水曜日4 暇人は可能性を探る。
「あ、危なかったぁ……」
かなり重かったし、なにより暑かった。
人の体温とはすごいものだ。
越川の次は、俺の番だ。後ろに下がる。
「
若菜さんは体勢を変えず、下を向いたまま答える。
「う、うん……。大丈夫、だよ」
顔だけでなく耳までもが真っ赤になっており、相当暑かっただろうことが伺える。
最奥にいた若菜さんは、一番暑かったのかもしれない。
「立てる? 手貸そうか」
体育座りの状態から降りるとなると少し危なそうだったので、手を差し出す。
「大丈夫。大丈夫、だから……」
助けはいらないらしい。
自力で慎重に、シンクから降りていく。
三人とも掃除用具入れから脱出し、広い空間に出る事が出来た。
越川はストレッチをして身体を伸ばしている。若菜さんはさっきから下を向いたままだ。
俺も強張った身体をほぐそうと、体育の授業でやるような簡単な体操をする。
「なんとかなったね。本当に危なかった」
まだ何もしていないというのに、何回危ないと言ったり聞いたりしているのか。
今日だけで三桁くらいいくんじゃないだろうか。
冷静にならないと危険だと何度も思い知らされているので、少し休憩している。
とはいえ悠長にしている隙はない。
そろそろ行こう。
ようやく一つ目の「職員室からカギを盗んだり返したり出来るのか」を検証出来る。
「行くか、職員室」
越川の号令が掛かる。
若菜さんの様子がおかしいのが気がかりだが、今日はずっとおかしいので今更気にしてもしょうがない。
「もう流石に、誰も来る気配はないね」
「これ以上来たら、それはもう監獄かなんかだろ」
多少の安心感を覚えつつ、階段へ向かった。
降りる前に一応注意を払う。
大丈夫、降りられそうだ。
ここからは先生方が多くいるであろう一階へ向かうので、足音を立てないよう手すりを使う。
今まで以上に神経を尖らせて降りていく。
階段を降りきると、すぐに横の壁に張り付く。
目の前には廊下が続いている。その廊下は普段使うことはないが、たまに運動部がこそこそと歩いているのを見かける。
職員室は左前にある。かなり広く、教室二つ分、いやもっとあるかもしれない。
職員玄関は俺達のいる場所の反対方向にあるので、先生方がこっちを見る可能性はかなり低いと思う。
扉についている小窓から中を見てみると、見える範囲だけでも四人は確認できる。
全体ではかなりの人数がいそうだ。
「さて、どうやって入ろうか」
どうやって入るのか。これは事前に決めれる内容じゃなかったので、ここで考えて判断するしかない。
とりあえず、もっと中の情報が知りたい。
あいにく廊下には誰もいない。
「二人はちょっと待ってて」
しゃがんだ姿勢のまま扉の前まで移動した。
音を立てないようにゆっくりと、扉をほんの少し開ける。
中には十人くらい先生がいる。
こんな時間まで、ご苦労さまです。
ご苦労さま、じゃない。多すぎだ。これじゃどこからどう入っても絶対にバレる。
机に隠れて移動しようにも、肝心のカギ置き場の周りは少し空間が広く空いていて、そこで詰みだ。
急いで二人のもとへ戻る。
「どうだった
「絶対無理だよ、これ」
首を横に振る。
「もう少し待てば人数減ったりしないか?」
「人数が減っても多分無理だ。今まではカギにしか意識が向いてなかったから気が付かなかったけど、カギ置き場はどこからでも見え見えだった」
防犯的な意識で、見えやすい位置にしているのかもしれないと、今更ながら思う。
「先生がみんな帰った後はダメなの?」
多少、冷静さを取り戻した若菜さんからの質問だ。
「職員室にもカギがある。先生がいなくなってからは、入れない」
「つまり、カギを盗んで教室に入ったパターンは考えられないってことだな」
またしても越川がまとめてくれた。
こういうありがたい立ち回りをしてくれる、とても気の利くやつだ。
ドスン!
足元で大きな音がした。
反射的に目を向けると、スマホが落ちていた。デフォルメされた猫のイラストが描かれているケースだ。
男子が使いそうなデザインではないので、若菜さんの物だろう。
若菜さんは慌てて拾い上げる。
さっきまで真っ赤だった顔が、真っ青に染まる。
「ご、ごめん、手滑っちゃった……」
動きを止めて、耳に集中する。
職員室から歩く音が聞こえる。なんとなく、こっちに向かっている気がする。
バレたかもしれない。
移動しないとマズい。
二階に行くのは悪手だと思う。速く動けないから追いつかれてしまう。
職員室の前を通ることはもちろん無理だ。
目の前の廊下だ。この三人の中には運動部はいない。あっちに何があるのかは分からない。だが選択肢の中で、未確定という意味でも、希望があるのはそれしかない。
「二人とも、あっちだ!」
二人を引っ張るように最前線を走る。
そこまで長い廊下ではなく、すぐに行き止まりだった。
電気がついておらず、暗い。
しかも明らかに汚れている。掃除もされていないようだ。
「行き止まりかよ。でも、さすがにこっちには来ないよな」
来ないと思うけど、戻れなくなったのも事実だ。
「秋月くん、ここに扉があるよ」
扉? こんなところから、どこに繋がっているんだろう。
運動部がこそこそとこっちに行っていた理由はこの扉なんだろう。
「少し開けて見てみようか」
若菜さんが指差す扉に近づく。
確かに扉がある。学校のものとは思えない金属製の錆びた扉だ。
サムターンなので、ツマミを回せば簡単に開けることが出来る。
ゆっくりと解錠し、持ち手を下ろし、向こう側に押し込む。
運動部が使っているおかげか、外観から想像するほど悪い動きではなかった。
開けた隙間から風が入り込んでくる。
ずっと息が詰まっていたので、心地がいい。
外だ。外に繋がっていた。
もう少し大きく開けて、周囲を確認する。
そこは、例の路地だった。
「ここから外に出れる。行こう」
二人を誘導して路地に出た。
先程までの校内でのあれこれから開放されて、すごく気持ちがよかった。ここも敷地内ではあるが、酸素濃度が全く違うように感じる。
少し遅れて出てきた二人は驚いている。
「こんなところに扉なんてあったんだな。にしてもなんのための扉だ?」
「昔は正式な使われ方をしてたのかも」
そして今は運動部の、おそらく近道に使われているようだ。
昇降口から出てグラウンドや、グラウンドの奥にある部室に行くより、ここからの方が多少近い。
ほとんど意味がなくても、知っていればなんとなく使いたくなるのが人の
「本来の方法よりこっちの方がグラウンドに近いし、結果オーライだね」
二階に戻り、反対側の階段から一階に降り、棟の端にある誰も使っていないトイレから出て、路地に入り、路地に置いておいたローファーに履き替える、というのが計画だった。
路地に直接出れたのでスリッパを汚さずに済んだのも地味に嬉しい。
みんなでローファーに履き替える。
「よし、グラウンドに行こう」
二つ目の検証「窓から出入りすることは可能か」
学校の二階というのはかなり高い。一般的な住宅とは基準が違うらしい。
この高さを登り降りするとなると、相当大変そうだ。
「それで、どうすんだ?」
ここからどうするか。
「とりあえず越川、ジャンプしてみてくれ」
「じゃ、ジャンプ? 届くわけねーだろあんなの」
届くわけないとは思うが、もし仮に届いたとしたら、犯人は越川と同等、もしくはもっと高いの身長だと断定出来る。
「よっ!」
「…………」
まったく届いていない。届きそうな可能性も皆無だ。
「だから言ったろ……。次は?」
「肩車してみるか」
もしかしたら単独犯ではない可能性もあるので、試しておく。
「ジャンプと大して変わらないな。もういいよ下ろして」
「もうちょっと、背伸び出来るぞ」
越川が粘る。
「もう大丈夫だから。早く、早く下ろして」
どんどん怖くなってきた。
「もしかして秋月くんって、高所恐怖症なの?」
バレた。高い所はどうしても怖いのだ。
「越川くん、もうちょっとそのままにしよう」
「若菜さん!?」
「お返し」
なんのお返しだ。
「重いからもういいか?」
「しょうがないなー」
助かった越川。ありがとう。
ちょっと鼓動が早い。
「さて、次は?」
今手元で出来ることはもうない。
後は現地調達で何か見つけるしかない。
「手分けして登れそうな道具を探そう」
学校には色々な物がある。なにかあるかもしれない。
「手分けすると、なんかあったときに怖くねーか?」
「じゃあ、グループ通話しながらにしよ!」
「いいね、そうしよう」
ここで初めて連絡先を交換した。
若菜さんとは学校での直接的なやり取りで問題なかったから、交換しようという気にならなかったのだ。
「もしもし、聞こえる?」
若菜さんが確認する。
「こっちは聞こえるよ」
「俺も平気」
「じゃあ、なんか良さげな物見つけたら教えて」
適当に三方に別れて道具を探す。
ここらへんには何もなさそうだ。
「部室とか入れれば色々ありそうだけど、全部閉まってんなぁ」
越川の方も手応えがないらしい。
「ロープがあったよ!」
「ナイス! 持ってきて!」
若菜さんが嬉しそうに帰ってくる。
「はい、これ!」
確かにロープだ。それに結構長い。
「よく見つけたね」
「建物の影に落ちてたの。犯人が隠してたのかも」
なるほど、それは怪しい。
「早速使ってみようか」
「うん!」
「…………」
「……?」
「どうやって使うの? これ」
「こう、忍者みたいに」
一応やってみた。
ロープの先端に輪を作り。
クルクルと回して遠心力をつけて、投げる!
ロープは見事、何にも引っかからず落ちてきた。
そもそも長さが二階まで届いていない。
「でしょうね」
「ダメかー」
やっぱり今日の若菜さんはおかしい。天然というか子供というか。
「次、探すか」
また三方に別れて探す。
さっきとは違う場所を探すが、何もない。
しばらくすると、越川が、
「脚立があったぞ。一応持ってく」
結構重そうなので、走って手伝いに行く。
「二人ともお疲れ様」
正直、なんとなく結果は見えている。
「よし、立てたぞ」
越川が一番上まで登り切る。
確かにかなり高さが出た。これがあれば、どこでも拭き掃除が出来そうだ。
「届かないね、まったく。他は何があるかなぁ」
「これもダメか。次!」
二人はまだやる気かもしれないが、俺はもう気づいている。
「正直、無理っぽくないか、これ」
「だよね」
ロープと脚立を元の位置に戻してから、帰ることにした。
ロープは若菜さんに任せ、脚立を越川と二人で運ぶ。
脚立は教室や路地側とは反対の方にあったらしく、かなり遠い。コの字の最初に筆を下ろすところ辺りだそうだ。
ロープはすぐ戻せたようで、若菜さんは先に路地の方へ向かっている。
「大して役立たない割に重いなこれ」
「まぁ普通の使用目的じゃないからね。脚立に非はないよ」
ふと若菜さんの方を見ると、何かを必死に伝えようとしていた。
もう通話はしていなかった。
若菜さんが指を差す方を見ると、何やら光が見えた。
おそらく光は、コの字の上の方の角辺りからこっちに向かって来ている。つまりほぼ直線上にいるってことだ。
まだ部室の見回りはしてなかったのか!
まだ距離はあるし、遠くに目を向けていないようで、気づかれてはいない。でもこのままだと、脚立を戻し終わるより先に気づかれそうだ。
越川も気づいたようで声を潜めている。
どうする。
急げば、脚立から出る音が大きくなってバレる。
脚立をここに下ろして逃げるのもダメだ。誰かが潜入した形跡がバレれば、カギを持ち帰っている俺が疑われる。
ダメだ。
俺だけ捕まって、他二人を逃がす以外ない。
そもそも捕まる覚悟はして来てるんだ。
「越川、逃げろ」
小声で伝える。
越川は、横に首を振る。
「俺にはどこにも所属してないから捕まってもダメージは少ない。それに一人なら言い訳もしやすい。だから行ってくれ」
少し考えた後、越川は頷いてくれた。
さて言い訳か、どうしようかな。
その時、
パリン!
大きな音が見回りの先生がいた方向のさらに向こうから鳴る。
先生は音につられ、そっち方向へ向かっていった。
越川がそれに気付き戻ってくる。
なんという幸運。ありがとう神様。
先生が戻ってくる前に、脚立を元の位置に戻し、急いで路地へ向かった。
「危なかったな……」
「今度こそは終わったと思った」
「言い訳ってどうするつもりだったんだよ」
「実は何も考えてない」
「お前なぁ」
そこで気付く。若菜さんがいない。それに、隠しておいた三人のカバンもない。
まさか若菜さんが捕まったんじゃ……
走って路地を抜ける。
学校前の道路に出る。
若菜さんはいない。最悪だ。一番守らなきゃいけなかった人が……。
「秋月、あそこ」
越川が指示した方向を見る。
「若菜さん!」
若菜さんが三人分のカバンを持って、橋の上から手を振っていた。
よかった。捕まったわけじゃないみたいだ。
急いで若菜さんのもとへ走った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます