第三話  『完璧なのは天使だけ』


 人を殴るって、すごく楽だった。

 銃を撃つって、すごく楽だった。


 だけど人を助けることは、全然楽なんかじゃなかった。



 * *



 カイくんが働きはじめてしばらく。

 彼は非常に仕事をよくやってくれていた。俺はついつい相手を恐がらせすぎちゃうけど、カイくんがそこに優しい言葉をかけて、お金を払わせたり大人しくさせたりする。アメとムチとはよく言ったもので、言うことを聞かない人はまだまだいるけど、半分くらいの仕事は楽になったんじゃないかなと思う。

 それにカイくんはとても綺麗好きだった。男二人で整えていた店内を、「ちょっと掃除してもいいですか」と我慢ならなくなった様子で言って様変わりさせていた。スゴすぎる。いや、俺らが片づけ下手なだけ?


 前に「機械はからきし」と言っていたけれど、筋電義肢の技術自体に興味はあるようで、仕事がない日には店長に教わったり、休日でも店に来てそれに関する本を読んでいたりする。

 あー、俺とは違うなー、って思った。カイくん、ほんとにすげーマトモな人間なんだなー、って。

 ――だってマトモじゃないから人殺せるんだもんな。


「カイくん。どう、お金たまった?」

「えぇ、まあ……。それなりに」


 今日の仕事は楽なモンで、お金の請求ではなく義肢の出張修理だった。俺にも直せるレベルの故障だったから、店長ではなく俺が出向いたのだ。カイくんは来ても来なくても良かったけど、修理を見たいと言ったので同行させた。俺がネジを巻いて接続し直すだけの風景を、カイくんはじっと見ていた。

 その仕事帰りに俺が投げかけた言葉に対する返答に、すこし笑った。カイくん、あんまり人付き合いが得意じゃないのはわかってたけど、やっぱり人との会話が下手だ。「それなりに」の後、どうやって会話が続くと思うのだろうか。俺は確かに返答を求めていたけれど、それ以上に親交を深めるための会話を求めていたというのに。

 ただ彼自身はそれに気付いてないようで、訝しげに首を傾げる。なんでもないよ、と首を振った。こういうのは自分で気がつかなきゃ、たぶん一生治らないから。


「やりたいことは見つかった?」


 カイくんは長い睫毛を伏せた。緑色の瞳に影がかかる。「いいえ」と言葉を吐いた彼に、俺も「そっか」以外のかけるべき言葉は見つからない。

 カイくんは旅人。でも目的地がこの国だと、そこまでは最初から知っていた。とりあえず彼が衣食住を自分で調達できるようになるまで働くという話だったけれど、それが達成された今でもカイくんはうちの店で働いている。この国に来るのが目的だったけど、それからどうすればいいのかわからない、と途方に暮れた彼を見捨てることは、うちの店長にできるはずもないのだ。

 俺はやりたいことなんか全然ないけど、この仕事が性に合ってるからやってる。恩返しも済ませてないしね。

 だけどカイくんはしっかりした目的を欲していた。だからそれが見つかるまで、俺たちは一緒にいることになる。一人っ子だったから、弟ができたみたいでちょっと嬉しい。弟にしては、俺より冷静すぎる気もするが。


「お兄ちゃんって呼んでもいいよ」

「はあ?」


 カイくんはあからさまに眉をひそめた。意外とズバズバ言う子だということも、最近知った。何を言ってるんだと顔に書いてある。頭の中で考えることがそのまま口から出がちな俺は、えへへと笑って誤魔化そうとした。

 ただその必要はなかった。


「ご、強盗――っ! 誰か、そいつ捕まえて!」

「――――」


 ハッと振り返ったカイくん、その肩越しに俺もそいつの存在を確認する。中年の痩せた男、ということが離れたここからでもわかる。そいつが走って逃げようとしている方向は、奇しくも俺たちのいる方向と一緒だった。

 捕まえてやろうかと思ったが、そいつの手元に鈍く光るを視認して、即座に諦める。銃を持ってんなら、わざわざ危険を冒してまで他人のために何かしてやる義務はない。カイくんの手を引っ張って、目立たないよう脇に逸れようとする。


「――カイくん?」


 動かない。おい、と思いながらもう一度ぐっと引っ張れば、カイくんは俺の手を振り払った。

 は? と困惑するうちに、彼は強盗の前に躍り出る。ンな、と口が開いた。マジで? カイくん、何してんの?

 身を案じる言葉が出るより前に、強盗は突然立ちはだかった外国風の外見の男に目を見開く。そして「どけ!!」と叫びながら銃を構え、――発砲する。言葉をかけた意味もないくらいの素早さだったから、俺は伸ばしかけた手が固まったくらいだ。

 聞き慣れた音が、三度。


「か、いく、」

「――――」


 全てをその身に受けたであろうカイくんは、ガクンと力を失ったように見え――姿勢を低くしたまま、強盗の懐に潜りこんで強烈な打撃を放った。

 強盗の体が一瞬浮き上がるほどの痛烈なパンチ。白目を剥いたそいつがべしゃりと地面に頽れれば、そのあたりでようやく火薬の匂いが鼻に届く。たった数秒間の出来事。

 わあっ、と成り行きを見守っていた見物人からの歓声が上がった。強盗だと叫んだ人が息切れをしながら走ってきて、カイくんに何度もお礼を言った。カイくんはすこし硬い表情で、いえ、と首を振っていた。俺はじっとそれを眺めていた。小川に投じられた一石が、円ではないかたちを描いたのを見てしまった気持ちだった。

 カイくんは確実に撃たれていた。

 その人のお礼を聞き終わって、カイくんは俺を見る。眉を下げて、困った顔をして笑った。帰り道のわからなくなった子どもを見ている気分だった。


「帰りましょう」


 カイくんは言った。

 そうだね、と反射的に言葉が飛び出る。それからゆっくりと、先ほど起こったことを頭の中で繰り返してみる。けどその必要はなかった。何がどういうことか、俺はもうわかっていた。コレが起こるよりずっと前から。


 俺はその緑色の瞳を眺め――店の人に捕らえられた強盗を眺め――そうして最後に、自分の両足を見つめた。


 それは円ではないかたちをしていた。

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