挿話 吉田康文は子を愛でる。

 今日は金曜日である。ただし華金ではない。

 明日は月に二回ある登校日だ。

 昨今、教師のブラック問題が巷では話題に上がるが、私にとっては、直接的には関係がない話に聞こえてしまう。

 私はこの仕事が好きだし、体力的にも問題を感じていないので、とても充実しているのだ。

 とはいえ誰しもが、そうであるとは思わない。

 精神的、体力的、それ以外にも様々な問題を抱える教師は多くいるだろう。

 自分が該当していなくても、社会問題に関心を示し、理解を深め、出来ることをしていく。

 それが社会人として、大人として、子を持つ親として、そして子供たちの見本たる教師としての義務であることを承知しているつもりだ。


「あぁ、なんてかわいいんだ……」

 つい独りごちる。

 先月産まれたばかりの赤ん坊の写真。

 と言っても、私の子ではない。

 私にも子どもはいるが、今年小学生になったばかりの息子であり、赤ん坊ではない。

 私の妹の子である。つまり私からすれば、姪ということになる。

 息子がかわいくてかわいくて仕方がないのは揺るがない事実だ。

 しかし、妹の子となると、そして女の子となると、どうしてだろうか。とてつもなく愛おしく感じてしまうのだ。


 こんなことを考えていると、生徒たちに、私たちはどうなんだと怒られてしまいそうだ。

 もちろん、生徒たちを心底愛している。

 息子や姪と序列を付けるつもりはない。

 それが教師という生き方だろう。

 とはいえどうしても教師である前に、一人の人間であるのも事実。

 最近はどんな時も、姪のことを考えてしまっている。

 この気持ちこそが、最近よく聞くようになった若者言葉「尊い」というものに違いない。

 子を持たずしてこの感情に至るとは、最近の若者は、感性がとても豊かである。


 最近は早めに仕事を切り上げて、必ず妹の家へ立ち寄るようにしている。

 慣れない子育てで疲れている妹を、少しでも支えられればと思っている。

 姪に会いたいから通い詰めているわけではない。本当だ。


 夏休みが終わり、九月にはいると、学校は文化祭ムード一色となる。

 クラス担任をしている以上、文化祭の準備等、様々なことをサポートしなければいけなくなる。

 私の受け持つクラスである一年三組は、初めての文化祭ということで、何をやるか、中々決まらずに煮詰まっているようだった。

 そこで私は、偶然テレビで見たことを思い出し、モザイクアートというものを勧めた。

 展示だけなら準備に時間がかからない。

 早く帰りたい私の希望と、生徒たちの悩みの解決を、同時に叶えた形だ。

 実にいい提案だったと思っている。

 生徒たちはなぜか、私にも詳しいことは教えてくれず、当日のサプライズだそうだ。


 さて、そろそろ帰ろう。

 早く姪のもとへ、じゃない、妹のもとへ行かなければ。

 文化祭準備期間は、教室にカギを閉めなければならない。

 本来、教室のカギを閉めるのは担任教師の仕事だが、私は秋月あきづきという生徒に任せてある。

 少し不思議な男だが、真面目だし問題ないだろう。

 秋月はあまりクラスに馴染もうとしないところのある生徒だ。

 そんな姿が担任として気になり、話をしたことがある。

 秋月は秋月なりのしっかりとした考えを持っていたので、問題ないだろうと判断した。

 秋月に関しては、私がどうこうする必要を感じなかったのだ。なんとなく、昔の私に似ているように感じたからだろうか。

 時間の問題、そんなふうに思う。

 それに、秋月はたまに私のところに小説を借りに来る、かわいいやつなのだ。


 職員室に残る先生方に挨拶を済ませ、職員玄関で外履きに履き替える。

 自慢の傘を差し、スキップしそうになるのを抑え、早足で歩く。

 雨は今日で終わる。明日には、キレイな秋晴れが、空一面に広がることだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る