第4話 Sっ気の強い幼馴染


 会社を定時で上がるやいなや、自分はタクシーを拾って約束の居酒屋へと走らせた。彼女から連絡が来るのはずいぶん久しぶりの事だ。最後に会ったのは高校を卒業した日の打ち上げだったろうか。


 緒方おがた日奈ひなは生来のお姉さん気質を備えた女性だった。


 いつもの駅でタクシーを降り、複雑な路地を歩いて抜ける。路地裏のひっそりとした場所にその居酒屋は店を構えていた。大沢は緒方から聞いた道順を頼りに商業ビルを右に曲がり、その先に見えたコンビニを左に曲がり、しばらく歩いて、ようやくその店を見つけた。外観からはとても店をやっているとは思えない普通の一軒家。軒先に『やきとり』と習字体で書かれた暖簾のれんがかかっている。


 大沢が暖簾をくぐって入ると、しかし、緒方はまだ到着していないようで「そのような女性はまだいらっしゃませんが……」と、ひとまず奥の座席に通された。


 彼女の面倒見の良さは肉親よりも厚く、また、友達だからこそ遠慮なく小馬鹿にしてきた。


「宿題を家に忘れてきたって?」

「えー? そんな問題も分かんないんだ!」

「しょうがないなぁ。あたしが教えてあげる!」


 終始人を馬鹿にした笑みを浮かべていたけど、決して途中で見放すことはない。困っていると言わなくても彼女の方から察して「あたしがいなきゃどうしようもないね」なんて言って助けてくれる。


 そうしてお礼を言うと緒方は照れくさそうに笑って「何言ってんの。友達でしょ。お礼なんてみずくさいじゃない」と、手をヒラヒラ振って友達の会話に混ざるのだった。


 中学時代から片思いをしていた。歳を重ねるうちに発見したこととして、緒方が誰にでも面倒見が良いわけではないことが挙げられる。特に男子に関しては大沢だけ特別に面倒見が良く、他の男子は挨拶だけで終わる人もしばしばいた。だから高校に入って、勇気を出して告白をした。


「ええー? 大沢が……?」


 しかし、結果は玉砕。


「ごめん、そういう風に見たことなかったなぁ。話してて楽しいよ。楽しいんだけど……なんだろう、イジッてて楽しいんだよね。友達として好きなんだけど恋人としては……見れないかもなぁ」


 友達として好きというのは本当のようで、良くも悪くも、玉砕ののちも緒方は変わらず接してきた。


 大沢は傷を呑み込みながら笑顔を作った。


     ☆☆☆


「ごめ~ん、おまたせ!」


 待ち合わせの時間から20分ほど遅れて緒方が来た。パンツスーツにパンプスという格好にも関わらず汗だくで、よほど慌ててきたのだろうと思われる。奥の座席に通されるなりシャツのボタンを一つ開けてビールを頼んだ。


 大沢はその声で我に返った。それは苦い思い出だけれどもう昔の話。いろんなことがあったけれどそれもすべて酒のさかなだと割り切った。


「やあ、久しぶり」


 大沢が片手をあげて挨拶をすると緒方は何度も頭を下げて謝った。責任感が昔から強かったから20分の遅刻でも恥じ入る事のように感じてしまうのだろう。事前に連絡があったしそんなに謝らなくていいと伝えると、「本当にごめん」と謝って、ようやく席についた。しかし、残業を言い訳にしないところは潔いと思った。


 数年ぶりに見た彼女はとても綺麗になっていた。化粧をしているというのもあるだろうけれど、容姿以上に表情や仕草に奥行きが感じられた。控えめに笑う仕草も、一歩引いたような言葉遣いも、すべて上品な女性の備える性質として見違えるほどに磨かれていた。


 年上のような面倒見の良さと年下のようなイタズラ心を併せ持った緒方日奈に初めて感じた『女性』


 ふと伏し目がちにそらした横顔。大人びた憂いをたたえた緒方の眼差しに大沢はドキッとした。


「あーもう聞いてよー。本当に上司が最悪でさー? ホッチキスの位置が間違ってるだの書式がどうのって本当にどうでもいいところばっかり指摘してくるのよー。これがうちの決まりだとか言ってさ。ばっかみたい。重箱の隅をつつくようなどうでもいい決まりを守ることが良い社会人なのか? だから会社の偉い人ってバカばっかりなのか?」


「荒れてるねえ。まあ、些末さまつな決まりが多くてだるいのはほんとうにその通りだ」


「でしょでしょでしょ!? もう面倒事ばっかりで嫌になる! あんな会社辞めてやる! 養え! 大沢!」


 酒が進むと、緒方も徐々に本性を現していった。言葉遣いや仕草が10代のころに近づいて、かつての緒方が戻ってきた錯覚に陥る。


 そうだ。緒方はもっと快活に笑う女の子だった。それがこんなに摩耗まもうして……。


 社会の荒波が彼女を削ったのだろう。しかしその中で一人奮闘してきたのだろう。


「頑張ったなぁ」


 大沢は思わず呟いていた。


 彼女の成長の裏側を思うと、それを認めてやりたいような、少しでも喜んでほしいような気持ちになった。かつて振られた大沢の言葉に効力があるとは思っていなかったけれど、自分一人でも、彼女の頑張りを認めてやりたいと思った。


 緒方は、ぽろぽろと涙をこぼした。


「おおさわぁ……」


「え、え? 緒方!? 大丈夫か!?」


「あ、ごめ……止まらない……」


 大沢が席を移って隣に行くと、緒方はごめんごめんと言いながら肩を震わせた。


「俺、そんなつもりじゃなくて……」


「分かってる。分かってるから嬉しいんだよ………悪いって思ってるならもっと褒めて、あたし頑張ったから褒めて!」


「うえぇ!?」


「褒めてくれないなら泣いちゃうぞ!」


 がお、と噛みつかんばかりに緒方が顔をあげる。


「褒めてくれたら……嬉しくて……もっと泣いちゃうかもだけど」


「………………………」


 その顔は子供のようだった。涙で化粧が崩れているが瞳は清涼に輝いている。そこには彼女の純粋な心があった。


 どれだけ頑張っても認められなくて、怒られて、馬鹿にされて、それでも頑張って、その繰り返しに擦り減った彼女の中に残った、少女のごとき純粋な心。


 大沢は自然と「緒方は頑張ったよ」と肩に手を触れていた。


「うん……あたし頑張ったよね」


「とても頑張っているよ。俺がそう感じたんだから。緒方はすごいよ」


「うん……うん……」


「一人でよく頑張ったな」


 緒方は、今度は「うん、頑張った」と言いながら何度も頷いた。


 ずっと、誰かに認めてほしかったのかもしれない。「頑張ったな」という一言が欲しかったのかもしれない。その役目が自分に回ってきたことを大沢はひそかに喜んだ。


 おそらく今日自分が呼ばれたのは、彼女が暗にこういう事を期待していからなのではないか? そんなことさえ思った。


 しかし、あの手この手で緒方を褒めているうちにだんだんと話が変な方向へとそれていく。


 酒が進んでテーブルに空の皿が積み重なったころ。


「ねえ、俺のこと好きかっていて」と、緒方が言い出した。


「あん?」


「好きか? って訊いて!」


 うがーと叫んだ。


「緒方……?」


「今になってこんな事を言うの、本当にずるいと思うけど、大沢の事がずっと好きだった。小学生のときからずっと。告白されたときも本当は嬉しくて、でも、自分に自信が無くて、断っちゃった。それなのに大沢はあたしのひどい言葉を呑み込んで優しくしてくれた。振ったのに、嫌われてもとうぜんなのに……友達として仲良くしてくれた」


 緒方は酒に酔っているのか、泣いているのか、一目では分からないほどに顔を赤くしていた。


 大沢は突然の告白に困惑したけれど、いまの緒方を放っておくことはできないと思った。


「緒方落ち着いて。いったん外に出よう。な? 夜風にあたれば酔いも覚めるだろう」


 しかし、緒方が話を聞く様子はない。


「好きかって聞いて。そうしたら、うん、って答えるから。もし好きじゃなくてもそう聞いて! もう心が離れててもそう聞いてよ……絶対好きにさせるから。あたしと付き合って良かったって思ってもらえるように頑張るから……お願い……」


「…………」


「聞いてくれなきゃだめよ。そうじゃないと、苦しいの……」


 緒方はまた涙を流した。今度の方がいっそう苦しんでいるように見えて、大沢は目が離せなかった。


「あの日の事がずっとしこりみたいに心に残ってた。いっそのことあたしの事を嫌いになってくれたら苦しまなかったのかもしれないけど、大沢が優しいから……いつもどおりだったから……あたしはそれに甘えて、甘えている自分に傷ついて、嫌になって、あの日をやり直したいってずっと思ってた」


 ――だから。


 緒方は涙を拭うと姿勢を整えて大沢と向かい合った。顔は真っ赤で、涙で化粧が崩れていても、瞳は力強く輝いていた。


 しかし大沢は、彼女が話し終わる前に、緒方を抱きしめた。考える前に体が動いていた。


「俺が、緒方を苦しめていたなんて……気づかなくて、ごめんな。俺もずっと好きだったよ。緒方」


「うえぇ!? 違うよ! やめてよ!」


「なんで? 告白をやり直せというなら俺の方からするのが普通だろ」


「そんなのダメだから、いいから放して!」


 緒方はなぜか拒絶の意を示したが、大沢を押しのけようとする手には力がこもっていない。


「あたしから言わなきゃダメなんだよ。また苦しいのが残っちゃうから。でも言えないから聞いてって頼んでるのに! いまあんたに好きって言われたら……両想いなんだって思ったらまた自分に甘えちゃう………それは嫌なの!」


 なるほど。つまりは自分が告白することであの日の清算ができると緒方は考えているらしい。「あんたの気持ちなんか関係ない。あたしの事好きでも好きって言うな。絶対に好きって言うなぁ……」と、ほとんど支離滅裂だったけど、とにかく彼女は、両思いであることが許せないようだ。


 彼女のワガママな性格が色濃く表れているように大沢には見えた。


 こんな緒方を見たのはもちろん初めての事だ。けど、ワガママな彼女の方がナチュラルなように見える。


 面倒見の良い彼女も、いたずらっ子な彼女も、どこか一歩引いているような様子があった。近くにいるのに触れられないような、どうやっても縮まらない距離があった。


「好きだよ。いまの緒方はとても可愛く見える。ずっとそのままでいればいい」


「やだ……受け入れないでよ。自分でも嫌いなんだから」


「でも、俺は好きだな」


「嫌いだよ! だってあたしはワガママで、いつまでも子供で、人の言う事も素直に聞けないダメダメな子だよ。こんなあたしじゃ嫌われちゃう。大沢に嫌われたくないよ。凛としたあたしでいさせてよ」


 むしろその方が可愛いのだけど。と言いかけた言葉を呑み込んで大沢は、


「……しょうがないなぁ」


 と、ため息をつくと緒方を離した。


 すると今度は緒方が不安そうな顔で大沢を見る。


 その目をしっかりと見つめて「俺の事が好きか?」と聞いた。


「―――――!」


 緒方はとたんに顔を輝かせて頷いた。


 彼女がそれを望むのなら叶えてあげようと思った。


 いつも人の事を気遣っている彼女だ。誰かを気遣っていたいのならそうさせてやればいい。それで安心するのなら気が済むまでさせてやればいい。


 そういう彼女ごと包み込んであげる存在が、いまの緒方には必要だと思った。


「好き! 大好き!」


「そっか。俺も緒方が……」


「だから言っちゃダメ! これからいっぱいアプローチするんだからまだ待って!」


「はいはい、困ったやつだなぁ」


「ふふん、あたしの魅力に溺れさせてあげるんだから覚悟しなさいよね!」


「本当にできるのか?」


 と、大沢が頭を撫でると、しかし、緒方は俯いて黙り込んでしまうのだった。


「先が思いやられるな……」


「ううぅ……いまに見てなさいよ。あんたはあたしに骨抜きにされるのよ、昔みたいに!」


「今は逆だけどなー」

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