第5話 マグロ一本釣り

 無人島からの航海から四日目、相変わらず陸が見えないという広大っぷりだ。

 この船の速度は素人から見てもかなり速い。

 海をかき分けるように爆速で進んでるように見えるし、たまに大きい魚の影が海面に見えてもすぐに追いかけてこなくなる。


 猫神様は説明してくれなかったけど、この船は私が乗っていないと動かないらしい。

 昨日、うっかり船を動かしたまま海に飛び込んでしまって焦ったからね。

 慌てて海面から頭を出したけど、船は止まっていてホッとした。

 異世界に来て初めてゾッとしたよ。来てから一週間も経ってないけど。


 私がまた船に乗るとすぐに動き出す。なんて偉い船なんだと、思わず撫でてしまった。

 もし置いていかれたらそのまま泳いで大陸を目指さなきゃいけない。

 もちろん方角もわからないから、到着できる見込みはほぼゼロだ。

 いくら【水中呼吸】と【水圧完全耐性】があっても、さすがにもたない気がする。


 この船旅、退屈するかなと思ったけど案外そうでもない。

 甲板の上で体を動かすだけでも楽しいし、途中で船を止めて泳ぐのもいい。

 天気も運よく快晴が続いてくれているのも船旅生活にとって追い風だった。


 他にやることと言えば釣りだ。

 船内を探索していると釣り竿を見つけて、船を止めて楽しんでいる。

 餌は食糧庫にある小エビを使っていた。


 釣り糸を垂らしていると意外と色々な魚が釣れた。

 【鑑定】のおかげで魚の種類がわかるのはありがたい。

 意外なのはニジマスやサンマ、ニシンみたいなメジャーな魚が釣れたことだ。


 異世界でも私が知っている魚と出会えるとは思わなかった。

 ということはあまり生態系が変わらないのかなとつい難しいことを考えてしまう。

 異世界で私の知る常識が通じるわけがないと考えるほうが自然なんだけどね。

 四つ目のサメなんてものがいる世界だもの。


 釣りで釣れた魚は食糧庫のアイテムボックスに保管してある。

 これは釣った状態の鮮度を保ったまま保管されるから、釣りすぎても困らない。

 そうすると自分で食べる以外の使い道を思いつく。


 イワシがたくさん釣れたから、これを釣り餌にすれば違ったものが釣れるかもしれない。

 イワシをルアーに取り付けて海に放り投げて待つこと数分。

 突然、釣り糸がピンと張った。少し力を入れたところでまったく持ち上がらない。


「こ、これ、なかなか大物なんじゃ……」


 釣り糸がググッと海中に持っていかれる。

 こっちも本気を出すしかないね。手加減せず、グッと腕に力を入れる。


「おりゃあぁーーーーーーっ!」


 釣り竿を上げると、海面からドバァッと出てきたのは巨大なマグロだ。

 甲板に叩きつけられるようにして落ちたマグロの振動はなかなかのものだった。

 ピチピチと暴れるマグロの迫力と力強さといったら、サメの魔物以上に生命力を感じる。


 マグロ釣り漁師を取り扱ったTV番組を少し見たことがある。

 大変な仕事なのにあんなにも情熱を注いでる理由がわかった気がした。

 この巨大マグロが釣れた時の達成感と迫力はきっと何物にも代えがたいんだろうな。


 大きさは全長4.2メートルと、マグロの中でもトップクラスだ。

 こんなものを腕力だけで釣り上げたなんて、こりゃ確かに勇者以上だよ。

 マグロの動きが鈍くなったところで、キッチンから解体用の包丁を持ってきた。


 まずは血抜きをするために不要な部分を取り除く。

 尾と頭を落としてから、三枚におろした。

 【解体】スキルのおかげで体がスムーズに動いた。


 4メートルのマグロの各部位ごとに分けた段階で、各パーツごとに残して残りはアイテムボックスに保存しておいた。

 さて、これをどう調理しようか。

 マグロといえばやっぱり刺身のイメージが強い。


 ブロックを更に食べやすい状態に切ってから赤身、中トロ、大トロと分けた。

 まな板の上に赤身を乗せて一口サイズにスライスして、皿に盛りつける。

 一人で食べるから盛り付けなんかどうでもいいだろうけど、雰囲気雰囲気。

 ご飯をよそってマグロ定食といこう。


 と、ここで食べたい衝動を抑えなきゃいけない。

 釣りたての状態だと固くておいしくないから、熟成ボックスで熟成させることにした。

 熟成させることにより魚からイノシン酸という成分が分泌されておいしくなる。


 程よく熟成されたマグロを取り出すと、小皿に醤油を入れた。

 マグロのイノシン酸と醤油のグルタミン酸が合わさることで、マグロの味が本領を発揮するのだ。

 さっそく赤身を箸で摘まんで口に入れた。


「コクがあるぅ!」


 赤身の段階で柔らかくておいしい。

 ご飯を一口食べてから続いて中トロに箸をつけた。

 こっちは赤身とは違って口の中でほどけるほど柔らかい。

 

「おいっふぃいぃ~。赤身と中トロ独占できるだけでも贅沢なのに、まだ大トロがある。どうさ、これ?」


 誰に話しかけているのかわからない。

 私一人だからたとえ相手がいなくても、言葉を話すのは大切だ。

 あまりに対話していないと、いざ人と話した時に言葉が出てこないなんてことが往々にしてあるようだからね。


 大トロをつまんでみると、どこか凛々と輝いて見える。

 一人で大トロを独占する贅沢を決して当然と思ってはいけない。

 これを至福の贅沢と認識した上で大トロを食べると――


「脂身と柔らかみと醤油がマッチする! おいしっ!」


 そしてこれはご飯が進む。

 醤油のしょっぱさとマグロの風味が白い米に乗って旨味を更に感じられる。

 マグロ、白い米、マグロ、白い米。

 おかずと米、このコンボを味わうたびに日本に生まれてよかったと思う。


 マグロを食べ終わる頃、ちょうど米が一口分だけ残った。

 好みはあるけど、最後の一口の締めは米派だ。

 そんな派閥があるかはわからないけど、このほうが口の中に程よい後味が残る。


 残ったマグロはまた別の方法で食べてみよう。

 他に釣れた魚もあるし、どう調理しようか楽しみだ。

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