番外編①

▫︎◇▫︎


「狸寝入りはやめたらどうだ?」


 結菜が部屋の前で泣いていた頃、室内では義理の兄弟が冷戦を行っていた。


「………お人が悪いですよ、お義兄にいさん」


 うっすらと汗を身体にまとった陽翔は、氷色の瞳を細めてゆったりと唯斗に視線を向ける。


「はっ、俺がいなければ駆け落ちもまともにできない馬鹿には言われたくないな」

「その件に関しては、………感謝しかありません」


 苦しそうに息をする陽翔に、唯斗は大きなため息を吐いた。


「………6年生き延びろ」

「………………結構な無茶をおっしゃいますね」

「無茶?笑わせるな。俺の最愛を奪うのであれば、それぐらい根性でこなして見せろ」

「………そうですか」


 ふっと息を吐く陽翔は、儚く、今にも消えてしまいそうなのに、何故か強い生命を纏っていた。


(………ムカつくぐらいに綺麗な男だ)


 自分も見た目が麗しい自覚のある唯斗は、少し不服そうな表情をしてこの世の美しいものだけで作り上げたかのような美の化身と言っても過言ではない美しくも憎らしい男に、優しい瞳を向ける。


「医者や医療費、生活費は全て俺が持つ。必要なものや結菜に異変ががあれば俺の携帯に遠慮なく連絡しろ。わかったな?」

「あぁ」


 1週間前のショッピングモールで倒れたあの日、唯斗は僅かに意識を取り戻した陽翔の耳元に電話番号を囁いた。

 そして、意識が戻ってすぐの陽翔から唯斗はメールを受け取っていた。


「………最初は何事かと思いましたよ。誰かもわからないチャラ男に電話番号囁かれた挙句、いころさんばかりに睨まれるんですから」

「………………、」

「でも、感謝してるんですよ、これでも。というか、あなたがいなかったら、今の俺たちはいない。結菜はあなたたちの父親が定めたクズと結婚させられ、俺は多分、………絶望と後悔で死んでいる」


 ふっと頬を緩めた陽翔に、不覚にも唯斗は魅入ってしまった。


「あなたの協力のおかげで俺たちは駆け落ちできた。そして、今なお病院長先生を錯乱し、逃げ続けられている。感謝してもし足りません」


 唯斗は大きなため息をついた後、ぶっきらぼうに言葉を発する。


「………感謝はいらん。その代わり長生きして、結菜を絶対に置いて逝くな。あいつのそばに居続けろ」

「言われずとも」

「………………お前が生きている限り、お前が結菜に誠実である限り、俺はあの男を騙し続ける。結菜を隠し通す。目立つ行いさえしなければ、一切問題ないはずだ」


 ゆっくりと瞼を閉じた唯斗は頭をフル回転し、将来の道筋を立て直す。


(………少々、否、だいぶ難しい案件だ)


 旧財閥系を辿る双葉家の人脈、情報網は想像を絶するほどに膨大だ。


(けれど、———俺の力と人脈を持ってすれば、不可能ではない)


 その為には、国内最難関大学の医学部医学科に進学することが最低条件。


(さぁて、まずはサボっていた勉強を密かに再開することからかな)


 いずれ、将来的に、最終的に手に入れるはずだったものを、さっさと手に入れなければならなくなった唯斗は、その険しい道のりに挑発的な笑みを浮かべた。


(あんなクソ親父にはさっさと引退して御隠居願うに限る)


 数日前に口元に開けたピアスをペロリと舐めた唯斗は、心配そうな視線を向けてくる陽翔に自信満々な笑みを向けた。


「安心しろ。俺の辞書に不可能という言葉は存在していない」


 一瞬きょとんとした表情をした陽翔は、やがて優しい笑みを浮かべた。


「あなたたち兄妹は、似ていないようでどこかそっくりだ」


 ———がらがら、


 スライド式の扉を開けて入ってきたお風呂上がりの結菜は、目を見開いて固まっている唯斗と優しい微笑みを浮かべた陽翔に首を傾げた。


「どうかしましたか?」

「「いいや、なんでも」」

「???」


 小さく向き合って笑っている2人に、結菜はなおのこと意味がわからないと言ったような表情をする。けれど、2人はどんなに尋ねられても答えは明かさなかった。


 結菜と陽翔の駆け落ちの背景には、妹を守る為に己の信頼の失墜をも厭わない兄の、身を削るような献身が潜んでいた———。

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