第3話 間宮くん
二階の廊下の掃除を済ませたわたしは、掃除機を物置へしまった。
あまり違いが分からないものの、廊下の
太陽が西にかたむいてきていたが、まだ夕食の時間には遠い。部屋で時間をつぶそうかと廊下を歩いていると、矢田さんが部屋から出てくるのが見えた。
「あっ! 矢田さん!」
急いで彼へ駆け寄り、わたしはたずねた。
「乱橋さんから話、聞きましたか?」
寝起きなのだろうか、矢田さんは面倒くさそうな顔をした。
「いや、聞いてねぇけど」
「そうでしたか。ちなみに、ご飯は?」
「これから食いに行こうかと思ってる」
「まだ夕食の時間じゃないですよ」
矢田さんは舌打ちをすると、ぼさぼさの髪をがしがしとかいた。
「クソだな」
やっぱり、まだここでのルールを知らないようだ。
無視するように歩き出した彼だが、隣に並んでわたしは歩調を合わせる。
「夕食は十八時から二十時の間に、朝食は七時から九時で、昼食は十二時から十四時までの間に、一階にある食堂でとるようにしてください」
「そうか」
「お風呂は十七時から入れます。三階にある共有スペースは自由に使えますが、他の人の迷惑にならないよう、常識を持って使ってくださいね」
ふいに矢田さんが立ち止まり、わたしをじっと見つめてきた。
「お前、どこまでついてくるつもりだ?」
「え?」
思わずきょとんとしてしまうと、矢田さんはあざ笑うように片方の口角をあげた。
「男子トイレだぞ」
はっとして見ると、目と鼻の先に男子トイレがあるではないか!
矢田さんがさっさと扉の向こうへ消えていき、わたしは危うく中へ足を踏み入れそうだったことに気づく。
「危なかった……」
矢田さんが止まってくれて助かった――と思うと、彼の優しさを感じてしまって、急に胸がドキドキしてきた。
いやいや、まだ唐木くんだって気になっているんだ。長山さんも矢田さんのことが気になっているんだし、まだ本気で好きになるわけには――。
「もういいや、戻ろう」
廊下で立ちつくしているわけにもいかないと思い、わたしはそそくさと自分の部屋へ戻った。とりあえずルールは伝えられたのだから、これでいいことにしよう。
夕食の後でお風呂に入った。昨日は誰とも会わず、一人で広い浴槽を独占できたが今日は違った。
「あら、若島さんだ」
先に入っていたのは長山さんだった。
脱衣所に服があったので、念の為タオルで体を隠しておいてよかった。
「かぶっちゃいましたね」
と、わたしが苦笑すると彼女はけらけらと笑う。
「あたし、長風呂なんですよ。そのうちに誰かと、時間かぶりそうだなって思ってました」
浴槽へ近づき、お湯を何度か体にかける。
「もしかして、一時間くらい入るタイプ?」
「そうですねぇ。特にここへ来てからは、スマホもなくて退屈なんで、二時間くらい入っていたいかも」
おかしそうに言った彼女へ、くすくすと笑いながら浴槽の中へ入った。
「あー、温かい」
個人的にはぬるめの温度だが、これくらいがちょうどいいとも思える。
長山さんと少し距離を置いたところに座りこむ。肩までつかれば、掃除で疲れた体が癒されていく。
「そういえば、知ってました?」
「え、何の話ですか?」
長山さんはどこか遠くを見るように、斜め上を見つめながら言った。
「隣の建物にチャペルがあったんですよ」
「えっ、そうなの?」
思わず驚いてしまったが、互いの目を合わせることなく話を続ける。
「お昼に晴日さんと外に出たんです。そしたら、隣に建物があることに気づいて」
そういえば、わたしはまだこの建物から外に出ていない。庭があるのは把握していたが、隣にも建物があったのは知らなかった。
「行ってみたら、すっごく綺麗なチャペルがあったんですよ。近くに広い部屋もあって、晴日さんが言うには、結婚式を挙げられるホテルだったんだろうって」
「結婚式、か……」
何とも皮肉なものである。婚活合宿につられて集まったわたしたちが、チャペルのあるホテルに閉じこめられるなんて。
「よければ若島さんも見に行くといいですよ」
にこりと急に笑顔を向けられて、わたしはうなずいた。
「そうですね、時間ができたら行ってみます」
その返答が気に入らなかったのだろうか。彼女がむっとした顔をして、こちらへずずいと寄ってきた。
「時間なんてたっぷりあるでしょ」
「でも、わたしには掃除が……」
「ただでさえ広いここを、ピカピカにしようって言うんですか?」
「えっ、いや、そういうわけじゃ……」
戸惑うわたしへ彼女は表情をふっとやわらげた。
「別にいいですよ。好きにしてください」
「え、あ、はい」
「でも、あたしのことは梨央ちゃんって呼んでください」
「え?」
急に話が変わった。若い子特有のものだろうか、ちょっとついていけない。
「あたしも若島さんのこと、月葉さんって呼びたいんで」
ぱっと花が咲くような笑みを見せられると、何だかもうどうでもよくなってしまった。可愛い顔をしているだけに、意識がそちらに奪われてしまうのだ。
「あと、ですますもなしでいいですよ」
「え、あ……うん、分かった」
「それでよし」
満足気ににこにこと微笑む梨央ちゃんは、同性ながら可愛いと思ってしまう。わたしも彼女みたいな、明るくて可愛い女の子ならよかった。
「あとは佐藤さんかなー。小さくて可愛いからずっと気になってるんだけど、なかなか仲良くなれなくって困ってるんですよ」
「そうなんだ。まあ、佐藤さんは食事係でよく厨房にいるしね」
「あたし、料理したことないからなぁ。他に共通点とかないかなー?」
「うーん、どうだろう」
梨央ちゃんと佐藤さんに共通点があるようには思えない。どちらかといえば前者は陽キャで、後者は陰キャだからだ。
「でも、そのうちに仲良くなれる日が来るよ」
と、わたしが言うと、梨央ちゃんはまたむすっとした顔を見せた。
「無責任な発言」
「えぇ、そんなことないよ! だって女子は四人しかいないんだし、三ヶ月もあるんだから」
「ふふっ、分かってますよぅ。もう、月葉さんってばおもしろいんだからー」
そして彼女がまたけらけらと笑いだし、わたしはからかわれたことに気づく。恥ずかしさから何も言えなくなって、隠すように湯船に口まで沈んだ。
次の日、わたしは初めて建物の外へ出た。
夏の日差しが
梨央ちゃんに教わったとおり、隣の建物を見つけて近づいていく。
石畳の敷かれた道の先に階段があり、その先がチャペルになっていた。
木製の扉をそっと開ければ、目に優しいクリーム色のチャペルが眼前に広がった。
「うわ、予想以上」
シンプルな長椅子にはリボンと造花が飾られていて、正面には立派な十字架。窓が大きく、天井からも陽光がさしている。ドラマ撮影などに使われそうな、本当に美しいチャペルだった。
――こんな場所で結婚式を挙げられたら、一生の思い出になるに違いない。ああ、憧れる。
思わず見惚れていると、後ろから声がした。
「あ、若島さんも来てたんですね」
はっとして振り向く。そこにいたのは、東くんと唐木くんだった。
「えっ、二人はどうしてここへ?」
と、反射的にたずねたわたしへ唐木くんが言う。
「間宮くんから聞いたんです。綺麗なチャペルがあるって、梨央ちゃんから聞いたらしくて」
どうやら梨央ちゃんは、いろいろな人にここの話をしていたらしい。しかも、唐木くんが梨央ちゃん呼びをしているということは、すでに仲良くなったようだ。
「うわあ、マジで綺麗な場所だな」
東くんがそう言って中を歩き始め、唐木くんはわたしの隣へ並ぶ。
「こんな場所があったなんて、びっくりですね」
「ええ、そうですね」
思わずドキドキしつつ、わたしは問う。
「それで、間宮くんがいないのは?」
「あとから来るって言ってました。昼食後の皿洗いは彼の担当なんです」
にこりと優しく微笑む彼は、やっぱりいい雰囲気の人だ。これまで付き合ってきた男たちとは違うけれど、だからこそ惹かれる。
「そうなんですね」
あらためてわたしもチャペルの中へ目を向ける。すると、東くんが言った。
「唐木! この十字架、すごいでかいぞ!」
呼ばれた彼がそちらへ駆けていき、わたしは子どものような彼らを微笑ましく思った。
しかし、間宮くんは一向にやってこなかった。
「おかしいなぁ。来るって言ってたはずなのに」
東くんが腕時計を見ながら言い、わたしは少し心配になって返す。
「ホテルへ戻ってみるのはどうです? もしかしたら、何かあったのかも」
「そうですね。戻ろう、東くん」
と、唐木くんが同意してくれて、わたしたちはチャペルを出た。
ホテルまでは五十メートルほどしか離れておらず、すぐに着いた。
正面玄関から中へ入ると、竜野さんが声を荒らげていた。
「だから、それが迷惑だって言ってんの!」
思わずびくっとしてしまったわたしたちだが、竜野さんのすぐ後ろに佐藤さんがいた。梨央ちゃんに肩を抱かれており、トラブルが起きた様子だ。責められていたのは――間宮くんである。
「で、でもっ、おれはただ」
と、困惑しつつも言い返そうとする彼へ、竜野さんがまた大きな声を出す。
「言い訳しないで!」
わたしはすぐに二人の間へ入った。
「二人とも落ち着いて! すみませんが、何があったのか教えてくれますか?」
はっとした竜野さんが落ち着きを取り戻し、間宮くんはほっとしたように息をついた。
すると、梨央ちゃんが口を出す。
「彼が佐藤さんにつきまとってたんです。それで怖くなっちゃって、佐藤さんが晴日さんに泣きついて」
「いやいや、つきまとってなんかないよ!」
と、すぐに言い返す間宮くんへ顔を向け、わたしは冷静にたずねた。
「でも、佐藤さんを泣かせたんですよね? 何をしてこうなったのか、説明してもらえますか?」
間宮くんはバツの悪い顔になり、視線をそらしながら答えた。
「仕事が終わったから、佐藤さんを誘ってチャペルに行こうと思って。でも、逃げるから追いかけて」
それはまずい。佐藤さんのようなタイプには逆効果だ。
「そしたら、急に彼女が泣き出して」
呆れたようなため息がいくつか漏れたところで、佐藤さんが口を開いた。
「違いますっ。昨日も、一昨日も、同じように、わたしにつきまとってきてたんです」
「サイアク」
と、梨央ちゃんが彼をじと目で酷評し、様子を見ていた唐木くんは呆れたように言った。
「佐藤さんとやけに仲良くしてると思ってたら、間宮くんが一方的に好意を押しつけてたのか」
そういうことだ。
状況を理解したわたしは、間宮くんへ言った。
「今回は間宮くんが悪いと思います。佐藤さんに好意を抱くのはいいけれど、きちんと彼女の気持ちもくまないと、仲良くなれませんよ。特に佐藤さんは
彼がついに口を閉ざし、東くんがそばへやってきて肩を叩いた。
「間宮はまだまだ若いな。女性の扱い方を分かってない」
「……」
無言で東くんをにらむ間宮くんだが、少しは反省した様子だ。
「すみませんでした」
と、頭を下げたのだ。
「謝るなら佐藤さんに」
意地悪ながらもわたしがそう言えば、間宮くんは佐藤さんの方へ歩み寄っていき、あらためて謝罪をした。
「佐藤さん、ごめんなさい」
「っ……だ、大丈夫、です。わたしも、ごめんなさい」
「佐藤さんは謝らなくていいのよ」
と、竜野さんがすかさず口を出し、佐藤さんは微妙な表情になる。
「とりあえず、これで解決ですね」
言いながらわたしは佐藤さんの方へ向かっていき、たずねた。
「間宮くんとは同じ食事係ですよね。これからも仕事、一緒にしていけそうですか?」
佐藤さんは涙を手の甲でぬぐいながら返す。
「ちょっと、嫌です」
「そうですか。じゃあ、間宮くんはほとぼりが冷めるまで別の仕事を」
と、視線を向ければ、彼は自身の犯した事の重大さを認識したらしく、苦い顔で深々とため息をついていた。
「わたしと仕事、交換しましょうか」
「掃除係ってことですか? まあ、別にいいですけど」
東くんが「しょうがないよな」と、呆れたように言い、唐木くんも「自業自得だよねぇ」と、苦笑いをしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます