水曜日5 暇人は帰路につく。

「二人とも大丈夫? 見つからなかった?」

「平気だったけど、なんでこんなところまで来てんだ?」

「二人が見つかりそうになって、何かしなきゃって思って」

 実際に何かしたんだろうか。まさか。

「もしかして、あのパリンって音、若菜わかなさん?」

「そう! 反対側まで走って、カバンから鏡取り出して、投げたの」

 感謝した神様は若菜さんだったらしい。それにしてもすごい判断力と行動力だ。

「監視カメラとかは大丈夫?」

「もちろん映らないように大回りしたよ。安心して」

 完璧だ。

 今日ずっと様子のおかしかった若菜さんが、本来の力を発揮したということだろう。

 若菜さんは元々すごい人なのだ。

「その後、二人が逃げやすいように二人のカバンも拾ってここに」

「マジで助かった。ありがとう」

「ありがとう」

 そう言うと駅へ歩き出した。


 この時間にここを歩くことは、今までなかった。

 昼間や夕方に美しい景色を見せてくれる空と川は、夜にも変わらず美しかった。月の前には、薄い雲が膜を貼っている。鈍く届く月明かりは、かえってその魅力を深めている。しかし、その弱々しい光は川には届かない。その代わり、水面にはたくさんの街灯が映る。川は星が輝く夜空のようだった。

「鏡、弁償するね」

「安物だから弁償なんて全然いいんだけど、プレゼントなら貰おっかな!」

 若菜さんはとても嬉しそうにしてくれている。久しぶりに見た気がする、ぴょこぴょこ。

「弁償頼んだぞ秋月あきづき。ちゃんと悩んで選べよ」

「どんなのがいいかなんて、分からないんだけど」

 女の子の好みなんて、考えたことも勉強したこともない。

「じゃあ若菜さん連れて行ってこいよ。本人に聞くのが一番早いだろ?」

「行こうよ秋月くん」

 弁償なので断る権利はない。

 自分で選んで渡すよりは、絶対にいいだろうし。

 行くのは文化祭が終わってからにした。文化祭後のイベント二つ目だ。


「さて、真面目な話だけど」

 少し黙って歩いたあと、話を切り出す。これこそが、今日の目的なのだ。

「カギを盗むことも、窓から入ることも考えられる方法の中では無理だった」

「空飛べたりしないもんね」

「つまり、犯行が可能だったのはやっぱり月曜日の朝、七時から七時半の間だけ」

「そういう事になるな」

 これで若菜さんは完全に容疑者から外れる。心の底から安心する。若菜さんは、犯人じゃない。

「あと出来ることは、聞き込みだけだ」

 はてがないような聞き込みが、これから待っている。それでも今は、今日分かったことを噛み締めよう。

「二人とも、無茶な計画に付き合ってくれてありがとう。お疲れ様」

「秋月くんこそ、お疲れ様」


 その後は思いついたように喋ったり、必要がなければ黙ったり、いつも通りの雰囲気で歩いていた。

 駅についた。

「さすがに今日は帰るかー」

 越川が伸びをする。

 誰にも、寄り道をする元気はないだろう。

「何してんだ? お前ら」

 突如後ろから声をかけられる。

 吉田よしだ先生だった。

「随分遅いな、何してたんだ。若菜に越川こしかわ、それに秋月か。珍しい三人だな」

 な、何を? 言えるわけがない。言い訳、どうしようか。

「先生こそ、何をしてたんですか?」

 若菜さんが質問に質問で返す。少し攻撃的な声だ。

 そういえば若菜さんは、吉田先生と言い合いをしてたんだっけか。

「俺は普通に仕事だよ。最近早く帰ってたから、溜まってたんだ」

「姪さんの様子はどうですか?先生」

 俺は先生に小説を借りに行った時、デレデレエピソードを聞かされていたので、早く帰っている理由を知っている。だからカギ担当をやっているのだ。

「姪ってなんのこと?」

「先生、デレデレなんだよ。毎日会いにいってるんだってさ」

「違う。子育ての手伝いをしに行ってるんだ」

「先生、それで忙しいって言ってたんですね。すみませんでした。何も知らなくて」

 若菜さんが頭を丁寧に下げている。

「いいんだよ。それより話聞いてやれなくてごめんな。でも、どうやら大丈夫そうだな」

 俺を見て笑う先生。顔に何かついてるか?

「もう大丈夫です!」

 二人の間のことだから分からないが、解決したらしい。よかったよかった。

「それで、こんな遅くまで何してたんだよ」

「文化祭の打ち合わせっていうか。親睦会っていうか。そんな感じです」

 越川が適当に言い訳をする。

 吉田先生は適当なところがあるから、これで通るだろう。

「秋月が親睦会ねぇ。若者は数日見ないだけで変わるもんだなぁ。尊い、尊い」

 使い方が微妙に間違っている。おじさんという生きものの自尊心は脆い。指摘はしないであげよう。

「そうだ、思い出した。秋月、小説はまだ読み終わらないのか? 次も面白いぞ」

「まだ読んでないんですよ。近い内に、よろしくお願いします」

 ここ数日、小説は一切読めていない。そんな時間と、体力的余裕がないのだ。

「そうか。まだまだ面白い小説はあるからな。どんどん読もうな」

 吉田先生は国語の教師であり、本物の小説好きだ。オススメを聞けば、オールジャンル答えてくれる。

「とにかく、もう遅いんだ。早く帰れよ?」

 三人で「はーい」と答え、先生とは別れた。


「腹減ったし、なんか食わないか?」

 越川が提案した。

「確かに夕飯食べてないな。この時間ならコンビニかな」

 駅の中にあるコンビニで適当に買い食いすることにする。

 コンビニ内では各自で行動し、外で合流した。

 俺はたまごサンドを買った。卵への信頼は厚い。

 越川は何かのコラボ商品のおにぎりを買っていた。

 若菜さんはついにコンビニスイーツに挑戦したらしく、プリンとエクレアとクレープを買ったらしい。

 食べ過ぎでは。

 電車内で食べるわけにもいかないので、急いで食べた。

 若菜さんは三つも買ったせいで間に合いそうもなく、結局三人でなんとか食べて間に合わせた。どんどんなくなっていくスイーツを悲しそうに見つめていた。


 ――――

 家についた頃には、十時近くになっていた。こんなに帰りが遅くなったのは初めてだ。

「ただいま」

 今日はさすがに妹は待ち構えてはいなかった。その代わり、母が偶然通りかかった。

「遅かったわね。ご飯はどうしたの?」

「友達……と食べてきたから大丈夫」

 もう友達って言ってもいいよな。多分。

 そこで妹が現れる。ヤバい、アイス忘れた。今日は殺されるんだった。

「お兄ちゃんが友達とご飯……?あり得ない」

 殺されない……? よく見ると妹の手にはずっと求めていたアイスがあった。

「あ、アイス、食べれたんだな」

「お兄ちゃん絶対忘れるから、お父さんに頼んだの。どうせ忘れたんでしょ」

「はい。ごめんなさい」


 明日はカギの件があるから、早起きしなければいけない。それに聞き込みも早く始めるに越したことはないだろう。

 明日から始まる長い長い戦いに覚悟を決め、眠りについた。

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