生が、スマホからデータを転送してくれた。
なんだろうと思って開いてみると……
「これって魔法陣の書き方?」
「この間のをちょっと整理してみたんだ。これならわかりやすいだろう?」
「はい! ありがとう!」
正直、わかりやすいかどうかは、じっくり試してみないとわからない。でも、今後の協力を思うと、可愛らしく大喜びしておいた方が良い案件だ。
種類別に揃えて、文法を条件に合わせて整理して……結構手間がかかってる。
確実に『応用魔法陣』の本よりはわかりやすい。
「それと、まだ確定じゃないけど……来月から午前中の9時半から11時半までの2時間もゲームして良いって事になりそうだよ」
「本当に……信じて良い?」
「ただ、検査や診察の無い土日と祭日だけだけどね?」
「それでも進歩ですね。夜も遊べると良いのだけど……」
「一足飛びは無理だよ。でも、ゲームを始めてから、一生懸命調べ物をしたりと良い傾向が出ているから、思ったより先生方の反応が良い。この調子で頑張って」
「は~い」
土日祭日なら、午前中でもプレイヤーさんはいるかな?
最近は、暑いので引き籠もって作業中だから、あまり関係ないとはいえ……。
もちろん素直に喜びます。
ああ……ログインすると、やっぱり暑い。
昨日のログアウト前に、残り魔力の殆どを注ぎ込んだ簡易電池を、持ち物から取り出してセットする。
これで今日もずっと働いてくれるはず……涼しいよ。
待っていたかのように、エクレールさんからメッセージが来た。
『30分後に、約束通り『オデッセイ』のギルマスと
おうっ……忘れてた。そんな約束があったね。
仕方なく、巨大冷風扇をダベリ室に持っていく。
あとはコップと……ペンネさんから貰った冷製コンソメスープも、冷水ポットに入れて出そうか。
筆記用具も忘れずに。
『オデッセイ』の薬師さんといえば、エクレールさんがウチに誘うつもりで、先に取られちゃった人だね。
それだけで悪い人じゃないとわかる。ちょっと安心。
「シトリンさん、こっちかな?」
エクレールさんの声に、顔を出してお招きする。
コップは私はカモノハシ。猫、犬、熊とあるのでご自由に。
トトトっと、冷製コンソメを注いで勧める。
「く~っ。エクレールが自慢するわけだよな。この部屋の涼しさは羨ましい」
「打ち合わせ場所は、ここにして正解でしょ?」
大学の運動部という感じの、細マッチョな人が『オデッセイ』のギルドマスター、クラウスさんだ。
薬師の『きゅう』さんは、なんか飄々とした印象です。
「この巨大冷風扇は、まだ売り出さないの?」
「はい……まだ、魔力電池が暫定的なので。売り出す完成度じゃないです。電池にするには高すぎて、本体が幾つも買えちゃうんですよ」
「それは、本末転倒だ。……このスープはペンネさん? 薄味なのが暑い日にはちょうどいいね」
きゅうさんはペンネさんを知っているらしく、スープに舌鼓を打っている。
私専用に作って、届けてくれるこのスープは、ほんのり薄味。
何も言わないけど、ペンネさんには薄っすら私のリアルの事情が察せられてる気がする。
イマイチ美味しいお茶のないこの世界では、このスープの美味しさはとても貴重なのだ。
「じゃあ、本題に入ろうか。
今回、次のアップデートの冬山攻略に向けて、我が『オデッセイ』と『雷炎』で、技術協力をしようという話になったんだ」
協力って何をするんだろう?
ロックさんがいないから、武器や防具の話じゃなさそう。
薬師と雑貨屋さんの共通点は何?
「元はウチの会議の中で、きゅうが言い出したことが結構深刻な問題となったんだ。ちょっとウチの細工師の及ぶ範囲ではないし、『雷炎』の引き籠もり妖精さんを巻き込んで、対策した方が良いと決めたんだけど……」
「結果、『雷炎』としても、きゅうさんのポーションを供給してもらえることになったから、シトリンさんにも本気で協力してもらえればと思うんだけど……今は忙しい?」
「今は魔力電池と、ずっと棚上げのコーデリアさんの温室くらいだから物によって、です」
「いけね……それを先に説明しないと、話にならないか。きゅうから頼む」
「はいよ。シトリンさん、今度増えるエリアが雪山だって知ってるよね?」
スープが気に入っちゃったらしく、おかわりを手酌で注ぎつつ、きゅうさん。
冷製コンソメは、隠し味のミントが効いてるのよ。
「ちょうど夏に入った時期に、こんなアップデート考える運営もサディストだよ。……で、気温マイナス二桁の世界を想定すると、薬師としては頭が痛いんだ」
「…………?」
「ピンとこないかな? ポーションは凍らない。でも、冷えるんだ。マイナス二桁の世界で、シトリンさんは冷製スープを飲みたいと思うかい?」
やめて! 想像しただけで凍りそうだよ。
いくらペンネさんのスープが美味しくても、寒い所では温かいスープが飲みたい。
オフラインのゲームならともかく、感覚の伴うVRMMOでは盲点だよね。
「だろう? いくら回復のためだとはいえ、極寒の中で冷え切ったポーションを一気飲みさせるのは忍びないよ。……そこでシトリンさんにお願いしたいのは」
「ポーションヒーターですね」
「正確に言うと、ポーションヒーターケースかな? 回復薬二種と、状態異常の薬四種。あとは魔力回復とかの、合計で10本を入れられる保温ケース」
バッグから試験管立てのようなものを出して、ポーションのサンプルを見せてくれる。
触ってわかるように、試験管にギザギザがついてる。……でも。
「寒い時は手袋をするから、このギザギザだと区別できないかも?」
「あ……それは言える。そこも変えなきゃ駄目か」
「肩掛け? ベルト通し?」
「本当に引き籠もってるんだね。戦闘想定のポーションケースはしっかりベルトに通しておくのが常識だよ?」
うう……余計な所で生活習慣がバレる。
それはともかく、そんなに難しくはないかな?
今、ケースを作っている皮を毛皮に変えて……中のポーション立てを木製に。加熱は温度調整したヒートプレートで良いから……。あとは採算度外視で暫定魔力電池を使って、ログアウト時に必ず魔力を充電させればよくない?
「さすがに速いね……それに実用的だ」
「最悪はヒートプレートで皮の内装を覆ってしまえば、問題無さそうな気がします」
「ヒートプレートって厚みはどれくらい?」
「真鍮に魔法陣刻むだけだから、自由自在です。今使ってるポーションバッグが有れば、それ参考に試作しますよ?」
「それは『雷炎』にも有るから、後で届けるよ」
「他には、何かありますか?」
「そう言われちゃうと、僕としては製薬道具の自動化とかお願いしたくなっちゃうけど……」
笑って言いながら、きゅうさんは両ギルドマスターの顔をチラ見する。
ふたりとも、苦笑するしかない。
事情を知ってる私としても、お道化て言うしか無いですね。
「残念ですねぇ……『雷炎』に協力してくれたら、私も動きやすいんですけど……」
「まさか一瞬で決まるとは思ってなかったから、僕も真面目に後悔してるよ」
「こらこら、シトリンさん……引き抜き禁止!」
笑いの中で解散となった。
帰り際にエクレールさんが
「そんな未来もあっただけに、本当に惜しいなぁ……」
と、呟いたのが印象的だった。
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