第74話


 ゆっくりとした足取りで病室に戻った結菜は、椅子を引きずって彼のベッドの隣に置き、彼にココアの缶を手渡した。なれた手つきでタブを引いてかぽんという音を鳴らした彼は、そのカサカサに乾いたくちびるからココアを流し込む。男性特有の喉仏が彼がココアを飲み込むたびに動き、それが妙に妖艶で、結菜は自分のキャラメルラテを飲むことができずに缶をいじいじと撫で回した。

 陽翔がココアを飲み終わったらしく、缶をベッドサイドの机の上に置いた。ペロリとくちびるを湿らせて、彼はくちびるから言葉を紡ぐ。


「………俺は生まれて間もない頃に10歳には死ぬだろうと言われた。5歳まで生きたら幸運で、10歳まで生きたら奇跡だと。小さい頃から周囲の人は、俺を腫れ物を扱うのように扱った。ほんの少し触れれば壊れるんじゃないかと恐々と扱い、決して俺のことを怒ることなんてない。………………俺はそれが悔しかったんだろうな。なぜ周りの子みたいに愛情に満ちた怒りを、教育を、施してくれないんだって………。だから、出来うる限りの悪行を重ねた。悪戯、暴言はもちろんの事、泣き叫んでみたり、地団駄を踏んでみたり、………でも、どんなに暴れようとしても周囲の大人が俺をすぐに宥めるし、あまりに酷かったら睡眠薬を突っ込まれるしで上手く行ったことなんてなかった。たまたま上手くいったとしても、自分の体力がすぐに限界を迎えて、ベッドに逆戻り。数日間は起き上がることさえも不可能になる。悔しくて、惨めで、俺はやさぐれ始めてた。生きてても死んでても同じだって思うようになった。アメリカの最新の研究によって、俺の病気に僅かに希望が灯った時も、俺は正直どうでも良かった。周囲が説得しても、俺は首を横に振り続けた。そんな時、俺はお前に出会ったんだ。淡いピンク色の花柄のワンピースをはためかせて女王然と穏やかな微笑みで歩くお前を見て、俺はなおのこと劣等感に苛まれた。どうして俺だけがこんな目に遭うんだって思った。だから、その日もいつもみたいに暴れたんだ。そしたら、お前は何したと思う?………殴ったんだよ。俺の頬を。パーじゃなくてグーで。ほんっとあの時はびっくりした。呆然としてしまった」


 彼に言葉に、自嘲の微笑みに、結菜の脳裏に浮かんでいた絵が段々と鮮明になっていく。分からなかった既視感が、分かる過去に変化していく。


「はる、くん………?」

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