水曜日1 暇人は覚悟を決める。

 昨日と同様、電車に揺られる朝。天気はくもり。

 先週まで続いていた雨がやっと終わり、気持ちいい日が続いていたが、ボーナスタイムはもう終わりなんだろうか。

 天気予報アプリいわく、終日、雨が降ることはないらしい。雨が降らないのならまだマシか。

 今日は水曜日。

 文化祭準備期間も、今日を入れて残り三日。

 出来れば文化祭当日までには、犯人探しに決着をつけたい。

 俺も文化祭くらいは、お気楽に楽しみたいのだ。

 それに、若菜わかなさんは暇な人じゃないはずだ。犯人探しに時間をかけ続けるわけにもいかないだろう。


 昨日は水島みずしまさんが月曜日の朝、何時に登校したのかを聞くために、その障壁となる秘密を明らかにした。

 その結果、水島さんに月曜日の朝、犯行は不可能であると分かった。

 ついでに、水島さんと行動を共にしていた越川こしかわにも、やはり月曜日の朝に犯行は出来なかったと、アリバイがより確実になった。

 さらに犯行可能時刻が七時から八時だったのが、七時から七時半に狭めることも出来た。

 大変だった分、成果は上々だろう。

 今日はもう一度江本えもとさん、相沢あいざわさんと話をしてみるつもりだ。

 水島さん同様、江本さんも個人的な秘密が障壁となって、月曜日の朝の話が出来なくなっている。

 その秘密はおそらく、昨日越川から聞いた内容のことだろう。


 ドン!

 しまった。何かにぶつかってしまった。人だったら全力で謝ろう。完全にこっちの不注意だ。

 頼む電柱とかであれ、と祈りながら前に視線を向ける。

「痛いよ、秋月あきづきくん。なんでぶつかって来るの?」

 そこには若菜さんが立っていた。

「あれ、なんでこんなところに若菜さんが?」

 またしてもオートパイロットモードで登校していたらしい。気づいたら電車から降りていた。それどころがここはもう校門だ。

「なんでじゃないよ! ずっと手振ってたじゃん! 秋月くん、こっち見てたよね!?」

 視線はそっちの方を向いていたのかもしれない。でも認識していない。視覚のスイッチは切れていた。

「ごめんごめん」

「また何かに集中してたの? 好きだねー集中するの」

 好きというつもりはない。むしろボーッとするのが好きなのだ。真逆である。

 ここ数日は考えることが多くて、気づいたらつい集中していただけで。

「おはよう、若菜さん。今日もよろしく」

「よろしく、なんだけどさ。秋月くんちょっといい?」

 なんだろう。また新たな容疑者? 勘弁して欲しい。

 若菜さんに発言を促す。

「昨日の絵梨花えりかちゃんと越川くんと話してた時。秋月くんらしくなかったよ。あれはちょっと、嫌だな」

 若菜さんは珍しくしっかりと目を合わせることが出来ないようで、チラチラとこちらを見る。

 確かに昨日、あの時はらしくなかったと思う。でもあぁするのが一番、確実だと思ったのだ。

「ごめん、でも――」

「あれは禁止! 分かってるんだよ。私が犯人探しなんて頼んだからでしょ? でも、もうやめて。嫌な秋月くんを見るくらいなら、犯人が見つからない方がマシ」

 そこまでか。

 どっちにしても、あんな意地悪な詰め方はもうしない。あれは水島さん対策でやっただけなのだ。

「大丈夫。もうしない。ごめん、若菜さん」

「分かったならよろしい。じゃ、教室行こっか」

 これを言うために、わざわざここで待ってくれていたのだろうか。

 だとしたら、相当嫌だったんだな。気をつけよう。

 今日はやるべきことが決まっているので、昼休みまでは普通に過ごすことにした。


 昼休み。

 事件のショックも薄らいで来たのか、クラスメートの男子たちは、窓の近くで下らない遊びをしてはしゃいでいる。

 若菜さんの席へ行く。優等生らしく教卓の目の前の席だ。といっても席順はくじで決めたので、ただの偶然だが。

「若菜さん、ちょっといいかな」

 若菜さんはなぜかキョトン顔だ。

「秋月くんから私の所に来たの、初めてでびっくりしちゃった」

 そうだったっけか。あまり気にしていなかったから覚えていない。

「日に日にやる気になるね、嬉しいよ」

 頼まれた時より、積極的になってるのは事実だ。なぜだかは分からない。

「江本さんともう一回、話がしたいんだ。若菜さんがいてくれた方が、心強いんだけど」

「頼られるの嬉しいなぁ。行こ!」

 褒められたり、頼られると素直に喜ぶ若菜さん。そういう姿勢はすごく素敵だと思う。


「江本さん。少しいいかな」

 江本さんは今日も一人でお弁当を食べていた。昨日と内容は変わらないらしい。定番メニューなんだろうか。

 相沢さんは昨日同様トイレに行っているようだ。

「何かしら。話せることは全部、話したと思うけれど」

 全部。本当にそうだろうか。江本さんと相沢さんはまだ話していないことがあるはずだ。

「俺、偶然知っちゃったんだ。江本さんの隠してること」

 偶然というのは嘘だ。だが、聞いた、調べたと言うよりは、不快感を与えないと思ったのだ。

「何のこと? 全然、分からないけれど」

 こうされると、弱い。

 江本さんは、それすら分かってやっているのかもしれない。

「お願い、かえでちゃん。月曜日の朝、何をしてたか、教えてもらえないかな」

 若菜さんには特に何も伝えていない。空気を読んで加勢してくれたのだろう。

「俺たちはただ月曜日の朝のことを聞きたいだけなんだ。秘密を暴くことは目的じゃない」

「…………」

 それでも江本さんは口を閉ざす。江本さんにとってこの秘密はとても深刻なものということだ。

 できる限り誠実にお願いするしかない。

「私は、八時半頃に登校した。それ以外は、言えない」

 ダメか……。

 こうなれば諦めるしかない。


「分かった。ごめん――」

「楓ちゃん。この二人はきっと大丈夫だよ」

 相沢さんが帰ってきた。隣には越川がいる。

 昨日電車で頼んだ相沢さんの説得。成功したみたいだ。

真奈まな……?」

 正直、江本さんが自分から口を開いてくれるとは思っていなかった。

 他人からしたらどうでもいい事。それをわざわざ隠しているということは、本人にとってはとてつもなく重い、ということだ。

「越川くんから聞いたの。この二人なら、悪いことにはならないと思うから……。事件のアリバイを証明出来ないままなのは、辛いよ」

「…………」

 江本さんが悩んでいる。

 信じて欲しいという気持ちを込めて見つめる。

「楓ちゃん。私たちを信じて」

 若菜さんはゆっくりと包み込むような声で気持ちを伝えた。

 その気持ちが届いたようだ。


 江本さんが、それでも気丈に振る舞い、語り始める。

「日曜日の夜からずっと真奈とアニメのウォッチパーティをしてた。面白かったから二人で徹夜して、気づいたら七時を過ぎてた。私の家からじゃどんなに急いでも八時頃が限界。実際は色々準備してから家を出たから、八時半頃になった」

 相沢さんに目で確認を取る。

 相沢さんは顔を縦にふる。長い前髪が浮き上がり、初めて目が見えた。

「勇気を出してくれて、ありがとう」

 江本さんがなぜアニメ好きを頑なに隠しているのか、それは分からない。きっと、過去に辛く、恐ろしいことがあったのだろう。

 若菜さんは涙を目に浮かべていた。


「江本さんが授業中によく寝てたのは、夜ふかしが原因だったんだね」

 そういうことだ。

 ちなみに相沢さんも授業中寝ているらしいが、前髪の長さと背の低さのおかげで気づかれていないらしい。

「越川、ありがとう。助かった」

「俺たちの時もあんな感じで優しくしてくれればよかったのになぁ」

 そんなに酷かったか。みんなかなり引きづってくる。

「秋月くんには私から厳しく言っといたからもう大丈夫!」

 本当にすいませんでした。

「それで? 今どんな感じなんだ? 犯人探しは」

「水島さん、江本さんのアリバイは確定。残るのは真鍋まなべ工藤くどうかな」

「正反対の二人が残ったね」

「正反対、ねぇ」

「真鍋は現状どうしようもない。工藤にもう一度、話を聞きに行こう」

 昼休みに工藤を捕まえるのは困難だと判断し、昨日と同じ方法を取り、放課後に階段の踊り場で待つことにした。


「お、秋月。昨日は助かったよ。ありがとう」

 おそらく、昨日とまったく同じ時間に工藤は現れた。どこまで真面目なのか。

「いや、いいんだ。ついでだったから」

 とても大変なついで、だった。

「それと、画像データの件だけどな。手間をかけて完全に消去されていて、復元することは出来そうにない」

 何をやってるんだ越川は。

 データの保管は雑なのに、消去は徹底的に。どういうリテラシーだ。

「可能性があるとしたら、店側にデータが残ってるかもしれないな」

 写真屋か、後で行ってみよう。

「それで、昨日と同じ二人で、今日はなんだ? また俺を疑いに来たのか?」

「そうじゃない。画像データのことを聞きに来たのがメイン。あとはちょっとイジりにきただけだ」

 工藤は眉間にシワを寄せる

 そう、工藤が犯人ではないと分かっている。


「動画撮影、お疲れ様」

 工藤は途端、顔を真っ赤にする。

 昨日から顔が赤くなりやすいやつだ。

「ど、どうしてそれを!?」

 若菜さんには事前に伝えてある。

 隣でピクピクと笑いを我慢しているようだ。

「手首と首を捻挫、頭にたんこぶ。明らかに激しい運動中の事故で出来た怪我だろ。それに越川に渡したカメラをお古って言ってたよな。あとはまぁ、色々あって、ピンときたんだ」

 水島さんの件で、動画投稿という言葉が頭にあったから思いついたことだ。

「あとは根気強くそれっぽい動画を昨日探して、見つけた。この仮面被ってるの工藤だろ?声がそっくりだし、この動画でのコケ方、ちょうど手首と首を痛めそうだし、頭をぶつけてるし」

「工藤くん、すごく面白いんだね」

 珍しくちょっと小馬鹿にしたような言い方をする若菜さん。優等生イメージとのギャップがかなりツボらしい。

「ついにバレたか……。すまん。誰にも言わないでくれ。ちょっとした暇つぶしで、つい」

 つい、と言う割によく作り込まれているし、動画本数もそこそこ多い。身体を張った企画や筋トレの動画が主らしい。

「言わないよ。それに、いい趣味だと思うよ」

「ありがとう。恩に着る」

 工藤を怪しんでいた理由である怪我は、こんなことだった。

 これで工藤も容疑者から外していいだろう。


 階段を降りていく工藤に聞く。

「真鍋のこと、何か知らないか?」

「真鍋? いや、何も知らないが。強いて言えば、最近彼女が出来たらしいことくらいか?」

 水島さんの件から江本さんや工藤のことに繋がったものだから、真鍋にも繋がるんじゃないかと期待していた。

 さすがに都合の良すぎる期待だった。

 真鍋、いったいなにを隠しているのか。

「そっか。色々ありがとうな」

「工藤くん、動画の更新楽しみにしてるね」


 工藤と別れ、教室に戻った。

 まだ人がいたが、帰り支度をしているので次第にいなくなるだろう。

 いつも通り椅子に座る若菜さん。

「残ったのは真鍋くん、だね」

 容疑者の絞り方がそもそも主観的なので、残り一人だからといって、犯人と断定することは出来ない。それに、

「実は、真鍋は犯人じゃない気がしてるんだ。昨日の言葉がどうしても引っかかる。」

 こんなこと……分かりきっている。下らない。と真鍋は言っていた。

(俺がやったことだと)分かりきっている(誰が犯人かなんて)分かりきっている。

 なんとでも取れる言葉なのだ。

 犯人がこんな事を言うとは思えない。

「じゃあ容疑者、いなくなっちゃったね」

 真鍋への疑いが無くなったわけじゃない。

 でもどちらにせよ真鍋から何かを聞くことはあの様子からして不可能だろう。

 つまり、手詰まりだ。


 手詰まりといっても本当にもう出来ることがなくなったわけではない。

 むしろ、かなり効果的な、やれる事はまだいくつか思いついている。

 しかしそれは大変な労力とリスクを伴う。

 俺だってここまで来たら犯人を見つけたい。

 それでもこの手段は取りたくないのだ。

 教室にはいつの間にか、二人になっていた。

 隣の一年二組は相変わらず騒がしいが、今日は稽古ではないらしい。

「もう、いいんじゃないか? 十分頑張ったと思う」

 それとなく犯人探しの断念を提案する。

 俺が工藤に画像データの復元を頼んだのはこのため。犯人が見つけられなかったとしても、作品さえ戻ってくれば、若菜さんを含めたクラスのみんなの溜飲が下がると思ったのだ。

「うん……でも……」

 若菜さんは諦めが悪い。

 それはここ数日の関わったことで知っていた。

 だったら、

「やれることがないんだ。諦めるしかない」

 ここまでハッキリ言えばさすがに諦めてくれるはずだ。

「でも、そしたら犯人はどうなるの? ずっと罪悪感を一人で抱えていくの? 何でこんなことをしたのか、誰にも言えないままなの?」


 すっかり忘れていた。

 若菜さんが犯人探しをする理由。

 犯人を罰したいわけでも晒し上げたいわけでも、弁償させたいわけでもなかった。

 犯人を救いたがっていたのだ。

 救うなんて大袈裟かもしれないが、話を聞き、向き合おうとしている。

 若菜さんは成績も優秀で、学級委員もしている。俺と違って暇じゃないんだ。

 暇つぶしと、社交の経験、そんな下らない理由で引き受けた俺とは違う。

 貴重な時間を使ってまで、真剣に、覚悟を持ってこのことに向き合っている。

 そんな人に、俺は頼られたんだ。

 応えたいと思った。

 こんなに素敵な人の力になれるなら、どれほどの苦労だって引き受けたいと思った。

 それに、ここで逃げたら、俺はもう二度と――


 大きく深呼吸をし、若菜さんの目を見る。もう、目は逸らさない。

「まだ、やれることが二つある」

「え?」

「俺たちは、動機を吉田先生への恨みに、犯行時刻を月曜日の朝に、そしてそこから、リスクの強弱で容疑者を絞って考えてきた。」

 若菜さんは聞き入る体勢を整えたようだ。こっちを真剣に見ている。

「でもこれらはあくまで主観的にそう考えてきたに過ぎない」

「どういうこと?」

「吉田先生への恨みを持つ生徒は、俺たちが知らないだけで他にいるかもしれない。月曜日の朝以外の時間に、リスクを背負って強行したのかもしれない。」

 前提としてきた主観による仮定。それを白紙に戻す。

「つまり、前者を考えるなら、全生徒に聞き込みをする。後者を考えるなら、別の時間にやれた可能性を探す。そうすることで考えを広げられる」

 整理に時間がかかっている若菜さん。

 突発的に話し始めたので、上手くまとめることが出来なかったからだろう。能力不足を実感する。

「聞き込みの方は分かったけど、もう一つの方は具体的には何をするの?」

「夜、校舎に潜入して実際に試す。人のいる時間に犯行が出来ないのは変わらない。だからあり得るのは、俺がカギを閉めて帰った後の土曜日の夜、もしくは月曜日の越川が来る前って可能性もある」

 完全な無人の時間帯は、警備システムの問題で不可能だろう。

 日曜日は文化祭前ということで部活動が完全に休みになっていて、そもそも校内に入ることが出来なかったので考えなくていい。

「聞き込みを根気強く続ければ、動機を持った生徒を、より多くリストアップ出来る。月曜日の朝以外に犯行可能だと確認出来れば、より確実に犯人候補から犯人を特定しやすくなる」

「やってくれるの……? 秋月くん」

「もちろん。もう覚悟は決めた」

 若菜さんは申し訳なさそうに丁寧なお辞儀をし、

「秋月くん、ありがとう」

 言い終わると一転、最高の笑顔を見せてくれた。

「月曜日の朝以外の可能性を探るってことは、若菜さんのアリバイが崩れることになる。それでもいい?」

 次は真剣な表情で、

「もちろん、構わない。私も、また疑われる覚悟くらい、するよ」

 若菜さんが犯人であることはないだろう。それでも可能性の問題として、考えなくてはならない。若菜さんのために、絶対に犯人を見つけると決めたのだ。犯人が彼女自身だったとしても。

「 駅の方に用事があるから行こう若菜さん」

 やるならすぐだ。

 駅で若菜さんと別れたあと、俺は今日、一人で夜の学校に潜入する。

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