火曜日6 暇人は秘密を知る。
駅前に戻ってきた。息が苦しい。体力はそんなにある方ではないのだ。
既に十七時近くになっていた。
太陽の出番は終わりに向かい、月が準備体操を始めている時間帯。
「キツい……」
九月の夕方は、八月ほどではないがまだ十分暑く、全力疾走したこともあり、額から汗が流れる。
これじゃ格好がつかない。格好なんて、と思うかもしれないが、これからやることには格好が大事なのだ。
酸欠の影響か、視界がハッキリとしない。
「
若菜さんの声がする。
目を凝らす。
手芸屋の前に、手を振る若菜さん、
息だけでも、と思いゆっくりと深呼吸をしながら三人の下へ歩みを進める。
なんとか平静を装える程度に回復し、軽く手を振り返す。
「ありがとう若菜さん。越川、水島さん、時間を取らせてごめん」
「別にいいけどよ。なんなんだよ、こんな改まって」
若菜さんはなんとなく空気を読んで、俺の隣に立つ。二対二の構造になる。
水島さんは手に持った中身の見えない紙袋を、自然な動きで身体の後ろに隠す。
「あんたたちと話はしないって、言ったはずだけど」
相変わらず敵対的な姿勢だ。
だが、まずは越川だ。
「越川、これ。
全力疾走で学校に戻った理由はこれだ。
工藤に越川を見つけたと伝え、お使いを買って出たのだ。
残念ながら、親切心からの行動ではない。
「動画撮影用のカメラ。工藤のお古なんだけど、お試しで使ってみて欲しいらしい。」
「あ、あぁ、そうなのか。ありがとな」
さて、行くぞ。ここからが肝心だ。
「越川、写真が趣味なんだってな。それで動画にも興味を持ったとか。なんていうか、意外だな。今度見せてくれよ」
ちょっと演技臭すぎたか。いや、これでいい。
「まぁ。今度、な」
よし、訝しんでいる。効果はありそうだ。
俺が何をしているのか、若菜さんは分かってなさそうだ。
今日の昼休み、江本さん、相沢さんと話したあと、若菜さんに言ったこと。
――どうしても聞き出したいなら、言ってもいいと思わせるか、言わざるを得なくさせるか。
つまり、信用か脅迫か。
短期間で信用を得ることは難しい。取れる選択肢は脅迫。
もちろん脅迫といっても、力に訴えたりはしない。
言葉で脅迫するのだ。
走り疲れてヘロヘロの態度では、怖がらせることは出来ない。だから息を整えたのだ。
いつもと様子の違う意地悪な俺を若菜さんはどう思うだろう。
今は、目の前の越川と水島さんに集中する。
「そう言えば、水島さん。夏休み明けに髪色のことで怒られたんだって? うちの高校で怒られるなんて、よっぽど派手にしたんだね」
「は? 何が言いたいわけ」
最初から結論をぶつけても二人、特に水島さんには効果が薄いと思った。強気には強気で対抗されて終わってしまう。ジワジワと追い詰める方が、心を折れるはずだ。
「ところで、その後ろに持ってる袋には何が入ってるの? 手芸屋から出てきたみたいだけど」
「あんたたちとは話さない。何度も言ってるでしょ」
立場が弱いのはこっちなのだ。最終的に、教えませんと言われれば、もう何も出来ない。だからこそ、気持ちで負けてもらう必要がある。
「さっき遠くからたまたま見えたんだけど、なんかすごくカラフルな物だったよね」
「…………」
言い返して来なくなった。
俺が水島さんの、いや二人の秘密について、気づいていることに気づいただろうか。
「秋月くん、嫌な感じだよ。どうしたの? 」
若菜さんが割り込んでくる。
「もう少しだから、見てて」
ごめん若菜さん。今、攻めの手を緩める訳にはいかない。
もう最終局面なんだ。
「水島さん、チクタクをやってるんだってね。どんなこと、やってるの?」
越川と水島さんがお互いを見る。
越川が水島さんに向かって顔を横に振る。
「秋月、気づいてるんだな。俺たちの秘密に」
越川と水島さんの秘密。それは、
「コスプレ動画、だね」
コスプレ。それはアニメやゲームのキャラクターの扮装をすることだ。
キャラクターへの愛情だったり、単純にチヤホヤされたいだけだったり、色々あるらしい。
大きなイベントなんかもあるみたいだ。
「合ってると思うんだけど。どうかな」
根拠は、現実的でないほど派手なウィッグの注文。
それから、佐々木さんは水島さんのチクタクについて、かわいい、意外、ギャップ。そう言っていた。あとは、友達にも隠すような趣味とも言っていた。水島さんの性格からすれば、隠したくなる趣味だろう。
「撮影しているのは越川。 二人の共同制作ってことだね?」
ウィッグの受け取りを二人で行っていて、動画用のカメラを探している。つまりそういうことだろう。
「…………」
一瞬の静寂。
若菜さんは状況を飲み込むべく、三人の顔を順々に見回している。
水島さんがついに口を開く。勘弁してくれたようだ。視線は足元に向いている。
「最初は暇だったからなんとなく動画を上げたの。普通の、みんながやってるようなやつ。そしたら少しずつコメントとか評価がついて嬉しくて。そしたらコスプレが見たいってコメントが来て。一回くらいならって思ってやってみたの。そしたらコメントがすごく増えて、嬉しくてやめられなくて」
本当は、バラされたくなければ、なんて脅すつもりだったが、その前に折れてくれた。そこまでやるのは心苦しかったから、助かった。
「
生徒の髪色がアニメのキャラクターみたいになっていたら、さすがに驚くだろうな。度が過ぎていると判断してもおかしくはない。詳しくないなら尚更のことだ。
「動画、
こんな話したくないだろうにさせてしまって本当に申し訳ない。
でも水島さんのアリバイを聞くためにはこの秘密を明らかにするしかなかった。
それが今日の朝、水島さんが登校時間を教えてくれなかった理由に繋がるだろうから。
「昨日の朝、二人は学校で撮影をしてたんじゃないかな。朝なら見つからずに撮れる。」
「全部お見通しってわけだ」
全部、などではない。正直かなり不安だった。まったくもってトンチンカンな可能性だって大いにあった。
「朝七時に学校に来て、二人で職員室に行って、カギを借りた。
これで水島さんのアリバイが証明された。犯人候補から外れることになる。
ついでに聞いておきたい事があった。
「教室に戻ったのって何時くらいか、覚えてるか?」
その時間以降は、この二人が教室に居たことになる。犯行時刻が絞れる。
「七時半くらいじゃなかったか? だよな?絵梨花」
「多分、そのくらい。その後は、二人で動画を確認してて、ちょっとしたら少しずつみんなが登校してきたから」
犯行時刻は七時から七時半に絞られた。
「それで暇になったからブラブラしてる時に、若菜さんを校門で見かけたってわけ」
「若菜、疑ってごめん。あたし、みんなで作った作品があんなにされて、カッとなっちゃって」
秘密を知られたことでむしろスッキリしたのか、水島さんは若菜さんに謝ることにしたらしい。
文化祭実行委員であるだけでなく、動画作りや衣装作りの経験を通して、作品というものに対する想いが、強くなっていたのかもしれない。
仕方がなかったとはいえ、嫌なやり方で、人の秘密を暴いてしまった。
人柄に対する認識にも勘違いがあったようだ。
俺も謝らなくてはならない。
「水島さん、越川。色々と、ごめん」
「ごめんなさい」
なぜか若菜さんも謝っている。俺に犯人探しを依頼した黒幕として、謝っているのかもしれない。
やり方が汚かったこと、後で謝っておこう。
「それにしても犯人探しなんてしてたんだな、お前ら。知らなかったぜ」
そういえば越川には言ってなかった。
今日の聞き込み、気づいてなかったんだな。
「昨日、越川が帰った後に、若菜さんに頼まれてね」
「秋月ってそういうの得意そうだもんな。実際こうやって秘密、暴かれちまったし」
得意なんてことは絶対ない。
「そんなことないよ。さっきまでは何一つ分からなくて絶望してたんだから。たまたま喫茶店から手芸屋にいる二人が見えて、繋がっただけで」
「あそこから見てたのかよ。気をつけないとな、絵梨花」
今後もこの店を使うなら、気をつけた方がいいだろうな。
「それより、工藤くんが貸してくれたっていうそのカメラ、見せてよ。そんなに違うものなの? カメラって」
「おぉ、じゃあ使ってみるか? 充電あるかな」
急にここで撮影でも始める気か? さすがに開放的になり過ぎじゃ……。
「よーし、行くぞー。秋月、若菜さん、そこじゃ映んねーぞ。充電あんまないから早くしろ」
俺たちも映るの? 夕日をバックに?
これが青春。なるほど、いいものだな。
だが待てよ。これを使えば……。
「ちょっと待ってくれ越川。撮って欲しいものがあるんだけどそっちを頼んでもいいか? ――」
「いらっしゃい。あれ、また来たの? 仲直り出来たみたいでよかったよ」
俺と若菜さんは、再び喫茶「ハナアカリ」に来た。
「席はあそこでいいですか? おじさん」
「おじさんってそんな……。まぁかわいい子に言われるのはむしろご褒美みたいなもんか」
またしてもセクハラ発言。
「好きに座りな」
若菜さんが指定した席に座る。
「注文決まったら――」
「もう決まってます。私はコーラで」
「あら、早いね。彼氏くんは?」
「俺もコーラで」
「二人ともコーラかい? ならデカいコップに二人分注いできてやろうか? もちろんストローはハート型のやつ」
「普通で、お願いします」
「そ、そうかい。了解了解」
先程とは違いかなり空いているからか、すぐに運ばれてきた。
「ほれ、コーラ二つ。彼女さんの方には特別に特製トッピング付き」
もう十分だろう。
若菜さんと適当に会話しながら、早めにコーラを飲み干した。
会計に向かう途中で、先に入店してもらっていた越川と水島さんと合流する。
水島さんから上手くいったと伝えるウインクが飛んでくる。
「四人分、お会計お願いします」
「あれ? 君たち友達だったの? 四人席に座ればよかったのに」
四人席だとこの計画は難しかった。別の席から撮ってもらうのが、安全で確実だと判断した。
越川が店主に向けて、たった今撮影したばかりの動画を再生する。
「仲直り出来たみたいで――」
「かわいい子に言われるのはご褒美――」
「二人分注いできてやろうか? もちろんストローはハート型――」
「彼女さんの方には特別に特製トッピング――」
これが俺の撮って欲しかったものだ。
「ちょ、なにこれ。やめてよ、消して消して」
「消しません。セクハラを金輪際やめてください。じゃなきゃ学校にこれを提出します」
くらえ腐れ店主。
「それは困ったなぁ……。分かったよ気をつけるようにするから、許してくれ。この通り」
店主は頭をしっかりと下げた。
その後、会計を済まし、俺たちは退店した。
「あそこの店、便利だからよく使うんだけどあの店主がウザくてね。これで凝りてくれれば最高だよ」
水島さんはよく来ているらしい。
「秋月よく思いついたね。よくやった!」
普段つんけんしている人から素直に褒められるのは、特別な嬉しさがある。
「若菜さん、ごめんね。付き合わせちゃって」
「全然大丈夫だよ。嫌な気持ちはしてないから」
「さて、じゃあ帰るか。みんな電車、同じ方向だろ? 途中まででも一緒にいこうぜ」
越川の号令で俺たち四人は駅へ向かう。
悪党を成敗し、帰路につく。夕日に照らされる笑顔の眩しい高校生四人。客観的に見ても、きっとすごくキレイに映っているはずだ。
電車内では、水島さんのコスプレ鑑賞会が行われた。
本人は恥ずかしがっているように振る舞ってはいたが、それとなくオススメ動画を提案してくる様子から、楽しんでいたのだろう。
流行りものから普遍的な人気のあるキャラクター、職業系まで、数は少ないものの、最近始めたとは思えないほどラインナップは充実していた。
普段つんけんした態度を取る水島さんが、コスプレを通して自己表現する姿は、とても輝いていた。
自己表現、自分には出来ていないことのように思える。正直、羨ましいと思った。
俺は自分が、電車内で騒がしくする迷惑な高校生になることはないと思っていた。今はきっと、周りからはそう見えているだろうと思う。
若菜さんと水島さんは途中で下車した。
電車内には越川と俺の二人が残っていた。
「改めて、びっくりしたよ。まさか犯人探しなんてな」
「ごめんな。越川は確か、犯人探しとかしたくないって言ってたもんな」
文化祭実行委員として重要なのは円滑に事が進むことであり、犯人を探すことは優先するべきことではないのだろう。単純にそういうことを好まない性格が理由かもしれないが、それは分からない。
「お前らの行動にとやかく言うつもりも権利もないけどよ。でもやり方はもうちょっと、考えて欲しいかもな」
「ごめん。あれはなんというか、水島さんの性格を考慮した作戦で……」
相当性格の悪いやり方をしたと自覚している。あの後、水島さんが仲良く接してくれたのは、様々な要因が重なって生まれた奇跡だろう。
「そう言えば越川、なんでコスプレ動画の撮影を手伝うことにしたんだ? アニメとか好きなのか?」
「まぁな。そんなに意外か?」
昔はそれなりに偏見の対象だったようだが、昨今ではかなり市民権を得ており、有名人がオタクを公言することも少なくない。
「元々写真が趣味なのはホント。そこに偶然絵梨花の動画を見つけて、やる気になったってわけ」
越川がアニメ好き、それを知って一つ仮説が浮かぶ。
「一つだけ、聞いてもいいか?」
眉を上下に動かす様子から、許可の意思を確認する。
「実は越川って、
越川は目を大きく開き、
「そんなことまで分かるのかよ。やっぱすげーな」
越川はなぜか、何でも答えてくれる。
一度秘密を解き明かされたことで、一種の催眠状態になっているんじゃないか。危ないぞ、これ。
「江本さんにオススメのアニメとか、教えてもらってんだ」
江本さんにアニメ好きの印象はない。ただの真面目っぽい雰囲気のクラスメートといった感じだ。
ただ、今日の昼休み、
偶然の可能性も全然あったが、もし相沢さんがアニメ好きなら、友達の江本さんもそうなんじゃないか。安直にそう思ったのだ。
「でも江本さん、学校だと喋ってくれないんだよ」
アニメ好きを隠している? 隠すようなことではないと思うが。
アニメが市民権を得たのは間違いないだろう。だが同時に、未だに偏見を持つ人も少なくない。それを嫌がって隠したいと思う人もいるのかもしれない。
「そうなんだ。もう大丈夫だから。ありがとう越川」
そろそろこっちから止めないと、とんでもないことまで話しだしそうだ。
「越川、一つだけお願いしてもいいか?」
次の停車駅で俺は降りる。
越川はまだ当分、先のようだ。
「家遠いんだな。通学大変じゃないか?」
「見学に来た時、校風が気に入っちゃってさ。ここじゃなきゃって、ワガママ押し通したんだよ」
車内アナウンスが流れる。
「まもなく――」
「じゃあ、俺ここで降りるから」
「おう、また明日な」
立ち上がり、扉の前に立つ。
「秋月、無理はすんなよ」
俺も無理はしたくない。
明日こそ、決着が着くことを望んでいる。
――――
一人になってからは緊張の糸が切れてしまったのか、何も考える事が出来ず、ただ家に向かって、歩を進めた。
時間がいつもより遅かったので、周りの暗さだけは、違和感として頭に残った。
家の扉の前で思い出す。
「アイスまた忘れたな……」
妹にアイスのお使いを頼まれていたのを、昨日に続いて今日も忘れてしまっていた。
「まぁ、いいか。もう疲れてるし、早く休みたい」
カギを開け、扉を開ける。
「早く、アイス出せ」
俺がただいまと言う前に、アイスを要求する妹。
玄関で待ち伏せしてまで食べたいアイスってなんなんだ。
気になるから明日は自分の分も買って来ることにしよう。
「ごめん忘れた。明日三つ――」
最後まで言い切ることも出来ず、股間を蹴り上げられる。
悶絶。
「明日忘れたらこれ以上の罰を与えるから」
これ以上は多分、命を落とすことになる。
明日こそは絶対に忘れないと心に誓った。
寝る前にスマホをスクロールして動画を見漁った。なかなか面白かった。
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