第2話 他校の先輩と後輩
彼女のあだ名は『捨て猫』であった。昼休みいつも一人でお弁当を食べている姿があまりにも寂しそうだからとつけられたあだ名である。
「……………………はぁ」
旧校舎の外階段の踊り場。そこが落ち着くのだそうだ。海谷はいつもそこで昼休みを過ごしていた。日焼けと年季で赤黒くなった木造の校舎の忘れられたような姿が、いじめられていないもの扱いされている自分と重なって、むしろ安心するのだそうだ。
いじめと言っても持ち物を取られたりだとか、机を捨てられたりだとか、そういった分かりやすいものではない。無視。そこにいるのにいないものとして扱われる。傍目には気づかれにくく、当人にはもっともキツい所業だ。
「錆びているなぁ。手すり。すがったら今にも崩れ落ちそう。オンボロだなぁ。いいなぁ。このまま私ごと崩れ落ちてくれたら、どんなに嬉しいか」
海谷は微笑みを浮かべて手すりを撫でた。いつもならしっかりとした手応えが返ってくる鉄の加工物が、今日はどうしたことかグラッと揺れる。
「わっ」
ごり、と嫌な音を立てて手すりの一部が折れた。支柱がまるで大型の動物に噛まれたようないびつな形になる。「危なかったぁ……」海谷は思わず後ずさりして、落ちていく手すりを見下ろしながら呟いた。
もしすがっていたら本当に落ちていたかもしれない。そう思うとホッとする自分がいた。と、彼女は言っていた。
ふと本校舎の方を見れば、大きな丸い時計が1時を指そうとしていた。もうお昼休みが終わってしまう。食べかけのお弁当を片付けて階段を降りようとすると「あぶない!」という声が聞こえて背後から誰かに抱きしめられた。
「な、なに!?」
「いまそこの手すりが崩れただろう! ケガはないか!?」
「な、ないから! ないから放して!」
わけが分からなくって海谷はめちゃくちゃに暴れた。するとその人は「おおっと」と言って海谷を放した。
「怪我が無いならよかった……君は?」
その人は見たことが無い制服を着ていた。男の人だった。校章を見ると隣町の高校の名前が書いてある。他校の人がどうしてここにいるのか不審に思ったけど、まあ、私なんてどうなってもいい。誰も気にしないのだから私も気にしなくていいか。と思った。
「海谷……音子、です」
「海谷さんね。僕は
「はぁ……」
「早く向こうに行って荷解きをした方が良いと思うんだけど2人ともず~っと喋りっぱなしでさ。僕の事なんて無視して好き放題やってんだよ。正直暇なんだよね。海谷さんはここの生徒? 何年生?」
小鷹はぐいぐいと海谷に話しかける。この人は何なんだろう。どうしていない私に話しかけるのだろう。海谷は困っていた。けれど、小鷹は良い話し相手を見つけたとばかりにおかまいなしだ。
「さ、3年……ですけど」
「じゃあ1個下か。そうかそうか。しかしなんとも危ない所にいるねぇ。壊される前に自壊しそうじゃないか。なんでこんな所にいたのさ」
そう聞かれると海谷は困ってしまう。いじめられていると正直に話したら小鷹は迷惑するだろう。なんと言い訳をしようか迷っていると、小鷹はまた話し出した。
「まっ、なんでもいいけどさ。少し暇つぶしに付き合ってくれない? 海谷さんがいなければ僕は車の中で寂しくスマホを構うくらいしかやる事がない」
「別に私じゃなくてもいいんじゃあ……」
「そうなんだけどさ……なんかこう、ほっとけないっていうか。いまの海谷さんを一人にしたくないというか……」
「えっ」
「ああ、いやいや、変な意味じゃないよ! 口説いてるとかそんなんじゃあない!」
小鷹は慌てて両手を振った。口説かれていると思ったわけではないけど、でも、一人にしたくない言われて驚いたのは事実だった。心配された。たったそれだけで胸がきゅうとなるようだった。小鷹はまだ何か喋っているようだったが、海谷にはどうでもよかった。
「ただ、その、思い出しそうなんだよね。落ちていく手すりを見ていた君の顔が忘れられなくて、いま一人にしてしまったらずっと後悔し……海谷さん?」
「小鷹さん………」
海谷は小鷹の顔をジッと見つめた。
「………………………」
「…………………え、っと」
小鷹は頬を高揚させて気まずそうにしていたが、そんな彼を海谷は可愛いと思った。
ふいにピロンと軽い音がした。小鷹は助かったと言わんばかりにスマホを取り出すと「ごめん、もう行かなきゃ!」と言って慌ただしく階段を降りて行った。
海谷はその場に立ち尽くして小鷹の背中をジッと見つめていた。
☆☆☆
N県に引っ越してから1年が経った。もともと小鷹にはコミュニケーション能力があるわけではない。初対面限定の話題ならいくらでも用意できるけど、仲が良くなるととたんに会話が続かなくなっていった。知り合い以上友達未満がどんどん増えていった。他人に興味が無いのだ。仲の良い友達が必要とは思わないし、他人の事を知ろうとも思わなかった。
2年生に進級したいまでもその思いは変わらない。新しいクラスになって知らないクラスメイトがたくさんできたけれど、話す事自体が面倒くさく感じられた。
「……海谷さんも高校生になったのか」
空を見上げると小さな丸い雲が浮いていた。春らしい陽気だ。ふと、引っ越し前に知り合った女の子の事を思い出した。中学生だった彼女も今年からは高校生のはずである。いまごろどこかの高校で新しいクラスメイトに囲まれているのだろうか。そう思うと不思議と空想が掻き立てられた。
「はい、高校生になりました」
その声がはたして空想から湧いて出たのか現実のものであるのか、小鷹には判別がつかなかった。けれど、背中にドンとぶつかる衝撃は現実のものだった。驚いて背後を振り返ろうとすると、聞き覚えのある声が「私のことを覚えていますか」と囁いた。
「海谷さん……だよね。どうしてここに?」
「……その、高校説明会のときにお見かけしてから、ずっと……」
「……そうか。元気そうでなによりだよ」
「そんな! 小鷹さんこそ……私のことを覚えていてくださって……」
海谷の声はモゴモゴと小さくなっていった。小鷹は空想がぽきんと折れたような気がした。
「……ずっと、ずっとこうしたかったんです」
海谷はそう言うと小鷹を抱きしめた。
「あの日からずっと小鷹さんの事が忘れられなくって、いつかまた会えたらって、それだけが支えで、辛かったけど、でも、勉強頑張りました。高校生になれました。小鷹さん、頭良すぎです……」
「はぁ……」
そう答えるしかなかった。たしかにここは県有数の進学校である。やることが無いから勉強でもしていようと思ったから選んだだけだった。
海谷は、言葉が止まらないことに驚いていた。
「小鷹さんとまた会えたらって思ったら頑張れました。一人にしたくないって言葉がずっとお守りでした。あの日からずっと。ずっと………」
「……………………」
「小鷹さん。彼女とか好きな人って……いますか」
「気になっている人なら……いる、かな?」
「えっ、誰ですか!」
海谷はパッと離れると、今度は小鷹の両手を取って眼前に回り込んだ。一人にしてほしくない。もうスマホを見ていなくなってほしくない。その思いが海谷を駆り立てた。
「え、っと……誰、とかはないけど」
「はい」
「どうしても忘れられない人が……いる……いた……かな?」
「はい、誰ですか。なんで過去形なんですか」
「それは……もう会えたから……だね」
「ちゃんと言ってください。名前を呼んでください!」
小鷹は頬を高揚させて気まずそうにしていた。視線を右に左に動かして、ついに観念したようにうなだれて、ちらっと海谷を見た。
「えっと………海谷音子さんの事が、ずっと、忘れられなかった、です」
それは海谷にとって何より嬉しくて、何より欲しかった言葉だった。
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