水曜日3 暇人は隠れる。

 完全下校までは、まだもうしばらく時間がある。

 それまではいつも通り過ごす方がいいだろう。

「教室のカギ、取ってくる」

 二人にそう伝え、一階の職員室に向かう。

 いつも通り、教室のカギを取りに行く。

 このカギも、計画にとって重要な要素となる。

 今日、カギは持ち帰ることになるが、明日朝一で来れば、誰にも迷惑にはならないだろう。

 ここで失敗しようもんなら、計画は実行出来なくなる。

 とはいえやること自体はいつもと同じ。なんの問題もないだろう。


「失礼します。教室のカギを取りに来ました」

 職員室に入るにはこの呪文を唱えなければならない。いつも煩わしく思う。

 この呪文に対して、誰かしらの先生が許可を出すとようやく入ることが出来る。

 いつもなら面識のある先生に目を合わせるのだが、無意識の内に緊張しているんだろうか。

 関わったことのない女性の先生と目を合わせてしまった。

 髪を一つにまとめていて、眼鏡をかけている。

「君、一年生だよね? カギは担任の先生が閉めることになってるはずだけど」

 疑いの目を向けている。

 こんなところで失敗するわけにはいかない。

「あ、はい。担任の吉田よしだ先生から頼まれていて」

「吉田先生……。ああ、なるほど。今忙しいもんね。どうぞ」

 危なかった。幸先が悪い。

 扉側の壁際にあるカギ置き場から、「一年三組」と書かれたキーホルダーのついているカギを取る。

「失礼しました」

 これで一つ目のミッションは――

「あ、ちょっと待って。君」

 血の気が引く。

 何か怪しまれるような事をしたか。

「それ、危ないから。買い替えなさいよ」

 先生が指差していたのは俺の足元。校内用のスリッパだった。

 高校に入ってから足のサイズがかなり変わったので、踵が入りきってないのである。

 ローファーは流石にすぐ買い替えたが、スリッパは履けないこともないので放置していたのだ。

「あ、ああ。すみません。気をつけます」

 そう言うとさっさと廊下へ出る。

 心臓がバクバクしている。

 怖かった。

 とりあえず落ち着きを取り戻すために、計画を頭の中で反芻する。


 花盟学園かめいがくえんの敷地はほぼ正方形で、三つの直線的な棟が、コの字型を作っている。

 コの中の部分がグラウンドになっている。

 下の棒の棟の一階に職員室が、二階に一年三組の教室がある。

 縦の棒の棟と下の棒の棟を繋ぐ角の部分に校門と昇降口があり、その少し横、棟と棟の間に例の路地がある。

 今日の計画は教室のある棟とグラウンドだけで行われる。他の棟に用はない。


 教室に戻ると一気に安心感が溢れ、力が抜けた。

 倒れ込むように椅子に座る。

「どうしたの?」

「カギ取りに行っただけだろ?」

 二人に心配される。

 どうせまだ時間もあるし、愚痴を聞いてもらおう。

 その後も他愛のない会話を続けた。


 そろそろ二十時になる。完全下校時間だ。

「ついに来たな」

「まずはここを突破出来なきゃ話にならない。慎重にやろう」

 まずは、完全下校時間が過ぎた後、見回りの先生から見つからないことがミッションになる。

 カバンは邪魔になるので、事前に路地に隠しておいた。

 隠れ場所は教室にした。わざわざ中までは入ってこないはずだ。

 キンコンカンコン――

 その日になる最後のチャイム。完全下校時間五分前を知らせる音。

 一年二組の生徒たちが、昇降口に向かってダッシュしていく。

 慣れた様子なので、連日この時間まで作業していたことが分かる。

 やはり犯行は完全下校時間の後しかない。

「よし、スタートだ」

 スタートとは言うものの見回りが来るまでには少し時間があるはずだ。そんなに焦ることもない。

 まずはやることがある。

 見回りの先生はおそらく、教室の扉はもちろん、廊下側の窓のカギも確認するだろう。

 扉は、外からカギを差し込み回すことで、開け閉めするタイプ。窓のカギはクレセント錠で、中からしか開け閉めが出来ない。

 教室の中に残り、かつ両方のカギを閉めるには、

 ・まず、教室の中から廊下側の窓のカギを開ける。

 ・次に、外から教室のカギを閉める。

 ・最後に、窓から教室に戻り、窓のカギを閉める。

 この手順を踏む必要がある。

 ついでに、出ていく時には、

 ・まず、廊下側の窓のカギを開け、全員廊下に出る。

 ・次に、教室のカギを開け、一人が中に入る。

 ・教室の中から、廊下側の窓のカギを閉める。

 ・教室から出て、扉のカギを閉める。

 この手順になる。

「これは俺がやる。適任だろ」

 越川こしかわに教室のカギを渡す。

 越川は窓のカギをゆっくりと開け、大きい身体を駆使し、難なく廊下へ出る。

 カギをゆっくりと差し込み、回す。

 できる限り消音したようだが、それでもガチャという音は鳴る。

 越川は、再び窓から教室に戻ってくる。

 いつの間にか息を止めて見守っていた俺は、越川の帰還を確認して、呼吸を始める。

 若菜わかなさんも同じらしい。

 まだなにも成し遂げてはいないが、それでも達成感を感じざるを得ず、三人でハイタッチをした。

 もちろん音がならないようにゆっくりと。

「やったね越川くん」

「おう、これくらいは朝飯前、って今は夜か」

 小声で話していると、廊下の向こう側から足音が聞こえてきた。

 コツンコツン――

 想像より見回りが早い。

 焦りを感じながら、

「みんな隠れて」

 なんとか指示を出す。

 俺は教卓の下。

 若菜さんは掃除用具入れのロッカーの中。若菜さんにはそんな汚い所に入ってほしくなかったが、一番見つかりにくいと判断して我慢してもらうことにした。

 越川は……。

 マズい。越川の隠れ場所を決めていなかった。

 飛び入り参加だったのと、緊張でフワフワしていたことで、計画の大まかな流れだけ説明して、細かいところを詰めていなかった。

 足音がもうすぐそこまで来ている。

 越川……南無三! 心の中で唱えていると、カラカラカラと微かに音が聞こえ、スッスッスッと別の音が続いた。

 なんの音だろう。

 ガチャガチャ!

 カギが閉まっていることを確認するために、扉を左右に揺すっているらしい。

 そのまま足音は階段の方へ消えていった。

 越川はどうなったんだ。なぜ気づかれなかった。

 頭に注意をしながら、教卓の下から這い出る。

 教室を見回しても越川の姿はない。

 若菜さんが遅れて掃除用具入れのロッカーから出てくる。

 喋れないので、目で会話する。

(越川くん、どこ?)

(分からない。どこかに隠れたみたいだけど)

 教室に隠れられる場所は教卓の下と掃除用具入れのロッカーくらいしか見当たらない。

 しばらくすると、急に窓が開く。

 廊下側ではなく、外側の窓が。

 そこから越川が現れる。

 そうか、あそこか。

 窓の外には、なんと呼ぶのか、そもそも名前があるのかも分からない出っ張りがある。

 人が立つための場所ではない。

 しかし、休み時間にそこに立ち、遊んでるやつがたまにいる。

 もちろん先生がいれば「危険だから止めろ」と説教されるような所だ。

 越川は機転を利かせて、そこにしゃがみこんでいたらしい。

 見回りの先生もわざわざ、教室の奥にある外側の窓のカギまで確認しなかったのだろう。

「あぶねぇ。俺の隠れ場所決めてなかったな」

「越川くん。よかった……」

「よく思いついたな。俺の雑な計画のせいだ。ごめんな」

 浮ついてるのは若菜さんだけじゃなくて俺もだ。気を引き締め直さなきゃいけない。

「バレなかったんだからなんも問題ねーよ。気にすんな」

 とことん根明のいいヤツだ。

 俺が女だったら好きになってたってやつだなこれは。

秋月あきづきくん。ちょっといい? 」

「どうしたの? 若菜さん」

「これが出来るなら、カギを盗めるかとか、窓から入れるかとか、いらないんじゃない? 教室に隠れて、ポスターぐちゃぐちゃにして帰れちゃうよ」

 真っ当な疑問だ。

 それが可能なら、今日の計画をする必要がなくなる。

 ここで話すべきことだろう。

「いや、これは俺たちだから出来ることであって、犯人には無理だったはずだよ」

「どういうことだ?」

「カギを持った状態で、教室の中にいないと出来ないんだよ。考えてみて。教室に隠れる、ポスターを破ってインクをかけて元の場所に戻す、廊下側の窓から廊下に出る。そのあと、窓が閉められない」

「ホントだ。できねーな」

「でも、完全下校時間の前に、予めカギを借りておけば、窓も閉められるんじゃない?」

「そのあとカギを返すのに結局、職員室への潜入が必要になる。もしくはカギを持って帰らなきゃいけなくなる」

「持って帰るのはなんでダメ?」

「月曜日の朝、教室のカギを開けたのは?」

「あ、そっか。越川くんだ」

「犯人が持って帰ってたら、越川と水島さんが職員室からカギを借りられない」

「つまり、カギを使う方法でやるなら、職員室への潜入は、必須ってことだな」

 越川がまとめてくれた。

 小声とはいえあまり喋るべきじゃないな。

 説明が長くなってしまった。急ごう。


 廊下側の窓から教室を出る。

 まずは越川が。

 その後、安全面を考えて両側に男子を残した方がいいと考え、若菜さんに行ってもらう。

 越川と二人で手を貸しながら、若菜さん無事廊下へ出た。

 最後に俺。

 越川のような長身ではないが、このくらいの高さはどうってことはない。

 我ながら軽い身のこなしで窓枠に登り、廊下に左足から下ろしていく。

 次の瞬間、視界が回転する。器械体操の前転

 をした時のような感覚。

 途端、時間がゆっくりになる。

 緩慢な時間の中で考える。

 なるほど。左足を下ろすために、窓枠にかけていた右足のスリッパが脱げて、滑り落ちたようだ。

 サイズの合わないスリッパがこんなところで足を引っ張るとは。足だけに。

 大きな音が出るだろう。これで計画は失敗。

 なんとか若菜さんだけは逃げて欲しい。

 そう願っていると、衝突する予定の床と俺の間に何かが挟まりこむ。

 硬い床に叩きつけられると思っていた俺は、安心感のある柔らかい人間の身体に迎え入れられた。

 それは若菜さんだった。

 状況を理解する。

 直ぐさま身体を離し、少し距離を取る。

 若菜さんが目を逸らしながら、

「大丈夫? 秋月くん」

「ご、ごめん。スリッパが脱げて……」

 そうだ。スリッパ。

 スリッパは床に落とすと、接地面次第でそこそこ大きい破裂音が発生する。

 そんな音は聞こえなかった。運がよかったのだろうか。

 そう思いながら後ろの方を見る。

 そこには窓に上半身を突っ込んでいる越川の姿。

 越川が上半身を起こすと、手には俺のスリッパが鷲掴みにされていた。

「ギリギリ間に合ったわ……。あぶねぇ」

 俺が情けなく転んだ瞬間、二人は瞬時に役割を判断し、行動してくれた。

 さすが、俺とは違い優秀な二人だ。

 若菜さんと越川が参加してくれてなかったらどうなっていたか。想像もしたくない。

「怪我とかしてないよな?」

「うん。それは大丈夫。本当にごめん。二人ともありがとう」

 本当に情けなくなった。


 先程の手順で窓と扉のカギを閉め、一息つく。

 これでやっと潜入が成功したと言えるだろう。

 あくまでも目的は、職員室からカギを盗めるか、戻せるかの確認と、グラウンドから窓に出入り出来るかの確認だ。

 ここからが本編なのだ。

「じゃあ、今度こそ職員室に向かおう」

 職員室は一階にあるので階段で降りる必要がある。

 それでも、隠れられそうな場所の中ではかなり近い方だろう。

 足音に気をつけながら目の前の階段へ向かう。

 カツンカツンカツンカツン

 !?

 階段を歩く音がする。

 見回りの先生はさっき来たばかりのはずだ。

 やっぱりさっきの騒動で気づかれたんだろうか。

「お、おい。どうするよ」

「まだ少し遠いから、早く一階に行っちゃおうよ」

「いや、音が反響して三階から降りてきてるのか、一階から上がってきてるのか判断がつかない。階段に向かうのはリスキーだ」

 階段の方へは行けない。教室に戻るのも無理だ。

 どこかに隠れられる場所は……。

「トイレはどうだ」

 それだ!

「トイレに行こう。やり過ごせるはず」

 もうかなり足音は近づいて来ている。

 急ぎつつ、音を立てないように、慎重に小走りでトイレへ向かう。


 俺と越川は男子トイレにいる。

 若菜さんも女子トイレに逃げ込めたはずだ。

「なんとか間に合ったね、秋月くん」

 ……え?

 なんで若菜さんが男子トイレに?

「あの、ここ、男子トイレですが」

 パニックになっていたらしい。

 今になって自分のしたことに気づいたようだ。

 若菜さんの顔が一気に赤く染まっていく。

「わ、わた、私、パニックで……。ついて、来ちゃった……」

 動揺した若菜さんはトイレから出ていこうとする。

 なんとか手を掴み、引っ張り戻す。

「ダメだよ若菜さん。今出たら確実にバレるって」

「で、でもここ……」

「落ち着けよ若菜さん。数分の辛抱だ」

 もう足音は廊下まで来ている。

「しまったしまった。トイレの窓、チェックしてなかったな」

 !?

 男の先生の声だ。

「おい、今トイレって聞こえたよな。ここ、マズいんじゃないか……?」

 そんなこと言われても、もうここから出ることは出来ない。

「個室に隠れればいいんじゃないの?」

 立ち直った若菜さんが提案した。

「ダメだ。人が入ってない時は勝手に扉が開くようになってる。扉がしまってたらバレバレだ」

 越川の言う通り。

 個室には隠れられない。

「じゃあどうするの? ここままじゃ見つかっちゃうよ」

 落ち着け。考えろ。

 何か使えるものがないか見渡す。

 便器、個室、窓。

 窓から飛び降りるか?

 いや無理だ。学校の二階はかなり高い。

 他には……、バケツと雑巾。

 そうだ!

「掃除用具入れ! あそこの個室だけは常に扉が閉じてる。」

 個室は四つあるが、そのうち一番奥の一つは掃除用具入れになっている。

 足音はもうかなり近くに来ていた。

「急げ急げ」

 先に行った二人が止まっている。

「何してんの! 早く入って」

 越川が青ざめた顔で、

「入れない」

「どうして!」

「三人分の隙間がねぇんだ……」

 二人を避けて、中を見る。

 モップ、ホウキ、ちりとり、ゴミ拾い用のトング、洗剤の入った容器、その他諸々。それらがかなりいい加減に放り込まれていた。

 掃除用具が作り出したジャングルの中央には水を汲む用の小さいシンクが鎮座している。

 キレイに整理し直せば三人が入る余裕はありそうだが、今はそんな事をしてる暇はない。

「どうする、秋月」

「かなり酷い体勢になってもいいなら、なんとかなるかも」

「バレるよりはマシだよ。早く教えて秋月くん!」

 背に腹は代えられない。

 ごめん。若菜さん。

「若菜さん、ここに体育座りしてもらってもいい? 」

 ここ、というのはシンクの上だ。

 キレイな場所ではないが、こうするしかない。

「分かった。ヨイショと。これでいい?」

「うん、大丈夫。じゃあ、ごめん」

 謝りながら若菜さんに覆いかぶさる。

 ほぼ抱きついているような状態だ。

 全てを諦めて暴走しているわけではない。

 三人が立つスペースがないなら、こうやって重なり合う体勢を取るしかしかない。

 若菜さんは俺よりも一回り小さい。俺は越川よりも一回り小さい。

 だから若菜さん、俺、越川の順で重なっていく。

 若菜さんの様子は確認出来ない。

「越川も、早く――」

 バケツと雑巾。

 あれのおかげで掃除用具入れに気づけたが、なんであんなところに置いてあったんだ。

 普段あんなところにはない。

 多分、掃除当番が片付け忘れたんだ。

 掃除用具入れがこの有り様なんだ。かなり適当なやつらに違いない。

 ふと嫌な想像が浮かびあがる。

 もし、今から来る見回りの先生が、几帳面で、バケツと雑巾に気づき、しまおうとしたら……?

 バレる……!

「越川、バケツと雑巾!」

 流石の越川、フットワークが軽い。

 直ぐさま危険因子を確保する。

「でも、これ持ってると入れねーぞ」

「貸して!」

 バケツと雑巾を若菜さんの頭上に持つ。

 越川が、背中に覆いかぶさってくる。なかなかの重量と圧があって怖い。

 二人にのしかかられている若菜さんはもっと怖いだろう。

 もう少しの辛抱だ。

 なんとか扉が閉まった。

 足音はトイレの入り口辺りだろうか。

 どんどん近づいてくる。

 呼吸音で気づかれないように息を止める。

 かなり近い。すぐそこ、扉の前にいる。

 窓のカギをチェックしている。

「よし、確認OKっと」

 先生はトイレから出ていく。

 しかしまだ足音は消えない。

 まだ、まだ。

 少しずつ足音は遠くなり、次第に聞こえなくなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る