第2話 猫神と虎神

 目が覚めて起き上がろうとすると思いっきり頭をぶつけた。

 そうだ、ここは木を積み重ねただけの寝床だ。

 立ち上がることができない狭さだから、背中をズリズリと引きずりながら外に出る。


 空を見上げると白んできてちょうど早朝を迎えたみたいだ。

 私は大きく伸びをして、森の空気を思いっきり吸う。

 体についた土や枯れ葉を払ってから、軽く準備運動。

 朝食といきたいところだけど、さすがにまた火を起こして魚を焼くのは気が引けた。

 小枝や枯れ葉といえど貴重な資源だし無暗に燃やすものじゃない、と思う。


 これからどうするかな? このまま森の中で暮らす?

 そんなに甘くないだろうけど、自分一人の力で生きていくというのは思ったより楽しい。

 誰に指図されることもなく、自分のことさえ考えていればいいなんて快適極まりない。

 ただし生活するとしても住居とか、必要なものがたくさんある。しばらくはこの簡易寝床を使うしかないか。

 せめてノコギリだとか、刃物があればなぁ。


 ないものねだりをしてもしょうがない。

 今日こそこの辺りを探索して、まずは地形や資源の把握に努めることにした。

 体力と相談しながら歩こう。


 昨日食べた魚のおかげで必要な栄養源はたぶん摂取できている。

 たんぱく質と水分さえあれば、いきなり倒れることはないはずだ。

 川の水を飲んでから、私は方角を決めて歩き出した。


 歩く際、耳や鼻を利かせて集中する。

 わずかな音や匂いすら拾う気概がなければ、この大自然では生き残れないと思ったからだ。

 サバイバルどころかキャンプの経験すらないんだから、大自然様は舐めてかかれる相手じゃない。

 場合によっては森の出口が見つかったら、旅に出ることも検討しないと。


「これは波の音?」


 一人、呟いたところで確信した。

 この先に海がある。ということはここは海岸よりの場所だったのか。

 私はダッシュして海を目指した。

 木々を縫うように駆けると塩の匂いがする。


 波の音が大きくなり、いよいよ森を出るとそこは砂浜だった。

 動画で見た海水浴場くらいの広さがあって、左右に延々と続いている。

 限りない水平線を見る限りでは近くに島や大陸はないみたいだ。


 人生初の浜辺とあって、私は靴と靴下を脱いで駆けたくなる。

 いざ靴を脱ごうとすると視界の左端に何かが見えた。

 それは一隻の船だ。ということは人がいる?


 砂浜を走って船に近づくと、大きさはクルーズ船よりは遥かに小さいのかな?

 それでも全長50メートルくらいはあるし、漁船にも見えない。

 船体に船の名前らしき文字も見当たらないし、場所が場所だけにやけに神秘的に見えた。


 警戒しつつも近づくと、甲板から一匹の猫がぴょんと降りてきた。

 綺麗な毛並みの黒猫だし、船の持ち主の飼い猫かな?

 猫が丸い目で私を見た。


「あっ……あの、もしかして異世界から来た人間かにゃん?」

「あ、はい……」


 猫が喋ったのに普通に答えちゃったよ。

 猫が喋ったぁぁとかリアクションするかと思ったけど、かなり冷静でいられた。

 そりゃね。異世界に飛ばされた時点で驚きのハードルくらい下がるよ。


「僕は君の国を担当している異世界十二神の一人……下っ端だにゃん。ここは君から見て異世界……まったく別の世界だにゃん」

「それはなんとなくわかっていたけど、つまり私は神様によって異世界に飛ばされたってこと?」

「まずはごめんにゃさい。あなたを異世界に招いたのは僕のミスだにゃん」

「ミス?」


 猫神が腕で顔を洗った。

 神様らしいけど仕草が完全に猫なんだよなぁ。

 ちょっとかわいい。


「僕の役割は世界に危機が陥った際に異世界から優秀な人間……勇者を召喚して均衡を保つことにゃ。危機を取り除かないと人がたくさん死んでえらいことになるからにゃ」

「だったら神様がやればいいんじゃない?」

「神々は人とは違う高次元の存在なだけに、力の行使によっては概念そのものに影響を及ぼす可能性があるにゃん」

「それは困るなぁ」


 なんて知ったような口で同調してみたけど、何を言ってるのかあまりよくわかっていない。

 更ににゃん神様の噛み砕いた説明によると、例えば魔王や災害を神が直接どうにかすればそれだけ大きな力の行使が必要になる。

 大きすぎる神の力は世界の概念を歪めてしまう可能性があるんだとか。


 そこで大きすぎない力の行使として、神様達は異世界から勇者を召喚することで危機を対処させる。

 私としては異世界から人間を召喚することがすでに大きすぎる力だと思うけど。

 というかさらっと魔王とかいう単語が出てきたけど、ここはファンタジー世界なのかな?


「勇者召喚なんて十二神の中でも下っ端がやる仕事にゃん……それなのに間違えてしまったにゃん」

「なんで私じゃダメなの?」

「それは君に印が刻まれてないからにゃん。勇者と呼ばれるに相応しい力を持った人間には絶対に刻まれているはずにゃ……」

「印? 確かにそんなもの体のどこにもないなぁ」

「体じゃなくて精神にゃ。人間には見えにゃい……。でも、君は勇者と見間違えるほど……とてつもない人間にゃ」


 猫神様が私の匂いを嗅ぎながらうろつく。

 神様のくせにどうしてこう猫らしいんだろう。


「にゃっ!?」

「ど、どうしたの!」

「くる、来る……虎神様!」


 砂浜に突如、雷が落ちた。

 砂を盛大に巻き上げた後、そこにいたのは虎だ。

 猫に虎。ネコ科そろい踏みだよ。


「猫神ッ! 遅いと思えばまだ油を売っていたかッ!」

「にゃん! ごめんにゃい!」

「その様だから貴様は十二神の末席外なのだ! 鼠神様のお命を狙った罪を償う気があるのか!」

「ごめんにゃい!」


 虎の神様がガミガミと猫神様に怒鳴っている。

 目の前に神様が二匹、いや二人もいるなんて一日前の私に言っても信じなかっただろうな。

 それにしても猫神様が鼠神様を狙ったせいで末席外扱いか。

 日本でもそんな神話があったような覚えがある。


「猫神が召喚した人間というのは貴様だな。なるほど……」

「何か?」

「凄まじいな。歴代勇者と比べても遜色ないどころか、これは……。それでいて印がないとは、なんとも奇怪であるな」

「印がないとダメなの?」

「貴様がいかに凄まじかろうと、勇者でなければ成せぬことがある」


 聞いたところによるとこの世界では勇者信仰のおかげで、勇者なら力を貸してくれる国が多いらしい。

 更に勇者としての特別な力はあらゆる封印を解いたり、災厄から守ることができる。

 神様の最小の力で、尚且つ最大の効果を発揮するのが勇者召喚というのは理解できた。

 だとすると虎神様が猫神様のやらかしに怒るのは当然だ。

 次に勇者召喚を行使したら、世界の概念に影響を及ぼす可能性があるから。


「猫神よ、この件はひとまず預かる。貴様はこの人間の面倒を見ろ」

「にゃ!? それはどういうことですにゃ!」

「曲がりなりにも、この人間は自らの意思に反してこちらに呼び出されたのだ。この世界で不自由なく暮らせるだけの力を授けてよい」

「で、でも、そこまで……」


 虎神様が意外な提案をした。

 私としてはありがたいけど、神様にそこまでしてもらえるもの?


「印がない者を転移させただけでも問題な上に、死なれてみろ。我々が殺したようなものだ。よほどの理由なく我々が人間の命を奪うことなど許されんだろう?」

「そうかもしれないにゃ……鼠神様に何をされるか……」

「理解したのなら責任を果たせ」


 虎神様がまた雷となって天へと帰っていく。

 神様も意外と忙しいんだね。

 それに私みたいな人間を気づかってくれるとは思わなかった。

 神様からしたら人間なんて吹けば飛ぶような存在だろうに。


「えーと、それで猫神様が私の面倒を見てくれるって?」

「そうにゃ。この世界には君が知らない危険がたくさんあるから、適応できるように力を与えるにゃ」

「力?」

「そう、今から与える力は異世界で快適に過ごせるためのものにゃん」


 力と言われても、あまりピンとこないな。

 でも知らない世界である以上は何があるかわからないし、ありがたくもらおう。

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