第2話 母校の先生
その日は、いつものように、バックネット裏で、スコアをつけていたが、隣に一人の女性が座ったことに、グラウンドに集中していた三枝は分からなかった。ただそれはいつものことであり、今日に始まったことではなかった。
その日の試合は、結構白熱していた。
といっても、投手戦というわけではなく、ノーガードの打ち合いのようになっていて、5イニングも終わっていないのに、両軍とも、5点以上を取っているというものだった。
「ランナーをためて、ドカンと一発長打で大量点」
というパターンで、一番客が湧く試合であった。
そのせいか、フロントが忙しく、ピッチングコーチが、何度もマウンドに行くことが多くなっていた。
ピッチャーも何人が交代したことだろう。
「一人投げてはまた一人」
といった具合であるが、ベンチ入りの投手の数で賄えるのか、疑問なほどだった。
ただ、野球の試合というのは面白いもので、どれだけの、
「空中戦」
を描いていたとしても、どこかで、スコアボードに0が入れば、そこから先、急に試合が落ち付いてきたりするものだ。
しかも、それが、三者凡退などであれば、余計にそうであるが、逆に、この三者凡退に三振などが含まれていると、今度は、相手がチャンスを迎えて、得点を入れるということも、往々にしてある。
試合が落ち着いた方がいいのかどうなのかは難しいところだが、監督やスタッフとすれば、
「これ以上、点を取られないこと」
というのが、大きな目的だといえるのではないだろうか。
スコアをつけながら、三枝はそう思っていると、
「うーん、ここから先の投手交代が難しいわね」
と隣の女性が話しかけてきた。
「というと?」
と、興味津々で三枝が聞くと、
「今は、何とか、繋いできているけど、本当はいい投手をここで一度挟んでおいて、試合の流れを落ち着かせるのがいいんだろうけど、お互いに打線はすでに、ヒートアップしているので、その勢いを止めるのって難しいのよね。だから、本当はいい投手で区切ればいいんだろうと思うんだけど、もし、いい投手をここでぶつけてしまって、打たれた場合。さらにいい投球をすれば、欲が出て、次のイニングもって思うでしょう? それって危険なのよね。野球の試合って今日で終わりじゃないでしょう? 明日からもずっと続けていくわけだから、ピッチャーに無理をさせたり、精神的なプレッシャーも与えられない。かといって、その人にしか流れを止められないと思うんだったら、使うしかない。難しいところなのよね」
というのだった。
それを聞いて、
「なんて、冷静な判断力なんだ」
と感じた。
「野球の試合って、一試合に、何度かターニングポイントがあるよね? 試合そのものにもあれば、選手一人一人にもある。それを監督がうまくコントールしてあげあいといけないんだよね。プロ野球の場合は特に、ペナントレースで、ほぼ毎日試合がありますからね」
というと、彼女も、
「その通りなんですよ。だから、スコアをつけているあなただったら、そのあたりがよく分かっておられるだろうな? って思ったんです。スコアや数字から、見えていなかったその人の調子であったり、試合の流れが見えてきたりしますからね」
という。
「確かにそうですね。特にスタンドで野球を見ていると、テレビで見るように、開設者や実況が入るわけではないので、何がどうなっているのか分かりにくいところがありますよね。僕なんか、子供お頃は、野球場で、実況、解説がスピーカーから流れているものだと思っていたので、初めて野球を見に来た時は、何か物足りない気分でしたよ。それでも、よくまわりの人がいうのには、野球はやっぱり球場で見るのがいいって、言いますよね?」
というと、
「ええ、それはもちろんですね。でも、今のように、外野席で、試合そっちのけで騒ぎたいだけの人だったり、選手個人よりも試合そのものの人、逆に、試合そのものよりも、推しの選手というようないろいろな見方があるけど、スコアをつけているあなたの心境に興味が出てきて、ぜひあなたの開設をお聞きしたいなと思いましてね」
と彼女がいった。
「僕はそんな偉そうなものではないですよ」
というと、
「そんなご謙遜を」
というのだが、実際スコアをつけているのは、本当は野球など好きでもないはずなのに、それでも見に来ているということへの言い訳にしたいからだったのだ。
野球でけがをして2,3年、もっと他にできることがあったのでは? と思ったことが、野球が嫌いになった一番の理由だが、簡単に嫌いにもなれないのも事実だった。
「でも、僕も以前は野球をしていたので、試合の流れだとか、選手の気持ちは分かる気がしますね」
というと、
「そうなんですか? やっぱり、実際にやると面白い者なんでしょうね?」
と聞かれたので、
「ええ、自分が好きだったんですが、肩を壊して、できなくなりました」
と正直にいうと、
「それは残念ですね。私も、昔は陸上をしていたんですが、同じように身体を壊して、走れなくなりました。きっと、気持ちは分かると思います」
という。
それを聞いて、初めて三枝は彼女の方を振り返った
それまでは、なるべく意識をしないように、目線はグラウンドにあったが、初めて、振り返りたいと思ったのだ。彼女に興味を持ったのだろうか。
彼女の方は、あくまでもグラウンドに目が向いていて、こちらを見る素振りはない。その横顔を見ていると、
「どこかで見たような気がするんだけどな?」
と思ったが、それがいつ、どこでだったのか分からない。
「こういうのを、デジャブというんだろうか?」
と感じた。
ただ、本当に彼女を見たことがあったのかどうかは分からない。
「ひょっとすると、この角度で斜め後ろから覗いている姿に違和感がなかったからだけなのかも知れない」
と感じたからだった。
デジャブというものを今まで考えたことがなかったわけではない。何度も感じていることであったが、その都度、すぐに我に返り、
「そんなことあるはずないじゃないか?」
とばかりに、
「そんなこと」
というのが、どんなことなのかが、分からないのだった。
以前に見たということが信じられないのか?
見たことがあると思いながら、俄かに信じられないという中途半端な気持ちが信じられないのかということである。
そういう意味では野球の試合などでは、結構似たような思いがよみがえってくることがあった。
「こういう場面では、いつも打たれていたな」
などと思うと、必ず打たれている。
「ピッチャーも以心伝心で、同じことを思うのだろうか?」
と、急にボールの力がなくなってしまったことに、その時気づかされる、
何よりも打った方がビックリしている。
「普段なら手も足もでない相手が、今日に限って、打てないわけがないと思う。昔、ボールが止まって見えると言った人がいたが、まさにそんな感じなのだろうか?」
と感じたのではないだろうか。
自分にも経験がある。
いつも対戦している相手が、今まで手も足も出なかった相手なのに、簡単に打てるようになると、考えることが二つある。
「今日は、相手が調子悪いのか?」
ということと、
「今日の俺が、普段にもないくらいに、調子がいいのだろうか?」
ということで、自分の実力が上がったということまで考えることはないだろう。
それだけ自分に自信がなかったのか。それとも、謙遜心が強かったのか。どちらにしても、普段と何かが違ったりすると、余計なことを考えてしまうことが多くなってしまうようだった。
最近になって、そういうことが結構あるようで、
「何かを考える時、両極端に考えてしまいがちだ」
ということを考える。
特に最近気になっているのは、
「長所と短所について」
ということであった。
普通なら正反対のことのように思うのだが、よく言われることとして、
「長所は短所と紙一重だ」
ということであった。
これに関しては、いつも感じていることであって、感銘深く受け取っている。
だから、よく考えるのは、
「短所を治すということよりも、長所を伸ばして、そこから短所を補う」
という考え方であった。
ただ、紙一重というのも、言葉の捉え方で、一歩間違えると、
「踏みいってはいけないところに踏み入ることになるのではないかと思い、二の足を踏んでしまう」
というものであった。
そもそも、長所と短所の両方を的確に理解できている人というのが、どれだけいるだろう?
長所を伸ばそうにも、短所の方を伸ばしていたりすると、そこに違和感がないことから、その心地よさに騙されてしまうような気がするのだ。
だとすれば。短所の方が分かりやすいと思い、とにかく短所を何とかしようと思うのは、傷口を広げないという意味で、応急処置に他ならないだろう。
根本的な解決にはならないかも知れないが、長所を治すという意味での最短距離ではないかと思うのは、
「俺にとって、短所を何とかしようと思うのは、他人に向けての思いのことで、本気で長所と向き合っているのかというと、疑問にしか思えないのだった。
その時に考えるのが、ふと立ち止まって、来た道を見ると、そこに両極端に見えているように思えて仕方がないのだ。
両極端に見える場合は、漠然と見ていると、まったく見えてこないのではないdろうか?
まずは、どちらかに焦点を当てて、そちらを解決することで、片方も実は片付いていると感じることができればいいのだが、それができないことで、堂々巡りを繰り返すことになる。
それは、何かのきっかけを見つけようとして、実際には、自分が見られている位置にいることに気づいていないからだろう。
野球の試合を見ていると、同じ場面でも、立場が変われば、事情が変わってくるというのが、よく分かる。
攻めている方と守っている方で、それぞれに立場が存在するというもので、それが勝負というものをつかさどっているに違いない。
だが、実際にはそうはいかない。
「ピッチャーは、投げる時、バッターの打ちにくい場所に投げれば打たれないと分かっているが、実際には、思い切り投げこんで、空振りさせたいという思いが一番強い」
と感じるのであった。
だから、キャッチャーがいて、そのような気分を落ち着かせるという意味で、キャッチャーがサインを出してるのが、野球である。
「試合全体の指揮を執るのは監督だが、バッテリー間では、キャッチャーの意見が重要であるが、実際に投球するのはピッチャーなので、キャッチャーはピッチャーの気持ちを損なわないように扱わなければいけない」
どんなにいいボールであっても、そこにピッチャーの意思が入っていなかったり、不満を持って投げ込んだ球は、相手がビックリするくらいの棒玉になってしまうことだろう。
投げた瞬間、ピッチャーもキャッチャーも、同時に、
「しまった:
と思う。
しかし、思った瞬間、すべてが終わる。その瞬間に初めてバッテリーの意思の疎通が生まれるというのも皮肉なものだ。
打たれた瞬間、間違いなく何かを感じたはずなのに、その思いがハッキリと思い出せなくなってしまった。
それは、まだ自分がピッチャーをしたいた時で、何を感じたのか、感じたということは憶えているのだが、内容を覚えていないのだ。
つまり、
「何かトラウマが植え込まれたのだろうか?」
と感じたのだ。
そう、思いそうとすると思い出せる気がするのだ。なぜなら、細かいことを一つ一つなら思い出せるのだ。
例えば、
「打たれた瞬間、持っていかれたとは想像もしない」
その瞬間、スタンドまで運ばれたのだが、バットに当たってから、飛んでいった角度を経験から考えても、レフトフライだと思い、後ろを振り向くことすらしなかったのだ。
それなのに、打球は、外野の芝生席に弾んでいた。
「打ったバッターがバットを放り投げ、ゆっくりと走り出したのを見て、ビックリして振り返る」
何と情けない状況なのだ。
確かに、ボールが弾んでいて、レフトが、忌々しそうに、スタンドを見ている。
「ここでうな垂れるのは、実に情けないことだ」
と感じた。
相手が嬉しそうにベース一周を、まるで凱旋しているかのように、時間を掛けて回っている間、まるで、裁判所に引き出されたかのような気がした。
「この、誰にも責任を押し付けられない状況で、責任のすべてを俺に押し付けて、それで丸く収めようというのが、ありありなんだよ」
とばかりに、余裕をぶちかますかのように凱旋ランを続けている相手を見続けなければいけないのは辛いものだ。
そういえば、エラーをした選手が、その居たたまれない状況において、よく自分のグラブを触ってみている。
そんなのを見ると、
「こいつ、エラーをグラブのせいにしているじゃないか?」
と、まわりは感じて、
「無言の言い訳」
にしか見えてこないのだろうが、確かに見苦しさすら感じる。
しかし、それは、本能からの行動ではないだろうか?
野球というスポーツは誰が決めたのか、動きにパターンがある。それは、競技において必ずしなければいけないパフォーマンスではない、しなければいけないものとしては、ピッチャーだったら、脚を上げて、軸足とは逆の足を前に踏み出して、身体の反応で腕を振り、ボールを離す時に、スナップを利かせて。キャッチャーミットめがけて、投げ込むというものである。
バッターであれば、ボールのコースを判断できれば、バットを振り始めて、バットに当てて、前に飛ばそうとする行動は、
「しなければいけない」
という行動である。
だが、そうではなくて、バッターボックスに入る時、ほとんどの人が、利き腕と反対の腕でバットを回し、バッターボックスに入って。構える前に、軽くバットを、本来の軌道とは違う半円を、ベースの手前で描いたり、ベース盤をバットで叩いたりする。
ピッチャーであれば、踏み出す位置をスパイクで掘ってみたりする光景も、なぜか皆同じで、昔から変わっていない。
誰かに教えられたわけではないのに、そんな行動をとるのは、
「テレビで見ていて、プロの選手がするそういう格好に憧れを持つということが、一番の理由なのかも知れない」
そんなことを考えていると、本能にも思えるが、
「うまくなりたい」
という意識から、
「上手な人のマネをすることが、上達の近道だ」
ということなのかも知れない。
これは、子供の頃、発育状態がよく、思春期の連中には、効果的であるということから、言われてきた言葉だろう。
しかし、中には、
「他人と同じでは嫌だ」
と思う人もいて、どこまでが本当なのか、考えさせられるのであった。
ただ、他の競技のように、お互いに勝負の前にしなければいけない行動と違い、別に決まっていないのに、皆。同じようにしている。
かくいう、三枝も同じだった。野球を部活で始める前から同じだったのは、
「テレビでプロの選手がやっているのを見て、格好いいと思ったからだ」
と感じていたが、それをずっと、変なことだとは思っていなかった。
それなのに、急におかしなことだと思うようになったのは、どういうことなのだろうか?
そんな風に感じるようになったのは、野球を辞めてからだった。
野球をやらなくなって、いや、できなくなってからというもの、野球というものに、しつこいほどの嫌味な感覚を覚えていた。
「野球など、しようと思わなければ、こんな変な気分になることもなかったんだ」
というのも、どんな気持ちなのか、
「変な気持ち」
という言葉でしか表すことができなかったというのも、自分の中で嫌なところであったのだ。
確かに、野球をやっている頃には、理不尽なことも多かった。監督の命令は絶対で、しかも、その監督というのが、あからさまに選手の贔屓をしていた。
うまい選手を優遇するのはもちろん、目立ってうまいとも思わないやつをレギュラーにして、本当であれば、もっとうまい選手がいるのに、その選手は干されてしまい、辞めていくことになった。
後で聞けば、
「レギュラーになったやつの親は金持ちで、自分の息子をレギュラーにしたいという親バカから、監督を金で買収したらしい」
などという話を聞いた。
モヤモヤしていた気持ちも、
「理由が分かってよかった」
という思いと、
「聞きたくはなかった」
という思いが交錯して、何ともいえない気分にさせられたこともあったのだ。
ただ、悪いのは、よからぬことを考えた人間であって、野球は何も悪くないということのはずなのに、中学生という成長期で、精神的にも肉体的にも不安定だった三枝は、けがをしたのも、そんな煮え切らない思いがどこかにあって、それがケガを誘発したのかも知れない。
それを、最初こそ、悔しいと思ったが、すぐに気持ちが冷めてきた。
「これで、モヤモヤした思いを持つこともなくなるだろう」
というホッとした気持ちもあったからだ。
これに関しては、野球留学で誘われるほど、野球がうまくなかったということもよかったのかも知れない。
もし、身体を壊すこともなく、野球がうまければ、どこかに推薦で、
「野球で入る高校」
に入学させられたかも知れない。
「もし、その時に身体を壊せば」
と思うと、その後の末路を考えると、本当にゾッとしてしまう。
もし、中学時代に身体を壊さなければ、今の高校に入学し、普通に野球部に入っていたことだろう。
甲子園など、夢のまた夢で、1回戦、突破できればいいという程度で、目標を立てるとすれば、
「三回戦進出」
ということくらいだろうか。
実際に、野球部のレベルを見ると、
「これなら俺だって、2年生くらいから、レギュラーになれたかも?」
と思える程度で、実際に大会では、2回戦どまりの、想像通りの野球部だった。
進学した高校は、公立のK高校というところであったが、進学校というわけでもなく、部活でも、別に目立つところのない。実に平凡な高校だった。そういう意味で、部活に力も入れておらず、どこも、ダラダラやっているという雰囲気だったのだ。
三枝は、この日スコアをつけている時、使っているシャーペンは、昔、高校時代に、創立50周年記念ということで配られた学校のロゴの入ったシャーペンだった。それを見て、隣にいた女性が、
「あら? K高校のOBの方ですか?」
というではないか?
「ええ、そうですが?」
と、少し怪しい人を見るような目で見たが、相手は臆することもなくこちらを、真正面から見つめていた。
その目線に一瞬、たじろいだ気がしたが、
「あなたは?」
と聞くと、
「私は、今あの高校で教員をしているんですよ」
というのだった。
見た目は、三枝よりも、少し年下に見えたが、女性の年齢など、正直よく分からない。そもそも、男性の年齢もよく分からないくらいだからである。
「何を教えていらっしゃるんですか?」
と言われた彼女は、
「社会科ですね。その中でも、日本史が専門というところでしょうか?」
というので、
「そろそろ学校では、歴史総合という科目が始まると聞いているんですが、そのあたりは、どうなんですか?」
と聞くと、
「詳しく話すと長くなるんですけど、そのあたりは、抜かりなくできているつもりです。しかも、合同になるのは、あくまでも、Aの方の、一般常識レベルのものなので、逆に、時系列で勉強できるのでいいかも知れないと私は思っています」
というではないか。
「私も日本史だったので、どうしても、日本史を贔屓目に見てしまうのですが、確かに、近代からこっちは、世界史を知らないとまずいですよね?」
というと、
「私の見解では、大航海時代から、世界に目を向けないといけないと思います。特にキリスト教伝来あたりは、中国との歴史にも関わってくるので、室町末期から、戦国に掛けての時代は、革命的なことが多かった時代だという認識でもいますからね」
と言われた。
「なるほど、確かに、戦国時代の幕開けとともに、鉄砲が伝来したり、その時代になると、キリスト教の考え方も入ってくる。特にキリスト教の布教には、植民地化という、母国からの大プロジェクトが国家ぐるみで行われているので、大変だったでしょうね。私の中では、勝手な推測なんですが、キリスト教伝来、さらに鉄砲に伝来の時期と、戦国時代の幕開けという時代の一致は、別に偶然ではないのではないか? と、思えるんですよ」
と三枝がいうと、
「それはどういうことでしょうか?」
と彼女に聞かれて、野球を見ながらであったが、このあたりの話になると、黙ってはおけない方だったので、スコアブックを閉じて、向き合って話をする気になっていたのだった。
「それはですね。キリスト教を布教しに来た連中が、地元の国人だったり、家来衆に近づいていって。武器を供与するという約束で、下克上を起こさせたという考えも成り立つのではないかと思ってですね? そもそもキリスト教の布教は、内部から、国家を混乱させて、その混乱に乗じて、本国からの艦隊が一気に押し寄せ、鎮圧とともに、植民地化したわけでしょう? それと同じことをやったんだけど、日本という国は、諸国がそれぞれに大名がいて、一つの国家を形成していた。その上に室町幕府がいるわけで、室町幕府だって、応仁の乱で、疲弊してしまっていた。まさかとは思うけど、あの応仁の乱だって、ひょっとすると、キリスト教の信者が密かに潜り込んでいて、操ったのかも知れない。ザビエルの出現はまだ後になるんだけど、それは、歴史の事実をごまかすために、ザビエルという人を表に出して、あたかも彼から始まったというような話をでっち上げたとも考えられないのかと思ったんですよ」
というと、
「なかなか面白い説ですよね。確かに、サビエル一人が布教活動をしたかのように言われているけど、そんなわけはないですよね。一人の名前を大きく出したのは、そのカモフラージュだったと思えば考えられないこともない。それに、下克上という言葉であったり、内容も、ハッキリとしていて、全国各地で、誰かが号令でも発しない限り、あんなに同時に下克上があちらこちらでできるわけもない。裏で操っているやつがいると考えてもいいかもですよね。そうなると、外国人だけではできることではない。日本人の中に、外国と手を結んで、自分たちが日本国を収めよう、つまりは、天下の統一をもくろんだ人がいたのではないかと思えますよね?」
といって、興奮しながら語った。
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