第5話 薄れ行く記憶

 三枝は、この時間で、最初は、さほど気になっていなかったはずのみゆきが、どんどん気になっていくようになった。逆にみゆきは、三枝のことを最初はやけに気にしていたにも関わらず、途中から、何かが冷めてしまったような気がしたのだ。

 お互いに、どこかで交差したのだろうが、三枝の方は交差に気づかないまま、逆にみゆきの方は、交差を思い切り意識したのだろう。その交差は、

「冷めてしまった何か」

 ということになるのだろう。

 三枝にとって、最初はスコアをつけているところを邪魔されたという感覚だったのに、みゆきのことが気になってきたのだ。

 実はみゆきの方もその感情はまったく同じなのだが、そのタイミングがずれていたのだ。女の方が、意識が先に盛り上がり、そしてすぐに萎んでいった。だから、美幸は自分が先を進んでいることで、後ろをついてくる三枝の行動パターンが読めたのだろう。

 だから、三枝は、自分の気持ちに素直になれたが、みゆきの方では、

「ちょっと待って」

 と感じたに違いない。

「女性は、自分の気持ちがハッキリするまで、相手に気持ちを悟らせないようにする」

 というような話を聞いたことがあったが、それは、別れを言い出す時だという話だったが、実際には、それだけではないのかも知れない。

 確かに言われてみると、自分の知っている女性というのは、自分の気持ちがハッキリとしているにも関わらず、相手が何らかのアクションを示して、それに対してそれなりの回答を示そうとした時、自分の中で判断を下すようだ。

 その時、初めて別れを繰り出すことになる。

 ということは、女というのは、

「相手に意思表示をする時は、すでに最後通牒を切り出したわけでもないのに、宣戦布告をするのと同じだ」

 ということであった。

 つまり、何と言って説得しても、それは後の祭りである。

 女は、退路を断ったあとで、相手を攻撃に入るのだが、男の方とすれば、

「今後、後悔するかも知れないと思う中で、自分が毅然とした態度を取るだけの勇気を持つことができない」

 ということになるだろう。

 要するに、女性の場合は、態度に出す時は、すでに後戻りができないところまで行っていて、男だけが取り残されているわけだ。

「そんなの卑怯だよな。まるで後出しじゃんけんのようなものじゃないか?」

 と男からすればいうのだろうが、

「男の方こそ、女の子腐ったようないじいじした態度を取って、一体何をどうしたいのか、まったく分からないのよ」

 ということだろう。

 男の方は、保険を掛けるかのように、どっちに転んでもいいように考える。そういう意味では女の方がしたたかだといえるのかも知れない。

 男は、保険を掛けることで、自分を納得させたいのだ。

 女は、男と話をする前に、自分を納得させている。きっと、男と面と向かって話をすれば、情が湧いて、別れることができなくなることで、自分の意思表示をした時、すでに音戻りができないようにする行動をとっているということなのだろう?

「私は、あなたの考えが分からないの」

 と、言われて、失恋した友達を目の前で見たことがあった。

 何と言って、声を掛けていいのか分からないが、そのショックは大きかった。

「女って、卑怯だよ。こっちに意思表示をした時は、すでに腹を決めているんだからな」

 といっていたが、まさしくその通りなのだろう。

「そういえば、卑怯なコウモリという話を聞いたことがあるが、コウモリは男なんだろうな?」

 という友達がいた。

「どういうことだい?」

 と聞くと、

「女はしょせん、皆後出しじゃんけんであって、先に逃げ込んでおいて、相手が身動き取れないところまで誘い込んで、アリ地獄に落とすような真似をするんだからな」

 というのだった。

 だが、そんな理屈を男の三枝が分からないというのは、理解できるが、女のみゆきの方も、よく分かっているわけでもないようだ。

 ただ、何となく、

「後出しじゃんけんなのではないか?」

 とは感じていて、そんな自分が、

「どこか嫌なんだ」

 と感じているのも事実だった。

 じゃんけんをして勝ったのは、わざとではないと思いたい。しかし、後出しなのは間違いないし、相手も後出しじゃんけんを卑怯だと思うようになるだろう。

 そんなことは分かっている。分かっているのに、どうしようもないのが、

「女の性」

 というのではないだろうか?

 今、彼女は26歳、これまでに何度か男性と付き合ってきたこともあるようで、そのたびに、

「後出しじゃんけん」

 を感じてきた。

 最初は。どこが後出しじゃんけんなのか分からなかったが、ここ数年の間で、

「別れを感じた時、自分が後出しじゃんけんをしているのだ」

 と分かるのであった。

 それは、

 彼女が別れを感じた時、相手はいつも、能天気だった。お互いに好きだと思っていると思い込んでいて、一切のみゆきの心の変化に気づいていない。

 みゆきは、そんな相手の男に腹が立つ。気持ちの変化に、どうして気づいてくれないかということを考えるからだ。

 だが、そんなみゆきも、心のどこかで、

「まだ、私の気持ちの変化に気づかれたくない」

 という思いがあるからだ。

 明らかに矛盾した考え方なのだが、それは、自分が、何かと何かを天秤にかけているということを感じていたからだ。

 何と何を天秤に架けているのか分からない。

 一つは、

「まだ自分が彼に対して未練があるのではないか?」

 という思いがあるからだろう。

 それを未練とでもいえばいいのか、それとも、

「最後の砦」

 いや、言い方を変えれば、

「保険を掛けている」

 ということになるのかも知れない。

 後出しじゃんけんの状況が造り上げられているといっても過言ではないだろう。

 だからみゆきは、自分の考えが、決して相手に漏れないように行動していた。

 しかし、そんな中で、相手はまだまだ有頂天の中にいるのだ。それなのに、自分だけが勝手に先に進んでしまい。相手を置いてけぼりにしてもいいのだろうか?

 それが、結果として、自分だけが苦しむことになり、最期には、腹を決めた自分が、相手の梯子を外すことで、自分に近づけないようにするという、誰が見ても、

「卑怯だ」

 と思わせる戦法を用いているように思われるのが癪だったのだ。

 そんな時、自分の中では、

「仕方のないことなんだ」

 と思いながらも、周りの目は、

「なんて卑怯な女なんだ」

 と、自分が知らない相手まで自分をそんな風に見て、まるで、敵を見ているかのような挑戦的な目を自分に向けているように思えてならなかった。

 特に数年前まであった、

「表に出る時や、人と接する時は、必ずマスクをしないといけないという習慣」

 の時には、顔全体が分からない。

 表情が分からないだけに、卑怯だと思われていても、そこまで露骨には思えないのが普通なのだが、卑怯だと思われているという自覚があるみゆきにとっては、まわりの目だけで、どのようなものすごい形相をされているのかということが、分かるような気がして、ゾッとしていたのだった。

 では、相手の三枝の方はどうだろう?

 確かに、みゆきが心の中で、

「この人はないかも知れない」

 と思っていることを知る由もなく、

「女の子と知り合えた」

 ということだけで、有頂天になっていた。

 実際に、普通に女の子と知り合うことは、ほとんどなかった。自分では、

「きっかけがないからだ」

 と思っていたが、要するに積極性に欠けるからではないのだろうか?

 もっと積極的に前に進むことを考えれば、相手のことを好きになることなど、何ら問題ではないからだった。

 そんなことは分かっているつもりだった。だが、一歩を踏み出すことができないのだ。

「ひょっとすると、最初が、風俗のお姉さんだったからではないか?」

 とも思ったが、それは言い訳であり、彼女たちは、ただ、三枝が女性に対して、男性としてどのように振る舞えばいいかということを、教えてくれたのだ。

 ただ、それが、風俗嬢の考え方だという勝手な偏見を持っていたのは、三枝の方で、それは、関係が、

「身体の関係」

 から生まれたことを、

「不純だ」

 と思ったからなのかも知れない。

 しかし、実際には、身体の関係から入るカップルだっている。中には、会社の飲み会で、男の方が潰れてしまい。その男性に密かに恋心を抱いていた彼女が、積極的に介抱したことで、

「そのまま体の関係に……」

 ということだってあるかも知れない。

 テレビドラマなどの設定でありがちな気がするが、結構多いのかも知れない。しかも、彼の方も彼女に対して、少なからずの好意を持っていたとすれば、そこから一気に、両想いになるということだって十分にある。

 それは、果たして、

「順番が逆だ」

 などと言えるだろうか?

 そもそも、

「順番って何なのだろうか?」

 お互いに話をするようになって、相手を意識して、一緒にいたいと思い、一緒にいる時間が増えてくるにしたがって、身体の関係に発展してくる……。

 これは、王道でオーソドックスな流れなのだろうが、

「そうでなければいけない」

 というほど、恋愛というのは、教科書に従ってするものなのだろうか?

 いや、身体の関係から入る恋愛だって、別に邪道ではない。下手に王道の恋愛で、お互いにいいところばかりが見えているので、

「結婚するなら、この人しかいない」

 とお互いに一気にそう思い、間髪入れずに結婚までまっしぐらだった場合、その結末が、

「成田離婚だった」

 ということもえてしてあるだろう。

 なぜなら、付き合っている時は、お互いのいいところしか見えていなかったからだ。

「この人だったら、大丈夫だ」

 と思い、まさかと思うが、

「この人との相性がバッチリだから、自分にとって悪いところなど一切ないんだ」

 などという思いが強かったのだとすると、新婚旅行で、初めて一緒にずっと行動してみると、ちょっとしたことで、相性のずれが感じられることもあるだろう。

 本当にちょっとしたことなのかも知れない。

 自分は朝、洋食派なのに、男は和食を好むだとか、それまでまったくなかった針の穴を見つけてしまうのだ。

 針の孔というのは、ちょっとしたほころびから、気づけば、大きなほころびへと変わっていってしまう。それが、疑心暗鬼に繋がり、相手との、

「初めてのスレ違い」

 となるのではないだろうか?

 ただ、まだほとんど恋愛経験のない三枝に、今日会って、ちょっと話をしただけのみゆきという女性の存在は、どこまで行っても新鮮な女性だという印象が、深まっていくだろうとしか思えなかったのだ。

 みゆきは、学生時代に、何度も恋愛をしている。中には、結婚を考えた熱愛の相手もいれば、どうにもならない、クソのような男もいた。

 覚えているのは、結婚を真剣に考えた男の方ではなく、クソのような男であった。

 熱愛だった男性は、あくまでも、みゆきの方が惚れていて、結果的に、プレイボーイだった男に、いいように、それこそ都合よく使われていただけのような、

「何番目か分からない」

 というそんな女だったのだ。

 別れてみれば、

「あんな男、思い出したくもない」

 というほどの男で、どちらかというと、クズはその男の方だった。

 最初からクズだと思っていたその男とは、熱愛が最悪の形で終わってから、その傷も癒えない中で出会った男だったのだが、その男は、パッとしない男だった。

 何をするにも、女に頼ってきて、甘えようとする。

「甘えれば何とかしてくれるとでも思っているのかしら?」

 と思って、寄ってくるその男を、まるで野良犬を追っ払うように、

「しっ、しっ」

 という感じで追い払おうとしているのに、その男は、こっちの気持ちを知ってか知らずか、まったく気にしていないように、構ってくれるのを、素直に喜んでいるようだった。

 そうなのだ。この男は、素直なのだ。相手は反応してくれると、それがどんな態度であれ、嬉しいのだ。純真無垢といえばそれまでなのだが、

「本当にバカなんじゃない?」

 と思うほどなのに、どうしても、放っておくわけにはいかなかった。

 本当に何もできない男で、女の自分が何とかしてあげなければ、すぐに野垂れ死んでしまうと思えるほどに、

「何もできない男」

 だったのだ。

 その時感じた。

 子供がよく、野良犬を拾ってきて、家で飼いたいといって、連れて帰ると、親から、

「何、その汚い犬は。飼えるわけないでしょう? 早くそんな蒸すぼらしい犬、どこかに捨ててきないさ」

 と、まず100人のうち、99人の親は同じことをいうであろう。

 自分が大人になると分かってきたが、本当に野良犬は野良犬でしかないのだ。

 しかし、子供はそんなことは分からない。自分が最初に出会って、あのつぶらな瞳で見つめられれば、子供であれば、黙っておくことはできないだろう。

 それなのに、どうして親には、醜くて汚いものにしか見えないのか。そして、どうしてあんなに頑なに、汚物でも見るような目で見ることができるのか、理解できるはずがなかった。

 子供心に、

「大人になったら、あんな風になるということであれば、僕は大人になんかなりたくなどない」

 と思うことだろう。

 大人というのは、そういうもので、子供との間に、見ることのできない結界があるということだろう。

「親の心が子供に分からないのは仕方がないが、子供の心を親が分からないという道理はない」

 ということは、子供にもわかる。

 しかし、なぜ大人になると忘れてしまうのかということがどうしても分からなかった。

「忘れているわけではないけど、親という責任上、苦渋の選択をするのだろうか?」

 と考えたが、それにしては、あの感情むき出しの態度はないだろう。

 子供がどう感じるかということを考えていれば、あんなヒステリックになるはずなんかないんだ。

 と思うと、本当に、大人になると、子供の頃のことを忘れてしまうのかも知れない。

 ただ、その理由は、

「時間の経過」

 ということで片付けていいものだろうか?

 やはり、大人と子供の間には結界のようなものがあり、子供は親に感情的に起こられたことに対して、ショックが大きければ、そのままトラウマとなって残ってしまいそうな状況に、

「記憶が薄れていく」

 ということになるのだろうか?

 それにしても、なぜ、みゆきが、こんなに早く三枝のことが分かったというのだろう?

 そもそも、それは勘というものであって、本当に合っていることなのかも分からない。

「ほぼ、間違っているだろう?」

 と、考えた本人であるみゆきがそう思っているのではないだろうか?

 ただ、その思いの中に、

「他の記憶が薄れてきて、ふと目の前にあることは、信憑性が高い」

 という思いがあることから、この勘も、

「そこまで見当違いなことを考えているようには思えない」

 ということであった。

 薄れていく記憶の中に、何か真実が隠されているのだろうか? たったさっきまで覚えていたものが消えかかっていくのに気づいた時、もうどうにもならないことは分かっている。

 子供の頃に見た特撮映画のシーンを思い出したのだが、あれは、宇宙人が空中に、

「疑似空間」

 なるものを生み出す宇宙人がいて、その宇宙人が正義のヒーローにやられた時、疑似空間も、どんどん消えていくというシーンがあったが、それを見た時、結構な違和感があった。

 疑似空間は、大きな森があって、その森の中に底なし沼があるのだが、その沼が、消えていく時、陸地が消えていくのに、水がそのまま空間に浮いているのだ。それを見た時、子供心に、

「どうして、水が流れ落ちるようなことはないのだろうか?」

 と感じたものだった。

 そもそもが、

「疑似空間」

 なのだから、水だけが、重力に負けて落ちていくというのもおかしなものなのだが、普通に理屈で考えるから、違和感があるのだろう。つまりは、

「自分は、この世界の理屈を、すべて正しいとして、その基準で、物事を、自分の物差しで測っているにすぎない」

 ということになるのだろう。

 そして、自分の、この、

「薄れていく記憶」

 というものと、子供の頃に見た特撮映画の、

「疑似空間」

 という感覚がシンクロしたのだった。

 それは、まるで、

「別の次元のベクトル」

 が、まるでパラレルワールドにおける、

「もう一人の自分の存在」

 のように、同じベクトルで繋がっているということのようにしか、思えないのであった。

 そんな記憶が薄れていく中に、

「まるで、人柱のような、何かの生贄というものが必要なのではないだろうか?」

 という思いがあったのだ。

 人柱とは、何かの建築物を建てるのに、今でいう地鎮祭、つまり、地面の神の怒りを鎮め、これから建てる建築物を永遠に平和ならしめる、穏やかさを持続させるという意味での、

「生贄」

 であった。

「薄れていく記憶の保証を、まるで担保しているかのようだ」

 と思えた。

「記憶は薄れていくだけで、決してなくなるものではない」

 を、保証し、担保してもらえるもの。

 それが何なのか、何しろ生贄なのだから、相当なものだろう。

 ひょっとすると、神に自分の人生、運命をゆだねるという、人柱よりも、もっとすごい契約が結ばれているのかも知れない。

 そもそも、人の犠牲を、何も関係のない他人に負わせることをするというのか、考え方が間違っていると、誰も進言する人がいないということで、それだけ、自然の猛威は、人間ではどうにもなるものではないのだろう。

 人柱というのは、いかにも大げさではあるが、それくらいの思いがあるということである。

 他の記憶が薄れてきた、その内容は、かつての自分がつき合った男性たちということであろうか?

「記憶は薄れては言っているんだけど、消えているわけではないんだよな」

 という感覚だった。

 そこが、前述の、

「疑似空間の中の沼の水」

 とは違うものであって、違和感があったとすれば、その疑似空間が消えていく中で、何に違和感があったのかというと、

「それは順番なのではないか?」

 と思わせたところだ。

 かつて、付き合っていた男性たちの記憶の順番とは何なのだろう?

 そもそも、順番というのは、

「意識の中における、時系列ということなのか?」

 それとも、

「付き合った人たちとの出会いの時系列ということなのか?」

 のどちらであろう?

 今まで付き合ってきた男性と、ほとんど長続きをしたことはなかった。長い時でも、数か月、最高で五カ月くらいがいいところではなかったか?

 下手をすれば、

「付き合った」

 という中に入れてはいけないくらいの人もいたことだろう。

 今まで付き合ったという意識としては、

「5,6人くらいではないか?」」

 と思っている中で、実際に親友がカウントできる人数として、

「何言ってるの。3人がいいところよ。その3人以外とは、一か月ももっていないじゃない。それでつき合ったって言ったりすると、相手に気の毒よ。ひょっとすると、相手の人たちは、あなたと一緒にいた時期を、黒歴史だって思っているかも知れないくらいなんじゃないかしら?」

 と、辛辣に言われた。

 しかし、実際には、辛辣だと思っているのは相手かも知れない。

 別れた(と本人は思っているが)相手が、みゆきのことをどう思っていたのか、きっと、じっくりと知り合って、何度目かのデートで、やっと、

「付き合っている」

 という感覚になっているのではないだろうか?

 男性というのは、好きな相手に対して、確かに最初はグイグイと行くかも知れないが、それは様子を見ているのであって、最初から計算ずくというわけではない。何度かデートを重ねるようになって、そこから計算が生まれてくるのではないだろうか?

 そこには、男性なりの、伏線というか、言い訳のようなものがあるのかも知れない。

 グイグイとはいくのだが、実際に推しているように見えているのは、それだけ相手に対しての第一印象が自分にとって深かったということで、最初に感じるのは、

「失いたくない」

 という思いなのではないだろうか?

 失いたくないと思っている思いが、そのままつき合うという気持ちになる頃になっても、薄れてこない限り、つまりは、現状維持か、増してきているということの場合は、問題ないのだが、実際につき合おうかとうか考えた時、記憶の薄れがあった時、失いたくないと思ったことを言い訳にして、最初にグイグイいった自分の心境を、正当化したかったということになるのであろう。

 そのことを分かってきたのは、最近になってからのことだった。

 そして自分が、それまでどうして男性と長続きをしなかったのかということを、

「男女の恋愛に関しての考え方の相違」

 という風に感じるようになったのだが、自分の考え方が、女性の中でもかなり特殊だということに気づかなかった。

 なぜなら、他の人のほとんどが、恋愛に対して、つまりは、恋愛の始まりの部分を、ここまで分析して考えるということがないからだ。普通に、別れるということを考えた時、別れを感じたその瞬間をターニングポイントとして、近くから、だんだん円を描くように、まわりに向かって、放物線のような正確さで、広がっていくのではないだろうか?

 恋愛感情を始まりから考えるというやり方は、みゆき独特のもので、それは歴史をさかのぼるのではなく、古代から掘り下げていく時系列重視で勉強していくからだろう。

 歴史が嫌いだったり、苦手だったりする人の多くは、そのあたりの時系列に則った考え方についていけないからなのかも知れない。

 そもそも、歴史を時系列に沿って教えるというのは、誰が考えたことなのだろう。近くから遠くに向かって見ていく方が分かりやすいと思うのは、みゆきだけだろうか?

 実際には、そんなことはないだろう。だからこそ、ついてこれずに、

「歴史が嫌いだ」

 という生徒が多くなる。

 確かに昔から、歴史というと、

「暗記物だから、嫌いだ。覚えられない」

 という人が多かった。

 特に女性の方がその傾向が強く言われてきたような気がする。というよりも、女性がそれを言い訳にして、苦手なことを正当化していたように思っている人も少なくはない気がする。

 今の時代でこそ、

「教科書には載っていない歴史」

 などという言い方をして、いろいろな著書が出ていることから、歴史に馴染みを持つ女性も増えて、

「歴女」

 などというものも出てきたではないか。

 ただ、馴染みの薄い学問であることは、間違いのないことだ。今ではこんなに女性も受け入れられる人が増えてはきたが、相変わらず敷居が高い人も少なくはない。それは、やはり見えないところに、歴史を苦手とする秘密が隠されていると思うと、この時系列での強引な教育にあると考えるのは、無理なことなのだろうか?

 そんなことを考えていると、自分も、中学時代までは歴史が苦手だったのを思い出すのであった。

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