第二話  『スパンコールと銃声』


 ギル・カークという男は、不思議な男だった。

 少なくとも、カイ・フォルスターはそう思っていた。


 光に透ける、ブロンドの短髪。目も比較的薄い青色で、シルエットだけ見たらやせ型の細身に見える。ただ今までの様子を見る限り、着やせするタイプで服の下にはかなり筋肉がついてる。

 そして両足が義足。膝の上から爪先まで。

 カラカラ笑って、子どものような喋り方をする。だが年齢を聞けば三十路手前だと言うから驚いた。初対面の時はてっきり自分と同じくらいだと思っていたのに。


 不思議な男だな、と思っていた。


「いよう! おまえら。元気にしてたか」


「にいちゃん! 久しぶり!」「ひさしぶりい」「おにーちゃんおそいぃ!」「やっと来たぁ」「ねえこれ見て! 見てこれ、おれがつくったの」「わたしも! お花みつけたの、これあげる」「おにいちゃん!」


 ――現在、スラム街にて。

 薄汚れた服を身に纏う子どもらが地面に石ころで落書きをしている中に、陽気な声をかけたギル。カイはぎょっとして彼を見たけれど、瞬く間にギルは子どもに埋もれて姿が見えなくなった――というのは過言だが、その群がりようは流石に予想だにしていなかった。

 一歩どころか十歩以上退いたカイのことは気にせず、ギルは「おーおー」と声をかけながら男の子を持ち上げたり、ボロボロで歪んでいる工作品を見て「すげーな」と言ってやったり、花を差し出してくれた女の子に「ありがとうな」と頭を撫でてあげたりしていた。

 つい先ほどまで暴力・恐喝・脅迫をしていた男とは思えない。いや、それはいつものギルを見ても言えることだが、この時はあまりにも落差が激しすぎた。

 声をかけるべきか、このまま彼と離れているべきか迷っていれば、結論を出すより前にギルが振り向く。


「みんな、俺の店で働くようになったカイくんだよ。仲良くしたげてね」

「えっ」


 まさか紹介されるとは思っておらず、ぎょっと目を見開いたカイに無数の輝いた視線が集まる。あう、と引き攣った表情を浮かべた数秒間で、子どもらのテンションは一気に最高潮になった。


「カイー? カイー!」「あたらしいひと!」「カイもしゅうりできんの? ギルよりうまい?」「てんちょーまたやとったの?」「目がみどりだー! なんでなんで?」

「や、僕は、その……。ギルさんと同じ店で働きはじめました、カイです。修理っていうか、機械の扱いはからきしです。そう、店長が雇ってくれて。目の色は、その、こことは違う場所で生まれたので」


 子どもの興味津々な質問を、律儀に一つずつ返していくカイ。まだ警戒心を残した子どもはギルの体のどこかしらをぎゅっと掴んでいて、けらけらとギルに笑われている。戸惑いつつも地面に膝を立てて彼らに丁寧に対応してやれば、ギルがぐいっと肩を掴んで立ち上がらせた。よろめきながらもそれに応じる。


「まあ、今日は紹介だけ。俺たち仕事あるから、また今度な」


 バシン! とギルに肩を叩かれる。痛くはなかったが、急かつ距離の近い接触に飛び退くように反応してしまう。突如後退りをしたカイにギルと周りの子どもが怪訝な顔をしたが、「あ、いや」と視線を逸らして誤魔化す。触られるのが苦手で、と遅れて言い訳がましいものを口にすれば、怪訝な顔をしながらも納得してくれたようだった。

 しかし子どもたちにとっては新人のカイの不審な行動より、見知った人間であるギルが数分の会話だけで行ってしまうことが寂しいようだった。なんでー、と非難轟々の様子に苦笑いするギル。


「なんでもなにも、仕事だっつってんだろ。またな。元気にしてろよ」


 一番近くにいた子の頭を、ギルはくしゃりと撫でた。その子は恥ずかしそうに笑って小さく頷き、他の子も羨ましそうにしつつこれ以上は引き留めない様子だった。じゃあね、またね、と何人もの子どもが手を振る。ギルが大きく手を振り返したので、カイは手首だけで小さく別れを告げた。

 なんだかこの数分で随分体力が削られた気がする。無意識のうちに溜め息を吐けば、ギルがアハハと人懐っこく笑った。


「疲れた?」

「はい。けっこう」

「ふはは! ガキんちょの相手したことなさそうだもんなあ、おまえ。あいつらやべーぞ、無限燃料付きエンジンを搭載してっから、一日付き合ったらヘットヘトだよ」


 口許を緩めて笑うギルは、やっぱり自分よりも年上だとは思えなかった。ぐーっと指を組んで背伸びをするギルを横目で見やる。

 ――不思議な男だという印象は、やはり拭えない。視線に気付いた彼が、「ンー?」と無邪気な顔で首を傾げる。

 いえ、と首を振って誤魔化した。何度も同じことをしているのに、ギルは『騙されてあげる』とでも言いたげに目を細める。その優しさがありがたく、かつ気まずい。

 その気まずさをふり払うために、今度はカイから「あの子たちは」と話しかける。一体誰なのか、という意味ではなく、一体どうしてわざわざあそこに寄っているのか、という意味で。ギルはへらへらと笑う。


「スラムに来たのは、あの子たちの方が先輩なんだ。俺は戦争が終わってから来たけど、あの子たちは戦時中の不景気で家がなくなったり、借金が返せなくなったりさ」

「――――」


 経験していないカイには返答のしようもない話だ。

 穏やかな生活を奪われ、社会の最底辺で汚泥を啜るよう生活に一瞬で様変わりしてしまう。――想像だに恐ろしい話で、けれど往々にしてそういうことは起こる。そういうことが起こった結果が、今ふたりの前に広がる現状である。

 自らと関わらない人間に「かわいそう」と言うのと、ついさっき楽しそうに笑っていた子どもたちにその言葉を投げかけるのとは、全く意味が違う。


「こっちに来てから、俺もいろいろ教えてもらったの。綺麗な飲み水がある場所、治安の悪いところ、屋根や壁の直し方。暇の潰し方だってね」

「――――」

「俺だけが与えてるんじゃないよ。俺が与えてもらったから、それを返してる途中なの」


 ――ギルの横顔が温かい。夕陽に照らされた鼻の稜線や、穏やかに下がった眉のかたちが。あれだけ冷酷な表情をしていた昼間とは大違いで、春の草原のように心地よい雰囲気がそこにある。それはギルが生まれた時から持っていたであろうもので、戦争という経験をしてもなお、廃れてはいないものだった。


 そしてその日の仕事終わり、ギルは店で寝泊りをしていたカイを自分の家に呼び寄せ、歓迎パーティーを開いた。いつもよりすこしだけ奮発した食事。冷えておらず、調理されたばかりの温度を保ち、誰かにあげることを想定した食器の並び。

 葬式のようですらあった。

 誰かのためだけに作られた、誰かのためだけの儀式。


 不思議な男だったのではない。

 見たことのない男だったのだ。


 自分がそういう人間を見たことがないから、不思議だと勘違いしただけ。


 ギルはただ、普通の人間だった。いや、やっぱりちょっとおかしいところはあるけれど、普通の善人だった。優しくされたから優しくする、ただの人間。

「善意は奉仕じゃないんだよ」と、ギルは仕事中口癖のように言った。言うことを聞かない債務者に対して、その鋼鉄の足でボコボコに蹴り倒した後、幼子に言い含めるような口調で。


「カイくん、今日のお昼、良い店知ってるから一緒に行こう!」


 善意は奉仕ではない。

 では、なにも返せないカイに与えられた衣食住は。


「カイくん、おはよう。すこしは仕事慣れた?」


 なにも返せないカイにかけられた、温かな言葉は。


「カイくん、明日はお休みでいいよ。ゆっくりしてね」



 ――なんにも持ってない自分に与えられた善意は、いったいなんだというのだろう?

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