第4話



▫︎◇▫︎


 1時間目が始まってからも、結菜はほんの少しだけそわそわしていた。


 いつもと変わらない一切のブレのない微笑みに、洗練された所作、質問に対する完璧な回答、そのはずなのにも関わらず、結菜の心の中にはどこかほんの僅かだけ楽しげな雰囲気があった。


(わたし、いつもよりも変かも)


 誰にも気づかれていない僅かな変化であっても、結菜は少しだけ嬉しかった。


(………わたしの中にも、感情が残っていたのですね)


 事務的な会話しかできない家族。

 双葉大病院の息女としてしか接してもらえない家。

 “天使さま”と敬い、尊敬してくる同級生に先輩、後輩、教師。


 常に結菜は観察されてきた。

 そして、観察されるに相応しい存在であるために、必要のないものを削ぎ落としてきた。

 感情や表情はその最たるもので、結菜はここ数年、まともに自分のやりたいことをやったことなどなかった。


「双葉」

「あ、………月城さん」


 彼に呼ばれて、今がもう放課後であることに気がついた結菜は、焦りを一切感じさせない微笑みを浮かべたまま首を傾げる。


「いかがなさいましたか?」

「………いや、なにも」


 少し居心地が悪そうに頭を掻く彼は、朝よりはマシだが、少しだけ眠たそうだ。


(用事、用事、用事………)


 必死に彼が言おうとしていることを考えてみるが、結菜にはよく分からない。


「あかりー!帰るよー!!」

そうくん!!はーい!!」


 結菜の隣の席に座っている女の子が、彼氏に呼ばれて元気よく手を上げながら教室の外に走っていく。

 彼女の顔には満面の幸せそうな笑みが浮かんでいて、結菜は少しだけ羨ましいと思いながら、彼女の背中を見送った。


(放課後デートですか、………羨ましいです)


 じっと彼女の背中を見つめていたら、結菜は肩を叩かれた。

 結菜が肩を叩いてきた陽翔に視線を向けると、彼は左手を差し出してくる。


「ん、………行くんだろ?」

「ーーー」


 ぱちぱちと瞬きをした結菜は、おずおずと陽翔の左手に自分の右手を乗せた。


「………行く」


 彼に立ち上がらされた結菜は、夢見心地で彼の後に続く。


(………耳が、あつい)


 結菜は密かに歩調を合わせてくれている優しい彼の後を歩いて、人生で初めてぼっちじゃない下校をすることになった。

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