火曜日5 暇人は閃く。

 教室に帰ってくると、既に無人になっていた。

 隣のクラスは相変わらず騒がしい。

 俺と若菜わかなさんは、昨日の放課後、若菜さんが教室に入ってきた時のように、静かな空間を作り上げていた。昨日とは違い、気まずさは感じない。

 その代わり、強い疲労感を感じる。

 頭が混乱していて、まとまらない。今日一日で、俺の脳では処理できないほどの情報量と、解けない謎を与えられてしまった。

 若菜さんは机に突っ伏して、休息を取っている。寝ているわけではなさそうだ。

秋月あきづきくん、何か分かった?」

 体勢はそのままで、顔だけをこちらに向けている。

 自分では何も分からなかったようで、意見を求めてくる。

 しかし、俺も絶賛混乱中だ。

「何も。みんな何かを隠していて、怪しいってことくらいしか」

 話は続かない。

 これはもう手詰まりだろうか。水島みずしまさん、江本えもとさん、真鍋まなべ、そして相沢あいざわさんや工藤くどう、何一つ真相にたどり着くことは出来ない。

 やはりただの暇人には、事件を解き明かすことは無理なようだ。

 いや、本当はまだ出来る事はある。でも出来るだけそれは避けたい選択肢だ。かなりの労力がかかり、危険なリスクが伴う手段だから。

 簡単な方法から潰していこう、若菜さんにはそう言った。もう今のままでは得られる情報はない。やるしかないのか、いやでも……。


「キャー!」

 そんな時、隣のクラスから女子の悲鳴が聞こえた。楽しく遊んでいる時に出すたぐいの悲鳴ではなく、シリアスな声色だった。

 若菜さんが素早く起き上がる。

「この声って沙奈さなちゃんじゃない!?」

 確かに言われてみれば、佐々木ささきさんの声に思えてくる。

「行こう、秋月くん!」


 もしかしたらモザイクアート殺人事件は大きな計画の始まりに過ぎず、隣のクラスで次の被害が出たのかもしれない。

 そんな大袈裟な妄想を頭に浮かべながら、急いで教室を出る。

 文化祭準備期間は極力、他のクラスに出入りしないように、とされている。出来るだけサプライズ性を持たせたい学校側の意向なのだろう。だが、何かあったのなら、それは例外と考えていいはずだ。一年二組の教室の中に、確認を取ることもせず、扉を一気に開け放つ。


 そこには血の付いた刃物を持つ男の後ろ姿と、倒れ込む佐々木さんらしき人物。

 遅かった。既に佐々木さんは……。

 周りを見ると、沢山の人がこちらを見ていた。なにをやってるんだこいつらは。なぜ犯人を止めなかった。なぜまだ助かるかもしれない佐々木さんを放置しているんだ。

 状況が理解出来ずに立ち尽くす。

「あれ、三組の人たち? マズイもの見られたなぁ」

 振り返りこっちを向く犯人がそう口にする。

 深く被ったパーカーの帽子と、黒いマスクのせいで顔はほとんど見えない。

 口封じをする気か!?

 若菜さんの半歩前に立ち、少し身構える。

 若菜さんの戦闘能力と俺の戦闘能力じゃ大して変わらないと思うが、それでも守らなければ、と思った。

「これは、どういう事なの……?」

 若菜さんは後ろから、震えた声でたずねる。

 その声に反応し、佐々木さんが最後の力を振り絞り、言葉を発した。

 聞き逃さないように、耳を澄ます。

はるちゃん、来ちゃったんだね」

 俺が忘れられているが、そんなことはどうでもいい。まだ息があるなら助かるかもしれない。なにが必要だ。まずは救急車。救急車が来るまで止血出来るもの。それに警察。

 考えていると、佐々木さんはすくっと起き上がり、

「ダメだよー、知らないの? 文化祭準備期間中は、他のクラス、来ちゃいけないんだよー?」

 ……ん? 刺された割に元気だな。というかどこからも血が出てない。まさか。

「うちのクラスは演劇やるんだー、今はその稽古中!」

 演劇……。

「内容がミステリーだから、知られちゃったら困るなー」

 徐々に状況の理解が追いつき、恥ずかしさが込み上げてくる。

 若菜さんのことを見る勇気がない。おそらく、若菜さんも顔が真っ赤になっているに違いない。

「ん? まさか二人……。悲鳴、ホントだと思って来ちゃったの? いやー嬉しいなぁ、あたし女優も向いてるんだねぇ。さすがあたし!」

 核心をつかれ、更に恥ずかしさが加速する。

 穴。穴はどこだ。出来るだけマントルに近づける、そんな穴。そのまま溶けて消えてしまいたい。

「いや、あの、違くてね。ちょっと、借りたい物があって、それで、来ただけで……」

 若菜さんやめて。余計、恥ずかしくなる。

「借りたい物ー? なにかなー? 深い深い穴が掘れる、大きなスコップとかかな?」

 佐々木さんは全力でイジり倒すつもりだ。このままだと殺される。

「え、演劇やるんだね。準備とか、大変そうで、あの、お疲れ様です……」

 ダメだ、頭が真っ白で何も出てこない。

 こんなんじゃ追撃から逃げられない。

「マーダーミステリーっていうゲームをベースにした演劇でねー。なかなか良く出来てるんだよ? ちょっと大事なシーン見られちゃったけど、本番楽しみにしててね。第一発見者さんと第二発見者さん」

 トドメを刺された。いや、むしろ早めに終わらせてくれた分、優しさなのかもしれない。

 俺と若菜さんは、クスクスという笑い声を大量に背中に浴びながら、逃げるように歩きだす。

 犯人、いや犯人役の男子が笑い混じりに、

「あ、そうだ。ごめんだけどさ。ちょっと外に出てて貰えない? 一番大事なシーンの稽古するんだ。隣の教室だと、聞えちゃうかもしれないから。さっきみたいにね」

 さっきみたいに、は要らないじゃないか。死体蹴りだ。酷い。

 完全に発言権を失った俺と若菜さんはコクリと頷き、了解の意思を示す。

 一度教室に戻り、カバンを手に取り階段へ向かう。そのかん、一度も目を合わせず、一言も言葉を交わさなかった。


 時刻は十六時を過ぎた頃。

 昼と呼ぶには太陽の元気は落ち込んでおり、夕方と呼ぶには空は青く澄み渡っていた。雲はちらほらと、気持ちよさそうに空を泳ぐ。

 前にどこかで聞いたことだが、快晴というのは思いのほか、基準が厳しいらしい。

 今日の空は正式には快晴とは言えないのかもしれないが、気持ち的には十分、快晴と呼びたくなる、そんな気持ちのいい空模様だった。

 俺と若菜さんは、昇降口でスリッパからローファーに履き替えたあと、最寄り駅の方へ歩いていた。

 学校から駅まではなだらかな下り坂が続いていて、途中には川を跨ぐための橋がかかっている。橋の途中から見る川と空の景色は絶景で、日によって違う姿を見せてくれる。

 普通はなかなかそっち側に視線を向けることは少ないようで、知る人ぞ知る写真スポットになっている。

 越川ならこの景色を、どのように切り取るのだろうか。


「秋月くん、どこに行くつもりなの?」

 やっと口を開いた若菜さん。隣にいるのは自分を馬鹿にする敵ではなく、同じ恥ずかしさを共有した、慰め合える仲間だと気づいたのかもしれない。

「特に目的地は決めてないけど、駅前に行けば何かあるかなって」

 ここらへんはそこまで栄えている方ではなく、駅を使用するのも花盟学園かめいがくえんの生徒がほとんどだ。それにしたがって駅前にいくつか並ぶお店は、学生をターゲットにしたものが多く、行けば何かあるだろう、そんな雑な考えしかしていなかった。

「秋月くんってお腹空かないの? 今日、お昼食べてないよね?」

 言われてみれば食べていない。元々そこまで食欲旺盛ではないので、一食抜くくらいならなんともないと思っている。

「お弁当は持ってるけど、さすがにもう怖いよね。まだ暑いし」

 お母さん、ごめんなさい。

「駅前に喫茶店があったと思うけど、行き先はそこにしない? 私も揚げパンしか食べてないから、お腹すいちゃった」

「そうしよう。なにか食べれば、頭も回りだすかもしれないし」

 目的地が決まったことで、歩みが軽快になった。


 駅前に着くと、さっそく建物一つ一つに目を向けて、目的の看板を探す。

 パン屋やコンビニを見つけたが、しばらく帰ってくるなと言われているので、現状には適さない。ゆったりと過ごすには、やはり喫茶店がいいだろう。

 それ以外には小さな本屋なんかもある。本屋は文房具も取り扱っており、消耗品の文房具を緊急で買う時に、何度かお世話になった。

 道路を挟んだ向こう側には、手芸屋や写真屋といった専門店も並んでいる。うちのクラスのモザイクアートはあの写真屋で、格安で印刷してもらったらしい。普段から学生相手に商売しているだけあって、そこらへんの融通は効きやすいのかもしれない。

 目的の喫茶店が見つからない。教室で過ごしたあと、寄り道をせず帰宅するのが習慣なので、どこになにがあるのか、詳しく知らないのだ。


「若菜さん、喫茶店ってどこにあるの? 見つからないんだけど」

「どこって……、ここだけど?」

 若菜さんが指差していたのは俺が見ていた方向の逆。というかすぐ真後ろだった。

 喫茶店「ハナアカリ」。店名がなんとなく花盟学園に寄っており、やはりうちの生徒をターゲットにしていることが分かる。

「入ろう? お腹ペコペコだよ」

 若菜さんは慣れた手付きで扉を開けた。


「いらっしゃい。おや、今日は彼氏さんとかな? えーと、席はそこしか空いてないね。どうぞ」

 おじいさんやおばあさんが切り盛りしている姿を想像していたが、存外若い男性――といっても三十代くらいだろうか――が小綺麗な格好でコップを拭いている。雇われ店主だろうか。

 口ぶりからして若菜さんのことは認知しているようだ。

 それにしても、初対面の相手を彼氏扱いだなんてセクハラでしかない。

 我々学生が恋愛話を特別好むと知っていて、ノリを合わせている? いや、ただ顔がいいから今まで許されて来ただけだろう。

「注文、決まったら声かけて」

 店内は木造風の落ち着いたデザインで、照明も暗めに設定されている。しかし、流行りの曲をかけて若者に媚びようとしているのが裏目に出ていて、雰囲気がチグハグだ。

 少なくとも軽薄な男というのは、間違い無さそうだ。

 唯一空いていた窓際の席に座る。文化祭準備期間だからなのか、それともいつもこんなに繁盛しているのか。

 メニュー表にはそんなに珍しい物は載っていない。喫茶店らしいものが、それなりに揃っているという感じだ。

「私はパフェ食べちゃおうかな。いつもみんなが食べてるの、羨ましいと思ってたんだ」

 食堂に向かう途中に俺から聞いたことを、早速実行に移す若菜さん。

 ごめんなさい若菜さんのご両親。若菜さんは悪い子に育ちました。でもとても幸せそうなので許してあげてください。

 若菜さんがパフェとなると、そんなにガッツリしたものを頼むのは気が引ける。たまごサンドでも食べようか。なんとなく、卵を食べておけば栄養も取れそうだし。

「若菜さん、飲み物はどうする?」

「コーラ飲みたい」

 パフェにコーラか。完全にタガが外れてしまったらしい。


 軽薄店主に注文を済ませると、

「二組は演劇だって、すごいよね」

 マーダーミステリーをベースにした演劇。正直かなり興味がある。

 やりたいボードゲームとは、まさにマーダーミステリーのことだったのだ。ミステリー小説のようなシナリオが準備されており、プレイヤー一人が登場人物の一人をそれぞれ担当し、犯人が誰なのかを話し合いで推理したり、自分が犯人であることをバレないようにしたりする。一つのシナリオにつき、人生で一度しか遊ぶことの出来ない、体験型のゲームである。

「俺は見に行こうかな。興味あるし、邪魔しちゃって悪かったから」

「じゃあ、一緒に見に行こうね」

 さらっと約束を取り付けられた。演劇なんて黙ってみるものだし、誰と見ても問題ないだろう。


 唐突に、聞いておかなければならないことを思い出した。

「若菜さんはなんで俺と付き合いを持とうとしてるの?」

 不躾な質問だとは思うが、どうしても聞きたかったのだ。若菜さんだって普段の俺を知っているはず。この喫茶店にも来たことがあるようだし、友達も普通にいるだろう。

「なんでって、犯人探し、頼んじゃったから?」

 若菜さんは小首をかしげて答える。

 昨日、偶然関わったとはいえ、犯人探しだって友達に頼むことだって、出来たはずなのだ。

「犯人探しを頼んだのはなんで? 暇そうだからとかそんなことじゃなくて、なにか理由があるんじゃないの?」

 情緒不安定でこんなことを聞いているわけではない。それこそ、理由がある。

 手詰まりになった時の次の手、それの結果次第では、若菜さんは容疑者に戻ることになるのだ。

 探偵役だと思ってた人物が犯人、助手役だと思っていた人物が犯人。そういう作品はそれなりに存在する。

 若菜さんは俺の真剣な表情を見て、姿勢を正し答える。

「理由は、あるよ。でも、もうしばらくは秘密にさせて欲しい。」

 出来る範囲で最大限の誠実な答え方、なのだろう。

 これ以上は追及しない。理由とは一体何なのか。若菜さんから明かされるまで、待とう。


 そこで、頼んでいたパフェとコーラが軽薄店主によって届けられる。

 二人の真剣な空気感をどう勘違いしたのか、引きつった笑顔をつくり、「冷静に、ね」と言いカウンターへ帰っていく。どこまでも軽薄である。

 届いたパフェとコーラを交互に見て、テンションが通常に戻った若菜さん。

「ね。ね。秋月くん。もう食べていい?」

 よく今日まで我慢して来られたもんだ。

 俺のせいで悪くしてしまった空気をかえるべく、冗談めかして言う。

「念願のパフェとコーラ。じっくり堪能するがいい」

 若菜さんは、早速パフェから手を付ける。ほっぺたに手を当てて、分かりやすく幸せそうだ。

 次に、コーラに口をつける。コーラに至っては始めて飲んだようで、美味しいというより、長年の謎が解けたという感動が勝っているようだ。

 俺のたまごサンドとコーヒーも運ばれてくる。

 軽薄店主は幸せそうな若菜さんを見て、困惑している。

 別れ話じゃなかったの!? と言わずとも伝わってくるのがめちゃくちゃウザい。

 その後、三度首を縦に振り、去り際に俺の耳元で、「お金で買った愛は脆いものだよ」と囁いてきた。あまりにも早合点が過ぎる。どこまで邪推すれば気が済むんだ、このジジイ。

 一発くらいは許されるだろうと思い、足をローファーの硬いかかとの部分で踏んでやった。

 腐れ店主は情けない声を上げたあと、涙目になりながらカウンターへ帰っていった。


 どこまでも幸せそうな若菜さんを見ながら食べる食事は、いつも以上に美味しく感じた。あの腐れ店主の作ったたまごサンドが、絶品なわけでは決してない。

 若菜さんは自分の世界に入り込んでいるので気づかれはしないと思うが、ずっと見つめるのもなんというか気恥ずかしいので、窓の外を見やる。

 窓からは、向こう側にある手芸屋と写真屋が見える。


 ふと、手芸屋の中に何となく見慣れた姿を発見する。あれは、越川と水島さんだ。

 何をしているんだろうか。あの二人ということは文化祭関連の買い出しだろうが、何となく気になり観察する。人間観察は得意だ。

 二人ともどこかソワソワして、周りに注意を向けている。手芸屋の買い物で、何をそんなに怯えることがあるのだろうか。

 しばらく観察していると分かったのは、何かを買いに来たというよりは、注文していたものを取りに来たみたいで、店員さんが裏から戻ってくるのを待っているようだ。

 店員さんが戻ってきた。商品の間違いがないか確認するために、一度取り出し二人に見せる。

 あれは……カツラ? いや、ウィッグといった方がいいか。というのもあれは、自然な仕上がりを求めたもの、というよりはむしろ不自然を意図的に演出したものだったのだ。

 そのウィッグは、根本側半分がピンク色、毛先側半分が黄緑色という、まったくもって現実的でない配色で、空間からどうしようもなく浮いていた。かなりの長さで、女性用であるのは明らかだ。

 二人は店員と話を続けている。

 あんな物、何に使うんだろう。越川や水島さんも演劇でもやるんだろうか。

 もちろんクラスのし物ではない。じゃあ部活の? いや、あの二人は帰宅部だったはずだ。なら文化祭実行委員会? そんな暇があるとは思えない。


 偶然、頭の中で情報が結びつき、結論を弾き出す。食事を摂ったことで頭が回りだしたのかもしれない。

「そういう事だったんだな……! ごめん若菜さん。俺ちょっと学校に戻るから、少し待ってて!」

 全力で走れば、十分もあれば戻って来れるはずだ。本当はスマホで連絡を取りたいが、あいつは学校の中にいる。スマホは原則使用禁止だ。直接行くしかない。

「若菜さん。あそこにいる越川と水島さん分かる? 見張っといて欲しい。どこか行っちゃいそうだったら、引き止めておいて!」

 若菜さんは急に現実に引き戻されて戸惑っているが、口の中をパンパンにしながら、コクコクと頷いてくれた。

「ありがとう、行ってくる」

 テーブルに千円札を一枚置いてから、出口に向かった。


 一人で出ていく俺を見て、あの腐れ店主は、言わんこっちゃないと目で訴えてきた。

 相手をしている時間はないので、睨みつけておいた。

 睨んだことを変に解釈していないか、祈るばかりだ。

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